小説の書き方についての考察 (5)

今回で一応最後。
書き漏らしたところとか、諸々書いて終わる。

考察(2)で、自分にとって理屈抜きに好きな作品を、できるだけ若いうちに見つけろと書いた。

この辺で、その考えはおかしいと突っ込まれたので、なぜかということをちゃんと触れる。

人間の価値観というのは、若い頃に触れたものや目の前で体験した出来事、行動によって形成されていく。
重要なのは、理屈抜きに好きな作品を見つけるとかそういうことじゃなくて、
小説やるんだったら、できるだけ若い時に、影響を受けたとか、そういう作品と巡りあっておくことであって、無いからダメだとか言う次元の話をしているわけではない。

沢山漫画なりなんなり見て知ってたら、それだけ物語のパターンを、知らず知らずに学習しているので、書き手になった時に、自分にとって心動かされたシーン、好きなシーン、印象的なシーン。
こういうものを、記憶の中から探しだして、ネタとして使うことが出来る。

で、好きな作品があれば、繰り返し見ているハズで、当然繰り返し見ていたら、それだけ強く頭が記憶している。
そしたら、アイディアのネタ出しにも有利に作用する。

なんだよパクリかって思われるかもしれないが、これが小説の書き手になるための努力の一つだと言う結論に至った。

もし、これを読んでいるあなたが、天才的頭脳を持っていて、知識のないところからまったく突拍子もないネタやアイディア、オリジナリティあふれるフレッシュなシナリオを生み出せる規格外の才能を持っている人種なら、こんな話は余興でしか無いだろう。今すぐその才能を発揮して成り上がればいいと思う。
こんな人材は世の中に実在しないと決めつけているわけではなくて、稀に1%程度の確率で、そういう人間は存在していると思っている(自分がそうだとは言ってない)。

クリエイターの有名な名言に、次のようなものがある。

「アニメを作りたいならアニメを見るな!」

これは、「ガンダム」を生み出した富野由悠季による発言。
自分は、ゲーム業界については堪能だが、アニメ業界はそれほど詳しくないので、どういう状況で富野由悠季がこの言葉を発したのかわからない。

ついでに言うと、怒られるかもしれないが、自分はどうしても「ガンダム」が楽しめず、この人自体、あまりいい印象を持ってなかった。
過激な発言ばかり先に目がつくので、好きになれなかったが、動画で本人を見た時に、どういう人間なのか、ガンダムで当てるまでどういう人生を送ってきたのか、知った今なら、共感できる人物の一人となった。

この発言の意図は、アニメを絶対見るなってことではないと思う。
アニメ一辺倒では作り手にはなれないよって言うことを言いたかったのではないかと思われる。
これは、自分の勝手な解釈であって、富野という人は、アニメで飯を食っていながら、客であるオタクを否定している奇特な人だ。

自分の作ってるアニメは10代向けのもので、20すぎになったら楽しめない、卒業すべきとまで言っている。

一連の富野発言を引用したのは、これは自分にも耳の痛い領域になるのだが、アニメだけに没頭して、人としての成長を止めて、思考停止することにたいして警笛を鳴らしているものだと勝手に思っている。
だから、その辺をちゃんとしていたら、20過ぎてアニメ楽しんでようが、構わないと本人もいうとおそらく思う。



話を脱線させたくないので、これ以上書かないが、自分の勝手な解釈では、アニメ以外のものにも視野を広げて、色々見聞を広めろってことだと勝手に思っている。

自分の結論としては、ゲーム作りたかったら、絶対に沢山ゲームを知っておくべきだと思っている。
これは、アニメにも、他の分野でも、当てはまる絶対の法則だと確信している。
だけど、それ以前に、外で友達と遊んだり、ゲーム以外のもの、何かしらのエンターテイメントに絶対に沢山触れているはずで、その過去の体験を入念に思い返して、その体験を元に、空想をふくらませてシナリオを書いていく。

なにもないところからアイディアなんて出てこないし、作れないわけで、そのためには、大人は口を酸っぱくして勉強しろと言う。
これには、机にかじりついて勉強するだけじゃなくて、色んな事をやって自分の世界のバリエーションを広げていくということを意味している。




考察(4)の中程で、正義と悪が存在しなければならないという話を軽く書いた。

誤解を招く書き方になっていたので、ここで掘り下げて改めて記述する。

人には、それぞれ立場というものがある。
わかりやすく言い換えると、何らかの組織に所属しているか、生まれ故郷など生い立ちがあり、何らかの境遇を経て、生きてきている。

高校なら、3年A組、B組
会社なら、営業部、経理部
ファンタジー世界なら、軍事国家、ファシズム蔓延する悪(っぽく見える)の帝国、平和主義の国、中立国

そういう集まりに、カテゴリーに、必ず所属していなければならない。
(無職とか専業主婦というのも、それ自体一つの立場と言える)

しかし、所属している組織の思想と、個人の思想が、必ずしも一致しているわけではない。
3年A組とB組は、仲が悪くても、組は違っても親友がいて、隠れて仲良くしていたり、
営業部と事業部、方針が違っても、共感できる人がいて、その狭間で仕事をしている主人公
ファンタジー世界のたとえなら、戦いを交えた後で、国は違えどお互いの目指す理想が同じであることに気づき、立場が違って、しがらみに縛られながら、理想を実現するために葛藤しながら生きていく等。

今書いたありきたりの凡例
心の葛藤を、多くの人に「気になる」「続きが読みたい」と想わせるように、魅力的に描いていくのが作家の仕事だ。

もう一つ、シナリオを進行させるためには、役割が必要。
シナリオの進行役、ボケ役、ツッコミ役、言い出しっぺの役、行動役、悪役、ゲームマスター(ご都合主義へ持っていくための調整役)
ちょっと一概に体系化出来ないが、ある一定の、ロールを作って、そのロールにキャラクターを当てはめていく。
これを固定化してる場合もあるし、いわゆる日常アニメ、ギャグアニメのように、ストーリーごとに変形させていることもある。

これについては、テレビのトーク番組などを参考にすると良い。
司会者がいて、クイズ番組ならパネラーがいて、レギュラーなら成績の良い人、中堅、いつも最下位の人が居る。
トーク番組なら、司会者が聞き手になって、ひな壇の出演者相手に話を広げていく。
ロケ番組とか見ててもそうだが、どんな番組でもロール(役割)が設定されていて、それに基づいて番組が進行する。




コメントで指摘して頂いてなるほどと思ったことなど幾つか。

考察(1)では、語彙の豊富さ、表現力はそんなに重要なのか?というお題で、話を書いた。

これに対していや、表現力はたしかに必要だよという意見を頂いた。

そう思って、自分なりに色々考えた。
まず、なぜ、自分が世間的なそういう一般的な考え、ハウツーで書かれていることに対して否定的になっているのか。

答えはやっぱり、一般的に想像されるような努力は間違っていると思ったからだ。
百科事典を開いて、使わない言葉を必死に覚える。果たしてそれが本当に身になっているのか
いや、期待通りの成果を上げるのか?という点について思うと、疑問をいだいてしまう。

自分は、文章を書くのは好きだが、活字離れを起こしている、矛盾した困った人間だ。
そこで視点を変えて、なぜ活字離れが起こっているのかということを分析してみた。

正確には、活字離れという現象は、本能的に、脳が“自分には不要だ”と思った部分を読むのが苦痛で読み飛ばしてしまう現象なのではないかという考えに至った。

少し話を戻すが、じゃあ表現力を培う、魅力的、個性的な文章を書くにはどうすればいいのかという問題になる。

これについては好みの問題が入ってくるため、一概に体系化することは出来ない。
自分の場合は、密度の濃い文章を好む傾向にあり、自分の書く文章もそうあるべきだと思っている。

読ませる文章を書くには、リズミカルで、軽快で、テンポの良いものが一番だと思う。

最も参考になるのは何かと思った時、「歌詞」が思いついた。
「歌詞」は、400字詰め原稿用紙2枚程度、僅か3,4分で朗読できてしまう分量の中に、魅力的なフレーズがいっぱい詰まっている。
思えば、自分が好きだと思った作品は、どれも台詞が簡潔で、短い台詞の中に心を動かすフレーズが盛り込まれている。
歌詞の中には色んな言葉があり、好きな歌を何回も聞いていれば、その中で使われている単語を自然と覚えていく。
「歌詞」は「台詞」を起こすためにとても参考になる表現の仕方がされているということがわかってきた。

1曲、たった1000文字に満たない中に、心境、心情、情景描写がコンパクトに刻まれている。

好きな歌を何度も聞き返すのは、苦痛にならないどころか、心地良い気分になるだろう。

どうしてもシナリオを書こうとすると冗長になりがちで、自分もそれを気にしており、何か良い参考になる物はないのかと悩んでいたが、「歌詞」的に叙述していくのはひとつの手だと考えた。




いよいよ最後の段落となる。

やったことがある人ならわかると思うが、小説を書くというのは本当にキツイ。
何がキツイって、書いてる時点ではなんにもならないことに労力を注いでいるために、とにかくモチベーションが出ないのだ。

時間を決めて書くとか、締め切りを設定するみたいに、自分を追い込むやり方も考えたが、とにかく、作業の取っ掛かりがつかめないと、どうしたって遊んじゃって、本当に困ってしまう。

小説を努力せずにサラサラ書けるような人間だと良かったのだが、自分は残念ながらそういう超人ではないし、頼れる人もいなかった。
そこでなんとか我流で、やり方を考えていった。

ここまで書いてきた考察シリーズの根底にある考えは、なるべく努力を必要とせずに書く方法だった。
つまりは、楽に書く方法をなんとか見出すためのハウツーだったわけだ。

普段、今ブログを更新しているようなノリで、なんとかサクサク小説を書いていきたい。
楽にやろう、楽にやろうと言う方法論を模索した。
そしたら最初に、ケータイ小説みたいに長文にはせず、簡素に表現していくってことだった。

そして、繰り返しになるが、ここまで書いてきたやり方は、自分にとっての方法論であって、
ボランティアで、小説の書き方を指南しているわけではない。

どちらかと言うと、自分に言い聞かせるために、自分のために、書き残しているに過ぎない。

それから、小説を書く上で重要なことを2点。

大勢の人に共感できることを書く
読んでもらえるような面白い文を書く

自分の手のうちを晒していいのかよ?!って話になるが、
小説の書き方を体系的に理論化しようとして、ここまで自分のロジックを書き上げてきた。

書いてる時点で何の成果も上がってない人間のハウツーなんて参考にする変わったやつは中々いないし、
やり方がわかったからって、すぐ成果を上げれると思っているなら、やれるものならやってみろってことだ。
やり方だけ理解したって、実作業が、すぐに実践できるわけがない。




あとがき

いま、ネットゲームを舞台にした、異世界トリップものが、凄い流行っており有象無象の勢いで作品が増え続けている。
自分自身、ネットゲーム初期を体験したこともあり、ネットゲームを題材にした小説を書こうなんて6,7年前から思っていた。

ところが、多くのネットゲームを題材にした小説は、ネットゲームである必然性がないものも少なくない。

自分がネットゲームを扱う場合は、絶対に“ネットゲーム”でなければならないと思い続けていた。
或いは、ネットゲームに縛られ続けて、実際のMMORPGとはかけ離れた設定が盛り込まれたりしているものが殆どだ。
自分はこれについても(いわゆる現実的にありえないチート設定など)、そういう非現実性が入ってくると、多くの人はワクワクしてくるから受けているんだろうが、自分はどちらかと言うと、しらけていってしまうのだった。

自分がネットゲームを取り扱う場合、現実性(なぜしらけるかというと説得力にかけてくるからだと思われる)、
そして、必然性、この2つを絶対にクリアしなければならないと思っている。

自分はとにかく、今は、手を動かすことが大事だと思っていて、複数の作品を平行して書いている典型的なダメ作家志望の状態になってしまっている。
作業が難航しているのは、こういった題材を扱おうとした時に、どうしても途中途中で作業が滞ってしまい、なかなか前に進まないからだ。

それからほんとうに最後。

書こうと思っていたことを思い出したからこのタイミングになるのだが、

つまらない話を面白く書く

作家志望にはとても重要な事だとコメントで頂いた。

例えば、オタク友達に誘われてカラオケに行ったら、アニソンばっかりだったという出来事があるとする。
この、要約するとなんの変哲もない出来事を、いかにふくらませて、面白くドラマティックに読ませるか?ってことが作家の仕事の究極だと言うわけだ。

だから、ブログで日記を作り続けるなんてことは、実は結構、重要な事で、何年も更新出来ているなら、それだけで誇れることだと胸を張っていいと自分は思っている。

他にも色々書きたいことはあるが、非常に長くなったので、このシリーズはひとところ終わる。
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小説の書き方についての考察 (4)

前回の続き。

・登場人物の作り方/描き方について

小説には不可欠な要素として、物語の土台(舞台・設定)が必要だとすでに説明した。

次に必要なのは、そこに出てくる役者、スポットライトの当たる主要人物である。


これについては、立ち位置や力点が、人によってかなり異なると思うが、自分的に最終的な結論は次のとおりだった。


・登場人物というのは、物語が進む上での歯車に過ぎず、作家の決めたストーリーに翻弄される存在。それ以上の存在になってはならない。

なぜこんな冷めた、低い位置に置くべきだという結論に至ったのか?理由はきちんとある。

・作者が、自分の作った世界に登場する人物に、過剰に思い入れを持つと、たいていろくな事にならないから

こうやって、合理的な考え方にすることで、とにかく、判断に迷った時に、いちいち迷わずに客観的に物事を決めていくことが出来る。

あと、この結論に至った理由はもう一つある。

それは、最初に小説を書き出して、ぶちあたった大きな壁。
異性の描き方である。

異性、自分の場合は女性は、どういう立ち振舞をするのか、どういう性格がいいのか、しゃべり方、考え方
そこまで深く考えて、変に虚構の世界にリアリティを重ねあわせた結果、
男性から見た理想の女性像みたいな、薄っぺらでうそくせーキャラにしかならなかった。

これをどうやって解決すればよいのか、やっぱり、異性としっかり付き合ってるという経験がなければ
小説を書くことすら出来ないのか、3年の間、割と真剣に悩んだものだった。

ところが、虚構の世界に、現実世界の女性像を必ずしも持ち込む必要はないと気づいた時、この問題は実にスムーズに取り除かれた。
あくまで、そのキャラは男か女かだけで、それ以上の意味はなく、女であっても性格次第で考えは違うわけで、それを性別で過剰に意識して、影響されてはならないってことだった。

それを踏まえて、キャラの作り方について簡潔に書く。

高打率の専業漫画家CLAMPは、キャラクタを作る時、1人1人の履歴書を作ると言う話をしていた。
そうやって、時間と手間を掛けることで、高打率の漫画家として食っていけてるのだろう。

だからそれを模倣するのがある意味正解なのかもしれない。

が、自分の場合、手間を掛けずに楽にやれる方法があるなら、それを使うほうが望ましいと思ってる。
それは、小説を書こうとか、今のおれみたいに、リアルが追い込まれて死ぬか生きるかサバイバーな状態で
一発逆転狙うしかねえって言う詰んだ人間が、賭けでぶつかる時、手間暇掛ける余裕が無い。

余談だが、今、本当におれは金に困っており、夜間の宅急便のバイトに不本意だが働きに行くほどほんとに困っている。
そして、あれだけ嫌っていたアフィに手を出したくて、申し込んだが審査に落ちるという惨憺たる結果に苦しめられ
リアルに知り合いがいなくなり、ネットでこうやって困ってる助けてほしいと何年も、ブログや自分自身の声を動画に乗せて訴えても、心ない野次や、上から目線で馬鹿にするような、輩ばかりで絶望に屈している。

ほんとに精神的に、ヤバい状態で、同しようもない状態にまでなってしまっている。

そこで、キャラクタの作り方の手軽なやり方を、3年の間、漠然と考え続けて、考えがまとまってきたので、ここにそれを書く。

それは、非常にお手軽で簡単で、わかりやすいやり方で、メモ帳に走り書きするぐらいで良いし、
小説を作ってる間に改変したくなったら簡単に修正できる融通の効く作り方だ。

キャラ1人に対して、容姿、性格、体格、髪型、勢力、性行為では受け攻めかSかMか等、いくつか簡単な項目を作る。
それに対して、簡単にカテゴリーを作って分ける。

あとは、動画サイトなり、通販サイトで、検索用に付けられる、タグ、みたいなものを“特徴”の欄に付け足していく

かわいい、純粋、ぽっちゃり、気が小さい、

こんなかんじだ。

ようは、ゲームのステータス画面みたいなものを想像してもらう。
人の外見、内面の基本項目に、状態(属性)を書き込んで、特記事項の“特徴”欄にその人物の特徴をタグ形式で書き出していく。

それから、もう一つ重要なこと。

正義と悪が絶対に存在しなければならない。

正義と悪というのは、説明する上でわかりやすくするために敢えて使ったのだが、

主人公が属する勢力A、悪役が属する敵対勢力B、中立的存在の勢力Cなど

これを作るのはなぜかというと、勢力同士にはそれぞれ主義主張があり、
物語を作る上で、これがぶつかり合わなければならない

で、おおまかなストーリーラインを考えた時

最初に書いたが、
・登場人物は物語を進める上での歯車でなければならない

これが生きてくる。

こういう状況に陥った時、こういった立場で、こういう性格を持ったキャラは、どう動くのか?動かすべきなのか?

常にこの、瞬間瞬間を作者は考えなければならない。

その場合、下手に登場人物に感情移入してると、判断に迷ったり、読者からすると、支離滅裂に見える行動を起こして反感を買ったりする

だから、歯車以上の存在には考えてはならない。

こういう考えは、自分自身は、一度もやったことがないが、テーブルトークRPGに触発されている。
厳密には、小学生の頃、それに近い遊びはやっていたのだが、本格的なきちっとしたTRPGはやったことがない。

ぶっちゃけると、TRPGのリプレイを書く形式に自分の考え方は近いものがあると勝手に思っている。



超長文で、具体的な小説の書き方を今回、書いていて、わかりにくかったり、納得行かない内容になっていると思う。

最後に、もう2つほど書いてこの話を終わろうと思う。


いわゆる、バトルシーンについて。

人と人がぶつかり合う、バトルシーンは、小説において、必要不可欠な要素の一つである。

ドラゴンボールみたいに、超人同士が能力を駆使して戦うシーンを想像するだろうが、ここでの話はそれに限定したものじゃない。

大半のジャンルでは、形を変えて、人と人の主義主張がぶつかり合うシーンを表現するためにバトルシーンが使われる。

時には遊戯王のように一定のルールに則したカードバトルがあるだろう、
あとは、車に命をかけている走り屋たちの物語なら、ドライバーテクニックを競うために公道をハチャメチャに走りまくって、喧嘩するだろう。

ファンタジーなら、騎士道とはなにかと言う行き違いで、剣を交えて決闘するなど、
バトルシーンと一口に言っても、様々なシチュエーションがある。

これらを描く時、バトルシーンとは何か?を理解していないと、なにとはいわないが、ただ力と力をぶつけあってワンパンで勝負が決まる薄っぺらでつまらない、なんだこれってものが出来上がる。

戦うことで、力をぶつけあうことで、その過程で、主義主張を通すために、お互いがぶつかる。
その時使われる、戦術なり能力なり、剣、車、なんでもいい、
それらの道具は、登場人物の個性が具現化したものでなければならない。

これを徹底している作家や作品は、バトルシーンが面白いものになっている。

バトルシーンなんて色んなモノがある。

自分はトレンディドラマも沢山見ていたので、男女のカップルがぶつかりあって痴話喧嘩してたり
三角関係で、女同士が口喧嘩してビンタしたり、しあったり、ものを投げ合ったり

あとは夫婦喧嘩など、

これだって、バトルシーンと括ることが出来る。


ちょっと説明が多くなりすぎて、疲れてしまった
本当はもう一点、考察(2)で書いた、自分にとって特別な作品を持っておくべきという話に繋げたかったのだが、次回に続く


※ここらで最後に※

この考察は、他人が小説を書けるための手助けのためにやっているわけじゃない。
こんなの、実績のない人間が書いているだけで、参考にならないだの、間違ってるだの、難癖をつけるのは簡単にできることだろう。

これは自分に言い聞かせるために、考えを整理整頓するためにやっているだけで、他人にとって得になる情報じゃない。

個人的には、専業作家の講義は、どれも素人が実践するには難しすぎる気がして、自分なりに咀嚼させたのがこのシリーズのエントリだから、参考になるならないの価値観と戦うつもりは毛頭ない

それだけは断っておく。

小説の書き方についての考察 (3)

前回の続きで、今回はもっと踏み込んだ内容となる。

(2) 話の組み立て方について

(1)から話が思いっきり飛んでしまうのだが、ストーリーの組み立て方について
自分なりの考えがまとまってきたので、書いていく。

おそらく、小説を書く上で、真っ先に頭を悩ませる部分がここだと思われる。

・物語の土台を決める。

土台ってのは何かというと、舞台を決めるということだ。

どの創作物にも、必ずこれが決められている。
シナリオのテーマを決めようとか他では言われてることが多いが、最初っからそこを考えると、
難しいため、物語の土台や設定、どういう状況を描くか、ということをテーマに置き換えて考える。

<踊る大捜査線の場合>
・新米刑事が、湾岸署の刑事課強行犯係に配属される。
・そこで働いている同僚とともに、巻き起こる事件(エピソード)が描かれていく。
→そこから派生した“テーマ”として、キャリア、ノンキャリアの上下関係の理不尽さが描かれる

<新世紀エヴァンゲリオンの場合>
・謎の地球外生命体、使徒の襲撃を受けた世界。
・人類は人型決戦兵器(エヴァンゲリオンという意思を持つ巨大ロボット)で対向するしか手段がなかった。
・(なぜか)搭乗者を選ぶエヴァは、多感で精神不安定な14歳の少年少女でなければまともに起動しなかった
→大人が子供に頼らなければならない世界。未熟な大人に腹を立てる反抗期真っ盛りのエヴァ搭乗者たちの壮大な喧騒、葛藤にまみれた汚れた世界観

・・・
「踊る」は基準ラインとして、「エヴァ」は、書いてる方も疲れたので、読んでる方もわけがわからないと疲れたと思う。
ここらで両極端だが、非常にシンプルな例をあげて終わる。

<ギャラクシーエンジェルの場合>
・見た目は萌えキャラなのに、どこか変な性格を持った5人の美少女で構成されたエンジェル隊のドタバタコメディー劇
・エンジェル隊はロストテクノロジー(失われた古代文明)発掘のため、紋章機を使って宇宙を駆け巡る
→SF、ロストテクノロジー、作られた設定すべては、壮大な馬鹿をやるための都合の良い設定でしか無い。とにかくギャグ。突き抜けたギャグ。ぶっ飛んだギャグをぶちこむためだけに設定が存在しているアニメ



こんなかんじで、自分が書きやすそうな“土台”をまず決めていく。
土台、設定を決める時、それは、虚構の世界だから、この段階では、割りと自分の都合で好き勝手決めた方がいい
むしろ、このへんの、その世界での決まり事とか、ルールが練りこまれてないと、後々読者から説得力がないだの、イマイチだの突っ込まれる(突っ込まれやすいと感じた)
まず土台の段階では、多少強引なぐらいに、その世界のルールを決めてしまった方がいいと感じている

この時、「おれはファンタジーが描きたいんだ。ファンタジーに詳しいしそれで食っていく」とか決めないほうがいいと思う
SF,ファンタジー、ロボットアニメってのは、所詮ジャンルでしかなくて、
まあ、本人が造詣に詳しいジャンルのほうが有利ではあるだろうが、物語の構成や土台的に分解して考えると、カテゴリの一つでしか無い。


・物語は起承転結の連続である

個人的に、専業作家や映画を参考にしないのはこの辺りにある。
なぜなら、シナリオの構成が巧妙で、サンプルに使うには高度だからだ。

映画は、2時間で1つの話が作られており、全部のエピソードに伏線があり意味があり、最後へとつながっていく

連続ドラマやアニメの場合、多くは、幾つもの起承転結のシナリオがオムニバスで展開して、最終エピソードへと進んでいく。

こんな当たり前の話書くなってことになるだろうが、前項で書いた土台を元に、基本的には話を作っていく。
その複数の話のなかに、最終話に向けた伏線を入れたりする。
全ての話に、凝った伏線を盛り込むのは難しいだろうが、いくつも話を書いている間に、伏線を仕込んでいくのなら、気持ちが楽になると思う

・最初にオチ、最終エピソードを絶対に考える

これもよく言われてる話だが、この件に関しては絶対に優先すべきだと言う結論に至った
土台や登場人物を決めた後、じゃあ、この世界の結末はどうするか?ってのは、
ここまで書いたプロセスで、先に考えておくべきというのは、必須事項だと感じたと思う。

なぜなら、最後が決まってないと伏線が作れないし、作りながら決めるとしても、最初に決められなかったら
それはいつまでたっても決まらないからだ。
これは3年、自己流で試行錯誤してきて、一番痛い目を見た所だ。

というか、最後を決めると、それ以外にも色々とすんなり決まってくることが多くて、はっきりいって楽になる。

情景描写については、舞台を参考にする

自分が思ったのは、作家の視点でどのように話を書いていけばよいかということだった。

とにかく映画見ろ小説読め
これは間違いではないだろうが、なんだかしっくりこないことのほうが多い。

そこで思ったのが、作家の視点というのは、舞台の観客席にいる立場と考えると、すごく楽になった。

ドリフの全員集合だとか、後は、最近は絶滅してしまったが、テレビ番組で簡素なセットで繰り広げられる芸人のコントなど。

こう考えると、情景描写が一気に楽になる。
作家の立場で、舞台背景をどこまで想像して説明しなければならないか、これを基準にすることで、迷った時の判断が早くなる。
ドラマのセットだの、映画のセットになると、凝ったものになってきて、そういうストーリーにはあまり関係ないような部分まで創造をふくらませて書いていくのが本当はいいのだろうが、とにかく効率が悪い。

あと、作家は映画のカメラワークだの、カット割りまで考える必要はないという結論だった。
じゃあ、登場人物の立ち位置だとか距離、セットのどの辺りに立っているのか(立たせるのか。動かすのか)みたいなことだけを考えれば良い
そうなると、舞台を見ている感覚で、情景描写を作っていくと、あらゆる面で、説明が簡単になる。

話が長くなってしまったのでこのへんで続く。

小説の書き方についての考察 (2)

前回に引き続き、小説の書き方について個人的考察。

今回は、一番知りたい話を切り込んでいく。

面白い小説を書くために重要なこととは?

結局のところ、これを一番知りたいのではないかと思う。
しかし、かっちり明確な方法があれば、誰も苦労することなく書いていけるわけで、
具体的なやり方ではなく、当然のことながら抽象的な内容になる。



(1) 自分にとって特別な、大好きな作品はあるか

一般的には、作家やりたいなら小説たくさん読め、映画たくさん見ろって言うが、それは半分合ってるし半分間違ってる。
ようは、受け手側の吸収力の問題であって、参考になる作品は、人の個性によるのだ。

上司や師匠となる存在に、こうしろああしろって言われて、言われたとおりにしたからって、期待値通りの結果が出るわけではない。


そこで、自分の人生を振り返って、それまでに見た創作物の中で、これは他人に何を言われようが好きで好きでたまらない、
そんな作品をリストアップしてみる。

これは、メディアを問わない。自分にとってそういう作品があるかないかなので。
アニメ、漫画、ゲームだろうが何でもいい。

しかしこれにはある程度の条件がある。

なるべくこういうのは若い10代のうちに、作っておくものである。
なぜなら、若いころってのは、理屈抜きで好きなモノを好きだと思わせる感性を持っている。
歳を重ねると、感受性が鈍ってくると言う言い方をされるが、
そうではなくて、色々経験を重ねてきて、理屈抜きに好きになれるような作品に出会う確率が大幅に下がってしまう。

思えば、ゲームばっかだと思い込んでいた自分でも、よくよく振り返ってみれば、考えこまなくてもすぐ思いつくものが何個も出た。

だから、普通の人間なら、そういう影響を受けた作品が絶対あるはずなのである。

できれば、若くて時間がある頃に、大量にいろんな創作物に触れていて、
なおかつ、好きな作品は、何度も見返しているという状態が望ましい。



じゃあ、ここでガイダンスしているてめえはどうなんだっていうことになるので、一例として書く。

自分は、若いころ、ゲームばかり遊んでいたが、よくよく思い返してみたら外でサバゲーもどきの遊び事みたいなことも
実は結構やっていたことに気がついった。

自分がまだ小学生の頃、自分の家の前の道路は舗装すらされてない砂利道で、
周りは空き地だらけ、近くに川が流れていても、フェンスとかで囲われてないから
探検ごっことか、そういうことをして遊んでいた。

家の近くには、謎の空き家があって、不気味な様相を呈していて、なんとか中に入れないか
同世代の人たちと思案したり、完全な廃墟と化したボーリング場があって、長年放置されたままで
中に入ろうとしたり、他にも色々ヤンチャな遊びをやったものだった。

昔おれは外遊びをしてたって話は今回、あまり関係がないのでこのへんにしておくが、
自分の場合、ゲーム以外で、意外と沢山の創作物に触れていた。

・テレビ東京系の夕方6時のアニメ(視聴習慣ができていた)
・フジテレビ系を中心としたテレビドラマ(アニメ以上に一番見てる本数が多いと思われる)
・人並み外れてガキの頃から大量に触れていたゲーム。

映画は人並みには見てると思う(バック・トゥ・ザ・フューチャーとか有名ドコロは抑えてるはず)が
見るために駅前の映画館まで行って1500円払わなきゃならないことや
今のDVDレンタルほど、当時の映画ビデオのレンタル料金は安くなかった(ビデオテープが出始めの頃だったから)ので
映画を見る敷居が非常に高かった。

漫画は、ほとんど読んだことがない。
同級生の多くが、親が週刊少年ジャンプを買ってくるからそれを読んでるとか
家族が単行本を買うからそれを読むみたいな世代のなかで、おれのいえは一切そういうものを買ってこなかったため
読む機会がなかったためだ。

ドラゴンボールだの、聖闘士星矢だの、キン肉マンだの、そういう世代の人間でありながら
そういうものに感情移入できないのは、こういう環境で育ったからである。

さて、自分がすぐに思いつく、誰に何を言われようが理屈抜きに好きな作品の数々を軽く挙げていく。

<ドラマ>
・踊る大捜査線
・古畑任三郎
・コーチ
・ラブコンプレックス
・さよなら、小津先生
・ビッグマネー
<アニメ>
・無限のリヴァイアス
・ギャラクシーエンジェル
<ゲーム>
・ライブアライブ
・ファイナルファンタジーVI
・かまいたちの夜
・ワイルドアームズシリーズ
<映画>
・バック・トゥ・ザ・フューチャー1・2
・ホーム・アローン1・2


ここで挙げた作品というのは、ただのクソアニメオタクおつとか言われようが、何を言われようが好きで仕方のないものだけを書いている。

それと同時に、面白くて何度も見返したものである。

ゲームはもっと、やってる割に少ないなって話になる
これは、ゲームというものはストーリーが第一ではないため、この項目では少なくなっている。
もっと好きだなっていう作品はあるが、シナリオやテキストが好きで仕方のないって限定になると、これだけになる。


羅列だけしても参考にならないだろうから、メディア別に幾つか補足していく。

<ドラマ>
・踊る大捜査線は、おそらく創作物の中では一番何度も見返している。
脚本の君塚良一という人物のファンになり、ドラマの欄に出した作品の殆どはこの人が書いてるドラマだ。
当初、新番組予告では面白くなさそうで切っていた。高校受験期間に重なっていたのもあって時間的余裕もなかった。
しかし、たまたまテレビをつけたら、これをやっていて、大変な時期にもかかわらず、一応リアルタイムで何話かは視聴していた。
その後再放送版をビデオ録画し、高校1年の頃、何度も見返したものだった。これに関してはホントに数えきれないぐらい見返した。
口コミで人気が出て、映画にまでなったが、連続ドラマ版以外は「踊る」と認めてない、別物の認識である。

フジテレビドラマばっかりなのは、本当にたまたまだ。
偏っていたのは、そういう視聴習慣になっていたとしか言えない。

ただ、この頃フジテレビのドラマは他のテレビ局より頭ひとつ抜けてたとは思う。
例えば、常に音楽を流し続けて退屈にさせないようにしたり、そういう工夫が見られた(今はどうか知らない)。

<アニメ>
沢山見ているが、掛け値なしに好きだと思えたのはこの2つだけ。
エヴァも入れようか迷ったが、やめた。迷うってことは、やっぱ違うんだろうってことだ。

<ゲーム>
このラインナップになるのは、やはり年代としか言えない
多感な中学生時代に体験したゲームへの影響力というのは結構大きい(4本のうち3本は中学1年のとき体験しているもの)
ワイルドアームズは、ホン書いてる人のセンス自体が理屈抜きで好きで面白いという感性を持っている

なかでも「かまいたいの夜」は衝撃だった
文章だけでここまで恐怖を感じさせることが出来ることを今でも驚いている。
初めて触れたミステリだったが、他のミステリもここまで狂気に満ちたものになっているのかと衝撃を受けたものだった
(その後、バッドエンドしか待っていない後半のサバイバルゲーム並の恐怖感を得られる作品に出会うことがなかったのが偉大だと思っている)

<映画>
バック・トゥ・ザ・フューチャーは、時間旅行ものとして細部まで凝っているところ
ホーム・アローンは当時としては、ドリフのコントのようなやりとりがかなり良く出来て面白く見えていたため


こんなに長々と自分語りをしてもはっきりいってしょうがない。
これを書いたことで、コイツの価値観とは合わないだの、なんだの難癖付けられる話の内容にしかならないからだ。

このブログのエントリは慈善事業でやってるわけじゃないから、気に入らないならどうぞ他へ移ってくださいという感じだから、そこら辺は割とどうでもよいのだが。




ここで主張したいことって何か、まとめる。

・若い10代の頃に、理屈抜きで好きになる作品を見つける
・理想的なのは、なるたけ沢山の創作物に触れていること
・時間のある10代の間に、好きな作品を何度も何度も見返すこと(好きな作品なのだから時間さえあれば繰り返し見ても全く苦痛にならないから)

ここまで意識しなくてもいいが、ただ“見る”だけじゃなくて、、
自分はなんでこれが好きなんだろう、どのあたりに惹かれたんだろう、好きなシーンはどこだろうということを
なんとなしでもいいから考える事。

この話は、一見小説書きとは関係ないことに思えるだろうが、おそらく重要度はかなり高いと思っている。

長くなってきたので、いつになるかわからないが続く

小説の書き方についての考察

3年間我流で小説の書き方を模索してきて、最近それなりに考えがまとまりつつあり、メモ代わりに整理しておきたいと思う。

実は1冊ぐらい、小説というかプロット・物語の書き方についての良書を読むぐらいしたかったのだが、できずじまいで終わってしまっている。

具体的にどういうふうに情報を集めていったのかというと、

・プロの書いた小説を実際に読む(完読まではしてない)
・ネットで無料で読めるアマチュアが書いている小説(ぶっちゃけ専業で食ってる人は、ある意味完成してしまっているので、こっちを重視して参考にした)

後、最後になるが、ネット上で「小説の書き方」的なガイダンスページが多数存在しており
中にはそれなりに権威のある人、自分なんかより相当努力している人が指南しているサイトがあって、それらも参考にした。

そういった、裏で色々模索してきた上で、自分なりの結論を、ここに書き出していく。


語彙の豊富さ、表現力のちからはそんなに重要なのか?

良く小説家、作家と言うと、どうしても漫画家やゲームクリエイターのように、
オンリーワンの存在で、注目される花形職業みたいに色眼鏡で見てしまう面が少なからずある。

で、そういった人たちは、凡人にはない奇異の才能を持っており、努力でその溝は埋められない

こういう考えに行きがちである。

小説の場合、言葉・文章のちからが重要であり、
どのハウツーサイトを見ても、語彙が豊富でなければならない、表現力が重要と一に二にもそんなことを言われる。

だが、これは、必須とも言えるほどの能力なのだろうか?

というのも、プロの、専業の書いた小説を、病院の待ち時間とかに、興味本位で読んだりしていた。

それは、専業作家の作品だから、分かる人が読めば面白いし、家に帰って調べてみればドラマ化もしてるしで、
確かに素晴らしい作品なのだろう。

素晴らしくても、自分は続けて読みたいと思わせるものがなかった、という価値観が大事なのである。

専業作家の小説は、情景描写が丁寧で、自分的にはどうでもいい空の色、天気の微妙な空気感までしっかりかかれてて
「おぉ・・・」と思わせるものはあるのだが、それらは凄いだけで、読んでいて疲れてしまうのだ。

それを、読者に読ませて、じゃあ病院の待ち時間が終わったから、家に帰って続きを思わず読みたいかっていうと、
小説のストーリーの骨子となる部分については、それほど惹きつけるものがない

おそらく、後数十ページ読んでいけば本題に入って面白くなってくるんだろうが

じゃあその数十ページの間に、読む気がなくなったら、作品としてはそこで終わってしまうのである

いくら、年寄り連中が

「文学ってものはなあ」

としたり顔で語られた所で、読書が趣味の人に「わかってないなあ」と言われようが、自分にとってはそこでその小説との接点はそれまでになる。



この体験を書いて、自分が何をいいたいのかというと、語彙とか情景描写、表現力とかいうのは
所詮は、テクニックであって、それが主体ではないということだ。

面白いシナリオ、斬新な構想(斬新という表現は好きではないがあえてこう表現する)、読者を思わず惹きつけて離さない力というものは、知ってる言葉の数だとか、情景描写みたいな小手先の付け焼き刃で補えるものではない。

もちろん、個性を出す、描くために、専業で食ってくのなら、それらを磨くのも大事だろうが、それが一番ではないということだ。

一番大事なのは、読みたいと思わせる文章を書くこと。

そのために、辞書を開いて、使わない言葉を無理に覚えようとしたり、情景描写にばかり凝りまくり、本筋が疎かになってしまっては、本末転倒である。

しかし、自分がいいたいのは、語彙が豊富だったり、自分が説明したい舞台(シーン)の説明をスラスラ書けるというのは
当然のことながら小説を書く上でプラスになって来る。


そういうものは、どうやって鍛えることが出来るのかというと、答えは簡単。

普段から文章を書けばいいってことだ。

あんまり難しい話じゃない。
ツイッター依存症なら、最初はツイッターでつぶやきまくればいい

これは、ネット上のガイダンスサイトでは否定されていたが、ブログで日常的に日記を書くこと
これも本人に自覚症状は無いかもしれないが、1年2年、それ以上ブログ更新を続けていれば、
知らず知らずと、文章力(という言い方も好きじゃないがあえて書く)は上達しているはず。

この結論に根拠はあるのか?と言われると、自信は当然ある。

日常的に、くだらない日記でもいい、書いていれば、
文章を書きだすことをやってる人と、やってない人では、明らかな差が生まれる。

普段から文章を書くという頭の使い方をしてると、脳から、文章を書く引き出しをそれだけ頻繁に開け閉めしているということになる

つまり、文章書きに慣れてると、慣れてない人と比べ、引き出しの開け閉めに対するフットワークが軽くなる

どうやって表現しようか悩んだ時、努力しただけ脳は、早く解決策を導き出せる

ハウツーサイトでは、ただブログやってるだけじゃ文章力は養えないなんて否定してたが、自分はそうは思わない。
それは自分で自覚がないだけであって、何もやってない人よりは明らかに上達している。

余談になるが、昔の思い出をすぐ思い出せる人って周りにいないだろうか?
個人的見解では、こういう人は、作家に向いていると思う。
なぜなら、作家ってのはある意味、昔の思い出を切り売りしているような側面もあると思っているからだ。
この件については、機会が来たら詳しく書く。

長くなってきた所で、この話は、いつになるかわからないが、続く

世の中ってのは残酷なんですよ

本当は更新したくなかったのだが。

というのも仕事が決まるまでホントにブログからはさよならバイバイしたかったからだ

はっきりいって書きたいことは毎日山ほどある

毎日変わらない生活をしていても、ブログのネタになりそうな出来事はかならずある


このブログ
中途半端に小説を書きたいとかプロット云々という話を書いているせいか

稀に、真剣に小説を書いている人とかが訪問者リストに引っかかったりする

そういう人等には、非常にくだらないブログで申し訳ないのだが、
一つ、俺が自信を持って書きたい話をする。



唐突だが、
俺は、ハウツー(マニュアル)本が大っ嫌いだ。

なぜなら、理由は、シンプルに。

オリジナリティが失われるからだ。

こうすべき。
こういうテクニックがある。
初心者が陥りやすいミス。


いきなり、何の話かと思われるかもしれないが。



俺はね、俺自身も、小説を書こうと思って、書き方指南みたいなページを覗いたことがある。

後、アマチュア小説を読んで、レベルを知りたかった。


なんで俺が小説を書きたくなったかっていうと
長年ゲームレビューを書いてきたが、飯が食えるどころか、アクセス数も知名度もサッパリで結果が出なかったからだ。

文章は沢山書いてきた。その資産を活かせるのは何か??

小説しかなかった。

ちょうど、生きがいも仕事も無くし、やることもなくなって虚空を見つめる日々

そんな時、頭に浮かぶのはくだらねえ馬鹿妄想ばかり


俺が金持ちだったらイケメンだったらなにしてんだろう?

アホみたいな空想に逃げ続け、時にはくだらなすぎてニヤついたりもしてただろ



それで俺はいくつかアマチュア小説とか評判のいいアマチュア作品を見てみたりした。


どれも共通しているのは、文章力は俺よりはるかに上で、状況説明や構成力は素晴らしいのだろうが、


ぶっちゃけ、端々まで読む気が起きないのである。


文体はお上品で、精細な世界観や風景の説明
登場人物の服装、顔かたち、微妙な表情の解説


どのアマチュア小説も、しっかり読んでいけば、ろくな勉強も努力もしてない俺なんかひれ伏すクオリティなのだろう


だが、根本的な部分で、「読む気が起きない」。


これが、活字離れを起こしたゆとり生物の成れの果てかと言われても仕方のない話だ。


だが、実際、そう思って読む気が起きないのだからしょうがないだろう


むしろ、この感覚を大事にすべきではないのか??

俺はそう思った。


俺が詳しいゲームでもそうだ。

ゲームオタクが絶賛するような持ち上げるゲームよりも、世の中に受け入れられるゲームというのは
そのオタクが毛嫌いするほどの、びっくりするほどシンプルで、受け入れがたいほどの発想を組み込んだものだ。


そりゃ、小説を沢山読んで文法も研究して、しっかり勉強している人たちだけが理解できる小説
これこそが認められるべきだし、受け入れられるべきだと俺は思う


だけど、現実はそうじゃない


題名にも書いたが、ああ、書いてなかったわ


世の中ってのは残酷なんですよ


売れたモン勝ちなんですよ


いくら稚拙でくだらなくて、なんだこれ?って言うものが、売れている。


例えばマガジンで連載されてるフェアリーテイルって漫画がある

俺は確か20巻ぐらいまでは初版で買って読んでた

もうネットでマンガに飢えた人達からすれば、どうしようもないぐらいくだらなくて評判も悪く
ワンピースのパクリ!!尾田さん(ワンピースの作者)何副業してはるんですか?
とか言われまくって、グーグルの検索結果にも、「フェアリーテイル パクリ」って出るぐらいのものだった

しかし、アニメ化されてからは、トントン拍子で人気が出てゲーム化もされて、それなりに儲かっている(ワンピースと比べ物にならないレベルというのはこの際おいておく)

でも、コネでもなんでもよく売れて注目されたものが勝つ


ラノベでも、「なんでこれが?」って言う作品が売れてたり、世の中ってのはわからないものになっている。


じゃあどうすればいいと思う?


とりあえず俺が思ったのは、ハウツー本なんて捨てて、自分の個性だけで勝負する。


活字離れしてる人間が、長文のゲームレビュー書いてたって話がそもそも笑い話だ。
しかも今度は小説を書こうとアホみたいなプロットと登場人物を本気でブログに晒し出した!!


だが、事実としてある。



俺はね

このブログでも最近わざと文体を崩して口語体で書いたりしだしてるのも


読んでもらうためにやっているんですよ


小説を書く
そのための技法や技巧やテクニック
そんなもので本来の面白さや技量をごまかしたって、意味は無い


小説を読んでもらうためには、一番努力しなければならないことってなんだと思う?


俺は、何よりも、小手先のプロット構成力とかよりも、読んでもらうための努力だと思う


文章を書く
その文章を読んでもらう

読むってことは興味を持ったってことだ。

興味をもたせる文章ってどうやって書けばいいんだろう?


俺の場合は、
感情剥きだして、粗暴で荒々しく、泥臭い文章だ。


そういう荒ぶった文体で、書きたいことを手短に書く


俺はゲームレビューを書いていた頃、何よりも読んでもらうために意識していたのが文章の密度だった


くどくどどうでもいい書きたくない文章を、小説の技法にならって、ごちゃごちゃに装飾するよりも

書きたいことを簡潔にまとめて、はっきりと書く


もちろんそれだけじゃだめだ

継続して読んでもらうためには面白くなくちゃならない


面白い文章ってのは、お上品じゃ駄目だ
ノリと勢いとテンポが重要だ

主語や述語が前後してたっていい、いい加減でも書きたいことが面白ければ、
とにかく読者を引き付けるために、どの段落からでも興味を持ってもらえるように書く


掲示板で、長文でもこの人のレスはなぜか読めるって言うそういう文章を書けなきゃ駄目だ

今書いたように、作家本人が魅力ある人間じゃないと、
残酷なようだが面白い小説は書けない

創作ってのは何より求められるのは、生まれ育った上で身につけたセンスやカリスマ性で決まるといっても過言じゃないと思ってる

努力も必要だが、努力では絶対に埋められない溝がそこには存在している。



訪問者リストから、一生懸命小説書きを頑張ってる人のブログを見て、
俺は今まで心に秘めてた思いがガバっと吹き出した。

そのブログは俺なんかよりずっとアクセスも書き込みもあるし、俺なんか頭が上がらない水準である

俺だって

俺のブログなんか、いくらやっても、アクセスは増えないし、死体蹴りするようなのが冷やかしで
ニヤニヤみにきてるような、もう終わったブログだ


頭でそう思ってるなら、サクサク小説書いてみろよ

そう言われるだろうが、それが出来たら俺はこんなとこで毎日ウジウジしてない



俺の人生はもう長くない
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