ゲームへ強い興味をもった原因を紐解いていく!!

俺はいわゆるファミコン世代だ。
俺が生まれた翌年に、あの任天堂のファミリーコンピュータが発売され、日本でゲームという文化が確立した。

そして、家の親父は俺の世代では珍しくゲーム好きで、ほかと比べると比較的ゲームを持っている環境にあった。

今まで、自分はそれが原因で、ゲームへ異常に執着し強い興味を持っていたと思い込んでいた。

だが、よくよく考えると、これだけでゲーム狂になるのは少々こじつけが過ぎるのではないだろうか?
それこそ、マスコミのレッテル貼りと同レベルではないだろうか?
子供の頃からゲームを与え続けた結果、良くない方向に進んでいった。。
結果だけ見れば、ゲームは害悪と言い張るに十分の材料になる。

俺は親にゲームを買い与えられていたというより、親父がゲーム好きでゲームを買ってきてたってだけで、厳密には俺に買い与えられて育ったわけじゃない。

家に豊富にゲームがある、だから親の立ち振舞が悪い。
1990年代なら、その一言で一蹴される時代だった。

だから俺も今まで、そういう世間の暗黙の了解に知らず知らずに従っていて、価値観に染まっていて、自分のことなのにどこか短絡的になっていたところがある。

繰り返しになるが

俺は親にゲームを買い与えられていたというより、親父がゲーム好きでゲームを買ってきてたってだけで、厳密には俺に買い与えられて育ったわけじゃない。


同じことじゃないかと思われるだろうがぜんぜん違う。

自分の欲しいゲームを買ってもらえるわけじゃなく、親が買ったもののおこぼれを頂いているだけ。
今では考えられない伝統かもしれないが、昔は、子供へのゲームの害悪論が強くて、ゲームは一日一時間とか厳しい制限時間を課せられる家庭がかなり多かった。
禁止されている家もあったぐらいだ(だいたい1980年代)。

幸い俺は、厳しい時間制限を付けられたりはなかったが、親父が仕事から帰ってくる夕方以降とか日曜祝日の休みは
全くゲームは遊ばせてもらえなかった(なぜなら親父がやるから)
休みの日になったら一日中ゲーム三昧どころか、外で遊べって一喝されて
やることなくても暗くなるまで外で過ごしていることがおおくかった。
遊び相手がいる日は退屈しなかったが、いない日も多く、そういう時は近所の道路を自転車でジグザグ走行して何周もしてみたり、
公園のブランコでまっ暗くなるまで1時間2時間単位で、延々とブランコを漕ぎ続けるみたいな無意味なことをして過ごしてた。
そんなことをする時間が多いと、不思議と馬鹿な妄想遊びを出来るようになる

見慣れた近所の風景
しかし妄想遊びが始まると世界が変わる
入っちゃいけないようなところや、普段行かないような所
まあ言うなら敢えて行っても何も面白く無いような場所
そういったところを探検家気取りで入って行ったり、色々くだらない外での一人遊びを沢山やっていた。




話が壮大に逸れていってしまった。

俺が言いたいのは、小さい頃から家にゲームが沢山あったからって、ゲームが即、子供に悪影響を与えるわけじゃないということ。

子供にも個体差があるわけで、ゲームに特別興味がなかったら、そんなものに簡単に影響を受けることはないと思うね。

というかここでは、万人にとってどうだこうだって言うことは一切関係ない
俺がどうなのかっていう話が重要なのだ。

※それでも俺の考えを述べると、子どもという生き物は良い意味で正直だから、自分にとってつまんなかったり飽きたりしたら
残酷なぐらいすぐ放り出して、別のものに興味が目移りしていく
※体を動かすのが好きで放課後野球ばっかやってたからって、誕生日に高いグローブをもらっても、すぐにJリーグが開幕して
「つぎはサッカーだ!!」って言って高いグローブを簡単に捨てて、サッカーに鞍替えしたり、そういう非情さが子供にはある。

その点を踏まえると
俺という人間は、本当にゲームが好きなんだと思うね
それがいいか悪いかじゃなく、その事実を認めて、なぜなのかということを考える。

子供が夢中になるものって他にもたくさんあると思う。
俺が子供の頃、
というかファミコン世代と色眼鏡で見られるが、
俺らの世代は少なくとも、実態としてはまだゲームへの風当たりが強くて、満足にゲームを遊べる環境とはいえなかった。
親がうるさくない友達の家に行ってゲームをやったりとかそんなの日常茶飯事で、隠れながらイケないことをしてるような世界。

※ゲームやってると目が悪くなるとか、いくらでも言いがかりをかけられるところが山のようにあった。
同じテレビなのに、なぜかファミコンゲームが映し出す電子映像は目を悪くするとか、それらしい根拠を書いてきて
その眩しい光線から目を守る、テレビに貼り付けて光度を下げる製品とか、雑誌広告によく載せられてた。

※上手い単語が出てこなくて抽象的で申し訳ないが、今で言うと、グレア液晶の眩しさをノングレアにかえるだけのようなのを
売るために、ゲーム害悪論を使って、これを使えば目にやさしい映像になる!!とか言うのが平然と売られてた。

だから逆に、ゲーム以外のものに興味を持っていく人のほうが多かった。

ゲーム以外だと
漫画、アニメ、ミニ四駆、野球、サッカー、テレビ、ビックリマンシール/カードダス集め(今で言うとトレーディングカード)
切手集めてるやつはさすがにいなかった…。ああいうのはもっと上の世代だ。

ビックリマンシールは、よく机やタンスの側面に貼り付けて、後で後悔している人が多かった。
俺は買ってもらえなくて、友達が買ったやつのチョコの方ばかりもらってありがたがって食っていた。

…ってそんなことはどうでもよいろしい


夢中になれるマンガやアニメがたくさんあった。テレビも面白かった。
なんでみんなとおんなじように、同じものに熱狂してバランスよく楽しまず、ゲームへ強い興味を抱いていったのかって話だ。


それは、逆説的に考えると、俺はゲームじゃなきゃ欲求が満たされなかったからだと思うね。
昔のゲーム事情
漫画、アニメ、テレビとかのほうが娯楽としては成熟してて、乗りに乗ってる時期で、そういうものに相対的に負けていたと思う
だから、マンガやアニメと比べて、ゲームに異常に固執している人間がおかしな奴としょうがないような感じだった。




マンガやアニメや映画やドラマ、テレビ
何でもいいが、どれもが一方通行

どれだけ面白くても所詮一方通行

まあ、それが娯楽だって考え方だ。

大人になってくるとわかってくる。

だが、子供の自分

正直に考えると、見てるだけのそれらが物足りなかった、満足できなかったというのが感想としてあった。

ドラゴンボールがリアルタイムに連載されていた
学校のクラスメイト、同じ男たちは、みんな、毎週ジャンプで連載されるドラゴンボールに熱狂していた。

「オッス!オラ悟空!」

その一言に、みんなしびれていた、酔いしれていた。

正直、俺は理解できなかった。

普通の家はゲームがない代わりに、親がジャンプを買ってくるとか、兄貴が面白いマンガ本を買って読ませてもらってるとかがあったからなのだろう。
マンガ・アニメへの接点があったのだろうが、俺の家はそういうのがなかった。

だから代わりにアニメで体験してて、ドラゴンボールも見てたが、どうしても素直に熱中できない俺がいた。

何か、物凄い形相で、とてつもない怪物と必死になって戦っている姿
男の本能が刺激されるのだろう、みんな来週はどうなるとかいって盛り上がっていた


だが、俺は物足りなかった

喫茶店とか友達の家で漫画の方も読ませてもらったこともあるが、やっぱりアニメだけでなく、マンガ本の原作の方も物足りなかった。

なぜか???

戦ってるのは俺じゃない悟空という他人
ナメック星とか言う訳のわからない世界で、突然変な侵略者が襲ってきて、そういうのと戦っていても、俺は外野からそれを眺めるしか出来ない

ドラゴンボールがいかに優れたすごい漫画であったとしても、子供の俺には、物足りなくて楽しめなかった。その視点が重要ではないか??

子供時代の俺は、漫画という娯楽の全てを否定していたわけではないのだが。
ドラゴンボールのちょい前に十二支編の黄金期に入った聖闘士星矢のアニメは夢中になってみていたから。

まあこの頃のガキンチョの考えがどうだったのか今更正確に振り返ることは出来ないのだが…。
聖闘士星矢でもうバトル漫画には飽きていたのかもしれない。

こんなんだから、俺は、ドラゴンボールリアルタイム世代でありながら、この漫画を通しで読んだことも見たこともないから、
みんなが当たり前に知ってる登場人物も知らないし、あらすじだって殆ど知らない。ベジータの後すぐフリーザが出てきてまた似たようなこと始めたよなとか
そのあとセルだったな。でもその後は??とかこんな知識レベルだ。




☆俺がゲームに強い興味を惹かれた理由

この辺りだと思うね。。

ゲームなら、画面の中に入って、作り物の世界に参加することが出来る

俺は、そのことに、強く魅力を感じたんだと思うね。

「俺が頑張らないと、こいつらいつまでたっても勝てないんだよ」
「俺が動かさないと、ゲームの世界では何も進まないし何も生まれないし、何も動かない」


能動的に遊ぶ世界に俺は魅入られていったんだ

与えられた目的をただこなすだけじゃない、気になったところを自分で調べたり探したり、自分のやりたいようにやれる。
それは虚構の世界で、そんなところで頑張ってもしょうがないことだ
でも、一方通行の鑑賞するだけの娯楽に満足できなかった子供時代の俺は、そうやってゲームへ自然と気持ちが向かっていったんだ


でもこういう趣味?
何もゲームだけじゃないだろ

妙にゲームだけが、今も害悪である風潮があるが、別にゲームが特殊な性格を持っているわけじゃないだろ?

ミニ四駆改造したり、プラモ作ったりするのだって、ゲームと同じ能動的な趣味だ。
なのにゲームだけは、悪いと言う扱いをされる。

制作者の作った虚構の世界で踊っているだけだからか?
それはミニ四駆も、プラモだって同じじゃあないのか?
田宮模型の作った改造パーツを組み合わせるだけ、プラモはそのまま、バラバラのパーツを組み立てる過程を楽しむものだ

本人は作っている過程が楽しいんだから、そこはゲームと一緒じゃあないのか??

プラモ狂四郎はいたけど、ゲーム狂四郎がいてもよかったんじゃないのか??

ゲームにハマりこんだことが悪い、という結果論で考えるのではなくて、
そこは、分離して考えて、ゲームにそこまで魅入られた人間性、個性を考えたほうが建設的じゃあないのか??


俺は昔、自分のゲームレビューで書いた持論があって
ゲームをやること自体に、ものを作り出している、創造している生み出しているという考えがある。

最近ようやく“キャラビルド”という単語が生まれてきて、ゲームをやっていることは何かを作っている感覚であることが認知され始めている。

この先はもう、これらの事実から想像や予測を立てていくしか無い、ある種空想の世界に入る。




俺は多分、普通の人より自己主張が強いんじゃないかと思うね。
自己欲求というか、自己表現というか、うまく言えないがそういう気持ちやこだわりが強くあるんだろう。いまも。


その自我の強さが都合よく良いことにばかり作用せず、むしろ邪魔をして、悪い方向に向かっていってしまったことは否定出来ないだろう。

だからゲームなんてお前からはガキの時に規制させれば問題が単純化してこじれることはなかったんだ

何度も言うが、だからといって結果論で物事を考えてもだめだ

ゲームばかりやってるから屑になったんだ

他人はそうやって簡単に言える。なぜなら言うだけだから。



残念ながら、俺の内面的な話はここまでだ。

なぜなら俺の人生はここで止まっているから。

同じような境遇の人はきっといるはずだろうが、それがわかった上でどうすべきかという答えがない。

いや、基本的に決まった解答はないんだろう。

ただ俺は、それ自体が将来に繋がるとか何かに役立つことではないが、自分に好きなものがあって他人がどう思おうと退屈しない日々を送ってきた。それは確かだ。



☆俺が生きてきた人生で悟ったことと注意しなければならないことを記す

ゲームという趣味を正当化しようとしているが、たった一つだけ注意点がある。
それはゲームだけやっていても、決して人生は前に進むことはないというアタリマエのことだ。
だから、ゲーム=害悪だから遠ざける?それは問題のすり替えである。

いま俺は自分が駄目な人間だと認めて、本当に力尽きはてるまで、自分のやりたいようにやることを固く決心した。
付け加えると、その残された制限時間は本当に長くない。

シレン風に言うと満腹度30%以下で生き延びることができるアイテムは何もない。強いて言えば先延ばしの杖を持ってるからそれを危なくなった時に使っている状態
それも未識別で何回使えるかわからない。LV低くて周りの敵とも渡り合えない。戦ったら100%殺される。

ゲームをやって、それに触発されて何か行動を起こした。その流れが大事なのである。

だから今の俺は、ゲーム(遊び)以外のことをやる時間を必ず作っている。

自分は中学2年の時から新聞配達を始めて、自分で金を稼ぎ欲しい物を買っていた。
その頃から、自分が欲しい、発売日に買うと決めたゲームは、何が何でもお金を稼いで買おうと言う信念を貫き通していた。

そして大学を卒業した時、就職先が決まらなかった俺は、すぐにホームページを作ってゲームレビューを始めた。
まだブログサービスも一般的じゃない10年前2004年の4月のことだ。

10年後
俺はその信念を捨てた。ゲームレビューもやめた。
異様に将来のことを気にしながら、世間体を気にしながら、生きていくことをやめた。

働く、金を稼ぐ、買うと決めたものを絶対に買うために頑張る
そういういい歳した男が持ってなきゃいけない、あるいは、持っててもしょうがないプライドの全てを捨てた。
そしたら楽になった。色んな事をやめて、出来ないことや無理なことまで押し通そうとしたことをやめたからだった。

ここまでの項目で、俺の生き方とか価値観を稚拙だとか幼稚だとか言うイメージを持って、褒められないという人が大多数だと思う。
それに対して、否定する気は全くない。なぜなら自分は駄目なやつなんだと認めたからだ。









☆まとめ

この話に結論はないのだが、俺の経験としての最後だ。

世の中には、明確に自分はこれが好きだ!!とかすらわからず悶々としている人もいるなか、かなり幼い時から、ゲームが好きだということがわかって無自覚にそれを貪りつくしてきた。
そういう方向から見ると、今不幸せでも全体的には幸せだったと思う。

興味が強いから、色んなゲームをやるし、そしたら自然とどういう仕組みでゲームが動いているか知りたくなるし、どういう人間が作っているのか顔、名前、制作意図まで気になってくる。
アクション、RPG、シミュレーション、スポーツ、これらのゲームの歴史は?ルーツは??そんなのが嫌でも知りたくなってくる。

どうやればゲームが面白く感じるのか、そして面白いと感じた瞬間、逆にどういうゲームが駄目なのか、ただやるだけでは物足りなくなって、だんだんそれらを整理したくなってくる。

そういうことをやっていたのが、安西爆弾という落ちこぼれの、ゲーム廃人の正体だ。

これが世の中の役に立つことなのか?将来に繋がることなのか?と問われると俺はそんなこと考えて生きてきたわけじゃないから「なんにもならないですね」としか答えられない。

落ちとか結論は何もない。
だってこれを踏まえて(というかこの話を書いて)、この先どうするべきなのかなんて言うのは俺が逆に聞きたいぐらいなのだ。

まあ普通に働いてどうたらこうたらっていう話は、できたらとっくにやってると但し書きをしておきたい。
なんとなくフリーター生活、非正規労働、これが今できなくなった、動けなくなった。それじゃ駄目か?
また人生を動かせるきっかけが見つかればそれでいいと思ってる。

そのために自分を無理やり縛り付け、娯楽を断ち、社会復帰するために闇雲にデスマーチするのは、有効なやり方じゃないと肌で感じた。
だから戻ってきた。それじゃ駄目か?


終わります(かなり久々に終わりますってかいたきがする)。
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このフリーゲームを、やれ!! 【第2回】 タイムオブアソウル

タイムオブアソウル
配布ページ

☆このゲームの簡単な説明

ツクールVX製とは思えないほどメニュー、バトル、システムがカスタマイズされており、クリアまで25時間以上の超大作RPG。
メインキャラはオリジナル。会話時に立ち絵があり表情も変化する。キャラパターンが豊富で細かい演出にまで配慮が見られる職人肌仕様。
温かみのある世界観と王道で勧善懲悪だが、はずさないストーリーには思わず引き込まれる魅力がある。
バトルはリアルタイムで、魔法と特技の組み合わせで強力な連携技が発生。
やや独自要素が多くコツを掴むまでの難しさはあるが、ツクール製を考えると逆にすさまじい作りこみを感じさせる。


この紹介シリーズの趣旨である、なんでもいいから騙されたと思って今すぐやれ!!こんなの読まなくてもいいから、冒頭の配布ページに行ってくれ!!と思わせるほどのゲーム。

前回は1回目ということで、敢えて軽めのものを紹介した。
今回は、こってり仕上がったとんこつラーメンのようなゲームだ!!

フリゲーを漁り始めて2本目がこれだったことを、やはり神に感謝せねばならない。
気を引くゲームは山のようにある。だが、期待通りであることはなかなか無い。

金払って買うゲーム会社のゲームですら、買う前から期待し過ぎるとがっかりすることが多いのに
アマチュアで、しかも1人で作った無料ゲームなんて、やっぱり期待しちゃいけないから期待しない。
面白かったらいいな、どうせタダだし。

ツクールのRPGなんて、Win95以降は容量制限がなくなったものの、クリアまでの平均プレイ時間はやはり1時間程度だ。
(DOS時代のツクールは容量制限があるため長編になると前後編みたいにわけなければならず、1本分の容量でまともなのを作ろうとしたら長くて2時間が限界で、大体1時間だった)

なぜなら、ゲームを作るってのは本当に大変だから
1時間2時間程度のRPGといったって、作る方は、結構な時間を要求される。

それに、フリゲーは手軽に遊べなければならないという暗黙のルールが出来上がってるのか
やはり長くて2時間、5時間以上かかるとごめんなさいみたいな風潮も感じられる。

☆このゲームを始める前に心得ること!!
俺は、ゲーム屋にいって、諭吉1枚出して、1本RPGのゲームソフトを買った。
よーし、これからやるぞー!!雑誌で見たあの面白そうなゲームを発売日に俺は買ってきたんだ!!

フリゲーだから、どうせ無料だし、すぐ終わるんだろ
手を抜いてるとことか絶対あるんだろ

その、先入観はとりあえず捨てるべきだ!!

作者の想定プレイ時間が25時間と書いてあったが、俺は経験上、どうせ水増ししてるんだろなんて思っていた。
しかし、エンディングまでにかかったプレイ時間は、26時間を超えていた。

ツクールVX製だから、さすがに今の市販ゲームクオリティまでのものには及ばないだろうが、
SFC時代のRPGと遜色ないクオリティはある

冷やかし感覚で落としてきて、ナゲエよこれ、覚えることも多いしめんどい
そんなやり方ではこのゲームは楽しめないのだ。

☆愛くるしいキャラクターとテキスト、ふわっとしたセンスの光るストーリー、世界観
どんなキャラクターも、魅力的で可愛くて、いやらしさがない
たとえ敵役であってもだ!!

最近は萌えキャラとは名ばかりの媚びた性格のどこか擦れた人格を持った作風のものが増えてきている
それも悪いとは言わないのだが、このゲームは、そんないやらしさがない

俺なんか、ネットスラングとかネットでよく使いまわされる台詞を、創作物の中でも使われると冷めてしまうタイプの人間だ。
それがダメだ、絶対受け付けないってわけじゃあないのだが、個性的じゃねえなって思ってしまうのだ。
状態異常を直すアイテム、おしゃべリップ、つっこみハリセンとか、アイテム名のセンスも一々秀逸。

町の住民は生活感があって、「洗濯物とりこまなくちゃ」とか「掃除って始めたらきりがないのよねー」という台詞
ただなんてことのない一言なのだが、妙に説得力がある!!というかハマってしまう

登場人物はみんなコミカルで、お茶目で、実直で、悪役だろうが自分の信念に基づいて行動しているからキャラが立ってるのと同時に、嫌味が全く感じない。

あまりにも作者のセンスの凄さと、ストーリーやキャラクターの出来の良さに、俺のほうが何度も自信をなくすほどだった。

☆フリゲーらしからぬ濃いバトル・システム
俺が最も驚いた部分なのがバトル部分だ。
リアルタイムバトルまでは、今のツクールでは当たり前だろう
まあ連携も他のフリゲーで既にやってるだろう。基盤それ自体が新しいとは言わない。

ゲームバランスや演出がすごくいいのだ。
連携技や必殺技の発動時に、きちんとカットインが入ってくれる。
ゲーム開始直後のチュートリアルは市販ゲーム並みの配慮がなされていて、段階的にシステムを学べるように作られている。
バトル画面には顔グラが表示されてて、攻撃を食らったり瀕死になるときちんと表情が変化する

バトルもそんなに難しくない
戦う連打ではしんどいが、連携狙って考えて戦えば、爽快になるというきっちりとしたバランス
スキル装備、習得があるけど、数は沢山ないし、これを覚えないと無理とかこの組み合わせじゃないとボス戦が倒せないとかいう押し付けがましさもない
自分で考えて編み出した戦略がちゃんと使える。

攻撃しまくると敵が怒り状態になったり、逆にパーティの誰かが倒されると親しい仲間が怒り状態になってステータスが大幅アップするみたいな小技もきいてる

よくあるRPGに陥りがちな展開を避けている所が良い

戦う連打の排除、回復魔法か安価な回復アイテム連打の攻略。
そういうところにメスを入れて面白くしようとする。

例えばヒロインキャラは、魔法が使えないが薬師だから薬草を使って仲間を援護する。
回復はヒロインが薬草を消費して回復してあげる
消費する薬草は宿屋に泊まったらすぐ補充されるから気軽に使える。
やってることは回復魔法の連打とかわらないが、雰囲気が違っていていい。

逆に戦う連打で勝てるオーソドックスなバトルがやりたいような人には向いてない。
連携技の条件は最初伏せられていて自分で探したりしなくちゃならないので。
一度発見したら技説明文に記録される。

☆作者の愛情が節々に感じられる力作!!
カジノがあって、羊(スライム)レース、ポーカー、スロットまである。
これ、無料のフリーゲームですよ!無料でカジノのミニゲームまできっちり入っている凄さ!!

ドラクエ10にハマっていたらしく、ドラクエ10ネタが多い。

かっこよさが高いと敵がみとれて動かなくなったり、敵が怒り状態になったりする(解除技もある)。
スキルもドラクエ10ネタが多い。武闘家キャラの必殺が一喝効果だったり。

これだけ気合いの入った作りだというのに、最大級に驚いたのは作者一人で作っているということだ!!
開発期間は4年!!

全部自作じゃあ無いが。キャラデザ、戦闘システム、イベントまわりのシステムは自作っぽい
あとは音楽とかダンジョンマップとかは、フリー素材を大量に借りてきてる。

これはもはやお金とれるレベルの作品じゃないか…
誰かゲーム関係者ーー制作者を青田刈りとか、そういうのないのかーーー

まあ戦闘画面が見づらいとか、自作プログラム(スクリプト)だから、処理が重くなったりするとか、つっつき回すようなところは多くある

だが制作者たった一人でここまで作ったことに敬意を表するべきだ!!!

このフリーゲームを、やれ!! 【第1回】 クラシックレジェンド 悠久のノスタルジア

まえがき ~俺とフリーゲーム~

アマチュアが作った無料で遊べるフリーゲーム
俺は1990年代に既に触れていた。

この頃は雑誌投稿したものがフロッピーやCD-ROM収録されて…という時代だ。
無尽蔵に供給できる時代じゃなかったので、投稿時に出来の善し悪しを編集部で選別される。

今とフリーゲームを取り巻く環境は、さほど変わらない。
もちろん、今のほうが圧倒的にフリー素材も充実してるし、技術がなくても作れるツールもたくさんある。
勉強できる環境も整ってるという違いはある。

俺がいいたいのはそういう時代の変化じゃなくて、
この時期からRPGツクールはあって、プログラムできない人がゲーム作ってたり、逆に我流で勉強して技術を披露しているゲーム
フリーゲームという存在は、今も昔も、この一点だけ見れば、全く変わっていない。

とはいえ、昔はソコソコの技術があればプロになって活動出来る世界だったので、
敢えて、ゲーム制作を趣味に留める人は少なく、
つまりは、何をいいたいのかというと、
フリーゲームってのはやっぱりどこまでいってもアマチュアで、一定水準以上のゲームってのは中々出てこなかった

だから、俺はフリーゲームというものは、この頃それなりに漁ったら卒業して、それ以後、一切手を付けることはなかった。

例えば、今も量産されるRPGツクールで作られたゲームなんて、一目見ればツクール製ってわかるような出来である種失笑される対象だったし
だからこそ、ゲームシステムで勝負することが難しいから、どうしてもシナリオ重視になりがちだった

しかし、つい最近、最近のフリーゲームはどうな状況なのか、ちょっと興味が湧いて調べてみてびっくりした。

unity無料版がリリースされたこともあって、まだ数自体は少ないもののフリーゲームで3Dゲーム、FPS、アクションアドベンチャー、3Dアクションがラインアップされていて、俺は驚いた。

昔は失笑される筆頭だったRPGツクールは最新版ではかなり進歩してて一目見てツクール製ってわからない豪華さ、カスタマイズの多彩さによってオリジナリティを出せるRPG作りが可能となっていた

俺は瞬く間に興味がわいた

21世紀のフリーゲーム

その魅力あふれる可能性に満ちた世界

それを紹介していきたいと思っている(どこまでやれるかわからんが)。

紹介するゲームは、俺が理屈抜きにこれは遊べ!!さわれ!!っていうもののみ。
礼儀としてとうぜんクリアまで遊んでから紹介する

前までやってたゲームレビューと異なり、遊んだゲームをひたすら淡々とレビューするんじゃなくて
遊んで欲しいゲームだけを紹介する。

紹介基準がこのハードルの高さである
だから、連載ペースは不安定で不定期にならざるを得ないが、やれるところまでやっていく




記念すべき第1回に紹介するゲーム
というよりも、俺が今回たまたま触った1本目がこれであったことを心から感謝した


というわけで、今回のゲームは第一回目にふさわしい作品だ

クラシックレジェンド 悠久のノスタルジア
配布ページ

これは、たまたまのぞいたフリーゲーム配信サイト「ふりーむ!」のトップページで
今日のオススメフリーゲームという目立つところにこのゲームが載っていた
ほんとうに偶然の出会いである
ゲーム自体は3年前といういささか古臭さは否めないのだが、なぜこれを紹介するかを書く。

☆このゲームの簡単な説明

ファミコン時代の古き良きRPGがコンセプト。フィールドマップ、モンスター、音楽全てがファミコン風。
勇者であるあなたは、世界に散らばる神に選ばれし仲間3人を探し出し、力を合わせて魔王を倒せ!!
RPGツクール2000のデフォルトシステムのシンプルさと、ファミコン時代を思わせるプレイ感覚がウリ!!


このゲームのどこに感銘をうけたのか?

みんな見飽きたツクール2000製、しかも敢えてデフォルトのシステム
これだけで、マイナス要素満載なのは、当然俺も理解している。

だが、俺が感動したのは、デフォルトのシステムで、よくここまで面白く作り上げたものだ!!という感動である。

ツクール製RPGで想像されるのは、キャラクタが沢山出てきて凝ったストーリーが始まり、
それで普通に面白ければいいのだが、大半は滑っていることが多くアイタタターな気持ちにさせられるゲームが多い。

ところがこのゲーム。
その辺の、作者の自己満劇を徹底的に排除しており、ストーリーに頼ろうともしない

もう、まさに、コンセプトの通り、ファミコン時代のあの懐かしき空気が漂うRPGなのである

村や町で情報を集めて自分で次の目的地を決め、何をどうすれば先に進めるのかを考える。
ファミコン製RPGが、別にこの能動的な作りを狙ってやってたわけじゃあないのだが
このゲームは狙ってやってるから面白い。
俺、ちゃんとRPGやってる!ゲームやってる!って気持ちになる。

ゲームバランスがすごく良くて、イライラする事もない。
ボス戦では、戦士に攻撃アップの魔法をかけたり、補助魔法使ってうまく立ち回っていく辺りも、昔のRPGっぽくていい

洞窟やダンジョンは、必ず凝ったギミックが出てきて、謎解きに頭を悩まされる。
敵の出現率もちゃんと低いのでイラつくことはない

ツクールデフォのシステムだけで、今更面白いRPGなんて作れないだろなんて思っている人にこそ触れて欲しい
バトルはデフォルトでもここまで面白く作れるというのを証明しているし、イベントまわりもダンジョンの謎解きギミックを始め、かなり大掛かりな凝ったものが作られていて感心させられた。

かなり前のゲームだからアレだが、評判もよくダウンロード数も高く有名なゲームのようだ

しかし、俺はここで一つだけ異議を唱えたい!

ゲームの感想を読んでいると、謎解きも戦闘も、共に難しい!!とか言われていることが多い。

全然難しくないだろ!!適度に歯ごたえがあって丁度良いぐらいだ!!

他に見た目も良くて、中身も奇抜なゲームが沢山あるなか、敢えてこのフリーゲームを選ぶ意味は無い
だが、俺と同じようにフリーゲーム世界とは縁遠かった人向けに実にちょうどよい一本なのだ。

いきなりこってり仕上がったとんこつラーメンみたいなものを遊ぶより、まずこれぐらいの軽めのゲームが入門用には本当にピッタリの役割を果たしている。

作者のゲーム制作のセンスに嫉妬!!というか、作り方がうまくて俺には勝てないと素直にひれ伏した

追記に攻略のポイントを記しておいたので参考に(ネタバレ攻略)。

続きを読む

伝えたいことがあって戻ってきました

職付いてない状態で、戻ってきても、どうせ叩かれるだけなので、
たかが個人ブログごときに戻るかどうかだけでも相当悩んだ上で戻ってきました。

生きていれば、なんで死んでないんだよ!!
死んだら死んだで、なんで死んだんだよ!!

こういう、ちょっと訳の分からないブログになってしまったので、
自分でも何をどう処理したら良いかわからなくなり、簡潔に書くと「戻ったら戻ったでめんどくせーな」
って思ってました。

しばらく離れて、そもそもブログの題名が「俺の人生はもう長くない」
冷静になって見ると吹き出してしまうブログタイトルです。
こうやって文章を書いてる時にも、笑いをこらえきれずに吹き出したほどです。
昔の自分は何を思ってこんな題名を名づけたのかと問い返したくなります。

戻りづらくなった原因を作ってしまったのは自分自身にあります。
いちいち予約投稿のことまで気にしてられなかったので。
余裕があれば、半年先などに先延ばしをしておいて、対応して離れたと思います。





さて、まえがきの言い訳はこれぐらいにしまして

4月からの4ヶ月間。色々な事がありました。

唐突ですが、自分は今まで、やりたいように生きてきました。

欲しいゲームや欲しいものがたくさんあったから中学2年の頃から新聞配達をして小遣いを自分で稼いでいました。
色んな物に興味を持ち、自分の欲求が満たされるまでひたすら執着する。そんな生き方をしていました。

そうやって生きてきたものの、ここ数年で、人生に行き詰まり動こうと思っても動けなくなりました。

世間的には、クズ人間、怠け者に分類される人間なんでしょう。

だから色々、自分なりにまっとうに生きるために努力したつもりです。

一年前の7月。
とにかく色んな人に相談しました。
軽度の鬱病であることから“障害者自立支援センター”だか、そんなところにまで相談しに行き、即日で知的障害者が働いている作業所で働くように手続きをとってもらい、
8月から3ヶ月間、作業所で過酷な労働をしました。
やめたのは、いくら仕事が無いからといっても、最低賃金以下で、知的障害者ばかりの中に自分が入って日中の時間をつぶすというのは間違っていると思ったからです。

そして最近。
さっきも書いたように、自分は基本的に本能のままに生きてきたので、やりたいことを我慢するみたいなことはあまりやったことがありませんでした。

しかし、まっとうに生きるために、自分を律する生活を始めました。

仕事も決まってないのに、不謹慎だから昼間から遊ばない。ゲームを禁止する。ネットもやらない。やっても余計なコトはしない。
まあ遊んでも、夜、寝る前1時間とかそんなん。
ゲーム、我慢できずやったとしても、既に知ってるゲーム、やってるゲーム。

そんな生活を始めると、ゲームに関しては、1日2日我慢したら、自然と気持ちが離れていく…というか、別にやらなくても問題ない状態にまではなる。
そうやって自分を娯楽から遠ざけることで、自然と現実の問題と向き合い、嫌でも仕事のことを考えて、動いて、結果を出せるだろうと言う思考性に基づいた判断です。
※というか、これは親父から口を酸っぱくするぐらい、ガキの頃から言われまくっていた。勉強しろ、から、職探せ、に変わっただけ。
※その考えが正しいと思わないから、これまでは実践すらせずに逆らっていただけ

だけど、自分を追い込んだりいじめたりしても、問題は簡単に解決しませんでした。

飽きるほどハローワークに通い、最後にはファイルが分厚くなるぐらい求人票を印刷し、やることがないから毎日、しかもわざわざ、ハローワークに行って、新着の求人を全部見る。そんな生活。

それでも仕事が決まらないって、ただ甘えてるだけじゃないのかと言う話になります。
そこで自分は初めて気づいたのです。仕事が決まらないんじゃなくて、自分の体が知らず知らずのうちに動かなくなっているんだということに。

この頃、自力で社会復帰しようと一番焦っていた頃、
自分を律する生活をしていたので、家に帰って何もやることがないと、すぐさま絶望感に襲われ、床にごろっと横たわり、ほぼ一日、そうやってふて寝をして、絶望と戦う日々。

これが本当に辛く、でも、遊ぶことを律していたので、ある意味、無気力でただただ何もせず時間だけが無駄に過ぎていく、本当の廃人のような生活をしていました。




そして、ある日。
こんな毎日、囚人のような生活をする努力は無意味だと、勝手に悟って、放浪の旅に出ることにしました。
※本当はこの考えになったきっかけは、違法駐車の出来事があってのことなんだけど、この出来事は本当に恥ずかしい話なので、詳しくは書かない

放浪の旅
実は二度目である。

去年の7月にも、突然家を出て、放浪の旅に出た。
あの時は、中途半端に家を出る目的もあったため、着替えやら色々適当に詰めた旅行かばんを背負ってあっちこっち放浪したから、移動するだけでもきつかった。
放浪しすぎて、足がパンパンに腫れて、家に帰った時は、3日間ぐらいまともに歩けなくなるぐらい酷使した。
その放浪の旅の直後に、障害者の作業所へ行った。

そして二回目の放浪の旅。
今度は何も持たないで外に出た。
正確には、財布だけ持ったけど、有り金は心もとなかった。

今回の放浪は、本当に覚悟していました。ある種“死ぬ儀式”だなと言う決意すらありました。
なまじ前回、無茶すればどうなるかも身体で感じていましたし、本当にやばくなったら無意識に家に帰ろうとするだろう、
でも今回は、本当にギリギリまでその逃げ道は使えないようにしようと、最初からできるだけ遠くの方に行くようにしました。

放浪の旅に出ると、ほんとうに色々なことを考える。
こんなことでしか、自分の気持ちを表現できない自分の無力さとか、こんな度胸はあるのに、なんで仕事は決めてこれないんだろうとか、
あとは、無意味な放浪の旅でまた時間を無駄に使っているなとか。

色々限界が来ても、死ぬ間際に流れてくるらしい走馬灯がいつまで待っても流れてこないので、自分で目に走馬灯を流して死を待つぐらい、色々限界まで挑戦した。

この、放浪の旅は、思い返すと、虚しくてつらいので、詳しくは書かない。




そして俺はまた戻ってきた

戻ってきて最初に考えたことは、止まったままの人生を動かすためには、どうすべきかということだった。
闇雲に動いたからって問題が解決するわけではなくて、ただ疲れただけだった。

とにかく、停滞した人生を動かしたい。

「じゃ、今すぐバイトぐらいすれば?」「いい歳なんだから、今すぐ家を出れば?」

そんな、すぐ思いつくようなことは、さんざん考えた。それがわかった上で動けなくなってつまづいているのだ。
バイトは、若い頃は抵抗なく金目当てで働くことはできていたのに、今はなぜか身体が動かない。

これまで受けて落ちた会社をバイトも含めて、洗いざらい思い出して書き出したりもした。
不採用にされた会社のことなんか思い出したくもないから、不採用の時点でその会社のことは忘れるようにしていた。
なんで古傷を自分でほじくり返すことをして屈辱的な気分に自分からなりにいっているんだろうと思った。

過去を振り返って、正しい選択をするために、そんな馬鹿なことをやったりもした。

こうやって色々考えた結果、俺は諦めた。

働かない=怠け者=悪

という烙印を社会から押されている以上、正攻法で俺に勝ち目はないことを認めた。

悔しかったが、俺は認めるしかなかった。

もはや屁理屈でしか無いが、俺の生き方が社会に認められない以上、その土俵で対等に渡り合おうというのが、そもそも無謀だったのだ。

どこかのアニメの迷ゼリフってわけじゃないが、「俺の価値をわかってくれる場所」を探すなり作るなりするしか無い。
そもそもソッチの方が無謀だっていう話もわかっている。

いい年齢になって、まだそんな若いガキンチョのような思考性にしか行かないから無能なんだという批判も真摯に受け止めるつもりだ。

だが、俺も改めて受けた会社を書き出して、自分でそれを直視して、
新卒から数えて11年間、社会から否定され続けて、
その事実を改めて見なおしてみて、

その結論に至ったのだった。





どうにもならない将来の事ばかり考えて悲観して怯えて何もしない時間を過ごすより
金にならなくてもいい、ただの遊びでもいい、とりあえずやりたいことやった方がいい


ホンキで思った。

あの地獄のような日々。
自分を縛り付けた無気力廃人の毎日を経験した俺にとって、建設的に生きるのはどっちかと問われると迷わず、遊びでもいいからなんかやりたいことやったほうがいいと答える。

幸い、無職やニートというのは、時間だけは沢山あるのだから。
その唯一の長所を、自分で潰してしまっては、全く意味が無い。

今は、ネットがあって、一生かけても全部見ることが出来ないぐらい動画がアップロードされてるし、日々更新されている。
違法動画だが、昔の名作ドラマ、アニメ、映画まで本来はTSUTAYAなりで金払ってレンタルしなきゃ見れないものまで、無料で見ることが出来る。ネットラジオも毎日更新されている。

興味とやる気、行動力さえあれば、金がなくて引きこもってても、その気になれば本当になんでも出来る。大抵のことは根気でやれる。

一昔前は、いや、数年前の俺にも言えるが…。
ネット動画生配信で、なんかつまらない奴が有名になって成り上がって金とか利益まで得てるということを痛烈に批判していた。

でも、それで食っていけたり、自己表現出来て本人が幸せを感じてるなら、ソレもありかなと本気で思い出している。
「俺がつまらないと感じた」のは、ただの主観であって、人が集まって金やモノのやりとりが出るということは、少なからずそこに価値があるからなのだろうし、その世界を無理に理解する必要もない。
それこそ余計なお世話という話になる。





“死ぬ儀式”
放浪の旅を終えて、俺は勝手に寿命を引き延ばしていた。

貯金が尽きて、家にもいられなくなるか、やる気が完全に無くなった時が、俺の本当の終わりなんだと勝手にかみしめた。

そうやって3月にばーちゃんも自殺したんだし、俺もダメだと思った時に、本能的に体が動いて野垂れ死ぬか命を絶ってるんだろう。
明日明後日のことすら不安なのに、今から2ヶ月3ヶ月先のことまで考えて後ろ向きになってどーすんだってことだ。

俺は幸せなことに、やりたいことだけは山のようにあった。

ガキの頃、欲しくても買えなかったゲームを自分の手でクリアすること
20代の頃、そういうゲームを買い集めてて、家に手を付けてないゲームが山ほどある

くたばる前に、あれだけ廃人プレイをしたFF11のメインシナリオを全部体験したい気持ちもある
今FF11は、一人でクリアできるゲームバランスに調節されて、この夢が現実のものとなっている

ゲームレビューはもうこれ以上やっても無意味だと思ってやめてしまったが、自費出版でもいいから書籍化してみたいなとか
同人でもなんでもいいから、俺の10年間の頑張りが利益になるなら、当面の活動資金になる価値があるなら、ダメ元で売り込んだりもしてみたいなとか

小説を書く。というか作り手に回る。
ちょうど1年前に思いついた構想に手を付けて、できれば1年で完成させたかったが、全然ダメだった。
文章は沢山書いてきたから、この路線ではやれると思ったのだが、なかなかはかどらなくて俺には向いてないなーと思わされる。
事実を淡々と書いていくレビューと違って、面白く書くっていうのが大変で、これが面白いかどうかの判断も自分だけ
それでも頑張って2万文字越えたかぐらいまでは書いたが、本当なら20万文字ぐらいは理想だった。
もっと書きやすい題材にチェンジするか、やり通すか!?こんなに自分との戦いになるとは思っていなかった。

デジカメでも持ってりゃ動画の撮影をしたい
約20年前から13年間やっていた新聞配達
いろんな場所で新聞配達をやった
昔の職場を歩いてただただ感傷に浸る
13年前にはここにこんなの建ってなかったとか、そんな独り言をボソボソ漏らしながら、そんな動画をユーチューブに載せるだけ
俺の生きた証をただ残したいという自己満動画

そして最後
金が無いからこそ関心を持ったのかもしれない
ふと、最近のフリーゲームにどんなものがあるのか興味をもった

目からうろこが出た
具体的な話は別の機会にしたいが、今は無料で、趣味で、ここまでのものが作れるのか!!という驚きがあった。

今更フリーゲームとか旬を逃してると、言われても仕方ないかもしれない
だが、俺の認識では、数年前のフリーゲームは、ほんの一握りが神がかったクオリティであって、それ以外は横並びで、中堅ラインが存在しない感じだった。

下手に昔のRPGツクールを触っていたせいもあるが、「ああ、ツクールのゲームね」って言う程度のものしか作れなかったし、そうやって言われる程度のものだった

作り手の燃えたぎった情熱がひしひしと伝わってくる作りこみに感動した
たまたま選んだゲームが良かっただけなのかもしれないが、そういうものに出会ってなんとも心が動かされた

何よりもどかしかったのは、フリーゲームの評判とか見てると、なんとも正当な評価を受けてない感じがした
こんなに出来が良いのに、ちょっとしたことでつまらないとか言われてたりすると本当に悲しくなる

勝手に注目される商業ゲームより、俺がオモシロイと思ったフリーゲームを語りたい

ぶっちゃけ、俺が戻ってきた理由の半分以上は、このブログで、俺がこれは面白いぜひやってくれ!!っていうフリーゲームを紹介するため
俺のことなんてどうでもいい、もし誰か、見てて、このブログがキッカケで商業化の流れとかなればいいなとか、そう言う気持ちになった

また、もちろんのこと、フリーゲームだけでなく、
なぜ、
どうして、
安西爆弾・衰弱という人間は、
ゲームというモノに異常に執着したのか!?興味をもったのか?!

その過去を、停滞した人生を歩んでいる今こそ紐解くべきだ!

殻に閉じこもって勝手に一人で納得するのではなく、
このブログを見ている(あるいはたまたま見に来た人)も含めて




大半は、ただゲームやってるだけじゃないかって話もある
だが、金を使わず、家にいても手軽にできることといったら、
いや、
手軽にできることの中から選ぶのなら、それでいいのんじゃないだろうか

ゲームだけでなく、もちろんブログも、そして、小説なんかも書いてたら時間が全然足りない

ブログは今自分が考えている、本当に伝えたいなと思ってること以外更新しないと思います
本当に伝えたいと思うことはドンドン更新していく

そんなスタンスでやっていく

つぎくたびれたときそれが俺の最後だ

生きてます

詳しくは深夜に更新します
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