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任天堂が不甲斐なくなってしまった理由

任天堂が不調だと言うニュースや話題が、最近非常に目立っている。
あまり、こういうことは書きたくないのだが、なぜ、このような事態になってしまったのか、
外部の素人の知りうる限りの情報から、ちょっと指摘したいと思う。

任天堂は、ゲーム業界の王者だと言われ続けていた。
だから、プレイステーション、プレイステーション2でソニーが、任天堂から王者の座を奪いとった時、
それはもう、日本全体のニュースとして、大きく取り上げられるほどのものだった。

いまは、ゲーム業界の構造そのものが激動の時代を迎えている。
スマフォの台東で、いわゆる“ゲーム機”だけで、語れない時代になってしまった。
そういう時流であることは認識している上で、複雑な話題だが、物事の本質を単純化するために、不要な説明を避けて書く。

任天堂は今、稼ぎ頭の据え置きゲーム機で、未だかつて無い苦戦を強いられている。
これは、スマフォのせいとか、開発費が高騰してきたとか、そういうことを理由に出来ないほどの状態に陥っている。

それはもう、言うまでもない、新型ゲーム機WiiUの迷走したコンセプトから来ている。

元を辿れば、2006年。
プレイステーション3と、Wiiが発売され激突した年だ。

この時、PS3は「時代はHDだ!」と、10年戦えるゲーム機を目指した。
対する任天堂は「HDはまだ早い。SDで最高性能のゲーム機を。オプションで他に真似できないゲームを」目指した。

結果、PS3は早過ぎるゲームマシンとして、普及するまでに起爆剤となった薄型機を出す3年後まで苦渋の思いを強いられた。
Wiiは、HDが普及してない時代と合致したことで、任天堂は王者への復権を果たした。

しかし、この時点で、任天堂は、コンピューターの日進月歩の競争から、事実上降りてしまった。
もちろん、外部の人間からは“降りた”なんてわからないし、影できちんと技術研究は行なっているものと当然思っていた(少なくとも任天堂に絶対的信頼を持っていた自分はそう思っていた)。

その体たらくが、現在の任天堂を示している。

2007年頃からHD開発の経験やノウハウ、技術の蓄積を、多くのソフトハウスは強いられた。
それをやらなければ、置いて行かれてしまうからだ。
(この論述は、据え置きゲーム機限定で語っている。それ以外にゲームで金を稼ぐ方法はあるが、任天堂はそっち方面の模索もやらなかったため、逃げ道がない)

HDゲームの開発は御存知の通り、大変だ。
高精細な映像を生み出すために、それだけ技術者が必要で、迫力や臨場感を演出する洗練されたデザイナーが莫大に必要になる。
金がかかるから、金勘定の出来る奴は必要だし、それだけ開発に責任やプレッシャーがのしかかる。
昔と違って、浮かんだアイディアを形にするのに1日あれば出来上がる、修正なら半日で。
こんなお手軽な時代じゃない。

100人単位のプロジェクトで、でかいチームを運営し、全体構想を掲げるトップのディレクターやプロデューサー
彼らの思い描くゲームを作るために、恐ろしく手間と時間とお金がかかる。
ちょっと直しを入れるだけでも1日。そんな大変な時代に差し掛かっている。

任天堂のWiiU製品を幾つかプレイしたが、おそらく任天堂は、HD開発の難しさを、想像より軽く考えてたんじゃないかと思う。
というのは、任天堂のWiiUのラインナップは、無難な前作を踏襲した続編ものばかり。
つまりこれは、何を意味しているのかというと、HDゲームを実際に開発して商品化するまでのプロセス
これを、WiiU発売後に、行なっているのではないか?という推測だ。

驚いたのは、ゼルダの伝説 風のタクトのHD版。
これをわざわざ、内製スタッフが制作していたっぽいことだ(これについては買ってないため深い明言を避ける)。

WiiUを出してから、ようやくHDゲームのプロジェクトを走らせる。
それは、他社が5,6年前に血反吐を出る思いでくぐり抜けた道だ。

これは任天堂の息がかかったセカンドパーティにも同じことが言える。
HD開発のノウハウを蓄積してこなかったから、今、それをやっと始めたから、無難なことしか出来ない。やれない。

でも、数年前と事情が変わって、効率よく技術を吸収できる点はある。

逆説的に考えれば、任天堂の本気というのは、来年再来年に見られると思うのだが、ソニーやマイクロソフトは
既に次世代機を投入している。

WiiUは、現世代機、言い換えると、HD機第一世代に合わせて作られたマシン。
HD機第二世代のゲームマシンと戦うにはあまりに非力だ。



これまでの任天堂は、敗者になったとしても、自分は結構支持していた。
なぜなら、過去の任天堂は、ハイブリッドマシンを目指していたからだ。
今の時代に合わせて言い換えると、ソニーのプレイステーション3と任天堂のWii
この立場が逆になったと言ってもいい。

ソニーがプレイステーション1を出した時、万人受けするデザインと、コストを徹底して押させたCD-ROM媒体等
時流を読んだ絶妙なゲームマシンだった。
それはそれで魅力的だった。

対する任天堂は、意固地にROMにこだわり、当時高級だったワークステーションクラスの演算能力を搭載したニンテンドウ64を25000円で売る!と、多くのリスクを跳ね除けてまで、高性能マシンにこだわった。

結果、現実的な路線をとったソニーのプレイステーションに、完膚なきまでに叩きのめされた。

その後のゲームキューブも、やはり軸足はハイブリッドマシンで、ロードの早さやメモリ運用の快適さを売りに、設計したが、PS2の強い牙城を切り崩すことは出来なかった。

任天堂は今も昔も、「良いゲームを作ろう」という理念は、おそらく持っているんだと思う。
ただ、良い物を作るために、据え置きゲーム機として語ると、日進月歩の数字競争を制さなければ、基本的にはダメだということだ。

岩田(社長)体制になってからの任天堂
これは完全な推測だが、特に最近、社内的に派閥というか、軋轢のようなものが、外側にまで見えるほどひどい状態になっている感じがしている。
WiiUの迷走したコンセプトもそうだし、ソフトのラインナップ、コマーシャルの劣化、宣伝の方向性の不一致など。


自分がこれまで、任天堂が“ソニーに負けた”状態でも、見込があると思っていたのは、ハード設計にまだ魅力があったからだ。
だから、売り上げやシェア争いに勝てなかったとしても、任天堂一社でも“やれる!”し、実際やってきた。

だがもう、ポケモン並みの奇跡が起きない限り、任天堂は起き上がるのが非常に困難だと思っている。


最後に余談になるが、
任天堂傘下のモノリスソフトが出した「ゼノブレイド」の評判がいい。
そしてすぐWiiU向けに続編の開発に着手した。

個人的にこの続編、MMORPGになると思っていた。
任天堂初の、月額課金制のネットワークゲームだ。

まだわからないが、どうやら、単なるスタンドアロンの大作RPGになるっぽい(?)

これには異論もあると思われるが、任天堂的にネットゲームの運営など経験すべきだと思っていたから、
他からの評判が悪かろうとも、MMORPGにすべきだと感じていたが、そのへんの保守的なやり方にも任天堂の衰えを感じている。
ネットゲームは色々言われるが、なんだかんだいって、当たるとデカイ。
だから、ここらで一発、大手企業的にアテておくべきだと思っていたんだが、その気はないようだ。
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小説の書き方についての考察 (4)

前回の続き。

・登場人物の作り方/描き方について

小説には不可欠な要素として、物語の土台(舞台・設定)が必要だとすでに説明した。

次に必要なのは、そこに出てくる役者、スポットライトの当たる主要人物である。


これについては、立ち位置や力点が、人によってかなり異なると思うが、自分的に最終的な結論は次のとおりだった。


・登場人物というのは、物語が進む上での歯車に過ぎず、作家の決めたストーリーに翻弄される存在。それ以上の存在になってはならない。

なぜこんな冷めた、低い位置に置くべきだという結論に至ったのか?理由はきちんとある。

・作者が、自分の作った世界に登場する人物に、過剰に思い入れを持つと、たいていろくな事にならないから

こうやって、合理的な考え方にすることで、とにかく、判断に迷った時に、いちいち迷わずに客観的に物事を決めていくことが出来る。

あと、この結論に至った理由はもう一つある。

それは、最初に小説を書き出して、ぶちあたった大きな壁。
異性の描き方である。

異性、自分の場合は女性は、どういう立ち振舞をするのか、どういう性格がいいのか、しゃべり方、考え方
そこまで深く考えて、変に虚構の世界にリアリティを重ねあわせた結果、
男性から見た理想の女性像みたいな、薄っぺらでうそくせーキャラにしかならなかった。

これをどうやって解決すればよいのか、やっぱり、異性としっかり付き合ってるという経験がなければ
小説を書くことすら出来ないのか、3年の間、割と真剣に悩んだものだった。

ところが、虚構の世界に、現実世界の女性像を必ずしも持ち込む必要はないと気づいた時、この問題は実にスムーズに取り除かれた。
あくまで、そのキャラは男か女かだけで、それ以上の意味はなく、女であっても性格次第で考えは違うわけで、それを性別で過剰に意識して、影響されてはならないってことだった。

それを踏まえて、キャラの作り方について簡潔に書く。

高打率の専業漫画家CLAMPは、キャラクタを作る時、1人1人の履歴書を作ると言う話をしていた。
そうやって、時間と手間を掛けることで、高打率の漫画家として食っていけてるのだろう。

だからそれを模倣するのがある意味正解なのかもしれない。

が、自分の場合、手間を掛けずに楽にやれる方法があるなら、それを使うほうが望ましいと思ってる。
それは、小説を書こうとか、今のおれみたいに、リアルが追い込まれて死ぬか生きるかサバイバーな状態で
一発逆転狙うしかねえって言う詰んだ人間が、賭けでぶつかる時、手間暇掛ける余裕が無い。

余談だが、今、本当におれは金に困っており、夜間の宅急便のバイトに不本意だが働きに行くほどほんとに困っている。
そして、あれだけ嫌っていたアフィに手を出したくて、申し込んだが審査に落ちるという惨憺たる結果に苦しめられ
リアルに知り合いがいなくなり、ネットでこうやって困ってる助けてほしいと何年も、ブログや自分自身の声を動画に乗せて訴えても、心ない野次や、上から目線で馬鹿にするような、輩ばかりで絶望に屈している。

ほんとに精神的に、ヤバい状態で、同しようもない状態にまでなってしまっている。

そこで、キャラクタの作り方の手軽なやり方を、3年の間、漠然と考え続けて、考えがまとまってきたので、ここにそれを書く。

それは、非常にお手軽で簡単で、わかりやすいやり方で、メモ帳に走り書きするぐらいで良いし、
小説を作ってる間に改変したくなったら簡単に修正できる融通の効く作り方だ。

キャラ1人に対して、容姿、性格、体格、髪型、勢力、性行為では受け攻めかSかMか等、いくつか簡単な項目を作る。
それに対して、簡単にカテゴリーを作って分ける。

あとは、動画サイトなり、通販サイトで、検索用に付けられる、タグ、みたいなものを“特徴”の欄に付け足していく

かわいい、純粋、ぽっちゃり、気が小さい、

こんなかんじだ。

ようは、ゲームのステータス画面みたいなものを想像してもらう。
人の外見、内面の基本項目に、状態(属性)を書き込んで、特記事項の“特徴”欄にその人物の特徴をタグ形式で書き出していく。

それから、もう一つ重要なこと。

正義と悪が絶対に存在しなければならない。

正義と悪というのは、説明する上でわかりやすくするために敢えて使ったのだが、

主人公が属する勢力A、悪役が属する敵対勢力B、中立的存在の勢力Cなど

これを作るのはなぜかというと、勢力同士にはそれぞれ主義主張があり、
物語を作る上で、これがぶつかり合わなければならない

で、おおまかなストーリーラインを考えた時

最初に書いたが、
・登場人物は物語を進める上での歯車でなければならない

これが生きてくる。

こういう状況に陥った時、こういった立場で、こういう性格を持ったキャラは、どう動くのか?動かすべきなのか?

常にこの、瞬間瞬間を作者は考えなければならない。

その場合、下手に登場人物に感情移入してると、判断に迷ったり、読者からすると、支離滅裂に見える行動を起こして反感を買ったりする

だから、歯車以上の存在には考えてはならない。

こういう考えは、自分自身は、一度もやったことがないが、テーブルトークRPGに触発されている。
厳密には、小学生の頃、それに近い遊びはやっていたのだが、本格的なきちっとしたTRPGはやったことがない。

ぶっちゃけると、TRPGのリプレイを書く形式に自分の考え方は近いものがあると勝手に思っている。



超長文で、具体的な小説の書き方を今回、書いていて、わかりにくかったり、納得行かない内容になっていると思う。

最後に、もう2つほど書いてこの話を終わろうと思う。


いわゆる、バトルシーンについて。

人と人がぶつかり合う、バトルシーンは、小説において、必要不可欠な要素の一つである。

ドラゴンボールみたいに、超人同士が能力を駆使して戦うシーンを想像するだろうが、ここでの話はそれに限定したものじゃない。

大半のジャンルでは、形を変えて、人と人の主義主張がぶつかり合うシーンを表現するためにバトルシーンが使われる。

時には遊戯王のように一定のルールに則したカードバトルがあるだろう、
あとは、車に命をかけている走り屋たちの物語なら、ドライバーテクニックを競うために公道をハチャメチャに走りまくって、喧嘩するだろう。

ファンタジーなら、騎士道とはなにかと言う行き違いで、剣を交えて決闘するなど、
バトルシーンと一口に言っても、様々なシチュエーションがある。

これらを描く時、バトルシーンとは何か?を理解していないと、なにとはいわないが、ただ力と力をぶつけあってワンパンで勝負が決まる薄っぺらでつまらない、なんだこれってものが出来上がる。

戦うことで、力をぶつけあうことで、その過程で、主義主張を通すために、お互いがぶつかる。
その時使われる、戦術なり能力なり、剣、車、なんでもいい、
それらの道具は、登場人物の個性が具現化したものでなければならない。

これを徹底している作家や作品は、バトルシーンが面白いものになっている。

バトルシーンなんて色んなモノがある。

自分はトレンディドラマも沢山見ていたので、男女のカップルがぶつかりあって痴話喧嘩してたり
三角関係で、女同士が口喧嘩してビンタしたり、しあったり、ものを投げ合ったり

あとは夫婦喧嘩など、

これだって、バトルシーンと括ることが出来る。


ちょっと説明が多くなりすぎて、疲れてしまった
本当はもう一点、考察(2)で書いた、自分にとって特別な作品を持っておくべきという話に繋げたかったのだが、次回に続く


※ここらで最後に※

この考察は、他人が小説を書けるための手助けのためにやっているわけじゃない。
こんなの、実績のない人間が書いているだけで、参考にならないだの、間違ってるだの、難癖をつけるのは簡単にできることだろう。

これは自分に言い聞かせるために、考えを整理整頓するためにやっているだけで、他人にとって得になる情報じゃない。

個人的には、専業作家の講義は、どれも素人が実践するには難しすぎる気がして、自分なりに咀嚼させたのがこのシリーズのエントリだから、参考になるならないの価値観と戦うつもりは毛頭ない

それだけは断っておく。

小説の書き方についての考察 (3)

前回の続きで、今回はもっと踏み込んだ内容となる。

(2) 話の組み立て方について

(1)から話が思いっきり飛んでしまうのだが、ストーリーの組み立て方について
自分なりの考えがまとまってきたので、書いていく。

おそらく、小説を書く上で、真っ先に頭を悩ませる部分がここだと思われる。

・物語の土台を決める。

土台ってのは何かというと、舞台を決めるということだ。

どの創作物にも、必ずこれが決められている。
シナリオのテーマを決めようとか他では言われてることが多いが、最初っからそこを考えると、
難しいため、物語の土台や設定、どういう状況を描くか、ということをテーマに置き換えて考える。

<踊る大捜査線の場合>
・新米刑事が、湾岸署の刑事課強行犯係に配属される。
・そこで働いている同僚とともに、巻き起こる事件(エピソード)が描かれていく。
→そこから派生した“テーマ”として、キャリア、ノンキャリアの上下関係の理不尽さが描かれる

<新世紀エヴァンゲリオンの場合>
・謎の地球外生命体、使徒の襲撃を受けた世界。
・人類は人型決戦兵器(エヴァンゲリオンという意思を持つ巨大ロボット)で対向するしか手段がなかった。
・(なぜか)搭乗者を選ぶエヴァは、多感で精神不安定な14歳の少年少女でなければまともに起動しなかった
→大人が子供に頼らなければならない世界。未熟な大人に腹を立てる反抗期真っ盛りのエヴァ搭乗者たちの壮大な喧騒、葛藤にまみれた汚れた世界観

・・・
「踊る」は基準ラインとして、「エヴァ」は、書いてる方も疲れたので、読んでる方もわけがわからないと疲れたと思う。
ここらで両極端だが、非常にシンプルな例をあげて終わる。

<ギャラクシーエンジェルの場合>
・見た目は萌えキャラなのに、どこか変な性格を持った5人の美少女で構成されたエンジェル隊のドタバタコメディー劇
・エンジェル隊はロストテクノロジー(失われた古代文明)発掘のため、紋章機を使って宇宙を駆け巡る
→SF、ロストテクノロジー、作られた設定すべては、壮大な馬鹿をやるための都合の良い設定でしか無い。とにかくギャグ。突き抜けたギャグ。ぶっ飛んだギャグをぶちこむためだけに設定が存在しているアニメ



こんなかんじで、自分が書きやすそうな“土台”をまず決めていく。
土台、設定を決める時、それは、虚構の世界だから、この段階では、割りと自分の都合で好き勝手決めた方がいい
むしろ、このへんの、その世界での決まり事とか、ルールが練りこまれてないと、後々読者から説得力がないだの、イマイチだの突っ込まれる(突っ込まれやすいと感じた)
まず土台の段階では、多少強引なぐらいに、その世界のルールを決めてしまった方がいいと感じている

この時、「おれはファンタジーが描きたいんだ。ファンタジーに詳しいしそれで食っていく」とか決めないほうがいいと思う
SF,ファンタジー、ロボットアニメってのは、所詮ジャンルでしかなくて、
まあ、本人が造詣に詳しいジャンルのほうが有利ではあるだろうが、物語の構成や土台的に分解して考えると、カテゴリの一つでしか無い。


・物語は起承転結の連続である

個人的に、専業作家や映画を参考にしないのはこの辺りにある。
なぜなら、シナリオの構成が巧妙で、サンプルに使うには高度だからだ。

映画は、2時間で1つの話が作られており、全部のエピソードに伏線があり意味があり、最後へとつながっていく

連続ドラマやアニメの場合、多くは、幾つもの起承転結のシナリオがオムニバスで展開して、最終エピソードへと進んでいく。

こんな当たり前の話書くなってことになるだろうが、前項で書いた土台を元に、基本的には話を作っていく。
その複数の話のなかに、最終話に向けた伏線を入れたりする。
全ての話に、凝った伏線を盛り込むのは難しいだろうが、いくつも話を書いている間に、伏線を仕込んでいくのなら、気持ちが楽になると思う

・最初にオチ、最終エピソードを絶対に考える

これもよく言われてる話だが、この件に関しては絶対に優先すべきだと言う結論に至った
土台や登場人物を決めた後、じゃあ、この世界の結末はどうするか?ってのは、
ここまで書いたプロセスで、先に考えておくべきというのは、必須事項だと感じたと思う。

なぜなら、最後が決まってないと伏線が作れないし、作りながら決めるとしても、最初に決められなかったら
それはいつまでたっても決まらないからだ。
これは3年、自己流で試行錯誤してきて、一番痛い目を見た所だ。

というか、最後を決めると、それ以外にも色々とすんなり決まってくることが多くて、はっきりいって楽になる。

情景描写については、舞台を参考にする

自分が思ったのは、作家の視点でどのように話を書いていけばよいかということだった。

とにかく映画見ろ小説読め
これは間違いではないだろうが、なんだかしっくりこないことのほうが多い。

そこで思ったのが、作家の視点というのは、舞台の観客席にいる立場と考えると、すごく楽になった。

ドリフの全員集合だとか、後は、最近は絶滅してしまったが、テレビ番組で簡素なセットで繰り広げられる芸人のコントなど。

こう考えると、情景描写が一気に楽になる。
作家の立場で、舞台背景をどこまで想像して説明しなければならないか、これを基準にすることで、迷った時の判断が早くなる。
ドラマのセットだの、映画のセットになると、凝ったものになってきて、そういうストーリーにはあまり関係ないような部分まで創造をふくらませて書いていくのが本当はいいのだろうが、とにかく効率が悪い。

あと、作家は映画のカメラワークだの、カット割りまで考える必要はないという結論だった。
じゃあ、登場人物の立ち位置だとか距離、セットのどの辺りに立っているのか(立たせるのか。動かすのか)みたいなことだけを考えれば良い
そうなると、舞台を見ている感覚で、情景描写を作っていくと、あらゆる面で、説明が簡単になる。

話が長くなってしまったのでこのへんで続く。

小説の書き方についての考察 (2)

前回に引き続き、小説の書き方について個人的考察。

今回は、一番知りたい話を切り込んでいく。

面白い小説を書くために重要なこととは?

結局のところ、これを一番知りたいのではないかと思う。
しかし、かっちり明確な方法があれば、誰も苦労することなく書いていけるわけで、
具体的なやり方ではなく、当然のことながら抽象的な内容になる。



(1) 自分にとって特別な、大好きな作品はあるか

一般的には、作家やりたいなら小説たくさん読め、映画たくさん見ろって言うが、それは半分合ってるし半分間違ってる。
ようは、受け手側の吸収力の問題であって、参考になる作品は、人の個性によるのだ。

上司や師匠となる存在に、こうしろああしろって言われて、言われたとおりにしたからって、期待値通りの結果が出るわけではない。


そこで、自分の人生を振り返って、それまでに見た創作物の中で、これは他人に何を言われようが好きで好きでたまらない、
そんな作品をリストアップしてみる。

これは、メディアを問わない。自分にとってそういう作品があるかないかなので。
アニメ、漫画、ゲームだろうが何でもいい。

しかしこれにはある程度の条件がある。

なるべくこういうのは若い10代のうちに、作っておくものである。
なぜなら、若いころってのは、理屈抜きで好きなモノを好きだと思わせる感性を持っている。
歳を重ねると、感受性が鈍ってくると言う言い方をされるが、
そうではなくて、色々経験を重ねてきて、理屈抜きに好きになれるような作品に出会う確率が大幅に下がってしまう。

思えば、ゲームばっかだと思い込んでいた自分でも、よくよく振り返ってみれば、考えこまなくてもすぐ思いつくものが何個も出た。

だから、普通の人間なら、そういう影響を受けた作品が絶対あるはずなのである。

できれば、若くて時間がある頃に、大量にいろんな創作物に触れていて、
なおかつ、好きな作品は、何度も見返しているという状態が望ましい。



じゃあ、ここでガイダンスしているてめえはどうなんだっていうことになるので、一例として書く。

自分は、若いころ、ゲームばかり遊んでいたが、よくよく思い返してみたら外でサバゲーもどきの遊び事みたいなことも
実は結構やっていたことに気がついった。

自分がまだ小学生の頃、自分の家の前の道路は舗装すらされてない砂利道で、
周りは空き地だらけ、近くに川が流れていても、フェンスとかで囲われてないから
探検ごっことか、そういうことをして遊んでいた。

家の近くには、謎の空き家があって、不気味な様相を呈していて、なんとか中に入れないか
同世代の人たちと思案したり、完全な廃墟と化したボーリング場があって、長年放置されたままで
中に入ろうとしたり、他にも色々ヤンチャな遊びをやったものだった。

昔おれは外遊びをしてたって話は今回、あまり関係がないのでこのへんにしておくが、
自分の場合、ゲーム以外で、意外と沢山の創作物に触れていた。

・テレビ東京系の夕方6時のアニメ(視聴習慣ができていた)
・フジテレビ系を中心としたテレビドラマ(アニメ以上に一番見てる本数が多いと思われる)
・人並み外れてガキの頃から大量に触れていたゲーム。

映画は人並みには見てると思う(バック・トゥ・ザ・フューチャーとか有名ドコロは抑えてるはず)が
見るために駅前の映画館まで行って1500円払わなきゃならないことや
今のDVDレンタルほど、当時の映画ビデオのレンタル料金は安くなかった(ビデオテープが出始めの頃だったから)ので
映画を見る敷居が非常に高かった。

漫画は、ほとんど読んだことがない。
同級生の多くが、親が週刊少年ジャンプを買ってくるからそれを読んでるとか
家族が単行本を買うからそれを読むみたいな世代のなかで、おれのいえは一切そういうものを買ってこなかったため
読む機会がなかったためだ。

ドラゴンボールだの、聖闘士星矢だの、キン肉マンだの、そういう世代の人間でありながら
そういうものに感情移入できないのは、こういう環境で育ったからである。

さて、自分がすぐに思いつく、誰に何を言われようが理屈抜きに好きな作品の数々を軽く挙げていく。

<ドラマ>
・踊る大捜査線
・古畑任三郎
・コーチ
・ラブコンプレックス
・さよなら、小津先生
・ビッグマネー
<アニメ>
・無限のリヴァイアス
・ギャラクシーエンジェル
<ゲーム>
・ライブアライブ
・ファイナルファンタジーVI
・かまいたちの夜
・ワイルドアームズシリーズ
<映画>
・バック・トゥ・ザ・フューチャー1・2
・ホーム・アローン1・2


ここで挙げた作品というのは、ただのクソアニメオタクおつとか言われようが、何を言われようが好きで仕方のないものだけを書いている。

それと同時に、面白くて何度も見返したものである。

ゲームはもっと、やってる割に少ないなって話になる
これは、ゲームというものはストーリーが第一ではないため、この項目では少なくなっている。
もっと好きだなっていう作品はあるが、シナリオやテキストが好きで仕方のないって限定になると、これだけになる。


羅列だけしても参考にならないだろうから、メディア別に幾つか補足していく。

<ドラマ>
・踊る大捜査線は、おそらく創作物の中では一番何度も見返している。
脚本の君塚良一という人物のファンになり、ドラマの欄に出した作品の殆どはこの人が書いてるドラマだ。
当初、新番組予告では面白くなさそうで切っていた。高校受験期間に重なっていたのもあって時間的余裕もなかった。
しかし、たまたまテレビをつけたら、これをやっていて、大変な時期にもかかわらず、一応リアルタイムで何話かは視聴していた。
その後再放送版をビデオ録画し、高校1年の頃、何度も見返したものだった。これに関してはホントに数えきれないぐらい見返した。
口コミで人気が出て、映画にまでなったが、連続ドラマ版以外は「踊る」と認めてない、別物の認識である。

フジテレビドラマばっかりなのは、本当にたまたまだ。
偏っていたのは、そういう視聴習慣になっていたとしか言えない。

ただ、この頃フジテレビのドラマは他のテレビ局より頭ひとつ抜けてたとは思う。
例えば、常に音楽を流し続けて退屈にさせないようにしたり、そういう工夫が見られた(今はどうか知らない)。

<アニメ>
沢山見ているが、掛け値なしに好きだと思えたのはこの2つだけ。
エヴァも入れようか迷ったが、やめた。迷うってことは、やっぱ違うんだろうってことだ。

<ゲーム>
このラインナップになるのは、やはり年代としか言えない
多感な中学生時代に体験したゲームへの影響力というのは結構大きい(4本のうち3本は中学1年のとき体験しているもの)
ワイルドアームズは、ホン書いてる人のセンス自体が理屈抜きで好きで面白いという感性を持っている

なかでも「かまいたいの夜」は衝撃だった
文章だけでここまで恐怖を感じさせることが出来ることを今でも驚いている。
初めて触れたミステリだったが、他のミステリもここまで狂気に満ちたものになっているのかと衝撃を受けたものだった
(その後、バッドエンドしか待っていない後半のサバイバルゲーム並の恐怖感を得られる作品に出会うことがなかったのが偉大だと思っている)

<映画>
バック・トゥ・ザ・フューチャーは、時間旅行ものとして細部まで凝っているところ
ホーム・アローンは当時としては、ドリフのコントのようなやりとりがかなり良く出来て面白く見えていたため


こんなに長々と自分語りをしてもはっきりいってしょうがない。
これを書いたことで、コイツの価値観とは合わないだの、なんだの難癖付けられる話の内容にしかならないからだ。

このブログのエントリは慈善事業でやってるわけじゃないから、気に入らないならどうぞ他へ移ってくださいという感じだから、そこら辺は割とどうでもよいのだが。




ここで主張したいことって何か、まとめる。

・若い10代の頃に、理屈抜きで好きになる作品を見つける
・理想的なのは、なるたけ沢山の創作物に触れていること
・時間のある10代の間に、好きな作品を何度も何度も見返すこと(好きな作品なのだから時間さえあれば繰り返し見ても全く苦痛にならないから)

ここまで意識しなくてもいいが、ただ“見る”だけじゃなくて、、
自分はなんでこれが好きなんだろう、どのあたりに惹かれたんだろう、好きなシーンはどこだろうということを
なんとなしでもいいから考える事。

この話は、一見小説書きとは関係ないことに思えるだろうが、おそらく重要度はかなり高いと思っている。

長くなってきたので、いつになるかわからないが続く

PS4買う人はいきなりPS4用ソフト買うんじゃなくてPS3用ゲームを買ってアップグレードプログラムを使おう!!

さて、気が付くとPS4の発売が今週末に迫っておった。

俺は、仕事さがしやらバイトが始まったりで、日付間隔が麻痺し始めており、ホントに気づいたら発売直前となっていた。

PS4を買おうと思っている人、待ちに待っている人はすでに気づいていると思うが、あえて書く。

日本国内でロンチタイトルで人気なのは、龍が如く 維新だと思われる。
個人的にも、店頭のゲームコーナーで龍が如く維新のPV映像流れてるのを見て、欲しくなってしまった。
もう龍が如くなんて、セガのいい金づるシリーズだと斜に構えて見てるにも関わらずだ。



本題に入る。

PS4初期タイトルの、いくつかは、PS3との縦マルチ(PS3とPS4版を併売する販売方式)となっている。

で、この中で、2014年6月末までの期間限定だが、PS3版をPS4版に僅か1000円でアップグレードできるキャンペーンを行なってるゲームがある。

PS4本体を買うつもりの人は、当然PS4用のゲームソフトを買うつもりなのだろうが、だがちょっとまって欲しい。

アップグレード対象タイトルの場合、いきなりPS4版を買うのは、はっきりいって、大損である。

なぜなら、同じ値段でPS3版を購入して、1000円払って、PS4版をダウンロードできるからだ。

このことにあまり意味が無いと思う人も多いだろう。
だが、期間限定で1000円でPS4版のダウンロード版を買える権利を購入できる。

同じ値段を払って、受けられるサービスがあるのなら、そっちを利用できるほうを選ぶべきである。

龍が如く維新はアップグレードプログラム対象タイトルである。
あえてPS3版を買って、1000円でPS4のダウンロード権利を買う。
同じゲーム2本持っててもしょうがないかもしれんが、PS3版パッケージとPS4版パッケージを同じ金払って買うなら
断然PS3版買うほうがお得なのだ。

なぜなら、1000円追加で支払うと、PS4版のダウンロード版を購入できるためだ。

起動時にPS3ディスクが必要ってのが異様に気になる人は好きにすればいい。

どうせPS4版でもパッケージを買うつもりなら、どっちみち起動時にディスク入れなきゃならないし、大した状況は変わらない。

ちなみに、日本で注目度が高いのは、3月20日に出る「メタルギアグラウンドゼロ」だろう。
こっちも、アップグレード対応なので、PS3版を買ってアップグレードするほうが賢い。
メタルギアの場合、体験版だから定価が安いため、割引率を考えると、無理にアップグレード使う旨味はない。

そんなわけで、PS4を買おうと思ってる人は、ソフト購入時に、今の提案を、考慮した上で、どうするか考えると良いと思っている。

よければこのブログのアフィ経由で買ってくださいお願いします

小説の書き方についての考察

3年間我流で小説の書き方を模索してきて、最近それなりに考えがまとまりつつあり、メモ代わりに整理しておきたいと思う。

実は1冊ぐらい、小説というかプロット・物語の書き方についての良書を読むぐらいしたかったのだが、できずじまいで終わってしまっている。

具体的にどういうふうに情報を集めていったのかというと、

・プロの書いた小説を実際に読む(完読まではしてない)
・ネットで無料で読めるアマチュアが書いている小説(ぶっちゃけ専業で食ってる人は、ある意味完成してしまっているので、こっちを重視して参考にした)

後、最後になるが、ネット上で「小説の書き方」的なガイダンスページが多数存在しており
中にはそれなりに権威のある人、自分なんかより相当努力している人が指南しているサイトがあって、それらも参考にした。

そういった、裏で色々模索してきた上で、自分なりの結論を、ここに書き出していく。


語彙の豊富さ、表現力のちからはそんなに重要なのか?

良く小説家、作家と言うと、どうしても漫画家やゲームクリエイターのように、
オンリーワンの存在で、注目される花形職業みたいに色眼鏡で見てしまう面が少なからずある。

で、そういった人たちは、凡人にはない奇異の才能を持っており、努力でその溝は埋められない

こういう考えに行きがちである。

小説の場合、言葉・文章のちからが重要であり、
どのハウツーサイトを見ても、語彙が豊富でなければならない、表現力が重要と一に二にもそんなことを言われる。

だが、これは、必須とも言えるほどの能力なのだろうか?

というのも、プロの、専業の書いた小説を、病院の待ち時間とかに、興味本位で読んだりしていた。

それは、専業作家の作品だから、分かる人が読めば面白いし、家に帰って調べてみればドラマ化もしてるしで、
確かに素晴らしい作品なのだろう。

素晴らしくても、自分は続けて読みたいと思わせるものがなかった、という価値観が大事なのである。

専業作家の小説は、情景描写が丁寧で、自分的にはどうでもいい空の色、天気の微妙な空気感までしっかりかかれてて
「おぉ・・・」と思わせるものはあるのだが、それらは凄いだけで、読んでいて疲れてしまうのだ。

それを、読者に読ませて、じゃあ病院の待ち時間が終わったから、家に帰って続きを思わず読みたいかっていうと、
小説のストーリーの骨子となる部分については、それほど惹きつけるものがない

おそらく、後数十ページ読んでいけば本題に入って面白くなってくるんだろうが

じゃあその数十ページの間に、読む気がなくなったら、作品としてはそこで終わってしまうのである

いくら、年寄り連中が

「文学ってものはなあ」

としたり顔で語られた所で、読書が趣味の人に「わかってないなあ」と言われようが、自分にとってはそこでその小説との接点はそれまでになる。



この体験を書いて、自分が何をいいたいのかというと、語彙とか情景描写、表現力とかいうのは
所詮は、テクニックであって、それが主体ではないということだ。

面白いシナリオ、斬新な構想(斬新という表現は好きではないがあえてこう表現する)、読者を思わず惹きつけて離さない力というものは、知ってる言葉の数だとか、情景描写みたいな小手先の付け焼き刃で補えるものではない。

もちろん、個性を出す、描くために、専業で食ってくのなら、それらを磨くのも大事だろうが、それが一番ではないということだ。

一番大事なのは、読みたいと思わせる文章を書くこと。

そのために、辞書を開いて、使わない言葉を無理に覚えようとしたり、情景描写にばかり凝りまくり、本筋が疎かになってしまっては、本末転倒である。

しかし、自分がいいたいのは、語彙が豊富だったり、自分が説明したい舞台(シーン)の説明をスラスラ書けるというのは
当然のことながら小説を書く上でプラスになって来る。


そういうものは、どうやって鍛えることが出来るのかというと、答えは簡単。

普段から文章を書けばいいってことだ。

あんまり難しい話じゃない。
ツイッター依存症なら、最初はツイッターでつぶやきまくればいい

これは、ネット上のガイダンスサイトでは否定されていたが、ブログで日常的に日記を書くこと
これも本人に自覚症状は無いかもしれないが、1年2年、それ以上ブログ更新を続けていれば、
知らず知らずと、文章力(という言い方も好きじゃないがあえて書く)は上達しているはず。

この結論に根拠はあるのか?と言われると、自信は当然ある。

日常的に、くだらない日記でもいい、書いていれば、
文章を書きだすことをやってる人と、やってない人では、明らかな差が生まれる。

普段から文章を書くという頭の使い方をしてると、脳から、文章を書く引き出しをそれだけ頻繁に開け閉めしているということになる

つまり、文章書きに慣れてると、慣れてない人と比べ、引き出しの開け閉めに対するフットワークが軽くなる

どうやって表現しようか悩んだ時、努力しただけ脳は、早く解決策を導き出せる

ハウツーサイトでは、ただブログやってるだけじゃ文章力は養えないなんて否定してたが、自分はそうは思わない。
それは自分で自覚がないだけであって、何もやってない人よりは明らかに上達している。

余談になるが、昔の思い出をすぐ思い出せる人って周りにいないだろうか?
個人的見解では、こういう人は、作家に向いていると思う。
なぜなら、作家ってのはある意味、昔の思い出を切り売りしているような側面もあると思っているからだ。
この件については、機会が来たら詳しく書く。

長くなってきた所で、この話は、いつになるかわからないが、続く

WiiUに外付けHDDを装着する実験

WiiUは本体内蔵メモリが少なく、プレミアムセットでもいずれ増設が必要になる。
2014年2月時点では、動作保証HDDは数が少なく、おまけに異様に値段が高いため、気軽に買えるものでもない。
(大体、ゲーム機のHDDに1TBやら2TBもでかいやつなんていらん。せいぜい500GBがいいとこだ。それでも余る)

そこで、一工夫必要になってくる。

金が無いので、家に眠っていた古い外付けHDDを接続する。

アイ・オー・データのHDPS-U320とか言う古いポータブルHDDだ(購入価格5000円)。
容量は320GB。

バスパワー駆動の場合、y字型USBケーブルが必要なのだが、amazon等では1000円未満で購入できるが
店頭ではどこにも売ってない。

そこで、外部電源付き(ACアダプタ)のUSBハブを買って、擬似的にセルフパワーにしてWiiUへ接続する。

すると、認識するようになり、初期化、データ整理諸々の操作はできるのだが、その後不具合が多発する。

ゲームアプリを移動するが、移動できるのはアプリだけで、ゲームのセーブデータは移動中に勝手に消される。
なお、WiiUは、ゲームごとにフォルダが作られて、この中にセーブデータが入っているのだが、
フォルダ単位でしか、データを操作出来ないため、ゲームアプリだけ動かすということが出来なかった。

それから、HDDに移したゲームについて。
ブラウザ画面に、起動アイコンは表示されるが、起動画面でフリーズする。

その他、WiiUからデータ管理で、外部HDDにアクセスしようとすると、尋常じゃない時間待たされる。

原因は不明。

型落ちのHDD使ってるせいかもしれないし、ハブをかまして、電力を供給しようとしたせいかもしれない。
でもそれだと、データ移動を正常に出来た(厳密には正常にできてないが)ことの説明がつかない。

どちらにしても、外付けHDDにゲームをインストールして、ゲームプレイするという不安定な環境で
ゲームなんてやりたくないので、やらないゲームを格納する目的でHDDをつなげてみた
しかし、どうも正常にデータ移動できてない(もしかしたらその過程でデータ自体が壊れた可能性もある)。

素直に、動作確認済みの外部HDDを購入したほうが良さそうだ

どうしても増設したい場合。

アマゾンを経由して購入する。

まとめ

・ゲーム機ごときに1TBもでかいHDDいらないので、500GBのポータブルHDDが手頃な値段で買える
→店頭でもうまくやれば5000円程度

・そのままでは使えないので、アマゾンでy字型USBケーブルを購入する(y字型USBケーブルで検索する)。
→PCパーツで400円から。不安ならゲームテックからWiiU向けのケーブルが出てるので、多少高いがそっちを買う。

これで6000円以内に収まって買うことが出来る。

近況の近況

今日は、2つエントリを書くつもりだったが、ゆっくりしていたら時間がなくなってしまったため、近況だけで終わることにする。

2月から始まったバイト、半月弱でやっと慣れてきて余裕が出てきた。

前も書いたが、やっぱ30越えて肉体労働は、本当に身体に応える。
あと、倉庫作業員と言っても、とにかく忙しくて、たった半ドンの仕事とはいっても、疲れてしまう。

作業所で働いてた時は、重労働がなく、延々と単調作業の繰り返しだったから、頭が退屈になってきて、脳内妄想をして凌ぐような辛さがあったが、今の職場は、就業時間中、体を酷使して、やるべき仕事を探し、重たい荷物やコンテナを動かしたりと、とてもじゃないが、常に頭は仕事モードで過ごさなくてはならないため、結構辛い。
忙しかったら、時間がすぎるのも早いのでは?と思われるかもしれないが、そうではないから辛い。

あと、就業時間が夜20時からなのだが、この生活スタイルに慣れたらなれたで、仕事が終わって深夜0時過ぎ
帰宅しても、眠くならず、ぶっちゃけ、眠れずに困ってしまっている。

それから、仕事関係の話では最後に、とっても幸せな報告


バレンタインチョコもらいました!!
義理チョコだけどな!!

シフトの関係で14日前にもらったんだが、親以外からチョコもらったのは、6年ぶり
6年前は、女子高生(3年生)から、手作りのチョコもらいました。マジです。

詳しい話は端折るんだけど、その時、俺は、インフルエンザにかかってて、直接受け取ることが出来なかった。



残りは、ゲームの話。

仕事が始まって、2ヶ月だけとはいえ、わずかでも収入が入るってことで、多少ゲーム買える金確保出来たってことで、
予定していた通りのゲームの購入は、とりあえず出来る。


4月以降の仕事(っつーか、収入の目処)の予定が決まらないと、それでも辛い。
これは、前から話してるけど、自分がやりたいことを続けるために、泥臭い仕事だろうが、何でもやる原動力のようなものだ。
ゲームやってレビュー書いてることが、直接的に金になると思ってやってることじゃない。
これは生きるためのモチベーションみたいなものだからだ。
やめちまってもいいけど、今の無気力な俺より、もっと無気力になる。なぜなら、欲求を断つってことだから。それは。

それも、でも、正直、ギリギリ。
なぜなら、PS4が出るから。

去年10月に前金5000円払って予約済み

借金しなけりゃ買えないほどってわけじゃないが、ロンチで買う予定のゲームが2本。
これを減らせばいいんだが、ちっと削るに削れない状態でちっと辛い。

あと今日、WiiUのドンキーコングを買っちまった。
正直、これは見送るかどうか、相当葛藤した。

おまけにダウンロード版を買ったもんだから、WiiU本体の空き容量不足とかで、ストレージの出費もあって困ってる

外付けHDDを買おうと思ったが、今、大容量(1TBから2TB)化の代わりに、価格の相場が1万前後ってのが想定外だった。

そんで、家に4年前に買った300GBの外付けHDDを持ってるんだが、WiiUにUSB2本刺さないと電力不足で稼働しないと言う
しょうもない仕様。

それで、Y字型のUSBケーブルを買いに行ったのだが、どこにいっても売ってない
ネット通販だと、バンバンヒットするのだが、店舗販売では需要がなさすぎるのか、パソコンのパーツショップにすら置いてない始末

昨日は、新作のレビュー書きと、ケーブル探しだけで一日が潰れてしまった

おかげで、今日買ったゲームは、蛇の生殺し状態で、遊べない状態
WiiU本体に入ってるゲームを消してダウンロードしてもいいんだが、再ダウンロードが面倒くさい

なにせ、ドンキーコング単体で12ギガも容量を食う。WiiUプレミアムでも内蔵ストレージは32GBしか無い
WiiUのゲームは、何本か買ったが、1ギガから4G程度だったから、完全に油断していた

PS4がなかったら、外付けHDDぐらい、探せば5000円ぐらいで売ってるものがあるから、買ってもいいんだが
将来の見通しが立ってない状態、かつ、WiiUのゲームなんて、1TB分も必要ないでしょ

それでなるべく無駄な出費を抑えたくて考えていた

ネットで注文してもいいんだが、届くのに数日かかる、このロスが正直嫌だ
事前に対応策決めて注文しとけばよかったんだだが、予定が詰まってて、ちょっと対応できなかった。

電気屋にも売ってないなら、諦めて16GB辺りのUSBフラッシュメモリでも買って一時凌ぎしようと思ってる
結局、使い方としては、ゲームソフトのデータを外部の記憶装置に移して、
遊ぶゲームだけ本体に置いておくって考えだから、メーカーから推奨されてない記憶装置でも、
俺の使い方だと、あまり問題に引っかからない。

それにしても、前々から思っていたが、
個人的には、ヘッダの消耗とかもあって、ダウンロード版を多少高くてもこだわって買っている

だが、据え置き機はゲーム1本のデータが大きいくせに、記憶装置は高い
これじゃあ、据え置き機のダウンロード販売ははやらないと思う

3DSとかだと、2000円ぐらいで買える32GBのSDカードが使えるし、ソフト1本のデータ量も多くて5GBに収まるから、ストレージの負担が無いに等しく、バカ買いするような輩じゃなかったら、これ1つで2,3年以上は持つ。
VITAも、専用メモカじゃないとダメだが、価格が下がったことで、使いやすくなった

据え置きはどうなんだろう、本体内蔵だとDL版メインで買ってったらすぐパンクするじゃあ、使いものにならない
PS3やPS4だと拡張もできないし

それ以前に、WiiUの仕様は、発売前から俺は世間の反応とは正反対に、駄目だ駄目だって言いまくっていたのに
こういうの、ホントなんとかならないのだろうか?

外部ストレージ使えるのはいいが、もっと手軽に使えるようにしてもらわんとかなわん


それと今、長々とゲームの話を書いたが、はっきりいって、モチベがかなり落ちてる
その理由もすでにこのエントリで述べているが、ホントに俺は、レビュー書きをしてるだけで金になると思わずにやってるんですよ
だから時には、5000円出して買ったゲームも、最初っから気乗りしない状態で
プライベートの時間を削って、むりやりやることが、最近本当に増えていた

それは、2,3年前なら、それをこなす余裕があったが、
最近本当に真剣に、将来の食い扶持とか収入の見通しを考えるようになって、やってられねえって思うようになっている

まあ、今ちょっとした時間のバイトとはいえ働いてるから、ぶっちゃけるが
去年仕事紹介してくれた人も、忙しいわりにゲーム三昧で、呆れ果てて連絡よこさなくなったんだろ

まあ、それは一理あるわな

俺という人げは誤解されやすい
ゲームやる時間は無理して作ってやってるんですよ

けして、我を忘れてるんじゃなくて、色々考えてやっている

だめだ、うじうじながくなってきた
終わる

長期ひきこもりからの脱出

去年10月末まで、就労移行支援事業所で働いていたが、自分とは合わない施設と感じて、利用をやめた。

それから2014年1月末までの3ヶ月間。
仕事探しをしていたが、仕事が決まらなかった。

最初は正社員→当然だめ
PCを使った事務仕事で時給計算の契約社員→条件はピッタリあっており面接まで進めたがだめ

年明けから、日中フルタイムのバイトにランクを落としてまで探していたが、
31歳という年齢と、中途半端な職歴のせいか、どこを出してもはねられる

結果的に、長期ひきこもりの状態になりつつあった。

しょうがないので、2月から、深夜の宅急便の仕分けのアルバイトに行っている。

勤務は半ドンの4時間で、夜8時から深夜0時頃までという勤務形態。

ここは19の大学生の時に働いており、少しなら勝手がわかっていた。
面接もあってないようなもので、ノーパスで入れる所だ。

宅急便の仕分けのアルバイトはどういうものかというと、重労働だ。

19の若い時なら、辛さはなかったが、31の身体にはかなり堪えている。

加えて、夜勤というほどのシフトではないが、勤務時間が夜という時間。

せっかく、生活リズムが整ってきた時に、この仕事は、肉体労働と合わせて、かなり辛いものになっている。
とにかく昼間が眠く、実働時間以上に、辛い毎日を過ごしている。

一日の終りに仕事の予定が入ると、それだけでゆっくり出来ず、
本来、日勤の人間がくつろぐ時間に働くという生活スタイルに、未だに馴染むことが出来ない。

学生時代や若いころはこんなに苦痛ではなかったのだが。

求人には週2,3回の休みと書かれていたが、面接で失業者である旨を告げると、
週1回の休みに変えられた。これも慣れない身体にはハードなものになっている。

今働きに来ている人たちというのは大半が、昼間仕事を持っていて、副業で働きに来ている人ばかりだ。

しかし、昼間予定がなく、融通の効く自分にとって、1日半ドンしか働けない職場
これぐらいの休みにしてくれないと、お金にならないという配慮からである。


若い25歳頃までは、新聞配達や、今やってる宅急便の仕分け、とび職などの外仕事
なんでもやってたが、一度新聞販売店に就職してからは、事務仕事ばかりで、肉体労働が思った以上に負担になっている。


もう一つ辛いのは、職場の人との会話である。

31で職なし、失業者。

これについて心配してくれるのは有難いのだが、それと同時に、今の自分の底辺の状態をさらけ出さなければならない

辛い。

向こうは善意で、アドバイスしたり話をしてくれると思うのだが、ただただ辛い。

宅急便の仕分けなんて、今どきやりたがる若者なんていないのか、幸い年下の若い衆は、いなくて、俺が最年少という状態だ。

俺の居る職場は、昔と違って、ジジイばかりだ。


何度もブログに書いてきてるが、俺には、他人には到底理解されない、やりたいこととか夢がある
もうそんなものなんにもならないからやめろと散々言われ続けているが、捨てることが出来ない。

その話は、今回は深入りして書くつもりはないが、これを持っていないと、こんな不本意な仕事やっていられない状態だ。

結論としては、深夜の宅急便の仕分けのバイトは、長期ひきこもり脱出には向いてないと感じた。
やはり、無理をしてでも、フルタイムとまではいわなくとも、日勤の短時間でもいい仕事をやるべきだ。

この仕事は期間契約なので長く働くわけではない。

それにもう、やりたくない仕事を金と周りの体裁のために続けるのは出来なくなってきている。
そんなこと、若いころ、散々やってきた。

目的もなく、フリーターフリーターで、自分の人生を駄目にしてきた経験から、こういうことをすることに抵抗が出てきてしまっている。

中学の同級生が病気で亡くなった

これまで、人の死に目に何度も立ち会ってきた。

それは、100%親族、親戚ばかりで、心が揺り動くことは何もなかった。
なぜなら、人はいつか天寿をまっとうする。
自分より10歳以上年上の人なら、自分より先に死んでも何も不思議はない。

それに、自分の人生で、親族と言ったって、年に数回会う程度、良くてお年玉をもらう程度
つまり、自分自身において、これといった接点がないから、存在感がない。



だが、今回は違う
でも、中学の同級生と言っても、そんなに仲良くしてたわけじゃない。
twitchで中学時代の悲惨な生き様を語っていたり、このブログでも中学時代の出来事を書いてるから暇があったらそれを読んでもらいたいが、、そんな経緯で中学校でそんなに親しくしてたクラスメイトなんていない。

だから、卒業後の同窓会だって、出たくなくて、誘われても返事を濁してそのまま欠席したりしてた。

20超えてからも、何度か誘われたが、フリーターの人間が同窓会なんて行ける立場じゃない。


28歳の年末
家に直接電話が来て、中学の同級生で集まって飲もうって誘われた。
その誘いの電話をいれてきたのが、今書いてる病死したヤツ

まあ直接電話よこしてくるぐらいだし、その電話で7,8年ぶりにまともに会話して盛り上がったから
1回ぐらいなら出てもいいかと思って行った。

それから、年2回、夏と冬に飲みに誘われた。
俺はその誘いを受けて、飲みに行ってた。

でも、2013年になっても、無職を脱出できなかったら、飲み会も出ないって前から決めてて、
去年の飲みの誘いは、断って行かなかった。

4,5年たっても、定職につけない俺が、のこのこ飲み会に出てって盛り上がれるか?って話だ。
女子連中は、明らかに俺と距離置いてて、口すら聞いてくれなかったし。
俺は、それで落ち込むんじゃなくて、周りがちゃんとしてる奴らばかりの中に、世捨て人みたいな俺が加わっていることに申し訳なく思っていた。

だから、去年から、飲み会には出ないって決めてた。

病死したやつから、変わらず今年も夏、冬に飲みの誘いメールが来た
でも行かなかった。

夏の誘いは、断りのメールを入れたが、先月そいつから来たメールは、返事すら出さなかった
色々、精神的にやられてて、対応する余裕すらなくなっていたからだ

飲みの時、定職つけなかったら、みんなに悪いから2013年からは飲み会行かないからとも予め言っていた
でも、それを聞いていながら、2014年年明けの集まりで「今回ばかりはどうしてもキミに出て欲しい」とメールが来ていた

しかし俺は行かなかった。

その、
そのメールが、そいつから来た最後のメールになるとは思いもしなかった。

俺と同い年だから31歳だ

なんか、持病を抱えてるとは聞いてた
だけど、俺にはいくら聞いても曖昧にしか答えてくれないから、そこまで深刻なことだとは想像できなかった。

いつもお盆と正月に飲み会やりたくて、みんなにメールを送って幹事をやっていた

今年の正月に飲み会したあとすぐに体調を崩し入院
2月初めにそのまま永眠してしまったらしい

俺が人の死にショックを受けたの初めてだ

それほど親しくしてたわけじゃないが、中学3年間同じクラスだったし、そこそこ交流もあった。

なにより、俺とは違って、手堅く生きてきたから、死ぬ前にやりたいことも沢山残っていただろう

数年前から、仕事辞めたい転職したい、仕事辞めて好きなことだけやって生きていきたい
たまにそんな愚痴をこぼしてた

ちゃんとしてきた人間が、先に逝ってしまう

俺は、明日死んでもいい生き方をしている
周りから後ろ指されて馬鹿にされようが、好きなことばっかりやって、嫌なことは場当たり的に嫌々やって生きていた

こんな経験をしてどう思ったか。

環境が許す限り、好きなことやって生きるべきだと思ったよ

体裁気にして生きて、やりたいことを我慢して、死んじまったら、残るのは悔いだけだ

今の俺は精神状態がグチャグチャで、将来の事どころか明日のことすらどうなるかもわからない
でも、もう、いつ死んでもいい、そういう人生の過ごし方をしてきた

だから、明日交通事故で、あるいは、大地震で、あるいは、後世に残るような大規模テロに巻き込まれて死のうが
俺には悔いがない
あるいは、衝動的に首吊って自害するかもしれない。それだけ精神的に終わりを迎えている。

人生うまくいけば、上昇気流に乗ればまた変わってくるのだろうが、
それにすがることも俺はもう諦めた

でも、いつ死んでもいい過ごし方を出来ている俺は、ある意味幸せものなのかもしれないと思っている。

ブログの更新が滞ってる

色々書きたいことがあったり、Webコメントへの返事などやりたいが、

今書いた話も含めて、察して欲しい。

終わります。
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