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思い出のゲーム 【がんばれゴエモン編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆俺はマリオでもロックマンでもなくなぜかゴエモンを選んだ
小学生低学年の子供が遊ぶゲームと言えばやっぱりアクションゲーム。
俺が小学生の頃は、このポジションを獲りに来るゲーム会社がたくさんあった

なぜって?
ズバリ金になるからだ!!
はたまた、子供を洗脳して企業奴隷にでもしようとしたか!!


俺が子供の頃、この手のゲームは海千山千と存在していた。
そしてやはり、任天堂のスーパーマリオが圧倒的に強かった

気がついたらコントローラー握って動かしてたのがマリオってぐらい強かった

そんな幼い頃から、洗脳の魔の手を回していた任天堂は賢いと言わざるをえない

しかしPCエンジンが主力ゲーム機だった我が家
その洗脳攻撃を浴び続けるだけの素直な家庭ではなかった


時に、カトちゃんケンちゃんを動かしてみたり
PC原人を動かしてみたり
アドル・クリスチンを動かしてみたり
桃太郎を動かしてみたり
裸のビックリマンを動かしてみたり
THEクンフーを動かしたりしていた


無駄にバランスの良い食生活を送っていた

とか言いながら
小学校高学年から中1の頃まで、マリオワールドを日課のようにクリアしてたり、
中3の6月に出たマリオ64に魅了され、やはり日課のようにプレイしてたりした


中3ともなると、マリオとか言うヒゲおやじよりも可愛い女の子に発情する年齢
ゲームにおいても、スクウェアソフトの良質ファンタジーRPGに夢輝かせる時期に確実に入っていた
にもかかわらず、溶けかけた洗脳をマリオ64一発で、再び魅了させるのだから、洗脳攻撃の強さの片鱗を伺わせる。

やはり我らがPCエンジンが弱体化した影響が大きかったのか…

☆そんな俺が、なぜゴエモン?
はっきりいって、ここまで一回もゴエモンの単語が出てこないし、そんな俺とゴエモンがどうして固く結ばれたのかが疑問である。

コロコロ派だったからボンボンを嫌ってたし

ゴエモン?眼中にすらなかったねby当時の俺

☆レジェンドハード「スーパーファミコン」が発売されて
俺の家には、発売から僅か数ヶ月遅れてスーファミがやってきた。
最初に買ったゲームは「グラディウス3」だった
しかし、マリオに強く洗脳されていた俺はゴネて、数週間後にマリオワールドも買ってもらった。

その後、FF4が発売されて発売日に買ってくる。

なぜだかわからないが同時発売の「がんばれゴエモンゆき姫救出絵巻」をねだったか親父が一緒に買うようにしたのか忘れたが

とにかく1991年7月19日(金)

2本のSFCゲームが俺の家にやってきた。
(当時からしたらとんでもなく豪華。FF4の発売日だったからかゲーム屋で行列ができてたらしい)

この日のことは今でも覚えてる。
天気の良い晴れた日で、学校から友達を一人連れて帰ってきたら、鍵がかかっていて家に入れず、親が帰ってくるまで玄関の前で待ってた
FF4を親父より先に開封したら怒られるから、ゴエモンを即開封して友達と遊んだ
この友達がBボタン(ジャンプボタン)を強く押しすぎて、本体同梱のコントローラ一つ壊してしまったんだ


☆すぐやってきた夏休み。俺はひたすらゴエモンをやりまくった
この時点で俺とゴエモンに特別な接点はないんだと思う。
ただスーファミで面白いアクションゲームが他に無く、それで夢中になって遊んだ


御存知の通り、このゲーム、割とアクションゲームの中では難易度が高い方で(俺は普通に当たり前に何度もクリアしてるから実感はないが)
最初の頃は、高価なSFCカセットに八つ当たりしたりするぐらい、クリアまで苦労していたものだった。

しかし慣れると簡単にクリアできるようになり、
全盛期の俺は小判なしでも軽々ノーミスクリアできるぐらいまでやりこんだ

※小判無しは今の俺には無理

ゴエモンが日課になってた。
隠し通路探しまわってほぼ全部自分で見つけたり、異様にやりまくった。

しまいに俺は、ゴエモンを作ってるゲーム会社、コナミのファンになり、
クリスマスにはSFC悪魔城ドラキュラを買ってもらったりするほどのめり込んでいった


翌年1992年1月3日には俺を狙い撃ちするように「がんばれゴエモン外伝2」が出て、
もらったお年玉を即それに溶かしてしまうほどのアホっぷりであった…
※しかし当時の俺は幼く、RPGなどまともに遊べる身体ではなかったため、全然楽しくなかった
だるいダンジョンを乗り越えて、お菓子の国のあたりでバグってデータ破損にあい、しばらく放置されることになる
しぶしぶ始めた2周目は、ザコ戦はほぼ全部逃走し、強引にラスボスを倒してエンディングを見るという最悪なプレイだった
(確か親が売却するっていうから、それに合わせて慌ててクリアしたのだと思う)


☆気づいたら俺の中にゴエモンが入り込んできていた
そうしているうちに、特別な思い入れがあるわけでもないのにゴエモンが俺の生活に入り込んできた。

2年後

1993年12月22日(金)
がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス 発売


気がつけば俺はサンタさんに「がんばれゴエモン2」をお願いしていた。
本当に無意識だった……

親父には、「俺が新桃買うから、お前はメガドラのファンタシースターをサンタに買ってもらえ!!」

こんなことを言われていた……。

だが、硬派なSFファンタジーRPGなぞ、小6の俺のストライクゾーンではなかった
というか、
12/17 ファンタシースター4 RPG
12/22 イース4 A.RPG
12/24 新桃太郎伝説 RPG←←←←


いくらなんでもバランス悪すぎるだろう!!
RPG、RPG、RPGってバカの一つ覚えみたいに……俺は思った。

ゴエモン2もアホみたいにやりまくった。

誰もがアタフタして慣れるまで苦労するインパクト戦
何度も何度も何度もやりまくって、ノーダメージクリアとか軽くできるようになった
(べつにすごいことではない)

初めてやった時は、確かゲームを買ってもらってそのまま、一番仲が良かったゲーム友達の家に泊まりに行ったのだった。
で、2人で一緒にプレイして(確か)
夜中までかけて一気にクリア。
次の日が祝日(23日)で、夕方に家に帰って、24日が終業式だった気がする(で、今度は家で夜まで新桃漬け)


☆がんばれゴエモン3の思い出
夏休み前ぐらいのファミマガで、発表されたのだった。
中学1年にもなると、ただのアクションゲームでは満足できないというか、
1994年のこのころになってくると、目が肥えてくるというのもあるし、既に家にアクションゲームが十分に揃っている状態になってきていた。

だから、1,2同様の純粋横アクションだと、多分俺は欲しがらなかったと思う。

しかし、今度のゴエモンは一味違った

一転して、ストーリー性が重視されていたのだ!!

しかもなぜだかわからんが、
良い撮影機材でも使っていたのか、やたら画面が綺麗で、見栄えがよかった


俺の中の何かがそれを欲してくる!!

だが!!
何故か俺は、この年のサンタさんにはスーパー桃鉄3をお願いしてしまったのだ!!


うちの親父には「なぜいまさらこんなのを欲しがるんだ……」と残念がられた。

他にスーパードンキーコングとか
かまいたいの夜とか
1週間後のがんばれゴエモン3とか

優秀なゲーム候補生は沢山いた。19994年の12月は豊作だったのだ!!

俺はよっぽど桃鉄2が楽しくて
そんな続編を欲しくなったのかもしれない


一年前の新桃が良すぎたという期待感を後押ししたのもあるだろう

しかし!!
さくまさんには申し訳ないが、桃鉄3は使い回しが多すぎてガッカリ感MAXだった!!

※だからか、翌年のDXはガンスルーだった(さらに翌年の1996年のHAPPYは結構欲しかった。なぜなら総集編とか最終盤みたいな感じだったから)

ゴエモン3はお年玉で買うことにした。

その決断が、後々痛い目を見ることに
この時の俺は気づくはずもなかった……


1995年
正月が過ぎ、あらかたお年玉もホクホクと集まって以降

俺はニヤニヤしながらゲームショップへ行き、ゴエモン3を探した。

無い!無い!無い!!
畜生売り切れてやがる!!


なん…だと…中古も全滅だと!?どういうことだ!?

ゴエモンみたいなB級感MAXのゲームが、
売り切れるだと!?


仕方がないので親父の行きつけのゲーム店で、入荷したら連絡してもらうように手配して、俺は待った!

ひたすら待った!

1995年2月に入った頃にようやく入荷の電話が入り、買う。

はっきりいって、すげー待たされた!!

なぜだかわからんが、がんばれゴエモン3って発売当時品薄じゃなかっただろうか?
それは俺の地域限定だろうか?
お年玉もらって1月上旬、ゲームショップを回っても、新品は愚か中古でも在庫なし。
どこのゲーム屋行っても売ってないっていう。
今思い返すと、プレステやらサターンが同時期に出て、他にも対応ゲームが殺到してて、
ゴエモン3クラスのゲームの入荷を全域的に絞ってたのではないかと思うが
(思えばメガCDのルナエターナルブルーも店頭では置いてるのすら見たことがなかったぐらい)


そしてゴエモン3もまた、ゴエモンという理由だけで
カセットが擦り切れるまで、何度も何度も何度もひたすら繰り返しプレイしまくった


なぜ俺はゴエモンというゲームをこれだけ無心になってやるのか、わからなくなっていた

☆がんばれゴエモン きらきら道中の思い出
中学2年の冬

1995年12月22日(金)
がんばれゴエモンきらきら道中 発売


もう、この頃になると、こんな子供向けゲームを卒業する年齢に差し掛かっていた
卒業というと聞こえが悪いが、いつまでもこんなガキ臭いゲームやってるのは恥ずかしいとか感じるようになる季節だった。

中学2年生というお年ごろ
14歳
誰しも大人になりたがる時期


俺も、例外ではなかった……

新聞配達やサンタさん、お年玉を総動員して欲しかったゲームを買う

ドラクエ6、テイルズオブファンタジア(思い出候補)、天外魔境ZERO(思い出候補)……

そういったRPGを猛烈に欲していた。

だからがんばれゴエモンなんて買うつもりがなかった
雑誌の紹介記事を見ても、まったくそそられなかったし
(少しはそそられてたか??)

冬休みに入る。
年が明けたある日の事だった。

俺は無性に物足りなかった

その理由はわかっていた。

がんばれゴエモンである

毎年この時期、俺はがんばれゴエモンをやっていた
でも今年は買ってない。
他にそれよりも欲しいものが出来たから。

気が付いたら俺は、冬の寒空の下、がんばれゴエモンを買いに自転車を漕いでいた

ぷよぷよが苦手な俺は、ぱずるだまのボス戦に苦手意識が強く、クリアできるか不安になっていた。

☆俺とがんばれゴエモン
こうして俺とがんばれゴエモンは切っても切れない間柄になっていた。

1997年8月7日
がんばれゴエモン64も発売日に迷わず買った。
そして何回も繰り返しプレイした。
その映像の綺麗さ(当時)、箱庭マッピングの凄さに鳥肌が立った!!

1998年12月23日
がんばれゴエモンでろでろ道中は、欲しかったがどうしても買えなかった(予算の関係上)
2005年4月、俺は近所のGEOで箱説明書なしの裸ソフトを2980円で購入し、長年の雪辱を果たした

俺が子供の頃のゲーム
子供に夢を与えるゲームだった
ゲームに人生を狂わされたと言ってもいいかもしれない
それぐらい影響力が強かった


☆余談

俺が子供の頃、何度も何度もプレイしたゴエモン。
これを作った人がその後、あのスクウェアソフトのFF11の開発にまわり
「アトルガンの秘宝」「アルタナの神兵」のトップディレクターとして活躍していることに俺は驚いた。
ゲームインプレスというWebサイトで、FF11開発インタビューの記事を見た時、
「どこかで聞いたことある名前だな」と思っていたら、
まさか死ぬほどプレイしたあのゴエモンを作った人が中心になって作られてるということを知って俺はびっくりしたものだった

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思い出のゲーム 【ファイナルファンタジー11編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆今こそこの封印を解こうではないか!!
人生を棒に振りかけたという“あの”ゲームの封印を!!
このシリーズ僅か数回目にしてもう、長年タブーにしてきたあのゲームにまつわる思い出を、あっさり紐解いてしまうとは……
まるで週刊少年漫画誌の人気投票打ち切りランキングと戦っているかのようだ!!(実際は誰とも戦ってません)

☆ぎょうむれんらく

私こと安西爆弾は現在、利き手である右手を負傷しており、キーボードを叩くことすら困難な状態である

1年以上前から指の皮膚がかぶれ、最近、薬指の付け根の部分もかぶれてしまった。
両部位とも、表皮が破れて赤くなり痛みを伴っていた。
塗り薬を長期間塗っていたが、最近皮膚が修復を始めて来て、その部位の皮膚がかさかさと乾燥して固まってしまい、右手の自由が効かない状態だ。
完治するまでこの状態が続くのかと思うと歯がゆくなってくるのだ


☆始まりは12年前の事だった
2002年5月16日(金)
PS2 ファイナルファンタジー11 発売


これが序章でしか無いことが驚きのポイントである……
当時途方も無い怪物モンスターと呼ばれていたオンラインゲームの姿がそのまま具現化された状態だ……


☆このゲームの簡単な説明

ファイナルファンタジーシリーズ初のオンラインRPG。
果てしなく広大な世界ヴァナ・ディールが舞台。拡張ディスクの発売とともに世界はさらに広がりを見せる。
膨大すぎるほどのストーリー、クエスト。バトルコンテンツ。
沢山のジョブと、採集、合成、釣り。MMORPG初期時代の作品として今を築く文化を作っていった。


☆発売日に遊ぶ者は選ばれし者であった
FF11をPS2で遊ぶためには、専用のハードディスクが必要。
当時ハードディスクは、SCE直販の通販サイトを使わないと入手不可能。
しかも非常に入手困難で、予約時刻のアナウンスが入った時、激重の中、ショッピングカートに入れるという作業を成功するまで何時間も繰り返さなければならない入手難度の高さだった。

俺はこの頃、クロネコヤマトで深夜の仕分けのバイトをやってて、ちょうどバイトの時間とかさなるから親父に頼んでやってもらっていた。
金はもちろん俺が払う


その入手手段すらFF11発売直前に断ち切られる!!

俺は、FF11発売前になってくると間違いなくHDD需要が増えて品薄になると踏んでて、俺自身がHDD購入するために動いたのは、2002年の2月の事だった。
本当はもっと早く買いたかったけど金がなかった。2001年夏頃だともっと簡単に買えたはず。

その後、通販サイトで取り扱わなくなってからは、どうやって手に入れなければならないかははっきり覚えていない。
YAHOO!BBとか特定のプロバイダと契約するか、プロバイダから買うみたいな感じになってた気がする。
どちらにせよ、入手するのが大変だったのにかわりはない。

発売日に奇跡的に買った初期型PS2は、FF11で酷使したせいで2006年に現役を引退(DVDを読み込まなくなって限界に達した)。
その後もPS1のゲームをやるときに使っていたが、2009年頃、CPU自体がぶっ壊れ、完璧に故障した。
なお、同じく酷使した外付けHDDの方は未だに元気に稼働している(動かせるPS2を持ってないので使えないのだが)


2002年11月にPC版も発売されるのだが

この頃、まだPCは一般家庭向けではないから値段も高かったし、当時としては要求スペックが馬鹿みたいに高かったため誰が遊ぶんだ!!って感じだった。

ネット環境も、やっとADSLが出始め常時接続が始まり、俺の家もようやくアナログ回線からフレッツISDNに変わり、常時接続環境が整うような時代だった

「つまりFF11は遊ぶ客を選ぶ。これをはじめに理解しておくべきだったのだよ…
我々は……」


☆実は買ってすぐはハマらなかった
第一声は「なんだコレ」だった。

ほんとうにそう思った。

町は滅茶苦茶広くて迷子になるぐらい複雑だし、文字は小さくて目が疲れるし、雰囲気は洋ゲーみたいで当時の好みじゃなかったし
メニュー画面はごちゃごちゃして使いづらいし、戦闘も何もかもテンポが悪くて時間がかかってつらい

コレがMMORPGの常識なんだ受け入れろ

他に遊んでいるネット上の冒険者の声だった。

俺は受け入れられなかった

だからやめた。

ちょっとなにかやるんでも、オフゲーでは3つか4つぐらいステージをクリアしているような時間がかかり、
他人とパーティ組んで遊ぶとなったら、さらにやめにくくなる。

同じネットゲームでもドリキャスのファンタシースターオンラインはこういう拒否反応は出なかったのに、おかしいなと思った。

ネット上にいた知り合いはみんな同じサーバーに集まり
時間を忘れて毎日夜更かししてハマっているようだった


でも、俺は、知り合いに同じサーバーに誘われた(ワールドパスをメールでくれた)けど、一緒にゲーム上で遊ぶとかなかったし
FF11からは、段々と気持ちが離れていった。

そして一切やらなくなった。6月入るか入らないかだと思う。

☆ただのオタク大学生に成り果てていた
当時の俺、ゲームから離れ始め、ただの取り柄のないオタク大学生になっていた。

録画した深夜アニメが楽しみで、チャラチャラしたテレビドラマを見て適当に講義を受けて、毎日を過ごしていた。

ゲームが面倒くさくなっていた。
だから、アニメとドラマが楽しみだった。
後はたまに友達とカラオケ行ってゲーセン行って、車の中でだべったり、そんなふつうのことをやって楽しんでいた。

俺の時代の深夜アニメ
「ちょびっツ」「あずまんが大王」「ラーゼフォン」とかそんなので、深夜アニメ自体数えるほどしかやってなかった。
藍より青し(?)とか言うのも流行っていたが、俺にはああいうコテコテのラブコメは合わなかった。

「あずまんが大王」の「永遠のモラトリアム」という話に一々びびっていた
就職活動をすぐ目の前にして、うまくいきそうにない未来しか見えない自分に怖くなっていた


そして6月末、クロネコヤマトのバイトをやめた

気に入らない奴が上司になったという、他愛もない理由からだった。
ちなみに俺の友達も一緒にやめた。その時一緒に働いていたバイトの人はみんな消えていった
※金欲しさにその年の12月に短期バイトしにいったときに確認

☆暇になった。だからかもしれない
大学の長い長い夏休みが同時にやってきた。
新聞配達のバイトはしていたが、代替配達員だったから週一回しか仕事がなかった

たぶん人生の中で、責任に追い立てられることもなく自由に1日1日を過ごせた最後の期間だった。
そんなのは中学2年の夏休み以来だった。

そうしたら、あれだけ期待したのに買ってすぐ放り出した
FF11のことが不思議と気になってくる


8月の事だったと思う。ふと思い立ってログインしてみた。

なにせFF11をやるためにPS2専用のHDDを用意して
発売日には、ログインオンラインになり、遊ぶための数々の障壁を乗り越えた上でのことだから。
普通に一本ゲームを買ってきて、つまらなかったからポイと投げ捨てるのとはわけが違った


ちょうど夏祭りのユーザーイベントか何かをやっていたらしく、ウィンダス森の区だかどこかで人が大量に集まっていた。

ただ、それだけだった………

人がいっぱい集まってるからって俺が面白いわけでもない。

何がキッカケでFF11にハマりだしたのかははっきり覚えていない
はっきりした出来事なんてなかったのかもしれない


ただ、やることがなくなって、たまたま目の前にFF11があった。だからやってたらはまっていった。

そんな感じなのかもしれない。

気づいたら、ヴァナ・ディールの世界にのめり込んでいる自分がいた
その事実だけが全てだった……


ウィンダス→サルタバルタ→タロンギのブブリム入り口のとこでダルメルがパーティデビュー→ブブリムアウトポストでズーなど
という黄金パターンだった。

☆9月からFF11を本格的にハマりだす
2002年9月12日は、ゲームキューブ版のファンタシースターオンラインの発売日だった。
ドリキャスのPSOに没頭した俺には、毎回ファミ通の記事を目を皿のようにして見まくっていた期待作だった。

フロウウェルの大剣(?)に固有グラつくんか!!とかマニアックな所で喜んでいた。

しかしこっちのPSOはびっくりするほどつまらなかった

またドリキャスの時と同じことを繰り返すんだ…って感じだった。

移植という体裁で発売されたのだから当然なのだが

なにより原因はFF11だった。
ヴァナ・ディールのテンパ…信者になってしまった俺は、PSOごときで洗脳が解けることはなかった。

GC版PSOはスタートがグダグダすぎた。
発売後、即アイテム増殖バグが発覚しROM交換。交換後は一部のみデータ引き継ぎなど。
いま頑張っても、どうせ引き継げるのは一部だけとかだと、どうしても本気になれなかった

☆どんどん廃人化していく俺だった
俺は悔しかった。

なんでこんなに面白いゲームを発売日からハマらなかったんだろうと後悔した。

11月、12月、2003年1月と、どんどん俺はFF11の世界に現実逃避した。

この頃の出来事を封印していた理由
封印を解いた理由はたったひとつ


FF11にハマっていたことが悪いわけではないからだ

その行為自体は現実逃避だから、悪いことだ
しかしFF11が悪いわけじゃない。
どうせリアルがうまくいかなくて嫌な思いをしていたら、きっと他のことで現実逃避しただろう


2003年1月から3月ぐらいまでが最も廃人化しており楽しんでいた時期だった。

55レベルキャップ開放クエストで50人以上の人が集まって、一斉にクリアするために団体行動したり
無印初期のラスボス「闇の王」を倒したり。
ジョブ専用装備を集めたり。

文字通り狂ったように遊んでいた

朝起きて、夜寝るまでずーっとFF11という生活が2,3ヶ月続いていた。

その証拠を示すなら、当時のレベルキャップ付近でのレベル上げ風景

ダボイ中央島で、オーク相手に湾曲連携で敵と戦っている後ろで、ずっとケアルIIで90ポイントずつ回復させてた
といえば伝わるだろうか。伝わらないか。

何が楽しかったかなんて具体的に伝えることは難しくて出来ない。

ひたすらマゾいレベル上げと
攻略サイト前提の、理不尽クエストばかり


という現実しか無い。

そんな世界でも、物珍しくて、目新しくて、12年前は熱狂していた。酔狂していた。
だから信者としか言いようがなかった。

☆しかし根っからの飽き性の俺は冷めるのも早かった
FF11に最ものめり込んでいたのは、2003年4月17日にジラートの幻影という拡張ディスクが発売されるからだった。
3,4ヶ月も同じ世界で遊んでいてもさすがに飽きる
そしたら俺にとってはとてもいいタイミングで拡張ディスクが出るというのだ。

楽しみだった

それがあるから頑張れるという感じだった。ストーリーも途中で終わっていたし続きが気になっていた。

2003年4月17日

近くの電器店で開店ダッシュして、ジラートを買ってきて、速攻インストール作業をする。
そしてワクワクしながらログイン

この時点でもう俺は全盛期と比べるとずいぶん飽きてきてたと思う

レベルキャップ開放の限界クエのお祭り
新エリアは、どこも無印FF11で見たことあるような景色ばかり
強いて言えば、カザムのあのへんの森林は新しかったが、迷路マップをコピペしたようなのでつまらない

結局同じことの繰り返し
俺はこのことを悟って飽き始めていたのだろう
そんなの当たり前だ、拡張ディスクなのだから、新作ゲームではない


レベル上げもずいぶんと締め付けられ、経験値稼ぎもつまらなくなり、もうこんなマゾいことをいつまでも続けられないと思っていた。

そしてある日、

「レイズII持ってない白魔道士はレベル上げに来るな!!」

の名言に巡りあい、俺は一気に熱が冷めあがったのだった……・

今思い返すと、廃プレイしてた、しかも大事な時期
とはいっても、本当に廃プレイしてたのは2,3ヶ月弱かと思うと、安いものだと思う
今まで俺は、この期間を暗黒期であり、思い返すのもおぞましかった
これでもうオンゲに時間を忘れてまでのめり込むことがなくなったのだから高いのか安いのかわからないが勉強料と思えば悪くもない


☆今丁度無料ログインキャンペーンをやっている
久しぶりに、しかもPCでログインしてみたが、何もかもが懐かしい。
以前も無料キャンペーンがあった時はコントローラーの問題ですぐやめてしまった。

今回は、きちんと設定すると、遊ぶことが出来た。

前まではFF11のストーリーを全部見るとか息巻いていたが、ふしぶしが相変わらずマゾくて一気にやる気が失せた

少し冷静になってみると、
なにせこのゲーム、12年前のゲームなのだ。
ちょっとしたレトロゲームと言えるぐらいのものだ


俺が一回り若いころに発売されたゲームがまだ現役稼働している。

無料キャンペーンやっても、人がいない
悲しくなった。
まるで、錆びついて誰も寄り付かなくなった寿命を過ぎた遊園地のようだ。


町にはそこそこ人とすれ違うのだが、外にでると全く人がいない。
全域サーチしてみたら、夜でも600人いるかいないか。

昔は3000人引っかかったのに、今はもう1000人すら切っているありさまだ

色々クエストが増えてたりするが、攻略サイト前提で自力で進めようとしても何一つ進められない…

クエストジャーナルとかみても、関連NPCと話しても、ヒントがなさすぎて、教えてくれなさすぎて涙を誘う不親切さである。

攻略見ながらやるか
どうせ無料で遊べる時間は限られているし、親父がいる時間はネットワークが使えない


親父がiPad2台手に入れて、ルーターを勝手に買い替えてきてから1年以上経つ
あれから、俺のネットに繋げる時間は制限された。

親父が回線を専有してしまい、俺が1台でも何かネットにつなげるとルーターがダウンしてしまうのだ。

だから親父が休みでいる日は丸一日ネットが使えない。
無料ログインキャンペーンも丸3日遊べないので、1週間キャンペーンしても3日しか遊べない

俺は何も言わず我慢している。
作業所に行っていた頃も、我慢していた。

このブログの更新も、メモ帳に書いて、それをコピペして更新するというテレホ時代を彷彿とさせるやり方をしている。

どうせ俺が直接金払ってるわけじゃないし、我慢しなければならない
でも、俺の福沢諭吉は毎月なくなっていってるけど(俺に生活費を依存しているから)
俺がいなくなったら、この家はどうするのか、それは知らない……

思い出のゲーム 【スタートリングオデッセイ2編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆実はそんなに思い出のゲームでもない
オイッ!!

心残りのゲームという表現のほうが適切かもしれない……・

1994年10月21日(金)
PCエンジン スタートリングオデッセイ2 発売


☆このゲームの簡単な説明

PCエンジンCD-ROMROMの性能を生かした超大作RPG(自称)
有名声優がイベントシーンで喋ったりアニメムービーで盛り上げたりする。
ゲーム自体はストーリー重視型の王道ファンタジー。


☆PCエンジン専門誌で大きく紹介され俺はとても欲しかった
PCエンジンCD-ROMROMのRPGは、雑誌受けが良いせいなのか、すごく購買欲をそそられるものが多かった

当時小学生のガキだからこそ、簡単にダマされる格好の餌だったのかもしれない!?

本当にアニメを自分で操作しているような豪華な感じがPCエンジンのRPGにはあった。
だから紹介記事を見るだけで妄想が胸膨らみ、やりたくなってくるのだ


コズミックファンタジー3とか(1,2とやってきて親父はゲームの出来の悪さに凝りて切ったが俺は懲りてなかった)
天使の詩とか
ファージアスの邪皇帝とか
スターブレイカーとか

そして、スタートリングオデッセイとか!!

スタオデは本当に欲しくて欲しくてたまらなかった
なぜ親父はこれを買わないんだろう?と思うぐらい王道RPGの匂いがものすごかった


だが親父の鍛えあげられたゲーム選びの千里眼が正しかったことを知る

鳴り物入りで発売された大作RPG
しかもアニメムービーを全面に押し出している
だが発売メーカーは聞いたこともない無名メーカー

日本テレネットのコズミックファンタジーでこの手のゲームはヤバイことを
学習したのか、本当に良い物しか買ってこなくなった


だが、当時ただのクソガキで、しかも飽きっぽくてすぐ放り出すRPGの価値、面白さ
なんてものは、わかるはずもなかった………

☆スタオデ2の発売から一年後、我が家にそれはやってきた
1995年9月初旬のことだった。
スタートリングオデッセイ2(中古)を手に持って帰宅した親父がいた。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
となった俺がいた(そうでもなかったような気がする)

実は購入までの経緯をあまり覚えていない。その理由は後で書くが。
パチンコで勝って、買ってきたんだったか、
ふらりと日曜、ゲーム屋に行ったら、暴落したこのゲームがあったから買ってきたのかのどちらかのはずだった
1995年秋ともなると、プレステやサターンが売れ始め、ゲームショップとしては旧型機のマイナー機種であるPCエンジン
これの取り扱いを辞めたくて仕方がない時期で、不良在庫としてドンドン売りさばいていたのだった。


☆待ち焦がれたゲームを俺は早速やり始める
といっても、親父が仕事行っていていない時間限定だけど。

1995年9月
というと、俺にとって実に大きなイベントのあった時期である。

このゲームが家にやってきたのが日曜で、その次の日辺りだったと思う。

俺は新聞配達をやりたくて、1995年7月、直接近所の新聞販売所へアポ無しで行き、

「新聞配達がやりたいです!」

と、元気にお願いしてきたのだった。

2ヶ月後

ちょうどこのゲームを買ってきた直後という最高にタイミングの悪い時に
放課後、スタートリングオデッセイ2をやりだして最高に盛り上がっていると、いきなり電話がかかってきて、俺は受話器を取る。

「新聞販売店の者だけど、空きが出たから明日から来れる?」

俺「えっえっちょ…だって昨日新しくゲーム買ってきてもらったばっかりだし」(後半は心の声)

今思うと、連絡なしに明日から早速来てくれる?っていうのもひどい無茶ぶりだなと思う

☆こうして俺の長い新聞配達が始まったのだ
俺が希望出していたのは『夕刊』なので、学校終わってから1時間ちょっとという仕事。

俺の家は学校からすごく離れていたので、通学で1時間ぐらい。
だから学校終わって、家につくのがいつも16時過ぎ
普通ならこの時間からダラダラできるが、新聞配達をやり始めると、この時間から労働。
仕事が終わって家に帰るのがいつも18時前後といったところだった。

土曜ももちろん仕事。
だから放課後、友達と買い食いとか立ち読みしながらダラダラ家に帰るみたいなことが一切できなくなり
土曜も、夕方から仕事なので、遊んだりとかできなくなった

※もっとも人と関わることを避け始めていた俺にはあまり影響のなさそうなことばかりだが、
遊び盛りの時期に、遊びたいなと思っても遊べなくなってしまうのは寂しいことだった

※中学時代というのは、人を避けてても、友達ができたり、未だにクラス会に呼ばれたり
俺にとっては望まなくともそういう時期だったので、新聞配達のせいで遊べなくなってしまうという状態が生まれるとつらかった。

放課後は帰宅部だから暇だなと思っていて始めた新聞配達だが
はじめてみると、仕事への責任や重荷があり、忙しくなってしまうのだった

周りには甘いと言われるし、そんな状況が訪れることはないのだが、
俺はこんな悲しい経験を味わったので、自分の子供には、高校卒業くらいまでは
遊びたいけど金がなくて遊べない状態にはなるべくさせたくないと思っている。


高校の時も、土曜の放課後、カラオケ行っても、自分だけ夕方から新聞配達だから…と
途中抜けするのは、かなりつらかった。

☆そんな時期だったので
俺はこのゲームをあまり遊ぶことが出来ず、親父が大体一ヶ月ぐらいでクリアして売却。

俺は十分に遊べないまま我が家からそのゲームは去っていった

新聞配達の仕事を覚えるために、放課後は先輩に怒られ、
土日を使って、自分の受け持ち区域を覚えるために、時間外労働というかなんというかそんなことをしてた

☆だから俺は未だにこのゲームへの未練がある
まあ確かに当時、新聞配達で忙しかったとはいえ、ゲームがやれないほど忙しいわけでもない。
ただ、夜になると親父が帰ってきてゲームを専有されるので、確かにゲームプレイできる時間が極端に遮られていたのかもしれない。(平日だと一時間未満か全くやれない感じ)
なにせその辺を覚えていないのだ。あまりに環境の変化が多くて忙しすぎて

それでも、本当に優れた面白いゲームだったら多分最後までやっていたことだろう

確か記憶だと、ピラミッドみたいなダンジョンのとこまでやったのは覚えてる。
そのダンジョンが妙にムズくて、めんどくさくなってやらなくなったっていう感じ。

そこでやめてるということは微妙なゲームだったのだろうと思う。

しかしそれでも俺は人生でやり残したこのゲームを
いつか自らの手でエンディングまで到達してみたいのだ!!

思い出のゲーム 【ドラゴンクエスト10 目覚めし五つの種族 オンライン編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆僅か数年前の事だった
2012年8月2日(木)
Wii版 ドラゴンクエスト10 目覚めし五つの種族 オンライン 発売


まさかたった2年前の出来事がレジェンドとして語られる時が来ようとは思いもよらなかった…。

☆このゲームの簡単な説明

人気RPGドラゴンクエストシリーズ初のオンラインゲーム。
他のプレイヤーをNPCとしてレンタルできるサポート仲間システムの搭載によって一人でも気軽に遊べる。


☆この頃、俺は働いていた
非正規雇用といっても仕事があった。黙々と働いていた。
WiiでDQXを遊ぶために、発売前にUSBメモリとWii用キーボードを近くの電器店に買いに行った。
ある日曜日の夕方の事だった。

その様子を、当時の仕事先の人に見られていたのだ!!

だからなんだ!っていう話でもある

俺にとっては重大な問題であった。

プライベートの俺の服装は、原色系のTシャツとケミカルウォッシュのジーパンという
見るからに貧乏くっさそうなフリーターみたいな格好をしていたからだ!

どうせ知り合いいないし…そこら辺気を使うこともなかった…。

逆にこの格好を俺はオススメしたいところだ。
というのも、町で客引きしてたり、チラシ配りしてる人が、もれなく無視してくれるからだ
見た目ですぐに金持ってなさそうな輩だとわかると、こういう奴らは途端にスルーしてくれる


☆正直オンラインゲームはもうやりたくなかった
DQXからさらに10年前

FFXIで若干人生棒に振った感があったからだ

オンラインゲームは手間も時間もかかって疲れるし

ドラクエシリーズに特別な思い入れも特に無い。

☆俺とドラクエシリーズとの接点
親父がゲームをやっていたが、世間であれだけ騒がれていても、親父がドラクエを買ってくることはなかった。

理由はよくわからんのだが、

初めて買ったのがドラクエIIで、人外魔境のようなバランスに懲りたらしく
親父がドラクエを手に取ることは二度となかった……


ドラクエIIIの時は、代わりにPCエンジンの邪聖剣ネクロマンサーをやっていた
ドラクエIVの時は、代わりにPCエンジンのコズミックファンタジーをやっていた
(さすが我が家での主力ゲーム機PCエンジンである)

ドラクエVの時は、代わりにPCエンジンのコズミッは親父も2で懲りたのだった
(コズミックファンタジー3はDQVの一日前に発売)

さすがにDQVぐらいになると、ドラクエIIの傷がいえたらしく、買うつもりだったらしいが

発売日の夕方まで、DQVの発売日であることを忘れていて、
思い出した時には時既に遅し、売り切れていたという有様であった

※ご飯時にテレビつけたらCM流れてきて、そのタイミングで思い出した!!とかいう感じだったと思う

発売日は日曜。俺は友達の家で夕方まで、他人がやってるDQVを指を加えて見ているはなたれ小僧であった。
確か女の子の家に遊びに行ってて、そこの家の兄貴が遊んでいるのを羨ましそうに見てた。

当時すっごくちびまる子ちゃんが流行ってて、気を紛らわすためにその女の子が持ってた単行本を読んだりしてた。

発売したことを思い出しても、
その後、DQVを買ってくることはなかった(また忘れたのか?)


やはり、その昔ロンダルキアで痛めつけられたことを根に持っていたのだろうか

そして、俺がまともにドラクエを遊ぶことになるのは、この出来事から3年後の1995年にまで先のことになる。
小学5年のはなたれ小僧だった俺は、中学2年になり、9月から新聞配達を始め、自分で小遣いを稼いでいた

この年のちょうど12月。ドラクエVIが発売されたのだ。

俺は自分の給料で発売日にドラクエVIを買い、
子供の時から、人がやってるのを見るだけしかできなかったレジェンドRPGを手中に収めた


しかし中2で、その夢を叶えたのはいささか遅すぎたのかもしれない

あの時あの瞬間やるからこそドラクエはレジェンド級の輝きを放っていたことを
この時俺は初めて気づいた


周りで、ドラクエに熱中していた人たちは、本当に少なくなっていた。
全くいなかったわけではないが、小学生時代のときみたいに、
学校へ行けば、聞きたくもないのにドラクエの話を聞かされるゴールドラッシュはとうに過ぎていた。

これには異論があるだろうが、ドラクエVI辺りの頃、ドラクエの価値は相対的に落ちていた。
ドラクエシリーズの歴史のなかにおいては、ある意味暗黒期だったように思う

最近のドラクエってなんか期待はずれなんだよな

そんな声が、聞こえてくる
中学生という微妙な年代もあったのかもしれない。

しかし!!
確かにドラクエは黄金期をはずれて、イマイチになっていたところがあった!!
(クリアまでやったのにストーリーが思い出せない…みたいな)

ドラクエ全盛期だった小学生の頃
というより、小学生だからこそドラクエで盛り上がるのだろう
俺は、ドラクエとの接点がなかったため、ドラクエの呪文を言われても意味がわからなかった。

メラとかイオとかヒャドとか何かの暗号にしか聞こえなかった。
FFシリーズだと、ファイア、ブリザドとか、名前がそのまま効果を説明しているようになっているが
ドラクエは、聞いただけではそれがどういう呪文なのかが不思議なことに本当にわからなかったのだ

ドラクエ4コママンガ劇場を買ってもらって読んでいたが、元ネタのゲームを知らないので、
漫画からゲームのネタを勉強するという逆転状態だった。

クリフトがザキを連発するとか、ガイアのへそのダンジョンとかそういうのは全部
4コママンガ劇場で学んでいた。

俺がドラクエシリーズをまともにプレイしたのはほとんどが20代以降である


☆それでも俺はDQXをプレイするためにコントローラーを手にした
それだけ聞くと男気あふれる台詞に聞こえるが、残念ながらかっこよさは全くない

ゲームレビューを書くために俺はコントローラーを握った

もちろん好きでやっているのだから、好奇心だって多くある。

というか俺にとってのゲーム。娯楽にも言えるが。
ただ楽しむだけではなく「建設的」に使わなかったら、基本的に絶っているだろう。

俺は中学生の頃から大学ノートにゲームの感想文を手書きで文字びっしりに書いたりしていた。

そして大学生になって、俺はゲームから離れていった。
PS2のゲームの進化に興味が薄れたり、大学に入って他に面白いことがいっぱいあったり
というか、年齢的なものもあったのだろう。

それが2004年。人生に躓いて、何かをやろうと思い立って始めたのがゲームレビューのホームページだった。
それが原因で俺はまたゲームへの興味が戻ってきた。


ドラクエのナンバリングだから何が何でもやってやろうとか、特別な感情のあるシリーズだからとか、そういう思い入れはあまりなかった。

期待を裏切られたとかそういう気持ちになったこともない。
そういったところは、良い意味で冷静に見れていた。MMORPGだからこうせざるをえないわなという達観した見方をしていた。

だからこそ発売日実装分をプレイしたらすっぱり辞める気持ちでいた

ドラクエ大好きだから、ずっとドラクエの世界に触れられていたいみたいなめんどくさいモンは俺は持ち合わせていなかった。

バトルBGMを初めて聴いた時必殺仕事人みたいで笑った

☆仕事との両立は大変だった
お笑いなことに発売して一週間後、連日夜更かししすぎて体調を崩し軽く風邪を引いた。

早くラスボスを倒したくて、毎日必死にレベル上げに生きていた。
記憶が飛ぶぐらい夜更かしをして経験値をひたすら稼ぎまくっていた。

☆この頃の俺にはまだツキがあった
ラスボス倒してエンディング見て、俺のドラクエXは終わるつもりだった。

だが、
気づけば仲の良いフレンドができていて、ズルズル続けてしまっていた。

すっぱりやめようと決めていた人間を引き止めて
長く遊ばせたドラクエXはすごかったのかもしれない

※FFXIVは、ホントにエンディングまでフレンド一人もできず(作りづらい構造になっている)、メインクエクリアしたら後腐れなく終われるゲーム体験だった。
最近の無料期間で、せっかくだからやるかっていうノリで、LV50ジョブを1つ作り、もう1つも50目前まであげるぐらいまではやったが。
やったが、時間がなくて他にやることがあったら無料期間にわざわざここまでやることはしない。疲れるし


この頃の俺は、そういうフレンドが出来る運がまだあったのかもしれない。

終わりのないネットRPGを続ける理由は何なのであろうか
もちろん人によって理由は様々なのだろうが。
「楽しい」から続けるは当然として、具体的理由である。

最強に極まった状態を見せたいとかそういうことだろうか…

俺は
・ストーリーが見たいからキャラ育成を頑張る
・遊び相手がいる


それぐらいだろうか…

既に、やりこみプレイを見せたいとか、うまくなった自分を見せて、対戦して優越感に浸るとかは興味がなくなっていた。
ココは当然、人によって価値が異なるから、なんとも言えないのだが。

☆そして事件は唐突に起きた!
リアルでの運がなくなってきたのと同時に、DQXの世界でも悪い出来事が立て続けに起こったのだった。

俺の所属していたチームには俺より年上のOBACHANが二人在籍していた

一人は敬意を払ってOBACHANと言える大人の女性
色々、良くしてもらっていた…。気の利いたタイミングで職人道具(しかもいいやつ)を送ってくれたり…。

もう一人は、チームを壊滅に追い込んだHIMECHAN式OBACHANであった…

俺よりはるかに年上なのに、うざいことこの上ない立ち振舞と言動
わたしはいつもここにいるよアピールの乱発で

俺自身、こいつはいつか事件を起こすだろうな

なんて思っていた。

そうしたら、事件は起きた!
それは、と(禁則事項)
(禁則事項)(禁則事項)(禁則事項です)
(禁則事項)(禁則事項)(禁則事項です)
(禁則事項)(禁則事項)(禁則事項です)
(禁則事項)(禁則事項)(禁則事項です)

こうして俺のDQXの冒険はみっともなく幕を閉じたのである

全然わかんねえよ!!と言われても、これには書けることと書けないことがあるためどうしても禁則事項に引っかかるために書くことが出来ない

言えることといえば、俺は一切、無害で何もしてなくて、某HIMECHANの爆弾行動により、チームが壊滅し、
それをきっかけに雪崩式に人間関係のトラブルが暴発し、居づらい空間というかいてもつまらない空間に成り果ててしまったということだ。

俺が一連の出来事で学んだのは

HIMECHAN爆弾は、核爆弾並みの威力を持っているということだdった…

思い出のゲーム 【新桃太郎伝説編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆俺はまだ幼かった
1993年12月24日(土)

当時小学6年生
小学生最後の冬休みが始まろうとしていた……。
二学期の終業式の日に、めでたく『新桃太郎伝説』というゲームが発売された。

☆俺はまだ幼きゲーマーだった
こらえ性がなく飽きっぽい俺は、自らをゲーマーと名乗りながら、じっくり腰を据えてやるRPGやSLGが出来なかった。
やるゲームと言ったらもっぱらアクションゲーム。それも同じやつを狂ったように何回も何回もプレイする。
この頃の俺は、ボンバーマン、がんばれゴエモン、スーパーマリオばかりやっていた。
ただの単細胞小学生だった…。

今の俺からは考えられない姿だ

俺を大きく変えたのは、中学生に入ってから受けた半年以上に渡る嫌がらせの仕打ちなのかもしれない。
中1の春から嫌がらせが始まり、10月末まで俺は耐え続けた。
耐え続けて、最後は燃え尽きた。初雪が降りしきったその日の朝、俺は初めて引きこもった。
そんなとき、現実から逃げるように夢中になったのが数々のロールプレイングゲームだった。


☆俺が小学生の時最も親しんでいたRPGシリーズ
ドラクエでもFFでもない
桃太郎伝説だった

☆このゲームの簡単な説明

桃太郎が鬼退治に行く昔話を題材にした子供向けのロールプレイングゲーム。
有名なおとぎ話や日本神話をモチーフにしたストーリーが描かれる。
表現の仕方は、あのドラクエよりも気を遣っており、子供の夢を壊さないような配慮が多々見られる。
『新桃太郎伝説』では、和風RPGの頂点を目指した斬新なゲームシステムが多数盛り込まれ、子供だけでなく大人をとりこにした。


俺が子供だった頃、子供向けロープレなんてほぼ存在してなかった
強いて言えば、桃太郎伝説ぐらいだった


そしてもう一つ、桃伝と近しい理由がある。

『桃太郎伝説』は、PCエンジンではドラクエ級の大作RPGだった。
ファミコンでもスーファミでもなく、PCエンジンが主力ゲーム機だった我が家ではドラクエよりはるかに大きな存在を醸し出していた


それでもなぜ、うちの親父は、大人になって子供向けRPGにご執心だったのかは謎である。
※大人向けのアダルトなゲームが他にいっぱいあったのに

☆地蔵にレベルを上げろと言われれば素直にレベル上げマシーンになっていた無垢な小学生
みんながドラクエで盛り上がってる中、我が家にドラクエがやってくることはなかった
だからRPGの嗜み方というのも、わからないのである。

桃太郎伝説では地蔵に話しかけると、ゲームのヒントを話してくれる。
特に村の出入口には必ず『目安のレベル』を示す地蔵がいたのだった(新桃では廃止)


子供の頃の俺にとって地蔵の声は神の声だった

このありがたいお告げに従わなければ先に進んではいけないとまで思い込んでいた

だから必ず、お告げのレベルに達するまで、村の外で厳しい経験値稼ぎを行なっていた。
そしてもう一つ、店に売ってる最高級の装備品を揃えてから先に進む

これがRPGにおいて、絶対の決まりであり、これを破って先を進んではいけないとまで思い込んでいた。

俺が多大なる影響を受けた『桃太郎伝説II』では、村の出入口の地蔵が目安レベルを言い、
最高級の装備品を揃えることで、気持ちよくボスを倒せるバランスになっていた(終盤はそれでもきつい)
だから俺は、他のRPGでも、もちろん新桃でも、最高の装備を買い揃え、慎重にゲームを進めていた


稼ぎ作業するなら、桃伝なら“ろっかく”(敵全体に会心の一撃)の術を使いまくって宿屋に泊まれば効率よく稼げる。
しかし、小学生の俺はそこまで頭が回らず馬鹿正直に戦う連打でまさに『修行』をやっていた


新桃では、スリの銀次の包丁を揃えるのに苦労していた記憶がある。

☆学校では『ロマサガ2』派vs『新桃』派の戦争が勃発していた
年末に発売される大作RPG。
何時の世も、RPGは少年にとって憧れのゲームである(今は違うか?!)。

当時俺のいたクラスでは、ロマサガ2か新桃かの二大勢力がいつのまにか出来上がっていた。

どっちをサンタさんにお願いするか!?的な

やはり、最初はロマサガ2派が優勢であった

なぜなら、あの、RPGならスクウェアソフトの本命RPG
俺の世代では、白黒ゲームボーイで、誰もがサガをプレイしていた。
スーファミでバグまみれになってパワーアップしても!!
フリーシナリオシステムに魅了される奴らがクラスで溢れかえっていた。

ちなみにうちの親父は1で懲りた模様
※ま、そーだよね…あれは大人にはついていけないレベルのゲーム

いっぽう新桃派は少数派であった

なぜなら、桃太郎伝説は、PCエンジンでは名を挙げたかもしれないが
所詮、実績で言えば、世間的にはファミコンで、なんかしょっぱいRPGが出てたよなレベル。

世間的にはPCエンジンなんて世界は見えてないしアウトオブ眼中だし、
最初から存在なんてしていなかったのだよ!!


新桃派は、まあサンタさんにお願いしなくても勝手に親父が買ってくるため自動的に新桃派になる俺と、
仲の良いゲーム友達(クラスで俺以外にPCエンジンファンだった)ぐらいなものだった。
なぜかこのゲーム友達も、ロマサガ2には否定的だった

☆初めてまともに熱中したRPGそれが 『新桃』
小3の時にFF3クリアしてるけども
小4の誕生日プレゼントに桃太郎伝説外伝(GB)買ってもらって、かまくらの中でクリアしてるけども

当時の鳥頭には理解力を持ってRPGを楽しんでいたとは思えなかった

ちなみに、桃太郎伝説IIも、何十回もはじめからプレイしているが、エンディングまで到達したことはない。
最高で『七夕の村』だったか、その辺まで。
※この辺りまで来ると、地蔵のお告げレベルをまともに聞いていたら、レベル上げに膨大に時間がかかるようになってくる

12月24日の発売日から、文字通り夢中になってプレイした

えっこれがあの桃伝?えっ進化しすぎてるんだけど

桃伝といったら、ギャグギャグしたRPGで、緊張感なんか微塵もなく

えのっぴどぅ~
なーほーざーわーるーど


とか突然意味不明なシュールテキストが表示される、適当RPGの一面も持っていた。

それが、序盤からあのスリの銀次が仲間になり頼もしい戦力として戦い
鬼ヶ島で待っているだけだったラスボスの代わりに、カルラという腰巾着が一々鬼族の言葉を代弁しにやってきたり

色々変わっていた
「そのことに感動したのだよ貴様は!!」

しまいには、タイトル画面の和太鼓の音と書道体のタイトルロゴが表示されるだけのシーンでも一々感動していた


どんどん没入していった、小学6年生の俺。

※でも、桃伝IIの地獄王との戦いがなかったことにされてるのは俺には許せなかった

一般的には、このゲーム、処理がトロいとかなんとか不満にされてるが、

裏でなんか凄い処理をしてるんだ
などと勝手に脳内変換しており、未だにこのゲームを客観的にネガティブに見ることが出来ない俺である。

☆4ヶ月地道にプレイし続け、続いた桃太郎の冒険
学校へ行き、友達と遊び、そして余った時間で新桃太郎伝説をプレイする。

時には友達の家にカセットを持ってって、プレイすることもあった。

そうやってちまちまやり続け、俺の新桃太郎伝説の冒険は1994年3月に終わりを迎える。

この頃の俺はまだ健康的なゲームの遊び方をしてたと感じる。
単純に親父がゲームやってる間、俺がゲーム出来ないから、ゲーム遊べる時間が少なかったんだろうけど。
RPG1本クリアするのに、3,4ヶ月かけてやっていたのだから。


俺が冒険している間、『ロマサガ2』派は次第に減り始め、

あいつがやってる『新桃』ってなんか凄いRPGらしいぞ!?

みたいな話が広まり始める。

そして徐々に新桃を借りたりしてやり始める人が増えていく。

どうでもいいことだが、なんか嬉しかった
同志が増えたようで
(今思うとただ単に先にやってたロマサガ2に飽きて、新桃に興味が出ただけなんだろうけど)


ちなみに俺は初回プレイの時、
桃太郎、金太郎、あしゅら、夜叉姫を使ってた。
なぜ浦島じゃなくてあしゅらを入れていたのか謎である。
子供心に、超憎たらしい悪役を自分で使えるということに惹かれたのかもしれない…!?

☆最後にどうでもいいことなんだけど
あまり知られていないようなのだが
このゲームを買うと、『新桃太郎伝説』実写ドラマのビデオが付いてきた。

どうやらハドソンの社長の趣味で、映画撮影をしたかったらしく
趣味の結晶を予約特典として付けるという採算度外視なことをやってのけていた

七夕の村という田舎で村長選挙があって、なぜか鬼族がそれに邪魔をしてくるという内容


荒井注が出てきたり、笑点の山田くんが出てきたり、ダンプ松本が金太郎やってたり
よくわからないドラマだったのだが、カースタントとか妙に力が入っており、とても金がかかっていることがわかる内容だった

小学生の俺はなぜかこのビデオを妙に気に入ったらしく、意味もなく何度も見ていた
ちなみにまだ持ってる

思い出のゲーム 【ライブアライブ編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある

☆今からちょうど20年前の事だった

1994年9月2日(金)

一本のゲームソフトが発売された。

☆それは『ライブアライブ』というゲームだった

俺は沢山のゲームに触れてきたが、最高傑作とかそういう話を抜きにして、もっとも思い入れの強いゲームと言えば、
迷うこと無く『ライブアライブ』をあげる。

☆今でこそ名作扱いされているが

ネットが普及するまでは、どちらかと言うと無名なゲームだった。

☆このゲームの簡単な説明

スクウェアソフトから発売されたスーパーファミコン用ロールプレイングゲーム。
7人の主人公、7つの独立した世界観とストーリー。遊びたい物語を選んでプレイする。
7つのシナリオは、どれも個性的でゲームとしても全く毛色の異なる作りとなっている。
与えられたストーリーをただ消化するのではなく、与えられた目的を達成するために手段は問わない自由度の高さが特徴。
フィールドマップすら無く戦闘だけで終わるものもあれば、その逆に戦闘がなくストーリーを全面に押し出したシナリオも存在する。
例えば、幕末編では隠密忍者となり、敵から身を隠して首領暗殺するか、すべての敵を切り倒し100人切りを達成するか、選ぶのは自由。
クンフー編では、弟子3人から本命を一人選び、途中から育てた本命の弟子が主人公となって活躍する。
そして7つの全く接点のないストーリーをクリアした時、このゲームの真実への扉が開かれる。


小学館の漫画雑誌とタイアップをしていて、7人の人気漫画家が7つのシナリオを1つずつ担当してキャラクターデザインをしている豪華さである。
だから、小学館から出ている漫画雑誌、ゲーム雑誌では異様に扱いが大きく、広告は14ページにわたって連続掲載されるなど今思うと規格外の広報展開が行われる一方

小学館以外のゲーム雑誌からは、中程度の扱いしかされないゲームだった。

☆うちの親父も発売日買いはしなかった
当時ゲーム友達で、とても仲が良かったやつが発売日買いをしていた。
毎週末になると、潤沢にゲームがあるそいつの家にほぼ必ず泊まりに行っていたので
このライブアライブも、やっているところを見せてもらった。

あまり興味はなかったが面白そうだった。

というか当時の俺は、ゲーム選びのセンスが壊滅的になかったため、その友達がやっているところを見なかったら、眼中にもないゲームだったと思う。

どちらかと言うと、少し前に出たPCエンジンのぽっぷるメイルのが羨ましかったし…

☆ぽっぷるメイルとは?(以下解説。読み飛ばし上等)

日本ファルコムが金欲しさに出した粗悪極まりない横アクションRPG。
とはいえPCエンジン版は、ビジュアルシーンが入ったり超人気声優國府田マリ子(主人公役)を筆頭に台詞に声優の声が入ってたり、
あまりのパソコン版のボリュームの無さにびっくりしたらしく、
3ステージ分の追加エピソードなんかが突貫工事で作られ、かなり遊べる改良が行われている


とはいえ、ライブアライブの前にはかすんでしまうゲームだったのだが……
※あれから20年。PCエンジン版ぽっぷるメイル、未だに欲しい俺がいる。

☆発売から大体一週間後の事だった
おやじの運転する車に乗っていた時、突然、

「ライブアライブって面白いのか?」

寡黙な親父に突然質問された俺

購入を迷っているようだった。

確かに雑誌の画面写真見てもパッとしないし、なにせうちはPCエンジンが主力ゲーム機であり、
その前には、大半のスーファミゲームが霞んで映ってしまうのだ(俺含む)

PCエンジンって凄いんだぞ!!
アニメみたいなシーンがあるし、声優がゲームの台詞を喋ってくれるし、
音楽だって、CD並みに派手に鳴ってとにかく凄いんだぞ!!


しかし、

「でもエロくてキモいんでしょ?」

こう言い返される立ち位置にあり、この価値をわからない奴はわからなくていいと、隠れて楽しんでいる状態だった。

この頃も、ネオネクタリスという戦略SLGを無駄に派手に高音質なオーケストラ風BGMをバックに長考してプレイするという、なんともハードスペックの無駄遣いなゲームを遊ばされていた。

閑話休題。

俺は二つ返事で肯定して、購入の後押しをしてやった。

そして我が家にも『ライブアライブ』の白いゲームカセットがやってきた

☆圧倒的に面白かった
何がどう面白いのかなんて話はもう語り尽くされているし、そんな今更わかりきった話なんてしない

とにかくハマったのである。とんでもなくハマったのである。
その、事実だけで今は十分だ。


当時はネットがなく、攻略本が頼りといっても、今ほどしっかりした攻略本はなく、高い攻略本をわざわざ金出して買う人も少ない。
だから、ゲーム雑誌に攻略記事が載ったりするのを見るわけだが、

そんな時代

1994年-1995年頃
隠し要素の入ったゲームが面白がられる傾向にあった。

みんなのしらないことや、わからないことを発見することが面白かったんだろうと思う。

『ライブアライブ』も隠しイベント、隠し要素の宝庫でRPGのくせに1つのシナリオがすぐ終わるので、
色々試したくなる。色々やってみたくなる。

幕末編で100人切りするのはどうすればいいのだろうとか
あそこにある見えてる宝箱はどうすれば取れるんだろうとか
いきなり超強い隠しボスにぶち当たったけど、他にもこんなやついるんだろうかとか


遊ぶ度に発見があった。

だから何回もやった。ストーリーも面白かったから、何十回も繰り返しプレイした

そして親しいゲーム友達と、考察したりする。

その環境でプレイする『ライブアライブ』がとてつもなく楽しかった

今なら、1週間持つか持たないかのボリュームしか無いゲームだが、当時は9月にこれかって、11月下旬のスーパードンキーコングまで没頭できるぐらいの耐久性があった。

途中、攻略情報が解禁されて、ゲーム雑誌に隠しイベントの出し方とかが載る。これが大体10月中旬頃。
それを見て、試す。おおこんなのがあった、凄いって言う感じで。
そうやってゲームを楽しんでいた。

☆なぜ思い入れの強いゲームなのか
『ライブアライブ』が今に語り継ぐ傑作だから、当時の環境が良かったから
その程度なら、俺の傑作コレクションに飾られるだけだ。

もちろんゲームとしての素晴らしさは折り紙つき

だが、それが決定打ではない。

☆学校に行くのが苦痛になっていた
勉強が嫌だとか、そんな身勝手な理由じゃない。

中学校に入り、2学期が始まる。
俺の中学校生活は順風満帆とはいえなかった。

俺はある人物から執拗に嫌がらせを受け続けていた

二学期に入り、その嫌がらせはより一層エスカレートし、熾烈になっていった。

そうなると、学校へ行くのが段々嫌になってくる。苦痛になってくる。

無気力で登校拒否になる…そんな理由じゃなかった
今も昔も、エネルギーだけは無駄に有り余っていた。発散する先が無いだけで


だけど、朝起きて、学校へ行く。嫌な気持ちになる。
それが1ヶ月以上続く。

そしたら誰だって嫌になるだろう、学校へ行くことが!!

こころを閉ざし始めた。

そんなとき、『ライブアライブ』が発売され、家へとやってきた。

楽しい。
たぶん、生まれて初めてゲームを現実逃避に使ったのはこの時だろう。


☆いくら家で遊ぶのが楽しくてもズル休みをする発想はなかった当時の俺
学校へ行ったら嫌な思いをする=じゃあズル休みをすればいい
そこまで頭がまわらないのが、世渡りの下手くそな俺である。

どんだけ嫌がらせ食らっても、きっちり毎日学校に登校していた馬鹿野郎である。

通ってた中学校に味方は一人もいなかった。
あの時、俺の心の支えになっていたのは、小学校の時の友達で中学は別になってしまったゲーム友達たった一人である。


リアルがそんなに苦しい時、たまたま『ライブアライブ』が発売されて、それと出会った。

多動でガキ大将みたいな単細胞の俺でも、中学生にもなると、RPGの面白さとかストーリーが理解できるようになってくる。

ゲームバカといっても短気で飽きっぽく理解力も同年代よりなかった俺は小学生の頃RPGなんてダルくてダルくて続かなかった。
ガキの頃でもFF3とかリアルタイムにクリアしてたが(アレをクリアできたのはある意味極端なゲームバランスだったからだと思う)、
ちゃんとRPGの駆け引きとか物語を咀嚼して楽しんでいたのは小6終わり頃に出た「新桃太郎伝説」が初めてだった。


つらいときいつもこのゲームの事を考えていた。

そんな出来事があったから、俺は『ライブアライブ』が、人生で一番思い入れの強いゲームソフトになっているのだ!!!!(白目)

『ライブアライブ』がキッカケで、俺はさらにゲームへの興味が強くなったのは紛れも無い事実だ!!!

その後、1995年2月24日 『フロントミッション』
1995年3月11日『クロノトリガー』

当時のスクウェアソフトの流れは隙がなく完璧だった………

そして、1995円9月30日『聖剣伝説3』を買うために、遂に新聞配達まで始める…………

☆さいご
中世編のオルステッドとストレイボウのストーリー
今ではこんなに有名になるとは思いもしなかった。

俺は当時、どっちに感情移入していたか、今では薄れゆく記憶から、それを思い出すことは出来ない。

それにしても、なんともなしに読んでいた当時のこのゲーム上の台詞が、名台詞になっているとは思いもよらなかった、
その台詞とはこれである。

あの世で俺にわび続けろオルステッドオオオオーーーーー!!!!
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