俺の人生はもう長くない2014 ~永遠~

9月が終わろうとしている。

勝手に寿命を引き伸ばして生きてきたが、一応9月末をタイムリミットと設定していた
いつまでもこの状態で生き続けることは出来ないので。

やっぱこんな短時間で、都合よく何かが起こったり人生を動かせるキッカケが見つかるわけもなく、
ただ平常運転で過ぎ去ろうとしている。

何者にも束縛されない自由な時間がたっぷりあるとはいえ、2ヶ月程度じゃ思っていたほどのことはやれなかったというのが正直な感想だ。

☆遅れてきた反抗期について
一つの原因としては、この期に及んでまだ親や周りに気を遣っている部分があったこと
夕方になったら親父が帰ってきて、俺がゲームとか何かで遊んでいるのを見たら腹が立つだろうから、遊ばないようにしよう
夜は親父がネットを専有するからネットをやらないようにしよう
その他にも細かい所で、変に世間体を気にして気を遣って自由に時間を使えなかったように思う。

これは大きな反省点だ

というより、子供の頃から恐怖に支配されて生きてきたから、自分の意志を貫けないんだろうきっと。
学校ではいじめられてたし、家ではゲームの思い出では楽しそうなことばかり書いてるが
その裏では、やんちゃ坊主をしつけるために、怒鳴られたりぶん殴られたりしょっちゅうあったから、どうしてもそういう親に逆らえない自分がいるのだろう

☆遊ぶだけじゃなくいろいろ考えた
生きていればさえいいことがあるなんて散々言われた。
自殺を考えている人へ系の読み物とかもたくさん読んだ。

しかしそれでも、状況的にもう命を捨てざるを得ない結論にどうしても達していく。

外に出て身体を動かせば、気が晴れていくとか思ってた時期もあった
実践してた時期もあった。でも何も変わらない
それだけでは物事は前には動かない。


自分は高3の頃から、こういう将来を予見していた。
当然ながら、望んでその将来を選んだわけじゃない。
しかし、残酷な現実は、そのとおりになってしまった。

☆人生のターニングポイントについて
やはり高校卒業後の進路を誤ってからだと思っている
大学の進路選択を間違えた。家庭の事情で行きたい学部とぜんぜん違うところを選んだ。
大学に行くこと自体が贅沢だから、これを誰かのせいにする意図で発言するわけではないのだが。

本当に興味が有るのなら、自分でPCいじってプログラム勉強する

それはもう本当に筋の通った言葉なのだが。
当時自分の環境は、2000年も過ぎた頃にまだNECのMS-DOSのPCを使っていた。
PCはまだ高価な代物で、貧乏大学生がおいそれといいのを買える環境ではなかった。
この辺は、説明するのも面倒くさいから話のわかる人だけわかってくれってことで軽く終わる
2003年(大学3年)の春ぐらいに、やっとAT互換機が親のお下がりで手に入って、
それでも2000年製だから、2003年の段階では相当な型落ちデスクトップPCである。

簡単にここまでの長文をまとめると、独学で勉強するのは容易な環境ではなかったということ。
この話を言い訳にしたくないので申し開きをするが、
その気になればバイトで金をためて最新PCを買う、参考書見ながらとかいくらでもやりようはある。
しかしそれはやらなかった。これは俺の落ち度である。

むしろこの頃になると、専門的な知識を独学で勉強するよりも、
文系の大学、経済学部で、一応勉強だけはまじめにやっていたのだから、
俺の発想としては、こうだった。

ゲームの面白さについて真剣に勉強する分析する
売れた売れないではなく、ゲームのメカニズムを考える


この方向では、自分はやれるという根拠の無い(今思うと猛烈に恥ずかしい)馬鹿な自信を持っていた。

でも、こういうのはあとづけの理由で、基本的には関係ないのかもね

自分が本当に興味のあることって
他人に何を言われようが辞めることが出来ない


勝手にやってしまう。
辞めざるをえない状態になってもなお、やめられないという強烈なジレンマ。

ゲームなんて、普通おとなになったら飽きていくだろ?
まあ暇つぶし程度にやったりはするだろうけど。
俺は浴びるように馬鹿みたいにゲームばかりやりまくっても、未だに飽きることがなくやり続けようとする


俺自身も、距離をおいたりして辞めるように仕向けたりしても、根っこを断ち切らないと根本的に効果が無い。

さすがに、我を忘れてまでゲームに没頭するということは年齢のせいもありなくなった

☆なぜゲーム?なぜ飽きない?
瞬間瞬間で、プレイヤーに判断を求められる。
こういうシチュエーションの時、どう動くか?それを考えるのが楽しい


もはや俺ぐらいまでにゲームをやりまくると、好きなジャンルとかそんなのはなくなっていく

好みのジャンルとかあるのは、慣れとかセオリーを知っているからやりやすくてそれを選んでいるところがある。

俺ぐらいになると、攻略法とかやり方やセオリーの判断を自分で試行錯誤して発見していくことに喜びを見出すから、攻略本とかそういうの絶対見るのが嫌で、自力で色々試したくなる

それ自体が楽しいから。

映画やドラマを見ているのも楽しいけどね。でもゲームは、基本的にもっと楽しい。

☆死ぬまでにやっておきたいゲームについて
2ヶ月ぽっちじゃあ全く進展することはなかった
家にあるゲームだけでも、候補を全部やりきろうとしたら多分最低1年は必要。

新桃はどうしてももう一回やっておきたかったし、ミラークルム、ロマサガ2、天地創造、デュアルオーブ2、グラディウスV、シャイニング・フォース、市シャイニング・ザ・ホーリィアーク
挙げていったらきりがない

それに最近フリーゲームまで手を付け始めたものだから、こっちでも気になってるやつをやりたいと思ったら圧倒的に時間が足りない

ゲームだけやってるわけにもいかないから、時間を決めてシャットアウトする。

そういえば俺って、ゲームセンターCXが始まった頃の有野課長の年齢
いくつだかしらないが、ほぼ同い年に近い状態になっているのかもしれない


☆DQXもやった
すぐこの前にやろうとしても身体が拒否するとか言ってたのにね
このへんでまた、俺怒られたり突っ込まれたりするのかね
それが嫌なら、伏せておけばいいことなんだけど、ここは俺のブログだからね

終わりが近づいてきた時、
そして、やることないとき、「これが最後の機会か」と思った。それだけだ


常にログアウト+キッズタイムインという最強構成で。

やはり月たった1000円といっても、今の状態で課金する訳にはいかないと思った。
金の問題ではなく、けじめの問題である。
それに、基本的には、人間関係のトラブルがあったことで、もう戻りたくはないのだ。
だからログアウト表示で、サポート借りるときもフレンドや知り合いからは借りないようにした


ストーリー結構長い上に、未だに未完結だったことに驚いた
キッズタイムの2時間じゃ、中々進めなくて何日がかりという有様であった。

1人だけでシナリオ進めるってやったことがなく(かならずフレンドとかとやっていた)、
ボス戦が結構きつくて、いくつかのところで断念しそうになった。

特に2.0以降のボスが異様に強くて、これ1人では進めないだろと思っていたところを、俺は1人で進めた。
「王家の迷宮」とかなぜか時間制限があって、中入っても何するかわかんなくて1回入ってやめた(時間がなかったというのもある)

ラスト付近のボスがやたらと強くて、本当に諦めようと思った。
振り直しの宝珠を使って、ハンマースキル上げて、キャンセルショットしまくったらなんとか行けた(もっといいやり方があるんだろうが、ジョブレベルが全部上がってないし、俺の状態ではそれぐらいしかやり方がなかった)

まだラストまで実装されていないことが唯一の誤算だった(後時間の関係上サブクエストも無視状態)

☆ゲーム以外にやりたいことについて
30過ぎたおじさんが、未経験でゲーム会社入って作り手に回るとか
そんなおっぱっぴーな頭を俺は持ってない。

これまで生きてきて、俺の半生を振り返って、嗜好性とかそういうのをなるべく客観的に書き記していただけだ(実は思っている以上にこれだけの文章でも2時間3時間と時間がかかっている)

そこで俺は今から4年前に小説を書きたいと思い始め、今、どうしても完成させたい企画が2本ある

一本はこの前からブログに公開している「俺の人生はもう長くない」
つい最近まで書きたいテーマは決まっていたのだが、核となる設定がどうしても決まらず、話が進まなかった。

そしてもう一本が、前から書いているネトゲーの話
実は、「俺の人生はもう長くない」の設定が出来上がったことで、そっちを先に書き進められるようになったが、どうしてもネトゲーの話を優先的に完成させたいと思っている。

なぜなら、察しのいい人なら気づかれるかもしれないが、俺の実体験をベースとしているところがあるからだ
ドリキャスのPSOをはじめ、FF11、DQXまでのネットゲームの人間関係の出来事
色々面白い体験をしてきた

しかしそのまんま書き写しただけだと、フィクヨンとしてどうしても面白くならない
設定に難航しているが、日々解決してたりする。どーしても無茶なヒロインの設定に頭を悩ませているが。

叩かれることを意識した上で書かせてもらうが
DQXでは本当に楽しい思いをさせてもらった。
時期的にも、俺がああいうタイプのネットゲームにハマれた最後のタイミングだと思う
1年後のFF14が、またそうなる可能性を秘めたゲームだったが、人間関係の希薄なゲームで、ハマることはなかった


アマチュア作家の人とか、どうしてあんなハイペースで書けるのか本当に羨ましくなってくる

まあ先天的な才能というか、田中康夫みたいに「なんとなく」クリスタルを書くだけで賞をとったりとか
羨ましい限りだ

俺も小説を書くことに手応えや書き進めている達成感と実感があれば、こんなくだらないことをグダッダリしてない。

ゲーム以外にやりたいことと言ったら、

思えば俺は口を開けばゲームゲームと
このエントリでもそんな話ばっかりだが人並みの欲求は持っている


金と仕事の問題が解決したら

焼き肉食いに行きたいなー 食べ放題の
寿司も食いたい ビールも飲みたい
うだつのあがらない人生を歩んでる時こそ飲みたいものだが、我慢している
(一度ノンアルコールのビールもらって飲んだが、むなしいだけだった)

☆まとめ
ニート無職の問題は色んな所で語られているけど、一番しっくりくる議論をしている動画を随分前に見たので、提示する



ニート議論というのは、

「働かないのは甘え」
「働きたいけど採用されない」


という、どちらかの言い分がぶつかり合うか、どっちかに都合の良い論調で語られるものばかりだ。

この動画では、ニート側である俺の言いたいことを代弁してくれているし、
一方で、決してニート側の肩を持つような言い方ではない

終わり際に光浦靖子が言う

「人間には労働欲というのがあって、働かないというのはつらいことなんだ」

なんだかんだいって、無職やニートに落ちぶれる側の人間が少ない日本では理解してもらいにくいことなのだろうが。。
仕事が無いという状況はとてもつらいことだ。
30過ぎて碌な経歴のない俺はその事実を認めて、もう一端諦めた。

誰がこんな人間を取る会社があるんだよと

30過ぎる前からも、色々な会社を受けに行って落とされてを繰り返して、それでも気楽な20代は、そこまで深刻にならなかった。
ダメなら別の道をいこう

しかし30も過ぎると、色々考えるようになる
色々やってきて、動けなくなった。

思えば大学卒業した10年前の時から、就職浪人して昼間暇になって
労働欲を埋めるために始めたのがゲームレビューのホームページだったのかもしれない


あの時、今となっては無用の長物であるhtmlを必死に勉強して、あのホームページを作った。

「生産活動や消費行動が停滞するというのはどうなんだ?」

俺の場合は、ゲームという非常にリーズナブルな趣味だというのに、それさえも我慢せざるを得なくなった。

ゲームやる気力がないとき、やるべき場合じゃない時、俺はいつも「超絶・大技林・秋版'97」を見てやった気になってた。

あまりに見まくって、表紙のところが擦り切れてボロボロになっている。

「いつかこのゲーム買うぞ!!」

とか心のなかで叫んでいた。

'97年秋ごろまでのゲームがほぼ頭のなかに入っていて詳しいのは、大技林を見まくっていたからだ。
逆に'98年以降のゲームになると極端に記憶力が落ちる。

俺は一連の話を書いて、決して社会のせいにするつもりはない
ここ最近は、完全に自分が悪いと思っている
だからこそ、動けなくなったし、動くためのキッカケさえ見つかれば動くのだ
選り好みしなければ仕事はあるだろう、景気がいいかは別として求人がそこら中に増えてる
だがそれに採用されるかどうかは別問題で、俺は色んな所を落とされた
そして、疲れた、動けなくなった
やりたい仕事しかやらないとか、そういう次元の話ではないのだ


数年前からうすうすとは感じていた。
もう俺は、普通に就活して社会復帰コースは無理だと。
だからもうフリーで食ってくしか無いと
茨の道に入っていくしか生き残る道はないと感じていた
しかし人間関係を構築することが出来ないからそれも難しい

俺の人生オールorナッシング!!!!
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ブログを4年間運用してきて

気がつけばこのブログも、開設して丸4年が経とうとしている。

ブログ自体は、何度もこのFC2で始めたことはあったが、いずれも長続きしなかった。
この「俺の人生はもう長くない」というブログも、適当な気持ちで始めただけで、自分でもこんなに長く続くとは思っていなかった。
「俺の人生はもう長くない」という題名と「安西爆弾」というペンネームも、その時のノリでいい加減に決めただけで、深い意味は何もない。

2010年8月で動画配信を辞めて、暇になったというかもの寂しくなっていたのだと思う
2ヶ月後、発作的にブログを登録している自分がいた。

しかしそんなブログも、開設しただけで4ヶ月間、完全放置される。
非正規雇用といっても働いていた。ブログに書くことなんて何もなかった。
これが理由である。

仕事がなくなって暇になった時、新聞販売店のことを書こうとしたのが最初期で、
それからは、将来への不安と人生の愚痴が延々と書き込まれるようになる。

☆最盛期は2012年だった
とはいっても、ブログに投稿する文章というのは、まるで力が入ってなくて、平気で嘘が入ってたり、酔っぱらいが書きなぐったようなノリで書いていたので、俺にとってはどうでもいい存在だった。

今更ブログ始めたって一般人のとこに見に来る奴なんかいないし、面白がる奴だっていない

はなっから穿った見方で俺はこのブログをやっていた。

そして2012年
このブログ的には色んな事があった。

唯一の相互リンクが出来たのもこの年の春だった。
今ではすっかり社会復帰してスマホでロードラおじさんになってしまった“しきいし”さんも
この時は、出口の見えない人生を歩んでいた。

ある有名人とコメントで絡んだりもあった。
今なら、twitterで、一般人にも返信してくれる人と相互フォローして話しかければ対話はできるので、
別に凄いことでもなんでもないのだろうが、俺の人生の中では大きな出来事の一つであった。

DQ10のことをブログに書いたりしたことが原因で、ブログが荒れだしたこともあった。
この頃はまだ、煽られても煽り返したり、文章に良くも悪くも妙な勢いみたいなものがあったが、今の俺にはもう出来ないノリである。

☆迷走を始める2013年
2013年は、ブログ的には衰退期というか、これといった出来事はない。

9月にグノシーで「3年続けた動画配信に意味があったのか」という記事が何故か取り上げられ、瞬間的に注目されてアレコレ言われたのだが、こういうのはもう疲れた。
疲れたというか、なぜあの記事が取り上げられたのかが未だにわからない。
嬉しくないとかいうと注目されたい人から怒られるのだろうが、こういうのは事前に許可というか、なんか一声あってからやるものじゃねえのかなと俺は思った。

9月はちょうど、障害者の作業所でフルタイムで働いてたし、ブログではタブーにしてたから一切触れてないがFF14で必死にログインオンラインしてたので、ブログからは離れていた。

twitchを使って動画配信とかもしたが、まあびっくりするほど誰も来ない。来ないし俺もそんなことしてられる元気がなくなったからやめた。

これまで一切、ブログでは書かなかったが、もう一つ、大きな出来事があった。
というか書くことが出来なかった話。

2013年に入り、俺に対する暴言攻撃がひどくなったために、この年の6月、俺は本当に警察に相談に行った。
電話とかじゃなく、直接最寄りの警察署へ行った。アポ無しで。

狭い取調室に入って、担当の人と、2時間ぐらい話して調書を取られた。
その時に担当の人が

「俺がプライベートでそのブログを見るから教えて」

と言われて、当然俺はブログのことを話した。

しかし、らき☆すたの柊かがみが大好き!とか言う見られたくない記事が大量にあるため、
取り調べが終わってすぐに俺はブログを約一ヶ月間閉鎖した。
(それと当時閉鎖理由にも書いてたけど、ブログで時間を無駄に使わず、そのぶん仕事探しに向けるという意図もあった)

この話を聞いて、周りの人や警察の人は馬鹿馬鹿しいと思われるのだろうが、
当事者の俺からしたら、色々価値観の変わる実のある話だったので、悪くない経験だったと思う。

☆ブログ始めて4年間結局何も変わってない
色々やってきたが、俺につきまとう本質的な問題は何一つ解決していない。

その間、年上とはいえ“しきいし”さんは、いつの間にか社会復帰して元気に過ごしてた。
色んな機関に人生相談をして、2013年8月から、障害者の作業所を紹介され3ヶ月無意味な労働をしていた間、
リアルの知り合いに高校中退の中卒がいて、ほとんど働かずもう言葉通りのニートだったやつが、職を見つけて働き出してたりして俺は壮絶だった。

2013年10月末で障害者の作業所をやめた俺は11月になって、その事実を知る。
直接会って色々話を聞いた時のことだった。
時間は夜。気づけば暗くなるのも早く、外は寒く雪もちらほら見え、いつの間にか秋も過ぎようとしていた。

俺が障害者の作業所に行きだした時はまだ、夏真っ盛りでお盆も来ていなかった。
お盆は仕事が忙しくて、お墓参りなんていけなかった。

まるで俺は刑務所から出所したような気分だった。
ひたすら労働に従事して、気がつけばたった3ヶ月とはいえ、時間が過ぎ去っていた。

この後も、俺はなんとかしようと必死にあがいたのだが、どうにも出来ず、今年の夏、
俺は諦めた。

力を抜いた。

なぜ俺は人生を前に進めることが出来ないのだろうと本気で悩んだ。

相談機関からはまた、別の作業所を紹介されてたり、そういう話はある。
他にも閲覧者や赤の他人からの

「バイトぐらいすれば?」

という沈黙の声もわかっているが、結局問題の本質がそれでは解決しないから身体が動かなくなった。
これは、いいわけである。

この、やるせない気持ちをわかってくれと言うつもりは一片もない。
ただ、俺は疲れたのだ。色んな事に。

俺の生き方が悪いというのも否定出来ないところだ。
だが不思議なことにあまり後悔したことはない。

2004年から俺はゲームレビューのホームページを始めた。
実はこれをやる前に、Web上で、非常に感銘を受けたゲームレビューを見て、
俺はその人の影響を多大に受けた。
プロ・アマ問わず、未だにその人のゲームレビューが一番面白いと思っている。
こんなに具体的にゲームの中身を冷静に分析してるレビューが他にあるか!?っていうぐらい感動したものだった。

俺はその人を理想として、これまで頑張ってきたといっても過言ではない。

ゲームレビューやっていずれは作り手にみたいな漠然とした考えだったと思う。

そのやり方や道が間違っているっていうのは、その時その時ではわからない。
もう、夢中になって何かをやっている時に、自分のことを客観的に見れないためだ。

とにかくいま、俺はこれをやりたいという一心不乱な状態で、その事自体に疑問を持つなんてことはない
俺の20代なんてそんなものだった。

普通に就活してもうまくいかねえし、じゃあフリーターしながらやりたいこと頑張るかって感じだった。

そういうことに間違っていたんじゃないかとか考えだすのは20代が終わった頃からだった。少なくとも俺は。
このブログではちょうど2年目。2012年の頃だ。

ブログでも発狂し始めていたのは、俺の生き方や考え方がこのままではマズイダメだと考えだしたからだろう。

この生き方を今更他人から間違ってるとか馬鹿みたいとか言われても、それを今言われてもなあという感じだ。
とにかく俺は、そんな頑張り方をしていた。
少なくともすぐそれを本業にしようという考えではなく、他で仕事を探していたのだから、そこまで大きな間違いではないと思ってる。

しかしそんな情熱を傾けたゲームも、今はちょうど曲がり角に来ている。
基本無料ゲームが主流になって、ゲームの定義が変わってしまった。
俺はそれに悲観的になったり否定的になるのではなく、ただただ戸惑うだけだった。

貧乏でスマホは持てないので、ブラウザーゲーとか、基本無料のゲームをダウンロードしてやってみるが、
1000本以上ゲームをやっておきながら「どう楽しんだらいいのか」がわからず困惑するのだ
正確には「きちんとした楽しみ方」がわからないのだ。
俺は昔気質のパッケージ売りのゲームなら面白さの尺度を見ることが出来たが、今主流のゲームのことがわからない。

世代が変わるのを感じた。

俺の中で、燃えていたものが消失していくのを感じた。

今の世の中には、ついていけない。

ブログをやっているが、俺の欲求はただ有名になりたいとはちょっと違う。
俺の中にふつふつとしたエネルギーが煮えたぎるのを自分で感じていた。
気持ち悪い考えだが、ただそれをパソコンのキーボードに向かってその気持ちをぶつけているだけだった。
別にゲームとか何かに限定せず、この情熱を形にしたい
これが俺の最終的な欲求だった
力量不足だろうが、やり方が間違っていようが、教えてくれる人がいなかったから、思ったところに突進していくしかなかった。

これが俺の人生である。

これから先、このブログと俺がどうなるのかわからない
色々言いたいこともあるだろうが、こういうことは身近の親しい人であっても、普通明かさないものだから。
ケチを付けられるのを承知で、必死にひねり出して書いた(後半部)。

俺の人生はもう長くない #2

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寝る前に萎える戯言

これまで俺は、欲しいゲームは発売日に絶対に買うとか、2004年に大学卒業と同時に始めたゲームレビューを続けるため
活動資金を、何が何でもバイトでもなんでも働いて金を稼ぐと決めて生きてきた。

しかし最近、俺はこの信念、生きがいを捨てた

自分がほんとうにやりたいと思ったことは、周りがどうこう言おうが、そういうもん一切見えなくなる

ネットじゃ愚痴ってばかりで信じられないだろうが、最近までまっとうに生きようと本気で思ってた

だけど、やる気が無くなって諦めた

この決断を幼いとか、他人に何言われようが、俺の気持ちは変えられない

こうやってブログやったりネット見たり、新聞見たり、テレビ見たり色々やってみて命捨てる前にやりたいことやったりして
それでまた、人生を動かせるキッカケが見つかればそれでいいと思ってる

見つからなかったら、俺は命を捨てるしか無いので、放浪の旅に出なければならない

2014年今年初め

俺は仕事が、
バイトすら決まらず、しぶしぶクロネコヤマトの求人に応募して短期バイトしに行った

2ヶ月働いて更新時期が来て、1ヶ月猶予があったが更新する気が起きなかった

この甘ったれた決断をするに至った俺の経緯を理解しろなんて言わないが、
仕事の予定を入れないのは悪いことだ
働いてればそれでいい
この価値観にヒビが入った瞬間だった

思い出のゲーム 【がんばれゴエモン編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆俺はマリオでもロックマンでもなくなぜかゴエモンを選んだ
小学生低学年の子供が遊ぶゲームと言えばやっぱりアクションゲーム。
俺が小学生の頃は、このポジションを獲りに来るゲーム会社がたくさんあった

なぜって?
ズバリ金になるからだ!!
はたまた、子供を洗脳して企業奴隷にでもしようとしたか!!


俺が子供の頃、この手のゲームは海千山千と存在していた。
そしてやはり、任天堂のスーパーマリオが圧倒的に強かった

気がついたらコントローラー握って動かしてたのがマリオってぐらい強かった

そんな幼い頃から、洗脳の魔の手を回していた任天堂は賢いと言わざるをえない

しかしPCエンジンが主力ゲーム機だった我が家
その洗脳攻撃を浴び続けるだけの素直な家庭ではなかった


時に、カトちゃんケンちゃんを動かしてみたり
PC原人を動かしてみたり
アドル・クリスチンを動かしてみたり
桃太郎を動かしてみたり
裸のビックリマンを動かしてみたり
THEクンフーを動かしたりしていた


無駄にバランスの良い食生活を送っていた

とか言いながら
小学校高学年から中1の頃まで、マリオワールドを日課のようにクリアしてたり、
中3の6月に出たマリオ64に魅了され、やはり日課のようにプレイしてたりした


中3ともなると、マリオとか言うヒゲおやじよりも可愛い女の子に発情する年齢
ゲームにおいても、スクウェアソフトの良質ファンタジーRPGに夢輝かせる時期に確実に入っていた
にもかかわらず、溶けかけた洗脳をマリオ64一発で、再び魅了させるのだから、洗脳攻撃の強さの片鱗を伺わせる。

やはり我らがPCエンジンが弱体化した影響が大きかったのか…

☆そんな俺が、なぜゴエモン?
はっきりいって、ここまで一回もゴエモンの単語が出てこないし、そんな俺とゴエモンがどうして固く結ばれたのかが疑問である。

コロコロ派だったからボンボンを嫌ってたし

ゴエモン?眼中にすらなかったねby当時の俺

☆レジェンドハード「スーパーファミコン」が発売されて
俺の家には、発売から僅か数ヶ月遅れてスーファミがやってきた。
最初に買ったゲームは「グラディウス3」だった
しかし、マリオに強く洗脳されていた俺はゴネて、数週間後にマリオワールドも買ってもらった。

その後、FF4が発売されて発売日に買ってくる。

なぜだかわからないが同時発売の「がんばれゴエモンゆき姫救出絵巻」をねだったか親父が一緒に買うようにしたのか忘れたが

とにかく1991年7月19日(金)

2本のSFCゲームが俺の家にやってきた。
(当時からしたらとんでもなく豪華。FF4の発売日だったからかゲーム屋で行列ができてたらしい)

この日のことは今でも覚えてる。
天気の良い晴れた日で、学校から友達を一人連れて帰ってきたら、鍵がかかっていて家に入れず、親が帰ってくるまで玄関の前で待ってた
FF4を親父より先に開封したら怒られるから、ゴエモンを即開封して友達と遊んだ
この友達がBボタン(ジャンプボタン)を強く押しすぎて、本体同梱のコントローラ一つ壊してしまったんだ


☆すぐやってきた夏休み。俺はひたすらゴエモンをやりまくった
この時点で俺とゴエモンに特別な接点はないんだと思う。
ただスーファミで面白いアクションゲームが他に無く、それで夢中になって遊んだ


御存知の通り、このゲーム、割とアクションゲームの中では難易度が高い方で(俺は普通に当たり前に何度もクリアしてるから実感はないが)
最初の頃は、高価なSFCカセットに八つ当たりしたりするぐらい、クリアまで苦労していたものだった。

しかし慣れると簡単にクリアできるようになり、
全盛期の俺は小判なしでも軽々ノーミスクリアできるぐらいまでやりこんだ

※小判無しは今の俺には無理

ゴエモンが日課になってた。
隠し通路探しまわってほぼ全部自分で見つけたり、異様にやりまくった。

しまいに俺は、ゴエモンを作ってるゲーム会社、コナミのファンになり、
クリスマスにはSFC悪魔城ドラキュラを買ってもらったりするほどのめり込んでいった


翌年1992年1月3日には俺を狙い撃ちするように「がんばれゴエモン外伝2」が出て、
もらったお年玉を即それに溶かしてしまうほどのアホっぷりであった…
※しかし当時の俺は幼く、RPGなどまともに遊べる身体ではなかったため、全然楽しくなかった
だるいダンジョンを乗り越えて、お菓子の国のあたりでバグってデータ破損にあい、しばらく放置されることになる
しぶしぶ始めた2周目は、ザコ戦はほぼ全部逃走し、強引にラスボスを倒してエンディングを見るという最悪なプレイだった
(確か親が売却するっていうから、それに合わせて慌ててクリアしたのだと思う)


☆気づいたら俺の中にゴエモンが入り込んできていた
そうしているうちに、特別な思い入れがあるわけでもないのにゴエモンが俺の生活に入り込んできた。

2年後

1993年12月22日(金)
がんばれゴエモン2 奇天烈将軍マッギネス 発売


気がつけば俺はサンタさんに「がんばれゴエモン2」をお願いしていた。
本当に無意識だった……

親父には、「俺が新桃買うから、お前はメガドラのファンタシースターをサンタに買ってもらえ!!」

こんなことを言われていた……。

だが、硬派なSFファンタジーRPGなぞ、小6の俺のストライクゾーンではなかった
というか、
12/17 ファンタシースター4 RPG
12/22 イース4 A.RPG
12/24 新桃太郎伝説 RPG←←←←


いくらなんでもバランス悪すぎるだろう!!
RPG、RPG、RPGってバカの一つ覚えみたいに……俺は思った。

ゴエモン2もアホみたいにやりまくった。

誰もがアタフタして慣れるまで苦労するインパクト戦
何度も何度も何度もやりまくって、ノーダメージクリアとか軽くできるようになった
(べつにすごいことではない)

初めてやった時は、確かゲームを買ってもらってそのまま、一番仲が良かったゲーム友達の家に泊まりに行ったのだった。
で、2人で一緒にプレイして(確か)
夜中までかけて一気にクリア。
次の日が祝日(23日)で、夕方に家に帰って、24日が終業式だった気がする(で、今度は家で夜まで新桃漬け)


☆がんばれゴエモン3の思い出
夏休み前ぐらいのファミマガで、発表されたのだった。
中学1年にもなると、ただのアクションゲームでは満足できないというか、
1994年のこのころになってくると、目が肥えてくるというのもあるし、既に家にアクションゲームが十分に揃っている状態になってきていた。

だから、1,2同様の純粋横アクションだと、多分俺は欲しがらなかったと思う。

しかし、今度のゴエモンは一味違った

一転して、ストーリー性が重視されていたのだ!!

しかもなぜだかわからんが、
良い撮影機材でも使っていたのか、やたら画面が綺麗で、見栄えがよかった


俺の中の何かがそれを欲してくる!!

だが!!
何故か俺は、この年のサンタさんにはスーパー桃鉄3をお願いしてしまったのだ!!


うちの親父には「なぜいまさらこんなのを欲しがるんだ……」と残念がられた。

他にスーパードンキーコングとか
かまいたいの夜とか
1週間後のがんばれゴエモン3とか

優秀なゲーム候補生は沢山いた。19994年の12月は豊作だったのだ!!

俺はよっぽど桃鉄2が楽しくて
そんな続編を欲しくなったのかもしれない


一年前の新桃が良すぎたという期待感を後押ししたのもあるだろう

しかし!!
さくまさんには申し訳ないが、桃鉄3は使い回しが多すぎてガッカリ感MAXだった!!

※だからか、翌年のDXはガンスルーだった(さらに翌年の1996年のHAPPYは結構欲しかった。なぜなら総集編とか最終盤みたいな感じだったから)

ゴエモン3はお年玉で買うことにした。

その決断が、後々痛い目を見ることに
この時の俺は気づくはずもなかった……


1995年
正月が過ぎ、あらかたお年玉もホクホクと集まって以降

俺はニヤニヤしながらゲームショップへ行き、ゴエモン3を探した。

無い!無い!無い!!
畜生売り切れてやがる!!


なん…だと…中古も全滅だと!?どういうことだ!?

ゴエモンみたいなB級感MAXのゲームが、
売り切れるだと!?


仕方がないので親父の行きつけのゲーム店で、入荷したら連絡してもらうように手配して、俺は待った!

ひたすら待った!

1995年2月に入った頃にようやく入荷の電話が入り、買う。

はっきりいって、すげー待たされた!!

なぜだかわからんが、がんばれゴエモン3って発売当時品薄じゃなかっただろうか?
それは俺の地域限定だろうか?
お年玉もらって1月上旬、ゲームショップを回っても、新品は愚か中古でも在庫なし。
どこのゲーム屋行っても売ってないっていう。
今思い返すと、プレステやらサターンが同時期に出て、他にも対応ゲームが殺到してて、
ゴエモン3クラスのゲームの入荷を全域的に絞ってたのではないかと思うが
(思えばメガCDのルナエターナルブルーも店頭では置いてるのすら見たことがなかったぐらい)


そしてゴエモン3もまた、ゴエモンという理由だけで
カセットが擦り切れるまで、何度も何度も何度もひたすら繰り返しプレイしまくった


なぜ俺はゴエモンというゲームをこれだけ無心になってやるのか、わからなくなっていた

☆がんばれゴエモン きらきら道中の思い出
中学2年の冬

1995年12月22日(金)
がんばれゴエモンきらきら道中 発売


もう、この頃になると、こんな子供向けゲームを卒業する年齢に差し掛かっていた
卒業というと聞こえが悪いが、いつまでもこんなガキ臭いゲームやってるのは恥ずかしいとか感じるようになる季節だった。

中学2年生というお年ごろ
14歳
誰しも大人になりたがる時期


俺も、例外ではなかった……

新聞配達やサンタさん、お年玉を総動員して欲しかったゲームを買う

ドラクエ6、テイルズオブファンタジア(思い出候補)、天外魔境ZERO(思い出候補)……

そういったRPGを猛烈に欲していた。

だからがんばれゴエモンなんて買うつもりがなかった
雑誌の紹介記事を見ても、まったくそそられなかったし
(少しはそそられてたか??)

冬休みに入る。
年が明けたある日の事だった。

俺は無性に物足りなかった

その理由はわかっていた。

がんばれゴエモンである

毎年この時期、俺はがんばれゴエモンをやっていた
でも今年は買ってない。
他にそれよりも欲しいものが出来たから。

気が付いたら俺は、冬の寒空の下、がんばれゴエモンを買いに自転車を漕いでいた

ぷよぷよが苦手な俺は、ぱずるだまのボス戦に苦手意識が強く、クリアできるか不安になっていた。

☆俺とがんばれゴエモン
こうして俺とがんばれゴエモンは切っても切れない間柄になっていた。

1997年8月7日
がんばれゴエモン64も発売日に迷わず買った。
そして何回も繰り返しプレイした。
その映像の綺麗さ(当時)、箱庭マッピングの凄さに鳥肌が立った!!

1998年12月23日
がんばれゴエモンでろでろ道中は、欲しかったがどうしても買えなかった(予算の関係上)
2005年4月、俺は近所のGEOで箱説明書なしの裸ソフトを2980円で購入し、長年の雪辱を果たした

俺が子供の頃のゲーム
子供に夢を与えるゲームだった
ゲームに人生を狂わされたと言ってもいいかもしれない
それぐらい影響力が強かった


☆余談

俺が子供の頃、何度も何度もプレイしたゴエモン。
これを作った人がその後、あのスクウェアソフトのFF11の開発にまわり
「アトルガンの秘宝」「アルタナの神兵」のトップディレクターとして活躍していることに俺は驚いた。
ゲームインプレスというWebサイトで、FF11開発インタビューの記事を見た時、
「どこかで聞いたことある名前だな」と思っていたら、
まさか死ぬほどプレイしたあのゴエモンを作った人が中心になって作られてるということを知って俺はびっくりしたものだった

FF11無料期間でやったこと感じたこと

実はこれの記事を書く前に、結構時間をかけて今のFF11の実態とかを丁寧にレポートしたものを
途中まで書いたのだが、そんなもの他の有名所がやってるだろうし、俺が労力使ってまでやることじゃないと思ったので、素直にやったことと感じたことを書くことにした。

☆FF11は思い入れの強いゲームだ
前にも書いたが、俺はFF11全盛期にプレイしており、なおかつMMORPG初体験というゲームだった。
2013年12月フェイスとエミネンスレコードが追加された時点で、俺はFF11をやりたくてやりたくてたまらなかった。

それまでのFF11は遊びたくても何をやるにもパーティ組まないと不便。
俺がやってた頃(2002年から2003年)と比べれば遊べなくもないレベルにまで改善されたのだろうが、それでも一人だと色々と不自由で肩身の狭いものだった。

リア友で遊ぶやつでもいれば、だいぶやりやすくなるのだろうが、そうでもない人からしたら辛いゲームだ。

それが、フェイスとエミネンスレコードが追加されてから、ソロでも擬似4人パーティを組んで戦えるし、
経験値稼ぎのつまらなさをエミネンスレコードのおかげで、だいぶ効率よく稼げるようになった。

フェイスは、簡単に言うとDQ10のサポートのアレに近い。
エミネンスレコードというのは、PS3でトロフィー集めというか、アチーブ集めみたいなのに近い
条件をクリアすると初回のみ報酬アイテム(装備)がもらえて、それと経験値がもらえる。
繰り返し出来る項目もあって、簡単に達成できる項目を何度もやると沢山経験値ボーナスが得られる


エミネンスレコードはただのアチーブ集めで終わってなくて、一定項目クリアするとボーナスクエスト(シナリオ)が発生したりする。
それと、報酬の装備品を集めていくと、一々自前で装備品を買い集める必要がなくて、複数ジョブのレベル上げも楽になってて、装備品不足になったりもしない。

☆競売を見て驚く

いま、競売が競売として機能してなくて、競売にはほとんどアイテムが出品されてない。
全盛期やってた人ならびっくりするレベルだと思う。
素材を出品しても、中々売れない。敵が落とした魔法スクロールも同様。
ただ、ギルのインフレがすごく、運良く競売で売れると素材なら1個1000G、魔法スクロールなら1万から3万以上で売れる。
しかし一部アイテム以外、需要がないので、履歴見ても1年前のものが残ってたりする閑散っぷり。
出品しても売れないので、基本ドロップ品は店に売る。

この状態で困るのは、競売で揃えられる装備品が手に入らない
クエストアイテムも流通してないから、競売使えば簡単にクリアできるものも自分で用意しなければならないこと
競売でお金稼ぎが出来ないので、店売りでちまちま稼ぐのが基本になっている

この文章を書いてる時、昔、ウィンダスの戦績装備の帯剣を交換して10万Gだかそれぐらいの相場で出品してお金稼ぎしていたのを思い出して、今の状況と比べて泣けてきた。


☆気軽に冒険できるのが嬉しい
当たり前の話だが、昔のFF11ではこの当たり前も出来なかったのだ
少なくとも、俺がやってた時代はそうだった。

絡んでくる敵はソロではさばけないので、絡まなくなるレベルまで上げてからじゃないと、行動範囲が広がらない。
格下の相手、「楽な相手だ」に、楽に殺されるという矛盾した時代だった

それが今、フェイスを使うことで当たり前にできる
アトルガン地方や過去世界をこの無料期間で“探検”できたのが何より嬉しかった


昔はソロで行動する場合、スニークインビジ、通称インスニをかけて透明になることで、敵の目を逃れて行動していたのだが、
このメタルギアプレイがなんとも冒険している感が無く、ごちそうを目の前に指をくわえるだけという感じでつまらなかった

それでもインスニは、昔は効果が切れる時間が完全ランダムで、かけ直しするときは敵のいない所でしなければならず、
殺されれば経験値を大幅に取られることもあって、これはこれで緊張感のある冒険ではあった


今は死んでも経験値ロストは殆ど無いし、フェイスパーティのおかげで、適正レベルのマップなら全滅の危険がなく自由に冒険できるようになった。

絡んでくる敵は今も昔もうざいのはかわらないので
結局インスニ常備ではある


1人ではクリアが難しかったクエストも、今ならクリアが出来るようになっている。
昔は、クリアしても意味のないクエストは、人の手を煩わせるだけだからと放置されがちであった。
ソロでやれることが広がっているので、自分がやりたいと思ったことを大体実現できる。

クエストは、限界突破クエとアーティファクト取得クエぐらい
ミッションはメインストーリーということもあって、募集は頻繁にあった。
それ以外の人数必須のクエストはフレンドかリンクシェルの人らで暇で話のタネ程度で行くか行かないか程度の代物に成り果てていた。

☆遊びきれないほど膨大なクエスト、ストーリーがあるのだが
歴史あるゲームだけあって、クエストとストーリーのボリュームだけは凄まじい物がある。
世界も馬鹿みたいに広くて複雑でエリアの数は途方もなく、圧倒されるほどの広大さである

※ただし最初からこんな壮大な世界だったわけじゃない(俺がやってた頃は現在の1/5程度)

クエストもミッション(メインシナリオ)も、どこで受けられるか教えてくれないから自分で探さなければならない
条件を満たしても受けられるようになったかは教えてくれない。

また、仮にクエストを受けても、クエストリストの概要の説明文は進行のあてにならない
NPCも、次に何をしなければならないかを“具体的に”教えてくれないので自分で考えなければならない不親切な部分がかなり多い。

例)「○○というアイテムを持ってきて欲しい」→アイテム名を示すだけで、どこで手に入れられるのかは教えてくれない
例2)イベントシーンから次に何をするか予測しなければならないパターン→しかし遠回しすぎて何をすべきかわからない
例3)○○洞窟に行ったようだ→洞窟のどこにいるのかまでは教えてくれない


最悪のパターンとして、クエストリストにもヒントがなく、NPCは一度しかやることを言わず、2回目以降話しかけても何をすべきか話してくれないクエスト

こういうクエストがいくつかあり、クエを破棄して受け直す事もできないので、攻略サイトなどを見るなりしないと完全にハマるものがある

☆俺は結局攻略サイトを見ないで無料期間を過ごした
クエスト進行のテキストが不親切過ぎたり、システム的に不便なところが多く、とてもじゃないが攻略サイトでも見ながらやらないと遊べたものではない

だが、俺は敢えて無料期間は攻略を見ずに試行錯誤した

クエスト関係の不便さ
→NPCの会話はメモ帳にメモすれば良い
→クエストの発生しているNPCに地図でマーキングすると便利(ただマーキング出来る数が少なく足りなくなる街がある)

ファミコン時代のゲームかというタ○トシのツッコミが鋭いが、これだけでも「わからないことがわからない」状態が改善される。
それでも、ヒントの渋いクソクエストがあるため、自力での攻略は難しいが。

もっと具体的に何をすべきかヒントを与えるヨにしろとも思った。
だが、ヒントを与えすぎてサクサククリア出来ても、それはそれで作業になるし難しいなと思った。

俺は攻略見ないで自力でやろうとした
そしたら、どうしたら先に進めるのか自分で考える。試行錯誤する
例えば、ジラートミッションを進めようと思った。
「ウガレピ寺院ってどうやって行くんだ?」←ここから始まる
「中入ったけどどこ行ったら先に進むんだ?」
こうやって地図片手に寺院というダンジョンの中をウロウロする
敵に絡まれる→戦う
この一連の流れが実に冒険している感に満ちているのだ


久しぶりのプレイすぎて忘れていることが多く、わからないことがわからない
ゲームやってんのに、つらい、苦しいという気持ちになる

だが、俺はわからないことをわかろうとする

最悪だったのは、ウィンダスミッション6-1であった。
最初行く場所は覚えていたが、フェイス使って湧いた大量のイベントモンスターを倒したのはいいが
その後のイベントシーンが会話もなく意味不明で、どうすれば進むのかがわからなくなる

町に戻って聞き込みを始める
それっぽいNPCがこんなことを言う
「ホルトト遺跡の中央塔に行きましたよ」

俺「それってさっき行ったホルトト遺跡とは違うホルトト遺跡か?」

こんな訳の分からない状況が発生する!
(たぶんFF11知らない人には意味の分からない会話になってると思うw)

一連のやりとりははっきりいって無駄な時間を過ごしている
攻略サイト見れば一発で状況把握できることだ
これをやっている間の俺は、物凄くイライラしてて「おいこの辺いい加減なおせや」
なんて思ってた
(でも俺も年食ったからあまり感情的にはならなくなったw)
でもわかった時が快感なのだ
「あっそういえば中央塔なんて10年前に行ったな」という風に

(FF11のマップ構造は複雑で出入口が複数箇所あったり複雑につながり合ってる場合が多い)

☆こんなかんじで遊んでいたので
ゲーム的には、ほとんど進まなかった。

所属国ミッションは、6-1の「満月の泉」を超時間を掛けてクリアしたけど6-2のボスフィールドはフェイス未対応でクリアできなかった
ジラートミッションは、ウガレピ寺院のどこへいけば先へ進むのかわからず挫折
アトルガンミッションが1つ前に進んだだけ

あっちこっちフラフラしてるだけで、この一週間でLV64からLV69まで上がったのだから今のFF11は凄いと思う
ほとんどエミネンスレコードの経験値報酬だけで上がった。
フィールドで釣りしたり、採集ちょっとするだけで500EXPもらえたりするから凄い(NEXTは28000ぐらい)

必死にレベル上げしなかったのも理由があって、限界突破クエのクリア方法がわからなかったから

LV70の限界クエスト
偉大なる白魔道士の証を持ってこいと言う
“それ”はどこで手に入るんだ!?っていう!!
偉大なる赤魔道士の証は偶然とれたけど…


さすがにこれは直して欲しい(FF11のクエストは基本的にこういうノリ)
あと「ひとりでできる?」の糞バランスが放置されてるってのはどうなんだ?あれは誰がやるんだ…

FF11のサービスは後長くて数年で終わるだろう
結局、部外者からはFF11の運営をどうするつもりなのかなんてのはわからないから憶測で語るしか無い
現実的に考えて、FF11が遊べる期間はもうそんなに長くはないと思う
かといってここからの拡張ディスクの発売とかPS4進出!!もありえるかもしれないが

今5000円かそこらで拡張パック全部入ったやつが買えたはず。
色々時代遅れで古臭く理不尽なゲームだが、ボリュームだけは物凄い


まあ、この辺は付き合いきれねーなーと思ったら、攻略サイトという手もある

色々歴史的に影響を与えたというか
口が腐っても今の状況では良ゲーとはいえないのだが
何しろ12年前のゲームで、目をつぶってあげなきゃいけない部分が非常に多い
だが、DQ10のルーツになっていたり、FF11をやるとなんでFF14があんな感じのゲームになったのかとかがわかる。
間違っても今の時代、素直に人に薦められるゲームではない
だが、なにか物凄いフロンティアスピリッツを感じられるところはあると思う(かもしれれない)
そういうのに興味がある人はやってみてもいいかもしれない


☆プレイ開始後やっておくべきこと
・キーボードのpagedownでカメラを限界まで引く(デフォルトは寄りすぎて視界が悪すぎる)
・コンフィグのウィンドウエフェクトをOFFにする(レスポンスが飛躍的に上がる)
・チャットフィルターを確認、チャットのyellをON(範囲シャウト)
・12年ぶりのプレイで感じたのは戦闘中にマクロに頼り過ぎないほうがいいかも
よく使う魔法やアビリティを並び替えで1ページ目に持ってきて、コマンドから選んだほうがいいきがする

思い出のゲーム 【ファイナルファンタジー11編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆今こそこの封印を解こうではないか!!
人生を棒に振りかけたという“あの”ゲームの封印を!!
このシリーズ僅か数回目にしてもう、長年タブーにしてきたあのゲームにまつわる思い出を、あっさり紐解いてしまうとは……
まるで週刊少年漫画誌の人気投票打ち切りランキングと戦っているかのようだ!!(実際は誰とも戦ってません)

☆ぎょうむれんらく

私こと安西爆弾は現在、利き手である右手を負傷しており、キーボードを叩くことすら困難な状態である

1年以上前から指の皮膚がかぶれ、最近、薬指の付け根の部分もかぶれてしまった。
両部位とも、表皮が破れて赤くなり痛みを伴っていた。
塗り薬を長期間塗っていたが、最近皮膚が修復を始めて来て、その部位の皮膚がかさかさと乾燥して固まってしまい、右手の自由が効かない状態だ。
完治するまでこの状態が続くのかと思うと歯がゆくなってくるのだ


☆始まりは12年前の事だった
2002年5月16日(金)
PS2 ファイナルファンタジー11 発売


これが序章でしか無いことが驚きのポイントである……
当時途方も無い怪物モンスターと呼ばれていたオンラインゲームの姿がそのまま具現化された状態だ……


☆このゲームの簡単な説明

ファイナルファンタジーシリーズ初のオンラインRPG。
果てしなく広大な世界ヴァナ・ディールが舞台。拡張ディスクの発売とともに世界はさらに広がりを見せる。
膨大すぎるほどのストーリー、クエスト。バトルコンテンツ。
沢山のジョブと、採集、合成、釣り。MMORPG初期時代の作品として今を築く文化を作っていった。


☆発売日に遊ぶ者は選ばれし者であった
FF11をPS2で遊ぶためには、専用のハードディスクが必要。
当時ハードディスクは、SCE直販の通販サイトを使わないと入手不可能。
しかも非常に入手困難で、予約時刻のアナウンスが入った時、激重の中、ショッピングカートに入れるという作業を成功するまで何時間も繰り返さなければならない入手難度の高さだった。

俺はこの頃、クロネコヤマトで深夜の仕分けのバイトをやってて、ちょうどバイトの時間とかさなるから親父に頼んでやってもらっていた。
金はもちろん俺が払う


その入手手段すらFF11発売直前に断ち切られる!!

俺は、FF11発売前になってくると間違いなくHDD需要が増えて品薄になると踏んでて、俺自身がHDD購入するために動いたのは、2002年の2月の事だった。
本当はもっと早く買いたかったけど金がなかった。2001年夏頃だともっと簡単に買えたはず。

その後、通販サイトで取り扱わなくなってからは、どうやって手に入れなければならないかははっきり覚えていない。
YAHOO!BBとか特定のプロバイダと契約するか、プロバイダから買うみたいな感じになってた気がする。
どちらにせよ、入手するのが大変だったのにかわりはない。

発売日に奇跡的に買った初期型PS2は、FF11で酷使したせいで2006年に現役を引退(DVDを読み込まなくなって限界に達した)。
その後もPS1のゲームをやるときに使っていたが、2009年頃、CPU自体がぶっ壊れ、完璧に故障した。
なお、同じく酷使した外付けHDDの方は未だに元気に稼働している(動かせるPS2を持ってないので使えないのだが)


2002年11月にPC版も発売されるのだが

この頃、まだPCは一般家庭向けではないから値段も高かったし、当時としては要求スペックが馬鹿みたいに高かったため誰が遊ぶんだ!!って感じだった。

ネット環境も、やっとADSLが出始め常時接続が始まり、俺の家もようやくアナログ回線からフレッツISDNに変わり、常時接続環境が整うような時代だった

「つまりFF11は遊ぶ客を選ぶ。これをはじめに理解しておくべきだったのだよ…
我々は……」


☆実は買ってすぐはハマらなかった
第一声は「なんだコレ」だった。

ほんとうにそう思った。

町は滅茶苦茶広くて迷子になるぐらい複雑だし、文字は小さくて目が疲れるし、雰囲気は洋ゲーみたいで当時の好みじゃなかったし
メニュー画面はごちゃごちゃして使いづらいし、戦闘も何もかもテンポが悪くて時間がかかってつらい

コレがMMORPGの常識なんだ受け入れろ

他に遊んでいるネット上の冒険者の声だった。

俺は受け入れられなかった

だからやめた。

ちょっとなにかやるんでも、オフゲーでは3つか4つぐらいステージをクリアしているような時間がかかり、
他人とパーティ組んで遊ぶとなったら、さらにやめにくくなる。

同じネットゲームでもドリキャスのファンタシースターオンラインはこういう拒否反応は出なかったのに、おかしいなと思った。

ネット上にいた知り合いはみんな同じサーバーに集まり
時間を忘れて毎日夜更かししてハマっているようだった


でも、俺は、知り合いに同じサーバーに誘われた(ワールドパスをメールでくれた)けど、一緒にゲーム上で遊ぶとかなかったし
FF11からは、段々と気持ちが離れていった。

そして一切やらなくなった。6月入るか入らないかだと思う。

☆ただのオタク大学生に成り果てていた
当時の俺、ゲームから離れ始め、ただの取り柄のないオタク大学生になっていた。

録画した深夜アニメが楽しみで、チャラチャラしたテレビドラマを見て適当に講義を受けて、毎日を過ごしていた。

ゲームが面倒くさくなっていた。
だから、アニメとドラマが楽しみだった。
後はたまに友達とカラオケ行ってゲーセン行って、車の中でだべったり、そんなふつうのことをやって楽しんでいた。

俺の時代の深夜アニメ
「ちょびっツ」「あずまんが大王」「ラーゼフォン」とかそんなので、深夜アニメ自体数えるほどしかやってなかった。
藍より青し(?)とか言うのも流行っていたが、俺にはああいうコテコテのラブコメは合わなかった。

「あずまんが大王」の「永遠のモラトリアム」という話に一々びびっていた
就職活動をすぐ目の前にして、うまくいきそうにない未来しか見えない自分に怖くなっていた


そして6月末、クロネコヤマトのバイトをやめた

気に入らない奴が上司になったという、他愛もない理由からだった。
ちなみに俺の友達も一緒にやめた。その時一緒に働いていたバイトの人はみんな消えていった
※金欲しさにその年の12月に短期バイトしにいったときに確認

☆暇になった。だからかもしれない
大学の長い長い夏休みが同時にやってきた。
新聞配達のバイトはしていたが、代替配達員だったから週一回しか仕事がなかった

たぶん人生の中で、責任に追い立てられることもなく自由に1日1日を過ごせた最後の期間だった。
そんなのは中学2年の夏休み以来だった。

そうしたら、あれだけ期待したのに買ってすぐ放り出した
FF11のことが不思議と気になってくる


8月の事だったと思う。ふと思い立ってログインしてみた。

なにせFF11をやるためにPS2専用のHDDを用意して
発売日には、ログインオンラインになり、遊ぶための数々の障壁を乗り越えた上でのことだから。
普通に一本ゲームを買ってきて、つまらなかったからポイと投げ捨てるのとはわけが違った


ちょうど夏祭りのユーザーイベントか何かをやっていたらしく、ウィンダス森の区だかどこかで人が大量に集まっていた。

ただ、それだけだった………

人がいっぱい集まってるからって俺が面白いわけでもない。

何がキッカケでFF11にハマりだしたのかははっきり覚えていない
はっきりした出来事なんてなかったのかもしれない


ただ、やることがなくなって、たまたま目の前にFF11があった。だからやってたらはまっていった。

そんな感じなのかもしれない。

気づいたら、ヴァナ・ディールの世界にのめり込んでいる自分がいた
その事実だけが全てだった……


ウィンダス→サルタバルタ→タロンギのブブリム入り口のとこでダルメルがパーティデビュー→ブブリムアウトポストでズーなど
という黄金パターンだった。

☆9月からFF11を本格的にハマりだす
2002年9月12日は、ゲームキューブ版のファンタシースターオンラインの発売日だった。
ドリキャスのPSOに没頭した俺には、毎回ファミ通の記事を目を皿のようにして見まくっていた期待作だった。

フロウウェルの大剣(?)に固有グラつくんか!!とかマニアックな所で喜んでいた。

しかしこっちのPSOはびっくりするほどつまらなかった

またドリキャスの時と同じことを繰り返すんだ…って感じだった。

移植という体裁で発売されたのだから当然なのだが

なにより原因はFF11だった。
ヴァナ・ディールのテンパ…信者になってしまった俺は、PSOごときで洗脳が解けることはなかった。

GC版PSOはスタートがグダグダすぎた。
発売後、即アイテム増殖バグが発覚しROM交換。交換後は一部のみデータ引き継ぎなど。
いま頑張っても、どうせ引き継げるのは一部だけとかだと、どうしても本気になれなかった

☆どんどん廃人化していく俺だった
俺は悔しかった。

なんでこんなに面白いゲームを発売日からハマらなかったんだろうと後悔した。

11月、12月、2003年1月と、どんどん俺はFF11の世界に現実逃避した。

この頃の出来事を封印していた理由
封印を解いた理由はたったひとつ


FF11にハマっていたことが悪いわけではないからだ

その行為自体は現実逃避だから、悪いことだ
しかしFF11が悪いわけじゃない。
どうせリアルがうまくいかなくて嫌な思いをしていたら、きっと他のことで現実逃避しただろう


2003年1月から3月ぐらいまでが最も廃人化しており楽しんでいた時期だった。

55レベルキャップ開放クエストで50人以上の人が集まって、一斉にクリアするために団体行動したり
無印初期のラスボス「闇の王」を倒したり。
ジョブ専用装備を集めたり。

文字通り狂ったように遊んでいた

朝起きて、夜寝るまでずーっとFF11という生活が2,3ヶ月続いていた。

その証拠を示すなら、当時のレベルキャップ付近でのレベル上げ風景

ダボイ中央島で、オーク相手に湾曲連携で敵と戦っている後ろで、ずっとケアルIIで90ポイントずつ回復させてた
といえば伝わるだろうか。伝わらないか。

何が楽しかったかなんて具体的に伝えることは難しくて出来ない。

ひたすらマゾいレベル上げと
攻略サイト前提の、理不尽クエストばかり


という現実しか無い。

そんな世界でも、物珍しくて、目新しくて、12年前は熱狂していた。酔狂していた。
だから信者としか言いようがなかった。

☆しかし根っからの飽き性の俺は冷めるのも早かった
FF11に最ものめり込んでいたのは、2003年4月17日にジラートの幻影という拡張ディスクが発売されるからだった。
3,4ヶ月も同じ世界で遊んでいてもさすがに飽きる
そしたら俺にとってはとてもいいタイミングで拡張ディスクが出るというのだ。

楽しみだった

それがあるから頑張れるという感じだった。ストーリーも途中で終わっていたし続きが気になっていた。

2003年4月17日

近くの電器店で開店ダッシュして、ジラートを買ってきて、速攻インストール作業をする。
そしてワクワクしながらログイン

この時点でもう俺は全盛期と比べるとずいぶん飽きてきてたと思う

レベルキャップ開放の限界クエのお祭り
新エリアは、どこも無印FF11で見たことあるような景色ばかり
強いて言えば、カザムのあのへんの森林は新しかったが、迷路マップをコピペしたようなのでつまらない

結局同じことの繰り返し
俺はこのことを悟って飽き始めていたのだろう
そんなの当たり前だ、拡張ディスクなのだから、新作ゲームではない


レベル上げもずいぶんと締め付けられ、経験値稼ぎもつまらなくなり、もうこんなマゾいことをいつまでも続けられないと思っていた。

そしてある日、

「レイズII持ってない白魔道士はレベル上げに来るな!!」

の名言に巡りあい、俺は一気に熱が冷めあがったのだった……・

今思い返すと、廃プレイしてた、しかも大事な時期
とはいっても、本当に廃プレイしてたのは2,3ヶ月弱かと思うと、安いものだと思う
今まで俺は、この期間を暗黒期であり、思い返すのもおぞましかった
これでもうオンゲに時間を忘れてまでのめり込むことがなくなったのだから高いのか安いのかわからないが勉強料と思えば悪くもない


☆今丁度無料ログインキャンペーンをやっている
久しぶりに、しかもPCでログインしてみたが、何もかもが懐かしい。
以前も無料キャンペーンがあった時はコントローラーの問題ですぐやめてしまった。

今回は、きちんと設定すると、遊ぶことが出来た。

前まではFF11のストーリーを全部見るとか息巻いていたが、ふしぶしが相変わらずマゾくて一気にやる気が失せた

少し冷静になってみると、
なにせこのゲーム、12年前のゲームなのだ。
ちょっとしたレトロゲームと言えるぐらいのものだ


俺が一回り若いころに発売されたゲームがまだ現役稼働している。

無料キャンペーンやっても、人がいない
悲しくなった。
まるで、錆びついて誰も寄り付かなくなった寿命を過ぎた遊園地のようだ。


町にはそこそこ人とすれ違うのだが、外にでると全く人がいない。
全域サーチしてみたら、夜でも600人いるかいないか。

昔は3000人引っかかったのに、今はもう1000人すら切っているありさまだ

色々クエストが増えてたりするが、攻略サイト前提で自力で進めようとしても何一つ進められない…

クエストジャーナルとかみても、関連NPCと話しても、ヒントがなさすぎて、教えてくれなさすぎて涙を誘う不親切さである。

攻略見ながらやるか
どうせ無料で遊べる時間は限られているし、親父がいる時間はネットワークが使えない


親父がiPad2台手に入れて、ルーターを勝手に買い替えてきてから1年以上経つ
あれから、俺のネットに繋げる時間は制限された。

親父が回線を専有してしまい、俺が1台でも何かネットにつなげるとルーターがダウンしてしまうのだ。

だから親父が休みでいる日は丸一日ネットが使えない。
無料ログインキャンペーンも丸3日遊べないので、1週間キャンペーンしても3日しか遊べない

俺は何も言わず我慢している。
作業所に行っていた頃も、我慢していた。

このブログの更新も、メモ帳に書いて、それをコピペして更新するというテレホ時代を彷彿とさせるやり方をしている。

どうせ俺が直接金払ってるわけじゃないし、我慢しなければならない
でも、俺の福沢諭吉は毎月なくなっていってるけど(俺に生活費を依存しているから)
俺がいなくなったら、この家はどうするのか、それは知らない……

素人のゲームデザイン考(3):シミュレーターとしてのゲーム

沢山ゲームレビューしてきたというが、どういったところを見ていたのかというのを、最近文章化出来る目処が付いた。
それをシリーズ化して、いくつか記していきたいと思う。

なお、断っておきたいのは、筆者は、ゲーム技術者でもなければ、ゲーム開発に携わったこともなく、これといった勉強もしたことがないズブの素人だ。
ただ異常な数のゲームを体験してきて、その上での考察であることを断っておきたい。

☆なぜゲームなのか
以前ゲームへ強い興味をもった原因を紐解いていく!!といった記事を書いた。
ここではただゲームへ惹かれていったキッカケをアホっぽく描いているだけだ。

ゲームの面白さをブラックボックスにしてはいけないという
強い思いが、沢山のゲームを触れさせる原動力になったのだと思う。


売れた売れないじゃなく、なぜ売れたなぜ売れないじゃなく
どう面白い?どう楽しい?どうつまらない?という見方


これを解明するには、ただひたすら沢山のゲームをやっていくのが手っ取り早い。
ただし、これは最適解ではないことを付け加えておく。

やはり、他の娯楽、映画、ドラマ、演劇など人並み程度に体験しつつゲーム
それも作り手に回ることなどが必要だが、理想的に時間を使うことは現実的に不可能。

☆良いゲームの共通点
出来の良いゲームとかそういう優劣をはっきり付けるような書き方はあまりしたくないのだが、とりあえず。

面白い!!と思った、のめり込んでいくゲームというのはジャンルを問わず大体決まった共通点がある。

シミュレーターとして優秀であること。

イマイチ、ピンと来ないフレーズだとは思うのだが、ゲームバランスが良い、ゲームシステムが画期的とかそういうことは、
だいたい全て、シミュレーターとして優秀であるという一言に集約されていく。

つまり、画面の向こう側の世界がしっかり出来ていて面白いということである。

どんなゲームでも良いが、プログラムの世界でどのように表現するかというのが、ゲームの設計、仕様。
プログラムを使って何を表現するかというのが、ゲームの企画書に当たる。
※実際は企画書と設計と仕様はワンセット。

そして作りたいゲームの枠組みを決めていくわけだが、架空の世界だからこそリアリティを演出することでより説得力が出てくる。価値が出てくる。

ゲームはプログラムの世界だから、数字が全てを支配してる。数値と計算式で世界が表現される。
早い話、ここに説得力がないと、上滑りを起こすだけになってしまう

うまく説明できなくてもどかしいのだが、現実世界のシチュエーションをいかにうまくシステム化して再現できるか?がキモとなっている。

有名な成功例としては、実況パワフルプロ野球のミートカーソルが挙げられる。

それまで野球ゲームは、ピッチャーが投げたボールのタイミングに合わせてバットをワンボタンで振るという簡素なものだった。
駆け引きは直球のスピードボールか、直前で球が折れて下に落ちてしまい絶対にバットに当たらないボール球の2種類だけ。
時代も時代だったから、所詮ファミコンゲームの再現度なんてこんなものだよなという認識レベルだった。
(それでもそれで商売になった時代なのだから今振り返ると凄いと思う)


パワプロのミートカーソルは、バッターとピッチャーの駆け引きがかなりリアルに再現されたものと言える。
少なくともそれまでの旧世代の野球ゲームと比べると大幅にリアルになったし面白くなったのは紛れもない事実としてある。

☆ここで一つ理論に穴が…
現実世界のシチュエーションをいかにうまくシステム化して再現できるか?とはいうものの、実際問題、大半のゲームは現実では起こりえない、言い換えると、不謹慎なシチュエーションが大半を占めている。
アクションゲーム、シューティング、戦争SLG、ロールプレイングなど、多くは非現実で空想の世界を舞台としていることが多い。

敢えて現実世界と書いたのは、次の理由がある。

現実世界からネタを拾ってきてシミュレート(再現)したほうが
面白いものがゴロゴロしているから


シミュレーターという言葉を使っているのは、ここに理由がある。
架空の世界とはいえ、そこに感情移入したり夢中にさせるためには、どこか現実世界を感じさせるものがなければいけない。
お前はゲームのやり過ぎて頭がおかしくなったのかと言われるかもしれないが、以下の文。
現実の世界は、当たり前のことだが、色んな決まり事があって、成り立っている。
物理法則とか法律。人間の学習機能とかそういうものを、ゲームでうまく落としこんで再現されると、妙な納得感がある。

実際、洋ゲーと言われる海外で作られるゲームというのは、昔からリアリティをかなり強く意識してゲーム作りされている。

RPGだと、昔はパーティキャラに年齢というパラメータがあり、現実と同じように歳を取り寿命を迎えると死ぬという
今でこそこういう仕組みは淘汰されていったが、こんなせっかく思い入れの出来たキャラをあっさりシステムで殺すという非常に強いストレスを感じる要素まで現実世界に忠実に再現されていた。

ゲームの都合でマップが区切られて、エリアチェンジするというのもおかしい。だから世界のすべてを1枚のマップに統合したオープンワールドにしよう

海外ゲームの発想は基本的に、現実世界に忠実でリアリティを重視していて、それを技術で、力業で実現させるというところにパワーの源泉がある。

☆それでもゲームは沢山やってる方がいいという根拠について
ネタ探しを現実世界でするのなら、ゲームを知らなくてもやらなくてもゲーム作りは出来るんじゃないかという話になる。

半分YESで半分NOである。

知らなくてもやってやれないことはないが、やっぱり沢山ゲームやって色々なゲームを知っていた方がいい。

例えば、何かゲーム作りのアイディアがあって、それを具体的に形にする時、
既に似たようなもの、参考になるものが、既に先人によって作られたゲームの中に存在する場合
ゼロから創造する必要がない。

他の人はどういうふうに、このシチュエーションをゲームで表現したのかというものが、知っているのと知っていないのとでは効率が大きく変わってくる。
パクリ先を確保するためにゲームするのかではなく、既に有名所がこうやっているんだったら、じゃあちょっと視点を変えてみるかというオリジナリティの追求にもなる。

多く知っていればそれだけパターンやバリエーションを他の人より持っているというわけで、やはり色々な局面で有利になる。

☆ゲームではなくシミュレーターであるという考え
ゲームバランスを組んだりシステムを組んだりするとき、常に現実世界を意識してシミュレートしているという考えに基づいていると、破綻することが極端に減ると思っている

空想の世界を舞台にしたRPGでもこの考えは有効だとかんがえる。
バランス付けるとき、ゲーム開始直後、主人公は勇者という設定でそこそこいい武器持たせて攻撃するんだから基本ダメージは10前後は欲しい、固い敵だけ一桁で。
ザコは基本的に2発叩いたら死ぬ、1発叩いたら倒れる場合想定レベルを超えている
みたいな細かいところからはじめて、とにかく数字の基本値とか価値を作っていくと深みが出てくる

女の子の華奢な魔法使いが魔法唱えるより杖で殴ってるほうが強いとかだと誰もが興ざめすると思う。
とてつもなく細かいことなんだけど、RPGツクールでRPGを作るときでも、そういう細かいところを異様に気にすることで、なんとなく薄っぺらいとかつまんないという感じがなくなると思う

これは駄目だなと感じさせてしまうのは、プレイヤーが無意識にでも現実世界の価値と照らしあわせて、なんかおかしいぞこれって思ってしまうところにあると思う。
せっかくのボス戦なのに必勝パターンがあって、それやってるだけで終わっちゃうとか、強そうな敵が一撃で倒れる

こんな世界に没頭しろと言われても無理だとなる
まあゲームの作り方というと、リアルすぎても良くない部分があって、努力が報われるべきであるし
なんというか、プレイヤーの期待にもある程度応えなければならないため、ダンジョンの行き止まりには必ず宝箱があっていいものが入ってなければ時間の無駄にさせるとか、色々あるから一概に言える話ではないがそういう面倒くさいところはここで省く。

最後になる
ひたすら現実主義、シミュレーターという単語を口を酸っぱくして書き続けてきた。
それがここで生きてくる。

というのも、ゲームを作るとき、予め今の時代、ゲームのジャンルやルールのひな形が出来上がっていて、
多くの開発者はそれに習った作り方をする。

なぜならそれが合理的だから

どこに力を注いだり目が行ったりするのかというと、具体的に効果のありそうな部分に行きがちである。

だけど一旦、ゲームとして当たり前だからという要素を現実世界と照らしあわせて考える。
このゲームではここを現実的にちょっと変えようという風に。

倒されるだけだったモンスターが起き上がって仲間になるというのも、こういう発想から生まれたものと思われる。

お金にしても、ゲーム上のお金は、ゲームを進行させるためのアイテム、装備品を買うだけの価値しか無い
現実的に考えると、金の価値があまりになさすぎる
だから、ゲーム後半に余ってしまうことが多い(倹約家の人は特に余る)
それ以外に、戦闘や宝箱からアイテムなどゲーム資産が手に入るため、相対的にかなりモノだらけになりがち

単純に物価をあげるだけで解決できるが、それだけでは芸がない。
ただゲームバランスを厳しくしただけである。

金の使い道を増やすことで金の価値が大きく上がる
多くのゲームだとギャンブルのミニゲームを入れることが多いが、金で解決できるが大金が必要なクエストとかありがちだが
金の使い先がありすぎてたりねーって状態になれば、なかなか現実的で面白いと思っている。

個人的には(RPGの話ばかりで悪いと思っているが)、一度行ったことのある場所へワープできる魔法、アイテム
便利だがおかしいと思っている
桃太郎伝説でもそういう魔法があるが、瞬間移動じゃなくて目的地に高速移動する設定になっている。
あれもワープなんて簡単にできることじゃないっていう思いが込められているのかと今更ながら思う。

もう一つは、補助魔法をかけたら基本能力値が上がったり下がったりするアレ
戦略的には面白いからこれだけ多様されているんだろうけど、現実的に考えるとおかしいよなと
魔法かけるだけで筋力がゲームによっては2倍以上に上がったり、上限のない昔のゲームだとカンストまであげることが出来る
その逆に、弱らせることが出来るというのも、なんだか簡単にユニットの能力を否定しているようで個人的には好きではない

と言うふうに、ゲームの面白さのメカニズムのキーポイントとして優秀なシミュレーターかどうかというのが普遍的な理由としてあるのではないかというように感じている。

自分が好きだとか面白いと思っているゲームを振り返った時、どこかリアリティの強い部分が必ずあったりしないだろうか?

そんな話。

思い出のゲーム 【スタートリングオデッセイ2編】

ゲームとともに人生の大半を歩んできた俺には、ゲームにまつわる思い出がたくさんある。
☆実はそんなに思い出のゲームでもない
オイッ!!

心残りのゲームという表現のほうが適切かもしれない……・

1994年10月21日(金)
PCエンジン スタートリングオデッセイ2 発売


☆このゲームの簡単な説明

PCエンジンCD-ROMROMの性能を生かした超大作RPG(自称)
有名声優がイベントシーンで喋ったりアニメムービーで盛り上げたりする。
ゲーム自体はストーリー重視型の王道ファンタジー。


☆PCエンジン専門誌で大きく紹介され俺はとても欲しかった
PCエンジンCD-ROMROMのRPGは、雑誌受けが良いせいなのか、すごく購買欲をそそられるものが多かった

当時小学生のガキだからこそ、簡単にダマされる格好の餌だったのかもしれない!?

本当にアニメを自分で操作しているような豪華な感じがPCエンジンのRPGにはあった。
だから紹介記事を見るだけで妄想が胸膨らみ、やりたくなってくるのだ


コズミックファンタジー3とか(1,2とやってきて親父はゲームの出来の悪さに凝りて切ったが俺は懲りてなかった)
天使の詩とか
ファージアスの邪皇帝とか
スターブレイカーとか

そして、スタートリングオデッセイとか!!

スタオデは本当に欲しくて欲しくてたまらなかった
なぜ親父はこれを買わないんだろう?と思うぐらい王道RPGの匂いがものすごかった


だが親父の鍛えあげられたゲーム選びの千里眼が正しかったことを知る

鳴り物入りで発売された大作RPG
しかもアニメムービーを全面に押し出している
だが発売メーカーは聞いたこともない無名メーカー

日本テレネットのコズミックファンタジーでこの手のゲームはヤバイことを
学習したのか、本当に良い物しか買ってこなくなった


だが、当時ただのクソガキで、しかも飽きっぽくてすぐ放り出すRPGの価値、面白さ
なんてものは、わかるはずもなかった………

☆スタオデ2の発売から一年後、我が家にそれはやってきた
1995年9月初旬のことだった。
スタートリングオデッセイ2(中古)を手に持って帰宅した親父がいた。

キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
となった俺がいた(そうでもなかったような気がする)

実は購入までの経緯をあまり覚えていない。その理由は後で書くが。
パチンコで勝って、買ってきたんだったか、
ふらりと日曜、ゲーム屋に行ったら、暴落したこのゲームがあったから買ってきたのかのどちらかのはずだった
1995年秋ともなると、プレステやサターンが売れ始め、ゲームショップとしては旧型機のマイナー機種であるPCエンジン
これの取り扱いを辞めたくて仕方がない時期で、不良在庫としてドンドン売りさばいていたのだった。


☆待ち焦がれたゲームを俺は早速やり始める
といっても、親父が仕事行っていていない時間限定だけど。

1995年9月
というと、俺にとって実に大きなイベントのあった時期である。

このゲームが家にやってきたのが日曜で、その次の日辺りだったと思う。

俺は新聞配達をやりたくて、1995年7月、直接近所の新聞販売所へアポ無しで行き、

「新聞配達がやりたいです!」

と、元気にお願いしてきたのだった。

2ヶ月後

ちょうどこのゲームを買ってきた直後という最高にタイミングの悪い時に
放課後、スタートリングオデッセイ2をやりだして最高に盛り上がっていると、いきなり電話がかかってきて、俺は受話器を取る。

「新聞販売店の者だけど、空きが出たから明日から来れる?」

俺「えっえっちょ…だって昨日新しくゲーム買ってきてもらったばっかりだし」(後半は心の声)

今思うと、連絡なしに明日から早速来てくれる?っていうのもひどい無茶ぶりだなと思う

☆こうして俺の長い新聞配達が始まったのだ
俺が希望出していたのは『夕刊』なので、学校終わってから1時間ちょっとという仕事。

俺の家は学校からすごく離れていたので、通学で1時間ぐらい。
だから学校終わって、家につくのがいつも16時過ぎ
普通ならこの時間からダラダラできるが、新聞配達をやり始めると、この時間から労働。
仕事が終わって家に帰るのがいつも18時前後といったところだった。

土曜ももちろん仕事。
だから放課後、友達と買い食いとか立ち読みしながらダラダラ家に帰るみたいなことが一切できなくなり
土曜も、夕方から仕事なので、遊んだりとかできなくなった

※もっとも人と関わることを避け始めていた俺にはあまり影響のなさそうなことばかりだが、
遊び盛りの時期に、遊びたいなと思っても遊べなくなってしまうのは寂しいことだった

※中学時代というのは、人を避けてても、友達ができたり、未だにクラス会に呼ばれたり
俺にとっては望まなくともそういう時期だったので、新聞配達のせいで遊べなくなってしまうという状態が生まれるとつらかった。

放課後は帰宅部だから暇だなと思っていて始めた新聞配達だが
はじめてみると、仕事への責任や重荷があり、忙しくなってしまうのだった

周りには甘いと言われるし、そんな状況が訪れることはないのだが、
俺はこんな悲しい経験を味わったので、自分の子供には、高校卒業くらいまでは
遊びたいけど金がなくて遊べない状態にはなるべくさせたくないと思っている。


高校の時も、土曜の放課後、カラオケ行っても、自分だけ夕方から新聞配達だから…と
途中抜けするのは、かなりつらかった。

☆そんな時期だったので
俺はこのゲームをあまり遊ぶことが出来ず、親父が大体一ヶ月ぐらいでクリアして売却。

俺は十分に遊べないまま我が家からそのゲームは去っていった

新聞配達の仕事を覚えるために、放課後は先輩に怒られ、
土日を使って、自分の受け持ち区域を覚えるために、時間外労働というかなんというかそんなことをしてた

☆だから俺は未だにこのゲームへの未練がある
まあ確かに当時、新聞配達で忙しかったとはいえ、ゲームがやれないほど忙しいわけでもない。
ただ、夜になると親父が帰ってきてゲームを専有されるので、確かにゲームプレイできる時間が極端に遮られていたのかもしれない。(平日だと一時間未満か全くやれない感じ)
なにせその辺を覚えていないのだ。あまりに環境の変化が多くて忙しすぎて

それでも、本当に優れた面白いゲームだったら多分最後までやっていたことだろう

確か記憶だと、ピラミッドみたいなダンジョンのとこまでやったのは覚えてる。
そのダンジョンが妙にムズくて、めんどくさくなってやらなくなったっていう感じ。

そこでやめてるということは微妙なゲームだったのだろうと思う。

しかしそれでも俺は人生でやり残したこのゲームを
いつか自らの手でエンディングまで到達してみたいのだ!!

動けなくなった理由

どうやっても動けなくなったから俺はプライドを捨てた
つぎ捨てられるものは命しか俺にはない


☆そうやって俺は戻ってきた
プライドを捨てた時、命を捨てる覚悟も決まってきた。
一度大事なものを捨てることができたらストッパーが外れることがわかった

動けなくなったから動くのをやめた
だけどこんなことをずっと続けてられないから、終わる準備をしなければならない


どうせ終わるならギリギリまで好きなことやって
やりたいようにやって終わるか


☆死ぬ気でやればなんとかなるだろう!!
そんな声が聞こえてくる。
残念ながら現実社会はそんなに都合よくできていないのである
都合良く出来ていたら、俺はとっくになんとかなってる。

というか今の俺は死ぬ気で生きているのだ

基本的に!!

多分このブログを書き始めた頃から、俺はシグルイになっていったのだと思う。

☆シグルイ
漫画である
俺は漫画に疎いから、どういう漫画なのか知らなかったし知る気もなかった。

少なくとも俺には縁遠そうな渋い時代劇みたいな漫画なんだろう

ぐらいにしか思っていなかった。

目の前のことに手一杯で、余裕がなかったのだ
いちいち、身の回りのことを一つ一つ興味深く追っていくほど、俺は寛容ではなかった。

数年前から流行りだした、良くある漫画の4文字タイトル程度にしか思っていなかった

らき☆すたとかいぬかみっ!とかぱにぽにとか、そんなノリ。
いちいち無理矢理4文字にした題名に、意味を考えていたら、それだけで頭の毛が薄くなっていくから考えなことにしていた。
何を思ってぱにぽにというタイトルになっているのかヒントも無しに考えたってわかるわけがない。

逆に最近のやたら長いタイトルが付けられたアニメだって4文字に略される時代だし

がこんなに可愛いわけがない=おれいも
ご注文はうさぎですか?=ごちうさ

しかし俺は、シグルイの意味を知った時、久しぶりに感銘を受けたのだった……

シグルイとは死に物狂いの略である

俺が死狂い(シグルイ)かどうかは、それだけ必死かどうかは本人からすればいささか疑問を抱かざるをえないが
俺からすればやってもやっても結果のでない一人相撲のような人生をずっと歩んできた


だから知らず知らずに死狂いになっていったのかもしれない!?
自己評価では、きつく締められた瓶の蓋を開けようと必死になっている程度の軽いノリが適切だと思っているが。

☆不採用通知の山に心が折れた
この間、俺は自分が落ちた会社をメモ帳に書き出してみた。

こんなに普通落ちるか!?っていうぐらい落ちていた

そりゃあ履歴書を書くことに飽きるわけだとさえ思った。
もうあの空欄に自分の経歴を書いていく作業に、ほとほと飽きていた。

新卒の時は我が社に不的確、それ以降は経験不足

という理由で落とされることが多かった。

正社員だけじゃねえ
バイトですら『こんなに落ちるか?!』というぐらい落とされていた


どんだけ【社会不適合者】なんだよ俺っていう人間はよ……

なんとか日本社会に溶けこむよう戦ってきたが、負け続けて、やる気が完全に切れた。

こうなったら自分で生きる道を切り開かねばならない

『道』というものは自分で切り拓くものだッ!!(`・ω・´)ゞ

ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…・…………

ドドドドドドドドドドドドドド…・…………

パアアアアアアアーーーーーーーン!!!!!
(俺の心と体が砕かれた瞬間のオト)

☆そこで俺は一度諦めて開き直ることにした
以前の俺
→仕事と金のことを四六時中気にして、オドオドして暮らす毎日
気持ちが萎縮して自信のない挙動。不安でそれを回りにまき散らしている公害ですらあった

みんな成人したら、生計を立てるために一生涯同じ会社で働いて、尽くしていく

それが出来ない

じゃあいっかい、その選択肢からカーソルを外そう

生計を立てるとかそういう小難しいことは考えるのをやめよう

いま自分のやっておきたいことはなんだ?
ソッチから先にやるか。どうせ正攻法の路線では前へ進まないんだし


この考え方が褒められたことではないのはわかっている

前に進まないことをいつまでも繰り返していたって、意味が無い。
諦めずにバットを振り続けていればいつかはヒットエンドランになるんだろう
空振りばかりの俺にはバットを振り続けるのは無理だった。手に血豆ができて痛くなるしな

とにかく人生を動かしたい!!

前に進みたいが、
右でも左でもいい、後ろに下がってもいい
あまりにフラフラしすぎて方角がわからなくなってどっち向かってるかわかんなくなってもいいから動かしたい


☆俺が落ちこぼれた人間になった仮説を立てる

唐突だが、俺には『反抗期』がなかった……
一番贅沢言いたい時期である中高生の頃、一番自分を抑えて生きていた


中学生に上がってすぐに、俺はある人物から陰湿な嫌がらせを半年以上に渡って受け続けた。
最後には登校拒否せざるを得ないほど、追い詰められていた……

しかし、人間は簡単にダークサイドに落ちることはない。これ以外にも実は原因があったのだ。

俺が完全に、心を閉ざした原因が他にもあったのだ。

それは中学2年に上がって程なくあった『学力テスト』の時であった。

遊ぶことばかり考えていて勉強をしなかった俺は数学で8点を取ってしまったのだ。

テスト結果が悪くて親に怒られることは日常茶飯事だったが、この時はへこまされるぐらい怒られた。
(親はそこまで影響をうけるほど怒ったつもりはなかったのだろうと思う)

学校で人と関わることをやめて一人の世界に入るようになっていた俺は、家でもこのようなことがあり、たいへん萎縮してしまった。
中1の頃、学校に居場所がなかったが家では安心できた。
しかし、このことがあってから、『怒られないために良い子を演じなければならない』と強く感じ、俺はひたすら勉強した。
授業も真剣に聞くようになった。
1年生の時の担任がびっくりするぐらい成績が上がり、落ち着いた生徒になった。

その代わり、俺は周りに自分の意見を言えなくなり、人見知りはより一層激しく、人に甘えることができなくなった。

そして、小遣いが1円ももらえず欲しい物をねだることも出来なかった当時の俺は、中2の9月から新聞配達を始めるのだった。

俺は中学生の時、自分の部屋もなかった。
当時暮らしてた家も狭かった。だから家に帰っても常に親の目が気になる。
高2になって引っ越すまで、自分の部屋が手に入ることはなかった。

だから大学進学の時も、自分の意見を強く言うことが出来なかった。
就職は考えられなかった。
だって、中2の時から放課後働いていて、卒業してもまた働くの?しかも一日中?って感じだったから。


若いころやんちゃだった人間は、おとなになってからしっかりした人間になる
昔よく言われていた一般論だ。
あくまでも“昔”であることを付け加えておく。

同じような境遇のやつでも立派に成長しているやつもいる

そういいたいのだろう?俺にはわかる。

中学生の時、俺に嫌がらせしてきた奴も、家庭環境が良くなかったけど、今は立派に独立して暮らしている。

だけどここで重要なのは、まわりがこうだ!ではなく、俺の人生の歩みの現状である。

俺が今こんなふうになっている。
そして自分の人生を振り返った時、こうじゃないか?という仮説である。

思い当たる節はここしかなかった
この『遅れてやってきた反抗期』が今であると俺は思っている


☆それで今俺はやりたいことやってる
前にも書いた、子供の頃クリアしたかったゲームを遊んでいる。
言い換えるなら俺がやり残したことだ。

20年も前のゲームを敢えて今やる
時代錯誤もいいところだ。


台詞回しの古臭さに一々笑ってしまう
設定の古臭さに一々笑ってしまう

こんなゲームにするか!?みたいな変な感情が沸き起こってくる。

ゲームやって遊ぶだけじゃなく小説も完成させたいと思っている。

と言うか俺はまだ小説を成り上がるための道具にしようとしてるところがあった。

この前書いた企画は、あれは俺がなんとしても完成させたいからやっているうちの1つ。
(もう1本あるけど、それは全く手を付けていない)

売るためにやるじゃなくて、完成させたいからやる

この違いであった。

つまり究極の自己満足というやつだ

手が進まない時は、こうやってブログに人生を丁寧に記録していく

とにかく遊びっぱなしじゃなく、途切れなく文章を書くそれが大事だと思ってる
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安西爆弾

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