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マクドナルドのバイト

大学1年生の頃、マクドナルドでバイトしていたことがある。

今のマックと私がバイトしてた頃のマックは仕事内容に結構違いがあるようなので、注意されたし。

私がマックでバイト始めた頃、この会社は大繁盛していた。
週末は毎回レジに行列が出来るし、平日だって人が途切れたことがほとんどなく、忙しかった。

私のいたマックは、デパートの1階にあるテナントに入っていた。
これが面倒くささを生んでいた。

1階だから店側にも入り口が付いていたのだが、バイト目的で入る場合、デパートの裏にある従業員通用口から入り、警備員に入店許可やらなんやら手続きをしないと、中に入れなかった。
この従業員通用口が、マックと正反対の場所にあって、とにかく遠かったのだ。

私は男なので、仕事はというと厨房で裏方仕事だ。

この仕事がまた、不器用な私には不向きな仕事で、いくらやってもハンバーガーは手早く綺麗に作れなかったし、厨房仕事をテキパキこなすことが出来ず、いつまでたってもうだつが上がらなかった。

しかも、マックのバイトは高校生オッケーなので、平日昼間の穴を埋めるフリーターと主婦が若干いるぐらいで、あとは全員が高校生。
不思議なことに似たような人種を引き寄せてしまうのか。入ってくる人は、学校のクラスの中でもうるさいタイプの人達ばかり。私が辞める頃、つまり、1年経って、高校生バイトが丁度卒業などで入れ替わった頃になると、男子も女子も地味な静かな人ばかりになり、厨房の中はようやく落ち着きを取り戻していた。

でも、女子はのきなみ可愛い子ばかり集まっていた(でも性格悪い子も多かった)。

後から入ってきた年下の高校生バイトにすら仕事面でも追いぬかれ、頭が上がらなくて非常に辛かった。

そんな合わないバイトでも、店長が中々辞めさせてくれない気質の人なのもあって、なんだかんだで1年間は続いた。
でも、後半はほとんどシフトに入らなかったので、いていなかったようなものだ。
辞める時もちゃんと断ったんじゃなくて、うやむやになってフェードアウトした感じになっていた。
だから、返さなきゃならない制服もやめて数年間は家に置いてあった(さすがに今は捨てて手元に持ってない)。

仕事は、何度も書くが、辛かった。
一般的にマックのバイトは楽だとされているが、手先が器用で機敏に動ける人じゃないと辛いと思う。
でも今は、環境保全とか言って、私の頃とやり方がだいぶ変わったようなので、どうなっているのかはわからない。

私がいた頃は、1秒でも客を待たせないというのがコンセプトにあって、来る客のペースを予め予想して、ハンバーガーを作りおきしておく必要があり、かなり忙しかった。
だから、とにかくスピード命で、トロい人はダメ扱いされる傾向が強かった。

私はハンバーガーを作るのも遅かったし、ラップにくるむのも不器用で何度やっても上手にできなかった。
割と楽だと言われているフライドポテトを詰める仕事も、言われたとおりにやるのだが、量が多いor少ない、入れ方が悪いと何度も何度も何度も指摘されていた。

肉を解凍するのも苦手で何度も火傷をした。
手で直接鉄板に肉を置くのだけど、急いでいると高熱状態の鉄板に触ってしまうのだ。

しょうがないので、ほとんど一番後ろで、一番楽なバンズを焼く仕事をしていることが多かった(もちろんそればかりやってるわけにはいかないのだけど)。

ちょうど私がバイト始めた頃、「とんねるずの生ダラ」でも木梨憲武がマックのアルバイト体験なんてのを放送していてあたふたした姿がネタになっていたが、私は常にあんな感じだった。

厨房仕事はとにかく夏がきつかった。
全身に油が染み付いて、仕事が終わって家に帰ったらすぐシャワーに入らないといけないレベルだった。
これはマックに限らず他の「ガスト」とか「びっくりドンキー」のバイトでもそうなると思う。

私が丁度この職場に入った頃、さっきも少し書いたようにクセの強い人が多かったため、馴染めなかった。
だから、休憩時間が凄く辛かった。
事務所は狭くてとてもじゃないがいれないし、年下の高校生連中の溜まり場(仕事の日でもないのにたむろってたりする)になっていて生意気でうるさいわで、居づらかったので、デパートの2階のエレベータ前にあるベンチが人通りが少なく落ち着けたので、そこに1時間ずっと座ってウォークマンを聴いてたりしていた。

昼間のフリーターの人も変な人が多かった。
ものすごいデブで口数が少なく、まともにコミュニケーションすら取れない人
この人は私が入って数ヶ月したら去っていった。

今のマックはどうかわからないが、マクドナルドのバイトの利点は、シフトを自由に組み易いことだ。

スケジュール帳にあらかじめ、働ける時間を書いておくと、それに合わせて社員の人がシフトを組んでくれる。
よほど人手が足りないとき以外は、だいたい希望通りのシフトになる。

ちなみに私のように使えない人は、いくらシフトを自由に書いておいても、全然仕事を入れてくれなかったりする。
それでいて、人手が足りなくなったとき、突然ケータイに呼び出しの電話を入れてきたりするので困ったものだった。
とある土曜日、私は風邪を引いて寝込んでいたら、ケータイに電話がかかってきた。マックからだった。
一度でると、「忙しいから来てくれ」と言われたが、私は「今風邪を引いてて熱があって寝こんでていけません」
と言うと、仮病と勘違いされ、その後も何度も電話がかかってきて困ったものだった。
対処に困った私は、電話を無視することにした。

この合わない仕事をやってからというもの、私はバイトですら仕事選びに慎重になってしまったのだった。
この職場が特殊なだけなのだろうが、合わないから辞めたいと思っても中々辞めさせてもらえなかったり(今思うと温かみのある職場とも思うが)、
色々嫌な思いをさせてもらったせいであった。

ちなみに、大学の知り合いの一人が同じデパートの惣菜コーナーでバイトしていたのだが、私のところのようにせわしい感じはなく、まったりと働いていて楽そうだった。
これで同じ時給なんて割りに合わないと毎回顔を合わせるたびに思っていた。

生意気な年下の高校生との疲れる人付き合いをしながら、忙しい仕事をして、飲み会やら親睦会やらイベントもやたら多く、とにかくいい思い出が全然無かったところだった。
人間関係に関しては運が悪かったとしかいいようがない。
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2002年の春休みのひとコマ

Yさんにこのブログを教えたが、見ているかどうかテストするために、Yさん絡みのエントリを増やしてみよう。

それは、2002年(大学2年から3年生になろうとしていた時期)の春休みのことだった。

Yさんは自分がハマっているものを、良く私にすすめてくることが多かった。

私はどちらかというと、こうやって他人に染められる側の人間だった。

Yさんは私に、手強いシミュレーションで有名な「ファイアーエムブレム」をすすめられていた。

ところがゲームに詳しかった私は、あれは私についていける代物じゃないと結論が出ていたので、中々やろうとしなかった。

Yさんがすすめてきていた時期は、ちょうどゲームボーイアドバンスで「ファイアーエムブレム」の新作が大々的に復活していた頃だった。

2002年3月29日発売された「封印の剣」というヤツだ。

猛烈なメールでのプッシュに私は根負けして、ゲームショップで買ってきて遊ぶことにした。

かつて、親父が1994年1月21日に買ってきたスーファミの「紋章の謎」をやっていて、確か第一部の8章辺りの竜騎士が後ろから追ってくる面がどうしてもクリアできずに辞めたものだった。

ところが、今回買ったファイアーエムブレムは、戦う前に戦闘結果の予測が表示されたり、色々親切に変わっていて、私でも付いていけそうなゲームになっていた。

それでも初心者の鬼門とも言える、7章だか8章だか確か闘技場が初めて出てくる面のドラゴンナイトが敵ユニットにせめて来る面で諦めたのだが。

このシリーズで、なにより挫折するかしないかの分かれ目になるのは、ダメージ計算式が理解できるか出来ないかだと思う。

攻撃力?防御力=ダメージといういたってシンプルな計算式なのだが、ゲーム上で一切説明がなく、自分で気づかなくてはならなかった。

だが、新しいファイアーエムブレムは、戦闘の予測結果を表示してくれるので、今まで説明不足だった部分が飲み込めて楽しめるようになっている。

私は未だにクリアーしておらず積みゲーになっているが、まとまった時間が取れたらやってみたいと思っている。

もう9年も前の話だ………。

あの頃は、こうやってYさんと毎日しょっちゅうメールでやりとりをしてて、大学、バイト、遊びと毎日が心配事に悩まされること無く楽しく過ごしていた。

それに比べて今は、Yさんとの関係もすっかり疎遠になり、一緒に遊ぶことすらなくなり、メールを出すことすらどこかはばかれるような空気になってしまった。

今日ふとそんな昔の楽しかった出来事を思い返してしまい、昔に戻りたくなってしまった。

あの頃は毎日が充実していたものだった………。

どこで道を違えてしまったのだろう。

今はホームページも、ブログも頑張っているのにうまくいかず、ゲーム配信はしびれを切らしてやめてしまった。

ゲーム配信は掲示板をまだ残しているが、さっき魔が刺して久しぶりに掲示板を除いてみたが、書き込み一つ無い寂れっぷりにまで落ちぶれた。
これじゃもう再開の目処は全く立たないだろう。

3/31に消すつもりだったが、これなら躊躇なく削除して、完全にゲーム配信から縁を切ることが出来る。

ブログだって、これだけ毎日気合の入ったエントリをしているのに、誰にもみられることがなく、このブログも一人相撲の状態である。

仮に、ここで自殺予告したり、自殺者を募集しても、偽善者に邪魔されること無く、何も問題なく事が運ぶのではないだろうか?

最近はあまりにも自分の人生がうまくいかず、衝動的に自殺しようと考えてしまうことが非常に増えている。

ただ黙って自殺するのも面白くない。
どうせならここで告知してから自殺したり、同じく自殺したい人を募集して誰かを道連れにしてやりたいぐらい負の感情で今の私は爆発しそうになっている。

その後のことなど何も考えていない。
なぜなら自殺してこの世から消えてしまったら、後のことなど考える必要なんてないからだ。

昨日、外に出て、小春日和の風景を見て、不意にこのような昔楽しかった出来事を思い出して泣きそうになってしまった。

ネットゲー廃人してた頃の話

昨日初めて友達にこのブログの存在を教えた。
Yさん見ているだろうか?昨日は3時間も長電話してしまって申し訳ない。
近々、Yさんを題材にしたエントリも書いていきたいと思う。
で、知り合いにも教えたブログなので、少しは気分転換に明るい話題も取り上げていきたいと思う。

昨日は嫌なこと続きで、精神的にかなり参っていた。
特にいきなりネットがつながらなくなったのは辛かった。
原因はなんとなくわかっていたのだが、確証が持てない限りは試すに試せない状況だった(ネットが使えないから本屋に立ち読みにいったぐらいだ。勿論具体的な対処法など出てる本は無いわけだが)。

ウチは私のPCとゲーム機、親父が2PCでネットをするので、当然ルーターでネットワーク管理をやっている。
数日前、親父が私の使っているPCの性能をはるかに上回るPCを買った(詳しくしらないが、BD-ROMドライブに3D対応グラボ&モニタ。贅沢し過ぎだろう)。

で、親父はネットの設定は全くできないので、買い換えるたびに普段は険悪な仲なのに、私が登場しネットの設定をやるハメになる。

一時期ネットゲームをやっていたので、ポートを開けるためにIPアドレスを固定していた。
なので、PC側の設定も、「事情を知っている人」でないと設定できない。

私は自分の使っているPCやゲーム機に関してはわかるが、親父がどのようにネットに接続しているかなんてわからない。
必要な情報を聞き出せば良い話なのだが、仲が悪く口を聞くことどころか普段顔を合わせることすらないので、コミュニケーションが取れない。

多分、“昔の私”が設定しているのだろうが、一時しのぎで設定したことなんか覚えているはずがない。
というかまず、1台だけしか使っていなかったPCが、いつの間にか2台になって、両方ともネットにつないでいるし、状況が全くつかめなくなっていた。

通常、ルーターってのは親切に出来ているので、PCでわざわざ設定しなくてもとりあえずLANケーブルつなげれば、ネットに繋がるように作られているのだが、ウチのルーターは昔のわざわざポート開放しないと遊べないネットゲームのために、各PCに割り振ったIPアドレスを入力しないとネットどころかルーターの設定画面にすら繋がらない、面倒な状態になっていた。

全部一人で管理してればわからなくなることなんてないのだが、ルータとかモデムは親父の部屋にあるからどうなってるのかわからないし、かといってそこら辺断りもなしに家探ししようとしたら親父が嫌がる。

で、ここのPCのIPアドレスはいくつだったっけな?と、毎度毎度困りながら設定するのだが、今だからわかったことだが、ルーターにはまだ使ってないLANポートがあり、そこに新PCのLANケーブルを繋げて、いつの間にか2PCが同時にネットに繋がるようにしていたようだった。

そうやってルーターにつなげているなんて知らなかったので、前と同じIPアドレスでつなげようとするが競合して繋がらない。

「おかしいな?」と、試行錯誤するも、そもそもやることなんて決まりきってるので悩む余地もないのである。
でも事情を聞く空気ではないので、手探りでとりあえず色々いじくってみる(と、言っても繋がりそうなIPアドレスを入れるだけなんだけど)。

そうやって今回もまた一時しのぎで設定したIPアドレスでとりあえずネットにはつながったのだが、問題のある設定だったらしく、次の日の朝、ネットどころかルータが全く応答しなくなり、全端末がネットに繋がらなくなった。

ちょっといじくったところ、結論としては「これルータ再起動するしかなくね?」なのだが、そんな状況に陥ったことがないので、試すわけにもいかない。
これが、私一人で使ってるものなら躊躇なく出来るのだが、親父もネットやっているので「壊しました」では合わせる顔が無い。

この日は、一日中外出して逃げることにした。仕事も探さないといけない身分だし。

そしてその日の夜、案の定親父の新PCもネットにつながらず、また私が呼ばれた。
昨夜の設定が良くなかったのと、状況がなんとなく読み込めたので、IPアドレスの設定を問題の無さそうなものに変えたあと、ルータのコードを10秒ほど抜いて再起動。

そして、なんなく、全端末が復活。

ちなみにこれでやっと開放されるかと思えば、Windows7は初めてらしく、このOSではメールソフトはどうなってるのか等、フリーメールしか使ってない私には全く分からない無茶ぶりの質問がいくつか来て、応対することになる。

ネットが使えれば、適当に検索して、全部アドリブで対応していく。
私は、PCに関しては興味のあること以外は調べないので、自分に縁のない用途に関してはいつもこうやって手探りで感覚的にやっていく。

PCの基本的な動作に関しては、ゲームで言えば説明書を読まずに試行錯誤するようなモンで、わざわざ勉強するほどのものではない。
昨日PC関連の書籍を何年かぶりに見に行ったが、半分は本にする必要すら感じられない初歩的な本ばかりで唖然とさせられた。

ある程度専門的な知識が必要なこと以外は、トライ&エラーで何とかできるはずだ。

ところで。
ADSLのサービスが始まり、ルーターを使ってネットワーク接続するのが一般的になる前は、ルータも不親切で機能も少なく、こういった設定一つとっても苦労した人が多かったようである。
特に特定のポート開放を求められるネットゲーム・アプリケーションには手を焼いていたようだ。

昨日のトラブルを経て、私はもうネットゲームをやらないので、IPアドレス固定の設定をやめようと思うのだが、最近のXbox360やらPS3はポートとじてても不具合なく対戦出来るのだろうか?
それに関しては、既にゲームで使いそうなポートは開けっ放しだったため、調べていなかった。
ポートをわざわざ開けなくても問題ないのなら、このしち面倒臭い設定を解除してもなんら問題がない。

長々とこんな前置きを書いたのは、私がルーターのネットワーク設定に詳しくなったのは、一時期ネットゲームにハマっていたためである。

電話回線から定額制のISDNに乗り換えたのが2001-2002年の冬頃だったはずだ。
その時に、ISDN用のルーターを買って、複数台のPCやらゲーム機を接続できるように設定した。

実はISDNのころから、ルーターは存在していた。
機械の中身はISDN用の仕様に作られているので、若干作りは違うが、巷のADSL・光向けのいわゆるブロードバンドルータと使い方は一緒だ。

ただ、ISDNルータは全然普及していなかった(ISDNが定額制で天下とっていたのは1,2年もなく、すぐにADSLのサービスが都会では始まったので、家のような地方都市で整備が出遅れてる連中の足元を見ていた状態だった)。
そのため、店頭価格で4万とかいうバカみたいな値段で売られていた。しかもISDNルータって種類が少なくPCショップにも1,2個しか置いてなかった。

しょうがないので、メーカー直販のサイトで25000円で売っていたので、そこで買った。

このときだ、私がルータの設定やLAN(PC)側の設定の仕方や仕組みを勉強したのは。
まだ2001年だとインターネットも今ほど情報が充実していなくて、少ない情報を頼りに必死に調べたものだった。

結局ISDNルータもブロードバンドルータも仕組みは全く一緒なので、ポートの開け方だのPC側でどうやって設定してやればルータとつながるか等、その時覚えた知識が今に活かせているというわけだ。

さて、ここからがこのエントリの本題となる。

私が初めてハマったネットゲームは、2000年12月21日に発売されたドリームキャストのファンタシースターオンラインだった。

当時私は大学1年生でちょうど冬休みに入ろうとしていた。

いわゆるMOタイプのアクションRPGで、ロビーでゲーム部屋を作り、最大4人で敵がひしめくダンジョンを協力して攻略する(いわゆるディアブロ系)。
ダンジョンの数は4つしか無いし、マップパターンも少なく何十回も遊ぶにはとてもじゃないが物足りないレベルの低さだが、当時としてはそれでも十分であった。
なぜなら、綺麗な3Dグラフィックでネットゲームが出来るなんて、当時はとても珍しかったからだ。
PCではまだドリームキャストレベルのスペックを満たすPCはハイスペックで全然普及していなかった。
あの頃、PCで流行っていたネットゲーはとんでもなく遊びづらい2Dグラフィックのウルティマオンラインだった。

面が少ないので、すぐクリアしちゃうため、最終的にはレアアイテム目的で潜ったり経験値稼ぎを延々やるだけである(それも初代は最大LV100で今の感覚だとすぐにカンストしてしまう感じ)。

それでも十分目新しかった。飽きっぽい私が半年は夢中になったゲームだ。
翌年2001年のゴールデンウィークに、毎日朝までロビーでチャットして盛り上がったのは覚えている。

セーブデータはサーバーに保存される形式ではなく、オフラインでも遊べるよう手元に残るタイプだった。
このころはまだダイヤルアップ接続が主流で、ネットやるのに電話代がかかるから、23時?8時まで電話料金が定額になるテレホーダイに加入して安く抑えるのが当たり前だった。
だから、その時間が来るまでオフラインで一人で鍛えておいて、23時が過ぎたら接続して集まってくるみんなと遊ぶというような感じだった。

盛り上がった日はついつい夜更かししてしまい、深夜3時4時どころか朝方までプレイしてしまうことも珍しくなかった。

今でこそ不便に思うかもしれないが、これはこれで当時は楽しめたものだった。
遊ぶ時間帯が大体決まっているから、仲良くなった友達とも遭遇率が高くなるメリットもあった。

しかし、時期がたつにつれ、チーター(データ改造してプログラムを暴走させデータを消してしまう悪質な人)も出てきて、まともにゲームが遊べなくなっていった。

サービス開始から大体半年後に、様々な不満点を解消したVer.2が発売されたが、その頃には私もみんなもこのゲーム自体に飽きだしていた。

そしてどんどん遊ぶ時間が減っていき、徐々にフェードアウトしていった。

それでも半年とはいえ合計700時間はプレイした。
メモリーカード1枚に1キャラしか保存できないので、ドリームキャスト用のメモリーカードを沢山買い足したぐらいのめり込んでいた。
今手元には、メモリーカード2枚と大容量に特化したかわりにモニタ等機能を削除したメモリーカード4Xを2枚持っている(1枚で従来の4枚分のデータが入れられる)

このゲームやる前からネット仲間だった人今も元気かー!?

かんたろう、YUG.さん、はいぱあさん、電気羊さん、HIT、シリウスさん、てぃーるさん、元気にしてるかあ!?

そして、電話で直接話したれつしは今も元気かあ!?もし見てたら連絡くれい!!
れつしとは同い年で、今の私のように無職でバイトも続かず、凄い精神不安定で悩んでいた。
この人とは、ゲームでではなく2ちゃんねるの夢・独り言板で当時私はスレッドを立てて将来の不安を今のように日記にして書いていた。れつしも同じように書いていた。その時にたまたま出会った。

ミスチルの大ファンで、私はこの人に影響されてミスチルを聴き始めた。2001年夏にちょうどベストアルバムが出たので買って聴きまくっていた。

HPもやっていた。今でいうところのメンヘラ的な日記サイトだったが、毎日アクセスしていた。
この人に、よくHP作りなよとすすめられていた。そして疎遠になって2年後、私はサイトをやり始め気づけば7年も続いている。

なぜ疎遠になっていったのかというと、やはり私がこのファンタシースターオンラインに飽きていったからだった。
れつしはVer.2が出てからもずっとハマリ続けていて、その後ゲームキューブ版も買ってやり続けていた。
しかし私はもうこのゲームにはハマれなかった。全然プレイしないので、れつしも他の人と仲良くなっていって私のことは忘れていったようだった。

そして代わりに、私もれつしを除いたネット仲間が大きな期待を寄せていたのが、2002年5月16日にサービス開始したファイナルファンタジー11だった。

手軽にプレイ出来るものの、ゲーム的な物足りなさが目立ったファンタシースターオンラインと比べ、一つのサーバーに一斉に接続して同じ世界を共有してプレイするMMORPGは、未体験の人間にとってとても魅力的なジャンルだった。

当時はプレイするために必要だったPS2用ハードディスクもネット通販のみの販売で、かなりの品薄で手に入れるのが大変だった。

私は2002年1月、メーカー直販サイトで販売受付をするという情報を知り、アクセスが集中する中、根気よく再接続を繰り返してなんとか入手した(信じられない話だが、決済するだけで2時間以上かかった)。

ちなみに、FF11が出る頃にはさらにこのHDDは入手困難になっていった。

そんな胸踊る期待に反して、私はFF11にはハマれなかった。
サービス開始直後、アクセスが集中してサーバーがパンクし、まともに遊べるようになるだけで半月はかかり、
その後もゲームバランスなどが整備されておらず、混沌とした状態であった。

FF11にハマれなかったのは、今でこそ常識となってきているが、MMORPGが廃人仕様で、そのノリについていけなかったためだ。
絵はすごいキレイで、町とか外の景色といった世界観はPS2初期のゲームとは思えないほどの凝りっぷりで、陳腐な表現だが、「画面の中に一つの仮想世界がある」というしか表現のしようがない凄さだった。

だが、私以外のネット仲間は、一緒のサーバーに登録し、一緒にパーティを組んで遊んでいたため、はまっていったようである。
そもそも私は、ネット仲間の中でははぶられている方で、寂しい私はネット仲間が集うHPの掲示板より、当時人が増えだしていた2ちゃんねるで常連ぶったレスを付けまくって悦に浸りストレスを発散させていたものだった。
(このころ、実は現実でもYさんなど親しい間柄で集まって遊ぶときにリアルで2ch用語をネタでたまにおりまぜて喋ったりと痛いことをやっていた)

そんな私が、ふとしたきっかけでFF11にどっぷり浸かることになった。
2002年9月。大学3年生の私は、就職活動という嫌なものが近づき始めていた。
講義には欠かさず出ていたし、バイトもしていたが上司が高圧的な人に変わることが分かり、6月いっぱいでやめて、退屈な時間が増えていた。

そんな時、やりはしなくなったが課金はしていたFF11を魔が刺してプレーし始めたのである。

就職活動から逃げたかったこともあったのだろう、サービス初期と比べ落ち着いた空気になっていたFF11の世界が入り込みやすかったのもあるかもしれない。
たまたま、太郎という私より年下だけど社会人の人と知り合い、リンクシェル(ギルドみたいなもの)にも入れてもらい、凄く仲良くなった。

その日を境に、私はFF11が面白くなってきて、引きずり込まれるようにはまり込んでいく。

しかも、以前は戦士のような前衛ジョブを好んで使っていたが、今度はLVが上がると使える魔法が増えていって面白いという理由だけで魔道士系のジョブで遊ぶようになった。

当時は、魔道士がパーティプレイでは大人気で、消極的な私でもパーティへの誘いが来るほどの人気であった。
一人で孤独にしていたら、勝手に誘いのメッセージが来る。それが現実でも孤独感を覚えていた私にとって嬉しかった。

こうして授業と寝る時間以外はFF11にどっぷりと浸かる立派な廃人になっていくのだった。

レベル上げのパーティには困らなかったため、レベルだけはどんどん上がっていく。
先行してプレイしていたネット仲間が時間をかけてやっていたことをわずか2ヶ月程度で追いついてしまった。

私が急いでいた理由は、私もネット仲間と一緒に遊びたいという理由もあった(単純にハマっていたという理由も大きいが)。

しかし、ゲームの進行度が追いついたからといって、彼らは私と遊ぼうとはしなかった。
より親密になっていった彼らと私との距離感はもう埋められないレベルに達していた。

それが確認できてからは、私はきっぱり彼らのことを忘れ、ゲームを楽しもうと決めた。
だが、私はネットでも友達を作るのが下手なのか、かなりの時間FF11をやっているのだが、フレンドは全然出来なかった。
やり始めた頃できた太郎以外に話せる知り合いは出来なかった。

しかも太郎は、社会人で忙しいし、それほどゲームに固執しない人で、だから肝心のゲームは何時まで経っても全然進むことがないのであった。
限られた時間にログインしてもフレンドとチャットしてるだけで一日が終わったり、かなりのスローペースっぷりを発揮していた。

今思えば、ネットゲームというものは本来こうやって遊ぶものだと痛感した物だ。
大事なのはゲーム上の数値を上げることじゃない、その場で自分が対人関係を築いて楽しめているかどうかだ。

FF11に飽きてからは、他のオフラインのゲームをやるときも、それまではデーターに固執していたところがあったが、レベル上げややり込みプレイみたいなものは全く興味が無くなってしまった。
しょせんゲームのセーブデータなんて、電池切れや衝撃などの事故がきっかけであっさり消えてなくなってしまうわけで、
その中で楽しくないことまで頑張ってもしょうがないと気づいたのだ。

その後FF11は、結局半年はどっぷりとやり続けた。
まだ最初の3ヶ月ぐらい(2002年9?12月)は真新しいことも多く充実した時間で楽しんでいた。
その頃は、まだFF11以外のことにも関心はあったが、その後廃人症状が悪化していった。

年明けの2003年1月?4月。
大学がちょうど長期休暇に入ることもあり、毎日朝から晩までず?っとFF11ばかりやり続けるという末期症状に陥っていた。
そしてちょうどゲーム内でのLVもカンストの60に近づいていた。

初期のFF11は廃人仕様というのは今でこそ有名だが、メーカーとしてはLVをカンストされては困るので、LV50からレベルアップに必要になるEXPを莫大に増やすという措置で延命を図っていた。
だが、すっかり当時の私のようにゲームの虜になってしまったプレイヤーは、そんな足止めなんのそので端から見てると「やってられねえよ!糞バランスのクソゲーが!!」というゲームでも、文句も言わずやり続けるのだ。
(それに輪をかけて当時は他にまともに遊べるMMORPGどころかネットゲームもとても少なかったため、標準的なバランスというものが存在しなかった)

毎日10時間近く、同じ狩場で同じ敵を相手にひたすら経験値を稼ぐ作業。
レベルがいくつか上がったら、また場所を変えて同じぐらいの時間をかけて同じことの繰り返し。

もうこれぐらいのレベル帯のプレイヤーになると、ギルド仲間と親しくなっているので、パーティ中も目の前のパーティ組んでる人と会話せず、ギルドチャットで会話するのが当たり前になっていた。
だから、パーティメンバーが6人もいるのに、誰も必要最低限の会話以外せず、ただ黙々と無言でEXP稼ぎの作業を繰り返すだけだ。

当時のネットゲームとしては異端と言われていたが(ネットゲーは自分で物語を紡ぐものと言われていたからだ)、FF11にはメインシナリオが存在する。
私は無印版のメインシナリオを終わらせるところまではプレイした。
それと、メインジョブの高性能専用装備を手に入れるためのサブクエストも全部こなした。

そして無印版の段階でのメインディッシュはあらかた遊びきった頃、2003年4月17日に初の拡張ディスク「ジラートの幻影」が発売され、新しいストーリーやエリア、ジョブが登場したのだった。

だが。
最初の頃こそ夢中になって新しい要素を楽しんでいたのだが、この拡張ディスクの発売によって、私の心は急速に離れていく。

拡張ディスクは、いわば普通のゲームで言えば(少なくともこのころのFF11は)、続編といってもいいぐらい影響力のあるものだった。

同じ世界でデータも共通しているけど、ゲーム性がガラリと変わる。

例えば無印ではLV60が最高だったけど、拡張ディスクの発売でレベルキャップは引き上げられ、最終的にLV75まで上げれるようになる(今はLV99まで上げれるように計画しているそうだ)。

世界観やゲームバランスが大きく変わっていき、私はついていけなくなった。
無印の段階でも十分廃人仕様だったのだが、当時はそれでも多くの人間がのめり込んでいたので、さらにマゾい路線に作られていき、特に、フレンドの少ない私には肩身の狭い状態になっていった。

そのなかでも、引退に追いやった出来事といえばやはりこれだった。

私は、白魔道士というジョブをメインにやっていたのだが、レイズIIと言う戦闘不能を回復する際、(死んでしまったとき経験値が減らされるのだが)減ってしまった経験値を大幅にリカバーできる魔法を持っていないとパーティに参加してはいけないという空気が広がっていた。

だが。
その必須魔法のレイズIIは、非常に入手困難なレアアイテムに設定されていて、流通量も少なく競売では100万ギルの相場を誇るいくら廃人でもそう簡単に手の届かないところにあるものだった。

なぜかというと、当時最高レベルのパーティをもってしても倒すのが困難なネームドモンスター(隠しボスみたいなもの)が稀に落とすという入手手段しか無かったからだった。

ましてや、ゲーム内に仲間のいない&作れない私には、とても取れる代物ではなかった。

しかし、そのレイズIIを持っていないことを隠してLV上げパーティに参加し続けていた。

だがある日、不運にも私の参加していたLV上げパーティで戦死者が出て、レイズIIを持っていないことを告げると空気が悪くなり、即パーティ解散というバツの悪い出来事が起こってしまった。

そのことを、唯一フレンドだった太郎に話すと「じゃあ、黒魔道士やればいいじゃん」と前向きな解答を出してきた。

※FF11にはメインジョブの他にサポートジョブというものが設定できて、モグハウスと呼ばれる自分の部屋に帰ると、自由にジョブチェンジが出来る。
サポートジョブはメインジョブの半分のレベル分、能力の恩恵を受けられるのだが、サポートジョブに設定するジョブもレベルを上げていないと効果を発揮しないので、複数のジョブのレベル上げをしているのがFF11では当たり前だった。

つまり、メインジョブとして白魔道士をLV60以上まで上げていた私は、サポートジョブに黒魔道士を付けていた。
その黒魔道士のレベルが大体35程度まで上がっていた。

太郎の助言を聞いて、私は気を取りなおし黒魔道士をメインジョブにして続けることにした。

が。

この辺りでもう、私はFF11というものに冷め始めていた。

「ジラートの幻影」というゲーム内容がなんとなくそりの合わない内容(つまり期待はずれ)だったというのもある。

これがだいたい2003年5月下旬頃だったはずだ。

ここで私は初めて気づいたのだった。どこか物足りないところも出てきていたけど、無印時代のFF11が好きだったのだと。

世界観も本当に魅力的で、具体的なことを書いていくとまた長くなっていくので別のエントリにまわしたいが、当時のオフラインのRPGにはないぐらいのロケーションの豊富さや、魅力に満ちた構成に酔っていた。

ジラートの幻影の新しい世界には、その魅力をあまり感じなかった。

ゲームバランスも修正されて、いい意味での大味さがなくなったり、LV上げの場所もLV30以降はほぼ同じ場所に固定されてしまい、私は決まりきった当時のゲームプレイに飽きだしていた。

無印の頃は、頻繁に調整が入ることもあって、前はここが稼ぎやすかったとか、ここ強い敵がいて危ないけどおいしい場所とか、レベリングのポイントも頻繁に変わっていって、ただLV上げするだけでも色んな場所を点々と出来て楽しめたものだった。

そういうものが、しっかり管理されるようになってきてからというもの、やることが決まってしまって飽き性の私をとうとう飽きさせたようだった。

こうして、私の長いFF11廃人の旅は終わりを告げた。

その後、YさんからPCのウルティマオンラインをやろうと誘われ、遊んだのだが、内心もうネットゲーには懲り懲りしていた。

だが、現実の友達と遊ぶのなら楽しいだろうと思い遊んでみたが、Yさんがいるから楽しめたが、そうでなかったら私のPCの性能が低いせいもあったのだろうが、操作性は悪く画面は重いし、海外のゲームだから説明書読んでも概要がわからないわで、最悪のゲームであった。
Yさんに良くメールで誘われた物だが私はサボって中々ログインしようとしなかった。
いっぽうYさんは一人でもそこそこプレイしていたようである。

私は、ここぞとばかりにFF11をすすめてみた。
友達がいるならFF11も楽しめると思ったからだ。
数年たった今でもたまにすすめることがある。環境を整えるのが大変という理由でやろうとはしないが。
(FF11が出始めのころはPS2ではHDDが必要だし、PCは当時の水準ではハイスペックなものを求められたためだった)

さて、私がFF11廃人だったのが2002年10月?2003年5月である。
これはちょうど大学3年生から始まる新卒の就職活動の中でも最も重要な時期と重なる。

そんな時期に私はFF11に逃げ込んでいたのだ。

いちおう、私は大学で就職活動のカリキュラムも受けていたし、リクナビ2003に登録したり、最初の頃は就職活動をしよう!という意識はあった。

だが、以前にも書いたが、そもそも行きたい学部に入れなかったので、リクナビから送られてくる資料やエントリー企業が、自分の行きたい職種とかけ離れていたため、少なくとも就活の初期は、やろう!やろう!という気持ちは持っていたが、現実とのギャップに悩み苦しみ、どうしてもFF11に逃げてしまう自分がいた。

その証拠に、FF11に冷めてからは、いちおう頻繁に就職課に通い、履歴書の書き方やなんかいい会社ないか直接聞きに行っていた。

仮にFF11がなかったとしても、今の私のようにウダウダと自分の部屋で悩み苦しんでもがいている姿が想像できる。

ある意味、FF11廃人になってしまったことは必然とも言える(いばって言うことじゃないんだけど)

一度ネットゲー廃人を経験したことで、耐性が付いたため二度とネットゲーにハマることはないだろう。
ただでさえ、ゲームそのものに冷め始めているぐらいだ。
とりあえず、寝食忘れてゲームにはまり込むなんてことは絶対無いことは断言出来る。

なぜなら、途中でも少し書いたが、ゲームのやり込み要素なんて、ただのデータの数値いじりなだけであって、それ以上の意味を感じられないからだ。

私はそれを身を持って味わった。

だから、PSPのひたすらレベルを上げてレアアイテムを探しまくるようなタイプのゲームがなぜはやっているのか理解出来ない。

まあ、私のような体験をしたことのない若い中高生辺りが、仲間内で買って遊んでいるから流行っているのだろうと思う。
一人ぽっちでモンスターハンターやファンタシースターポータブルを遊ぶのはつまらないだろうが、そのゲームによって友達との絆が深まって楽しい時間を過ごせているのなら実に健全だと思う。

調べてないけど、多分そうやって遊ばれてるんだろう。だから、この手のゲームは一時的に凄い売れるけど、ブームが過ぎたら中古屋に投げ売りされている。
今日私は中古ゲーム屋をみたが、あれだけ流行っていたモンハン3rdポータブルの中古が大量に置かれていて、びっくりしたものだった。

私はそれは、いい時代が来たな…と歓迎している。

私の時代は、そうやって仲間で集まって遊ぶゲームはなかった。
だからこそ、ネットゲームにそれを求めていたのだった。

しかし、ネットゲームは友達を作るのが難しいし、作れても顔も声も素性も分からない人相手に一緒に遊ぶのだ。
今の時代だからいえるが、これは気持ち悪い習慣だと思わないだろうか?
一歩間違えば出会い系サイトとやってることが変わらないと言っても言い過ぎではない(基本的に下心がないから悪いものではないのだけど)。

ネットゲー廃人から脱してもう8年にもなるが、あれからネットゲームにはまり込んだことは一度もない。
それどころか、やりたいとも思わない。

………だが、“似たようなゲーム”に一時期のめり込んでいたことがある。
次回はその話を書きたいと思う。
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