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日本中で苦しみながら生きているすべての人たちへ

人は悩みながら生き続ける生き物だ。

そして俺は、長年ある一つの命題の答えが見つけられず、一人延々と悩み続けていた。

一般的な人からすれば、悩むようなことではないことに、俺は悩み続けていた。
だが、その悩みについても、10年以上考え続けることで、ようやく答えではないが、自分の中のもやもやとした考えが形にできるところまでやって来ることが出来た。

だから、語ろう。
俺のその長期にわたって鬱屈と一人で抱え込んでいた気持ちを。

この日本で、俺と似た境遇で、苦しみながら生きている人はたくさんいるだろう。いや、たくさんいると信じたい。

俺はずっと苦しみながら生きていた。

普通の人と同じような生き方をしようと、いくら頑張っても、その普通の水準にすら達することが出来ない。

学校を卒業して、
会社に就職して、
親元から離れて自立した生活を送る。

どこかで、異性と出会い、結婚して寄り添いながら生きていく。
子供を作り、家庭を持ち、週末には車に乗ってどこか遠いところへドライブし、帰りはファミリーレストランで晩ご飯を食べる。

俺は今もそんな絵に描いたような幸せでありながらもありふれた普通の生活に憧れているところがある。

頑張ってそこに到達しようと思っても、そこにすら立つことが出来なかったんだ、俺は。


小林よしのりさんは、今の時代は、そんな平凡の生活を送ることすら難しいと言い切っている。

だが、周りは、他人は、いや、
俺の場合は、親ですら容赦なかった。

怠けるな!
努力しろ!
働け!
自立しろ!
甘えるな!
人間のクズが!!

10年
10年だぞ!?

俺はありとあらゆる人間から、馬鹿にされ、見下され、煽られ、時には殴られて生きてきた。

しかし、俺は本当に怠けていたのか?

冷静に、自分という人間を振り返った時、俺は他人の目がいかにいい加減だったのかということがわかったのだった。

気づけば、バイトも含めると受けた会社は10年で100社以上になっていた。

俺はそんなもの、数える時間が勿体無い。振り返るのも馬鹿馬鹿しいと、一々そんなもの数えたことがなかった。

不採用通知が送られてくれば、その場で破り捨て、ゴミ箱にポイして、忘れるようにしていた。
どうやら不採用通知というのは、会社を受けに行ったという重要な証拠書類らしく、こうやって処分してしまうのは愚かな行為だったらしいが。
本当なら、不採用通知のすべてを取っておきでもすれば、それを持って生活保護を受けたりなんだり、色々な権力を持つこともあるらしい書類らしいが。
だから、去年受けて落とされた会社からは、不採用通知をきちんと保管している。
これだけ頑張ったけど駄目だった。俺は働けないんだという、証明になることもあるかもしれないらしい。

俺は人からそれっぽいことを聞いただけなので、詳しく調べたわけではないから、わからない。
だが、取っておいて損はしないのだろうと今になれば思う。

10年で100社というのは、単純計算で見れば、少ない方なのかもしれないな。
だが、この間、フルタイムの契約期間でびっしり働いていた時期もあるし、フルタイムじゃなくてもバイトをしていた時期もかなりある。

真剣に就職活動だけをやってるかどうかという尺度で見れば、100という数字は少ないのだろう。
そこら辺は自己正当化する気もないが、俺自体も、今日は午前に2社、午後は4社
こんなペースで受けたことは無い。

しかし、人生において、100社以上も会社を受けてる人
本当に100社以上も受けてる人って、当たり前のようにいるのか?

いや、いないとは言わない。100社以上受けてる人は普通にいるだろうよ。
だけどな、その100社受けてるという現実が、既に異常事態だったと言うことに、まず気づいたほうがいい。

100社も受ければ、どっかしら正社員で採用されて、拾ってもらって、普通の水準の人生ぐらい送れるだろ…

たぶん、みなさんはそう感じるのだろうと思う。

就職活動なんて運であって、たくさん受けてればいつか自分に合った会社に出会う。

・・・・・・・


・・・・・・・出会わなかったんだよ、俺は。


よくよく考えてみてほしい。
この考え方は、実に楽観的で根拠の無いものだということを、俺を見てわかってほしい。
もちろん、同じ境遇で苦しんで心をやられている人たちにも、安心して欲しくて、これを書いている。

そんな、たいかん(体感)の人生観が、すべての人間に当てはまると思うな。

大半の人間は、それでうまくいくのかもしれないが、俺は上手くいかなかったんだ。

俺は吐き捨てるように言った。

100社以上も受けて落とされれば、もう落とされることにも慣れた。
ああまたコレだ

不採用通知が送られてきた時、普通の人は傷つくのだろう

だが俺は違う

ああまたコレだ

まるでゲームをやってて、ゲームオーバーになって操作を一切受け付けなくなって、仕方がないので電源ボタンに手を伸ばすような感覚。
事務的に、また落ちたからステージ1のスタート地点からやり直すような感じ。
不思議のダンジョンで地下1階からレベル1で裸一貫でやり直すような感じ。
あの、
あの、けだるい感じだ。あれを何十回味わったことか。

俺は履歴書何枚書いた?
何枚、ペラい職務経歴書を印刷した?
証明写真代をいくら使った?
(行きつけの写真屋さんなんか俺の顔をすっかり覚えていて、言いさえしないが、また来ましたねみたいな空気を出す)

考えるのもゾッとする。

20代の若いころは、たくさんアピール項目がある“受かる履歴書”とかいう、ちょっと高いやつを買ってきて、それを使ってた。
ご丁寧に、定形外郵便の封筒と、写真貼り付け用の両面シールもついてくる。高いだけあっていい仕事をする。

俺の目的はそれだけじゃなかった。
この履歴書には、自己アピールや志望動機を書けるスペースが大きく取ってあり、若いころの俺は、
こういう履歴書を使ったほうが有利だと思い込んで、愛用していたのだ。

だからいちいち、一社一社受けるのが面倒だった。
なぜなら、そのスペースをびっしり埋めるために、会社ごとに志望動機を書き直し、必要とあれば自己アピールも何度も何度も見なおして、書きなおしていた。

俺は、学生時代の就活用履歴書はもっと自己アピール欄が多かったから、コレでも足りないぐらいだと思っていた。

正直、俺は履歴書を買いまくってるから、ちょっとした履歴書マニアになってしまったぐらい履歴書を買っている。

そんな履歴書も、時代の流れとともに淘汰されていって、若いころ愛用していたアピールたくさんできる履歴書はなくなった。
どこの店に行っても、今はJIS規格の、決まった履歴書しか売ってない(東京都内とか行けば豊富なラインナップなのかもしれないが)
今の履歴書は、大概、使い回しがきくような作りになっている。

俺が住んでいるところは、地方の田舎だから、これだけ受けまくっていたら、受けるところがなくなるというものだ。割とマジで。

だからもう、去年なんかは、恥を忍んで知り合いの会社に受けに行ったりした。
書類選考だけ顔パス、面接後、当たり前のように落としやがったが。

とにかく、普通の生活をおくるために、俺はありとあらゆることをやり尽くしたつもりだ。

色々試したよ。

毎日早起きしてハローワークに通って、新着求人をチェック。
半年間、毎日通った。

相談員に相談もした。
だが、ハローワークというものは、俺みたいに本当に困っている人にこそ、冷たい。
助けてくれない。当てにならない。
ハローワークなんか来なくてもいいような人間には優しく接するが、俺みたいな人間には匙を投げる。
こんな施設、いらねーだろ

何度、そう思ったか。

年齢重ねて慌てて通いだしたんじゃない。
20代の若い頃から、通っていたよ。

だけどその時、相談員に冷たい対応を取られたから、あんなところ頼りにならんと、あっさり切り捨てたんだ。

そして、半年間ハローワークに通い続けて、やっぱり俺は同じ結論に達した。

結局半年通い続けても成果がない。ただ俺は、ハロワに通って就活してるんだと言う姿を周りに見せて、その姿に酔って無駄な時間を過ごしてただけ。

俺をハロワから引き剥がしたのは、ドラッグストアの店員だった。

俺が通ってたハロワは、家から遠いくせに駐車場がなかった。
だから、近くにあるドラッグストアの駐車場に違法駐車していた。半年間毎日。

すると半年後のある日、いつものように違法駐車をしてハロワの方へ出ていこうとすると、そこのドラッグストアの店員が乗る車と鉢合わせしたんだ。

俺と目があったその店員は車から降りて、俺のことを呼び止めた。

「ちょっと、困るんですけど」

気の強そうなオバサンだった。

俺は軽く怒られた。

その日を境に、ハロワへ通うのはやめたよ。

俺は、ドラッグストアの店員に目を覚まさせられたのだ。
あのことがなければ、俺はいつまでハロワに通い続けていたのだろうと思う。

不謹慎だからと、ゲームやネットを絶ったりもした。

ハロワへ行く、就活以外でやることがなくなったら、畳の上にゴロッと横になり、ただただ時がすぎるのを待つだけ。
明日の新着求人で受けるところが出るだろうとか、明日来るフリーペーパーの求人広告になんかあるだろう、それを待つ。ひたすら待つ。こんな囚人のような生活を、自ら手足を縛り付け実行していた。
いや、今思い返すと、これは囚人というより、死んだ魚のような目をした生活は、廃人という方がふさわしいのではないか?

遊ぶことは許されない。
仕事が決まるまでは、たとえバイトでもいい。それまでは、暇で時間があっても我慢せねばならない

そうやって、遊びごとから一切を遠ざけたりもした。
(たびたびブログが放置状態になっていたのは、これが理由の一つだった。全部ではないが)

神棚の神様に祈ったり、仏壇を毎日洗って、線香をあげて拝んだりもしていた。

そういうことをしていたら、神様、仏様が見てくれていて、きっといい方向に人生が進んでいくのだろう
なんて、頭のおかしいことまで考えだして、それを実行するまでに病みだしていた。

だが。
アニメやドラマの世界のように、そんな都合の良い設定なんて当然なくて。
誰かが助けてくれたり手を差し伸べてくれたりなんて展開なんてなくて。
そんな修行僧みたいなことを勝手にやっていたって、天から誰かが見てて不思議な力で俺を導いてくれるなんてことは当然起こらなくて。
ただただ、時間を無駄に浪費しただけだった。

この頃だ。俺一人の力ではどうにもならないからと、あらゆる相談機関に相談した。
(正確な時系列は違うのだが、同時期と考えてもらっていい)

そして、障害者支援施設に相談して、俺は、障害者の作業所で障害者として働くことになったのだ。

なぜこんな施設にまで相談に行ったのかということを、今日初めて俺は暴露する。

俺の妹は完全に植物状態の障害者だ。
だから、障害者の福祉施設について、自然と詳しくなる。
そのつながりで、障害者だろうが相談に乗ってくれるところならどこでもいい!
恥ずかしかろうが、知り合いのところなら、尚更突破口が見いだせるかもしれない!

俺はわらをもすがる思いでそこへ相談に行ったのだ。

しかし、その結果がこのザマよ。
俺は障害者でもないのに、相談した日の午後にはもう、作業所へ見学に連れて行かれ、その後市役所へ連行され精神障害者鑑定みたいなのを受けさせられた。

考えたり拒否する隙間や時間すらなく、もう俺は勝手に障害者にされて、その障害者施設で障害者として働くことにされた。

(ちなみに障害者になったといっても、障害者手帳が発行されたわけじゃない正式な障害者ではないから、障害者年金みたいな恩恵は一切受けてないことを、きちんと触れておく)

知的障害者と一緒に、毎日暗く暑苦しい工場で、汗だくになって同じことを8時間繰り返す単調な作業。
しかも給料は、最低賃金より遥かに低い時給で働かされる。

まるで地下世界のカイジのようだ。

一体何をしてるんだ俺は

それでも俺は、最初の一ヶ月は文句を言わず我慢して働いた。

これが今、俺がやるべきことなんだと毎日無理矢理にでも言い聞かせながら。

一ヶ月がむしゃらに働いて、もらった給料明細に俺は愕然とした。

あまりの給料の安さに、俺はたまげてしまったのだ。
さらに残酷なことに、俺は労働者じゃなく施設の利用者だというので、その少ない給料から施設利用料1万円も差し引かれているのだ!

こんな、こんな・・・

こんなことがまかり通るのか?
こんなことがあっていいのか?

それまで俺は最低賃金以下で働いたことがなかったからわからなかったが、とりあえず働けば、それに見合ったお金がもらえるものだと完全に思い込んでいた。
いや、こんな経験したことなければ、みんな普通に思うことだろう。

この時だ。
俺はこの時、あらゆる価値観が崩壊した。

そしてすぐ、この作業所に押し込めた相談機関に電話した。

「ちょっとこの待遇では働けないです」

電話口から聞こえてくる声は、無残なものだった

「なぁに言ってるの!我慢して、はたらきなさーーい」(誇張なし)

ブチッ

・・・・・・こんな

・・・・・・・こんな、無責任なことがあっていいのか?

俺はそのまま、まさに言葉通り、誰もいない過疎地の歩道の真ん中でがっくりとくずおれた。

2ヶ月後。俺はその作業所をやめた。
(俺がウジウジしてたんじゃなくて、施設の人がすぐにやめさせてくれなかったのだ)

その後、俺は職を転々とした(短期バイト)。

いや、基本的には俺のこの10年間は、職(バイト)を転々として働いていたようなものだ。

そんな辛酸を嘗める生活を送って、ようやく俺は一つの真理に行き着いた。
だからそれを、最後にそれを、同じようにグダって辛い人生を送っている人たちに伝えたい。

断っておくが、俺の真理というのは、具体的な問題の解決策とか打開策でも何でもない。
ただ、気持ちを切り替えるような、悶々とした状況、生活を打破するキッカケか、何かにすぎない。
思考停止して、負け組は負けたまま諦めるしか無いと思い込んでいた頭のなかを、一旦整理する程度の情報量にすぎない。

日本が抱える深刻な問題点に、若者の雇用問題がある。
特に、ニート、フリーター問題は、その問題の本質を語られることなく、今にその問題は続いている。
そしてこれは、誰も解決しようとしないし、解決できないだろう。この問題を国がなんとかしてくれるとか考えるのも大甘と思ってもらったほうがいい。

基本的に、日本ではニートもフリーターも、自己責任のあまちゃんで、怠け者という認識だ。
それは2016年になっても、その価値観は変わろうとしていない。

そうやって、俺たちに、責任を押し付けて、俺達が悪いことにされている。

さすがにこの数年、高齢化社会が深刻化して、人手不足の職場が増えてきたことで、
ようやく世間の目が、俺達の落ちこぼれの境遇と真剣に向き合おうという入口付近に近づこうとしている。

これだけ苦しい思いをしてきたのに、甘えん坊だとか徹底的に悪者扱いされて、薄給で行き場もなく放浪してきた。

だが、もう俺の中ではそんなことは、もはやどうでもよくなっている。

この中にやりたくてフリーターやニートしている人もいるだろうし、それをここで一括りにして社会の問題点に斬りかかるつもりも何もない。

俺は所詮、個人だから。そういうマクロな視点で物を語ることは出来ない。

だからこの先の話は、俺個人の体験によるものになる。

俺は親父に、良く仕事をしろ、働けと10年にも渡って怒られ続けてきた。
その問題を自分でなんとか出来ないことには目を向けてもらえず、とにかく怠けるな働けの一点張りだった。
(よくよく思い返してみると、俺は親に不採用になったことは一々伝えてないので、怠けてるように見えるのも当然だったのかもしれない)

思うに、この親の言う仕事と、俺の仕事という定義が、ぜんぜん違うんじゃないかと思う。

俺がやってきた仕事っていうのは、倉庫や工場でただ機械みたいに無機質に働く、いわゆるライン工みたいなつまらない仕事。
まあ、フリーターとかってのは、大体このような仕事が多い。
いつやめたって、替えがきいて、やることも単調。そして、給料が安い(バイトだから)。

良く、テレビとかで飲み会に行きたがらない最近の若者とかってたしなめるようなシーンが見られるが、
俺に至っては、飲み会をするような職場に行ったことがない(厳密には全部が全部そういう職場ではなかったが)。

そういうライン工みたいな職場なんて、暦通りの休みもなく、仕事場は毎日フル稼働で、休みの日だってバラバラだ。
それに、みんな飲み会を出来るほど給料をもらっていないことを、暗黙の了解でわかっている。
そして忙しい。休みはバラバラで、まとまった休みなんて取れない。

大体、こういう仕事が嫌になってやめるのは、仕事がつまんなくて耐え切れなくなって(飽きた、キツイ)やめることがほとんど。
人間関係で嫌になってやめたなんてのは俺はそれほど大きな理由にはならなかった。

親の言う仕事ってのは、俺は従事したこと無いから上手く説明できないが、まあテレビやドラマに出てくるような感じの仕事なんだろう。
あそこまで絵に描いたようなホワイトな仕事とは思ってないが、無機質な機械みたいな仕事じゃなくて、ちゃんと個があるような仕事。

俺は頑張ってなんとかそういうちゃんとしたというか、長続きできそうな仕事を探して何度も書類を送ったりもしたが、どうしても入ることが出来なかった。

結局、いくら頑張っても、最後に採用されるのは、みんなが嫌がるような、そういう深夜の倉庫整理みたいな機械みたいな仕事だけだ。
最終的にはそのみんなが嫌がる仕事に、望まぬともどうしても行き着いてしまう。

そんなことを10年以上も繰り返してきたら、嫌でも気づいてくるのだ。

アレ、おかしいぞ。と。

こんなみんなが嫌がる無機質なライン工の仕事でも、自分一人で暮らしていけるような給料が支払われるのなら我慢して働く余地もあるだろう。

だが、それも厳しい。

俺はこの方向で、正攻法で生きていくことは諦めなきゃならない、ということに勘付いていく。

この頃一番、仕事について考えたと思う。
年齢的に考えるのが遅すぎだろと思われるかもしれないが、就活生の時みたいな仕事に対する考え方とかとは
また違った見方だったと思う。

世の中にはいろいろな仕事がある。
一般的に想像される仕事のイメージは、汗水たらして働くキツイものだ。

そして俺は、そういう仕事ばかり下っ端でやってきた。

飲食店の厨房で油まみれになって一日中食品を作ってたり、
中学2年の頃から始めた新聞配達。夏は暑い中汗かいて新聞配って、冬は川から湯気が立ち上るほど寒い日に、寒さに耐えながら配達したり
そして倉庫で荷物整理や仕分けの仕事を腰を痛めながらやったり

もう、田舎だからそういうオーソドックスな仕事しかなかったが、そんな仕事ばかりやっていた。

そんなもんだから、俺だって、仕事についてじっくり考えることがなかったら、そういうものが仕事だと、もう完全に思い込んでいたと思う。

でも、良く考えたら世の中にはいろいろな種類の、それ仕事って言えるのか?って言う仕事まである。

例えばテレビ番組の制作会社なんてのは、キツイ職場であることはわかっているし否定しないが、
ああいうクリエイティブな仕事は、そのぶん楽しい部分もあるはずなんだよな。

少なくとも、毎日流されるようにただ荷物の整理や食品製造に追われるライン工の仕事のキツさにはないやりがいがある。

やったこともないのに知ったふうな口を利くなというが、俺には、やったことのない仕事を上手く語れるすべがない。
周りにテレビ番組の制作会社勤務の知り合いでもいれば説得力を持たせられるのだろうが、残念ながらそんな人はいない。

同じ給料が安い仕事で、キツくても何か面白そうな仕事は、結構あるということだ。

それに正社員として自立して働いているからといって、全員が立派かというと、案外そうでもないぞ

これは俺の身の回りの話だが、俺の妹が通っている障害者の福祉施設の社員なんて、結構楽してるところがある。
楽ばっかりしてるとまでは言わないが、いい思いしているというかな、手を抜けるところがあるというかな、
あんまりうまく書けねぇが、立派に使命感を持って働いてるかというと、結構気が抜けてたりするんだよな

ちょっと前に、アニメーターの給料が安すぎるとかって画像が流出して問題になってたけど、
給料が安いことを正当化する気はさらさら無いが、じゃあそれより給料の高いライン工の仕事を、やるのか?っていうと、嫌だろ?

まあ、アニメーターの待遇の改善については全く別の問題だけども、給料が安くても好きな仕事だったり楽しそうな仕事やってるほうが、結構幸せだと思うんだよな。

アレじゃ暮らせないからって、アニメーターやめて、俺がやってるライン工みたいな仕事に転職して、毎日腰を痛めながら働けるか?嫌だろ?

俺はその選択肢すら選べないから、
というか、俺と同じように選択肢すらない人間がそういう仕事をやっているわけで。

俺だって、できたらそれだけで食っていけなくてもいいから好きなことで仕事していたいんだよ。

だからアニメーターの件については、同情の気持ちなんて全く無いし、なんとも思わない。
会社がもっとしっかりしろよとは思うが、そこで働く人たちが給料が安いからやめて、全く興味のないきつい仕事をやれるかっていうと、本音は無理だろ?

これこそが、俺が悟った真理の一つだ。

それで俺は、考え方がだいぶ変わっていった。

生きるために生活費を稼ぐ
きつい仕事をやって苦労して生きる

そういう考え方を完全に捨てた。

好きなことをやるために生きる

これでいいじゃん

ていうか、生活するために金を稼ぐ生き方をしてたら、絶対折れるよ

たまたま幸運にも挫折を経験せずにエスカレータで就職までいけてれば、こんなことを考える必要もないのだろうが。
というか、考える必要が無い人生なら、それはそれで無駄がなくて幸せなのだが。

なんだか、ネット上の怪しいセミナー勧誘みたいな語り口調になっていっているが...

俺がいいたいのは好きなことを仕事にして生きていくという、我儘にもにた子供じみた理論を主張しているわけじゃない。

必ずしも好きなことをやって、それだけで生計を立てて生きていくみたいな考え方じゃない。

それが出来ればいいし、そこに向かっていければ最良だとは思っているが、そういう生きがいがあってこその人生じゃあ無いのか

いわゆる夢追い人という考え方にも似ているかもしれないがちょっと違う。

金のために生きてるんだったら、死んだほうがいいよな
俺は本気でそう思ってる。

生きる目的がなくなった時、気力や希望がなくなった時、が人生の幕引きだろうよ、本当にな。

好きなことやって生きれるようにすることが、それが努力じゃあ無いのか

嫌でキツイ仕事をつまらないと思いながら嫌々やって、それに耐え忍んでいる姿が努力という風潮
そろそろ日本でも、その価値観を捨て去る時じゃあないのか

そんなのは努力じゃない。ただのやせ我慢だ。
本人がそれでいいと思考停止してるなら、それでも構わないが。

人間は苦労して生きるべきだという価値観は俺は嫌だね

まあ、俺も偉そうに語っているが、この辺の話は、ほとんど全部ホリエモンの受け売りだ。

俺は2015年春に、ホリエモンの動画と出会わなかったら、今を生きていなかっただろう。
もうこのまま、突破口を見いだせずに、もっとはやくに“けじめ”をつけていただろう。

2015年
俺は何をしたか

突然RPGツクール3でゲームを作ろうとした。
実況動画を撮って毎日1時間半の動画を毎日投稿した。
しかも編集に頼らず、収録中はほぼ全部喋り通しだ。

俺はそんなことに挑戦した。

いわば俺にとって2015年は、人生のロスタイムのようなもの

何度も何度も俺はこのブログで、俺はもうダメだ俺はもう駄目だと言い続けてきた

それで何も変わらなかった

助けてくれる人が来ることもないし、炎上して何か環境が変わったりもしなかった。

だからホリエモン動画に出会った2015年

俺は人生のロスタイムとして、やれるだけをやることにした。

RPGツクール3で作ったゲームを完成させることが、一つの節目と考えていた。

だから本当はもっと早くに“けじめ”の結論を出すつもりだった。

だが、予想以上に完成までが長引いてしまって、2016年を迎えてしまった。

そして2016年初頭、無事にゲームは完成した。
動画にもした。

作った後のことは、俺は全く考えてなかった。
なぜなら、作ることに全力になっていたから。

俺は、これしかないという背水の陣で、とにかくRPGツクール3でゲームを作ることに必死になっていた。
気づけば年の瀬はあっという間に過ぎ去っているほどで、正月もたぶん人生の中でこんなにも早く感じた時はなかった。

作り終えた後、それを動画にしてYoutubeに投稿した。
そして、作っていた頃のことをレポートとしてまとめて、このブログへ投稿した。

ここまでがRPGツクール3でゲームを作ることの最後の仕上げだった。

これを完成させたことで何かが変わればそれでよかった。
金とか名誉とかそんなのは、全く考えていなかった。

作り終わった後のことなんて何も考えてないから、余力も残っていない。
作ったゲームが、どういう評価をくだされようが、もう体当たりで挑戦するしかなかった。

そしてもう一つが、毎日更新し続けた実況動画だ。

毎日決まった時間だけ更新するというのが、本当に大変だ。
俺は喋りの訓練を受けたわけでもないし、どちらかというとこの数年は鬱々として無口になってたから、喋れるのかも不安だった。

動画を撮影中は、隙間なく喋るのに集中していて、見た目ほどの楽な動画ではないのだが、楽しくゲームをやっているような雰囲気の動画になるように、ひたすらしゃべり続けた。

毎日毎日、あのペースを続けるのは本当にキツかったが、俺はやり続けた。

だけども、俺は、何かをやる以上、人は結果を出さなければならないと思う。

いや、俺の場合は、結果を出さなければならない段階に来ていると思う。

他に閉塞感を打破する方法がないからこその、背水の陣というわけで。
そんな状況だったからこそ、RPGツクール3でゲームを作ることも成し遂げることが出来たのだろう。

しかし、やったことにたいして、一定の結果をあげなければ、俺はダメだと思う。

では俺は、その結果を出すことが出来たか?

まだ、結論を出すの早いのかもしれないが。

俺は、“けじめ”を付けなければならないと思う。

これまで予約投稿で自殺宣告みたいなことを何度かやってしまっていたが、今回はそういうものは何もない。

この記事を、書くのが、“けじめ”の一つだと思ってやっている。
俺へのものだ。

結果を出せなければ、俺に残されているのはもう自爆しか無い。
この自爆という単語の意味の解釈は読んでる人に委ねる。

俺だって、“けじめ”をつけるといって、今こうして書いている段階では、自爆と書いている自爆の意味もはっきりしていないのだ。

ただもうちょっと言いたい。

俺は全力を出し切って、2015年は生きてきた。

それは、ここを読むことはないだろうが、本当にホリエモンのおかげだ。

ホリエモンの近畿大学の伝説のスピーチから始まって、人生哲学をYoutubeの違法動画でたくさん見てきて

2015年夏に、俺は実行した。

ロスタイム最後の挑戦とばかりに、あの暑い夏の日から、全く無計画にやり始めた。

最初はRPGツクール3だけだったが、もう嫌気が差していた実況動画まで撮ることになるとはこの時はまだ思いもしなかった。

その実況動画も、毎回毎回全力を出し切って撮影して投稿していた。

自己評価では悔いは無い

面白くできていると思っている。動画もゲームも。

しかしそれを、他の人が見てどう言う評価を出すのかは、わからない。

今もそれはわからない。

とにかく、当初想定していた、RPGツクール3の制作日記、そしてこの記事
これを書いた後、俺は“けじめ”を付けなければならないと思う。

“けじめ”をつける時期はいつになるかはわからない。

気力があればまだ、こうしてブログを更新したり動画をここに載せたりしているだろう

それは、わからない。

去年やろうと思ったことを一通りやりきって、今はただただ放心状態になっている。

これをどれだけの人が読むのか(ゲームを作るためにだいぶ放置状態だったから見る人も減ったろう)
頑張ってやってきたが、次が見えればまた何かやっているだろう。

終わります

よくよく考えたら、別に“けじめ”を付ける必要はないのだが、やり始める前に、そう自分で決めたのだから、そこまで全うしたいと思う。

2015年感銘を受けた動画


世の中の仕組みは知らないうちに勝手に変わっていく。衝撃を受けた動画だった。






面白いのは、みんな「頑張って就職しろ。仕事しろ」とは全く言わないこと。たいていの相談番組だと、まずはバイトしながら...というアドバイスが本当に多いのに



俺は親の言うことを聞いて、チャンスを幾つものがしてきた。常識に縛られたことで、失敗を増やしていった
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RPGツクール3 ゲーム制作記 ~ツクラー挫折者、初心者、入門者へ送る~

突然ゲーム作るぞ!と思った

2015年8月のことだった。
俺は、いきり立った。

「ゲームを作るぞ!!」

そして出してきたのは、プレイステーションのRPGツクール3。

家にあるRPGツクールで、まともにゲームが作れそうなのはこれしかなかったのだ。

正確には、昔同じような発作を発症して、RPGツクール2000を買ったこともあり、それも持っている。

だが、インストールディスクを紛失してしまい、RPGツクール2000をインストールしてある古いPCでしか動かせない状態だった。
今更シングルコアの重たい低スペックPCで作業なんぞ出来ない。
おまけに、WindowsXPだから直接ネットに繋ぐのもはばかられる機体だ。
完成させても配布できないのでは意味が無い。

色々頭にある知識をまさぐった結果、インストールしたPCから、USBメモリなりなんなりを使って、現PCに移せばそのまま使える、ということがわかった。

だが、USBメモリが家の中のその辺に転がっているような裕福な家でもないし、何より面倒くさかった。

そういう作るまでの環境構築みたいな下準備なんか嫌で、本当にすぐに作りたかった。

だから、俺の中で「RPGツクール2000」の選択肢は消えた。

じゃあ、「RPGツクール VX Ace」でも買う?
※この時点では、「RPGツクールMV」は発表されていない

いいや!それは駄目だ!
一時的な発作のために一万円以上も、おいそれと使うことは出来ない。
なにせ、やりだしても飽きたり挫折したりして、完成させられなければ意味が無い。
お金をつかうのなら、それらの見通しが立ってから使うべきだ。

俺の中で、プレイステーションの「RPGツクール3」で、ゲームを作ることがこの時点で自動的に決まった。

俺はおもむろに、老体プレイステーション1(1997年購入品)に、「RPGツクール3」のディスクをセットした。

この記事は、RPGを作りたいと思っているが不安になっている人と、過去にRPG制作経験があるものの挫折した人に送るハウツー記事です

俺とRPGツクールの関係

名作と名高いサンプルゲーム「ゴブリくんの冒険」を、サクッと終わらした後、すぐにRPG制作に入った。

RPGツクールには、必ずサンプルゲームが付属しているが、絶対プレイした方がいい。
サンプルゲームというだけあって、良く出来てるし、お手本にもなる。
これから使おうとしている開発ツールで、何がやれるのか、どういうものが作れるのかがわかる。
それに、何よりやる気が鼓舞される。


PC版のツクールだと、サンプルゲームだけで何本も収録されてるが、辛いかもしれないがやはり全部やったほうがいい。
サンプルゲームの制作に抜擢される制作者というのは、それだけ優秀な制作者だということは間違いなく断言できる。
そういうゲームを事前に触れるというのは、とても重要な事だ。

RPGツクールでゲームを作る場合、たぶん、それなりに準備が必要なのだと思う。
おおまかなストーリー、世界観、主人公など登場人物、そしてなにより、表現したいアイディアなどだ。
俗にいう、構想みたいなものがなければ、そもそも作るものがない状態といえる。

しかし俺は全く準備なく作り始めた。
この時の俺は、ただやる気だけで動いていたと言っても過言ではない。

そして、ここからが重要なのだが、俺は過去にRPGツクールでゲームを一本も完成させたことがない。
完璧なる素人ということだ。

厳密に言えば、スーパーファミコンの「RPGツクール」「RPGツクール2」を冷やかし程度に触ってはいたが。

触っていたと言っても...
きちんと起承転結のストーリーを考え、それをイベントとして実装し、バトルもきっちり作りこみ一本のRPGとして完成させるまで作ったことはない。

せいぜい一個の町、ダンジョンを作って、適当にお遊び程度のイベントを作って、飽きて終わっていた。

この頃の俺は中学生だった。
おそらく、大多数の人間が、「RPGツクール」を触っていると言っても、この程度だと思う。
今だからこそ言えるが、RPGを一本完成させるというのは、何が何でもやってやるといった強靭な意志がなければ不可能だと思う。

だって。
あんな少ない容量でやれることもすくない=完成までの作業量が少ない、敷居が低い。
スーパーファミコンの「RPGツクール」「RPGツクール2」ですらも、使いこなして完成までこぎつけることが出来ない。

普通の人間なら。普通の人間ならそうだ。
そこで終わってしまう。でも何も問題はない。別にRPGを作らなければ生きていけないわけでもない。
お遊び程度で触ったら、ちょっと1個2個村と洞窟作って、へんてこなイベントとバトルのデータ作るぐらいで終わって当然。

もっと弁護すれば、その程度のものを作るのでも、3時間4時間ととにかく時間が掛かる。
作れる量が少なく、自由度も低い「RPGツクール」「RPGツクール2」ですら、大真面目に完成まで作ろうとすれば、30時間から50時間は、たっぷりと掛かってしまうだろう。

ただこの時、中学生の時に、RPGツクールに興味半分程度とはいえ、触れていたのは大きかったかもしれない。
例えば、遊びでいじっていたスイッチの概念を理解して、何も知らない状態よりは使いこなせるようになっていたし、
場所移動など基本的な制作概念的な下地を理解していたので、そのへんのステップは今回は省略できた。


構想なし!いきなり作り始める

今回、思い立ってすぐに作り始めたので、構想とか計画は本当に何もない。
だからまずはマップを作り始めた。

構想も企画もなにもないから、ならば、作りながら考えていくまでだ、という勢い任せの作りになった。

ツクール3の手触り感を肌で感じながら、何が出来るのかを試しながらマップを作っていく作業。
それはまさに、RPGを作る!!という気負いを要求されるものではなく、ゲームを遊んでいる感じに近かった。

それで最初に作ったのが、村、次に、洞窟、次に城下町、といった流れだ。

さすがに完成前には、初期に作ったこれらのマップは手直ししたくなる水準だったが、完成版でも敢えてボツにせず使っている。

マップを作る上でのコツというのは何もない。
強いて言うならば、歩いていてワクワクするようなマップってどんなものかなあ?という感じだ。

ダンジョンなんてものはまさに、ワクワクするマップの結晶だった。

最初に作った洞窟は、狭いが段差があって、スイッチを押すと、地鳴りとともに壁に階段が出現する、
右側にある階段を下って行くと、奥に地底湖が見えて、左手には岩に塞がれた通路がある。
その岩は、右手に見える崖の上にあるスイッチを押すことで岩が動いて道が開く。

2つ目のダンジョンは、RPGでは良くある山道。
洞窟と外の山道を交互に進んでいく綺麗な景色のマップで、自然を表現することに気を遣った。

次に作ったのは、古く使われなくなった地下道。
これは、ツクール3にあった、出来上がりのマップを組み合わせて作った初めてのダンジョンだった。

ツクール3にはフィールドマップがなく、ロマサガシリーズのように地図から行き先を選択するので、街道も作った。
街道は最終的には3つ。
しかし、ツクール3では広いマップを作るのが大変で、容量もメチャクチャ使う。
街道を作る用にマップチップが出来てないので、それっぽく見せるためにも結構苦労をさせられた。

その次は世界樹を作ろうと思った。
ドラクエ4に世界樹という大樹を登っていくダンジョンがあったが、あれみたいなのを作った。
もちろん、それ専用のマップチップはないので、飽くまでそれっぽく見せるために工夫を強いられた。

こんな感じで、想像力を膨らませて、ワクワクするマップを作っていった。

この時点では、ストーリーは全く出来ていない。それどころかパーティキャラの容姿も設定とか、そういうのも全く無い。
マップを作ってると言っても、世界地図とかそんなものもないから、いわゆるフィールドマップすら作られていなかった。
必要に迫られた時に、仕方なく作っていたが、はっきり言ってそれは暫定的なものだった。

それでも、俺はひたすら町とダンジョンのマップを作り続けた。

RPGにおいて、これらのマップは、いわゆる点みたいなものだ。

出来れば、着想や構想やプロットを事前に作っているのが望ましいのだろうが、それで手が止まってしまったり動かなかったりするのならば、
作りながら考えていくしか無いのだろうと、俺は思っている。
非常に非効率な作り方なのかもしれないが、作ろう!という意思を駄目にしてしまわず、伸ばすために必要であれば、それも正しい作り方だと俺は考える。

ひたすら点を作っていき、後でそれを線で繋いでいく。
これが、ストーリーであり、キャラクターであり、世界設定ではないだろうか。

まず下書きをして、ラフを書いて、おおまかな作品の全景を描くのが、本来のやり方なのだろう。
だが、作るのは一人で、締め切りもノルマも何もない。

それならば、作れるところから作っていき、都合が悪くなった時にその都度、作ったものをリテイクして変更してったり、必要に応じて追加作成していくような、柔軟なやり方でも十分なのではないだろうか。

長期計画を立てることで、かえって頭が固くなり、融通が利かない状態に陥るのであれば、そんなものはかえって邪魔なのかもしれない。
俺は作っていて、そのように思った。

ちなみに、ここではマップだけを作っていたのではない。
ダンジョンのギミックやイベントも、この時点で作成している。

つまり、ダンジョンマップを作る=その中のギミックも作る、ワンセットなのである。

今回、俺は、ダンジョンにギミックを詰め込み過ぎたと反省している。
なにせ、RPGツクール3は、このとき思っていたほど容量が潤沢ではなく、贅沢に使っていたら、すぐに枯渇してしまうものだということに気づいていなかった。

まだ入れれるまだ入れれると、手加減無しで全力投球した結果、3つ目の街道を作っている途中で、容量の上限が見え始め、焦り始める。

そのせいで、最後の方に作ったマップは、消費容量が少ない、予め収録された一枚絵のマップを組み合わせたものばかりになってしまった。
ラストダンジョンに至っては、かなり広大でマップ枚数50枚以上にも関わらず、そのほぼすべてが一枚絵マップをつなげたものとなった。
この辺の計画性のなさは、今となっては反省材料となっている。
とにかくRPGツクール3は、容量を気にせずRPGを作れるものだという巷の評判を鵜呑みにしすぎた。
また、一度ツクール3で限界まで作ってみなければ、この感覚は気づくことが出来なかった。

そしていよいよ、製作開始からおよそ3ヶ月。製作時間約290時間で、マップ制作が終了する。

過酷を極めたシナリオ作成!

何も計画がないままマップを作り続けて2ヶ月。次に残されたのはシナリオ、バトル関係だ。

俺は正直いって、舞台となる世界のマップを作り終えたら、もう折り返し地点も超えてゴールが近いと思っていた。
なにせ、単純にマップだけを作っていたわけではなく、ダンジョンはギミック込みで作っている。だから楽勝だと思っていた。
だが、その考えは非常に楽観的で甘い物だと痛感することになった。

例えるなら、これまで続けてきたマップ作成が肉体労働だとすれば、シナリオ制作は頭脳労働みたいな感覚だ。

ひたすらネタを出してマップを作っていくのも辛かったが、それ以上に難産だったのがシナリオ部分の制作だった。

マップという名の点が出来上がったら、後はそれをシナリオという線で結んでいくだけ。
しかも作っている間に、大体どういうストーリーにしようか、うっすらではあるが考えてはいた。

だから、それを打ち込んでいくだけ...
はっきり言ってこの考えが甘かった。

まず、そういう思考に至ったことを、これを読んでいる人からは、簡単に「甘い!」と見抜けることだと思う。

だけども、当時の俺は、なにせ当事者である。
ひたすら試行錯誤して毎日毎日、マップ制作に追われてた。
ただマップだけ作っていたわけではなく、こんな感じのシナリオにしようみたいな思いつきのことをいくつか考えてた。

だから後は、そのぼんやりと考えてたシナリオを具現化していくだけでいいと当然思う。
マップを作っていた時のようにゼロから作っていくのではなくて、頭の中に、それなりの案が浮かんでいる。だから楽だと。

当時の俺はマジでそう思っていた。

だが、そんなに楽観的に作れる代物ではなかった。

言うまでもなく想像できると思うが、RPG作りで1,2を争うほど作るのが大変なのがシナリオである。

あんなキャラがいて、こんな敵キャラがいて...無から有を創りだすのが大変なように、物語を作り出していくのは大変なのは想像するまでもなくわかることだ。

俺はそんな単純なことにすら、気づけなくなっていたのだ。

それだけ周りが見えなくなっていたのかもしれない。自分がやっていることに夢中になりすぎて、何も考えられなくなっていたのかもしれない。

それでもシナリオ製作期間はマップ制作の半分、1ヶ月で完成へと至った。

だが、この1ヶ月の作業密度は、それの前に取り組んでいたマップ制作の2ヶ月と比べると、遥かに密度が濃く過酷なものだった。

ツクール3をやっていない間にも、あのキャラをどうしようとか、ここでどんなキャラを出したら適切だろう、どういう台詞を喋らせれば...
いやいや、それより主人公の冒険の動機はどうしよう?ラストのオチは?4人目の仲間はどのように登場させる?
綺麗に起承転結させるには、後何が足りない?プレイヤーを驚かせるような意外な展開は、どうやって作る?

ここで、何も準備せずに作り始めたしわ寄せがやってきたのである。

そう、具体的な世界観も考えておらず、舞台となるマップだけは作ったが、それらが相互にどのようなつながりを持っているのか、
そんなちゃんとした土台作りが全く無いので、ここに来て本当に困ったのである。

上記に書いた、シナリオ制作時の悩み事は、盛ってるわけでもなんでもなく、嘘偽りのない“事実である”

なにせ主人公なんて名前も容姿も一度ガラッと変わったし、オープニングなんて一番最後に作ったぐらいだ。
敢えて一番最後に作ったのではない。作れなかったのだ。考えてなかったから。

つまり、こんな根本的な部分が出来ていなくて、たった1ヶ月と言っても、この間は情緒不安定になって意味もなく切れたり
マップ制作と違って、手を動かせば捗るという作業ではなかったため、解けない問題が出てきたらその都度中断を余儀なくされた。

シナリオを作っていくというのはそれだけ大変だということを、身を持って味わったのだった。

シナリオの組み立て方

ではその、無謀な状態からどのようにして、シナリオを完成させていったのか。

勿論、俺は、シナリオを書いたこともないし、シナリオの書き方を勉強したこともない。
そんな未経験の状態から、どうやって作り出していったのか。

まずやったのは、物語のオチ(核心)を決める。

「魔王を倒しに出かけていった姉ちゃんが、魔王になったまま帰ってこないので探しに行く」

これだけだと矛盾した一文ではあるのだが、この一文から、まさに、ストーリーを膨らませていった。
後半は、主人公は姉ちゃんが魔王になってしまったから帰ってこないということはわからないのだから、このような書き方になっている。

最終的には、魔王は、本来使われている意味合いでの魔王ではなく、ある国が高度な文明を維持するための生け贄の総称としての意味合いをもたせたシナリオになった。
魔王=姉ちゃんであることは、悟られると思ったので、真相をもう一段階ひねった(といっても狙い通りというわけではなく、行き当たりばったりの成り行きで作られていったものだ)。
いわゆる叙述トリックという形で、一般的に想像される魔王ではなく、全く違う意味の魔王として何とかまとめることが出来た。

当然のことながら、最初っからこの結末が綺麗に出来上がっていたわけではない。
初期の頃は、『本当の魔王』みたいなものがいて、そいつは度々、主人公のピンチを成り行き上助けてくれたりする重要なキーマンとして考えていた。
例えば、魔王の役割を押し付けられた姉を不思議な力で救ってくれるキャラとか。
そして最後は、夕焼けをバックに、「幸せにな……」と寂しそうに『本当の魔王』は、一人どこかへ消えていくみたいな。

正義の主人公視点から、要所要所で正反対の立場である『本当の魔王』視点に変わって、ダークヒーロー的な孤高の戦士みたいなシーンを見せようと思っていた(好きなのだ、そういうシーンが個人的に)。
だが、残念ながら、それはかなり初期の頃に没となった。

そして、一旦、このオチを決めたら、それ以上頑張っても、このオチの物語は思いつかないので、今回のケースでは、俺は後回しとした。

では、次に何をやったのか。

今回作ったRPGのシナリオは、大きく3つのシナリオでできている。

キラ(主人公)、ミスティ(4人目の仲間)のシナリオ これまで説明してきたストーリー
ユリア(2人目の仲間)のシナリオ
シャロ(3人目の仲間)のシナリオ

本当は、パーティキャラ1人に1つのシナリオを作りたかったのだが、容量的に無理で、4人目の仲間と主人公のシナリオを融合させた形になった。
シナリオをまるごと一つ消滅させたことで、4人目の仲間のキャラ設定もガラッと変わってしまった。

具体的な話に入る前に、ゲームやアニメのシナリオがどのような仕組みで出来ているのかというのを
独学で、このゲームで実際にシナリオを書きながら考えていったので、まずその考えを披露しておきたいと思っている。

これは、俺も人から教えてもらったもので、しかもうろ覚えなのだが...

シナリオというものは、縦糸と横糸が寄り集まって出来ているというようなことを教えてもらった。

正確な言葉までは実は覚えてないので、実際は違った言い回しだったと思うのだが、意味合いとしては合っていると思う。

この時、教えてもらった時は、それが何を意味しているのかというのは、はっきり言っていくら考えてもわからなかった。

ただ、今ならこの言葉の意味を、本来の意味とは違うかもしれないが、なんとなくではあるが理解している。

物語には必ず、大目的があって、それに小目的がぶら下がってくることで出来ている。

大目的というのは、RPGで言えば、世界を旅して財宝を集める、魔王を倒す、勇者になる、みたいなもの。
小目的というのは、その過程で起こる、事件みたいなもの。

今回俺が作ったゲームでは、大目的に当たるシナリオが、今まで上で説明してきた主人公シナリオの部分。
「帰ってこない姉ちゃんを探す旅」が大目的になる。

小目的のシナリオは、以下2つの、ユリア、シャロ、が仲間になるパーティキャラのシナリオの部分。
俺が作ったシナリオでは、たまたま、小目的が大目的を達成するために必須項目みたいなシナリオに最終的にはなってしまったが、
これは大目的に関連付けなくとも、物語は成立する。

俺のマイナーなRPGを例に出して説明してもわかりづらいと思うので、有名なものを出してみる。

水戸黄門では、黄門様が助さんと角さんを連れて諸国漫遊をしていると、出先の村で事件に遭遇し、最後には必ず印籠を出して解決する。
この場合、諸国漫遊している部分が大目的で、後半部の出先の村で起こる事件は小目的である。
大目的は、魔王を倒すというように、必ずしも具体的でなくても成立することをここでは示したい。

みんなが良く言う王道ストーリーというのは、まさにこの形で、期待を裏切らないという意味でも使われるが、大抵がこのパターンだ。
印籠が、正義の味方のバトルだったり、形が変わっているだけで。

ワンピースでは、中期以降の内容は知らないのだが、初期においてはグランドラインを目指す、海賊王に俺はなる!という大目的だった。
そのためにルフィは、航海の旅に出て、行く先々で事件を解決して仲間を増やしていくという、これまた王道ストーリーだ。
水戸黄門でもそうだったが、事件というのが小目的で、一つ一つのエピソードだ。

同じ少年漫画でもハンターハンターだと、大目的はもっと漠然としていて、ハンターになって親父に会うみたいなものだったが、
エピソードごとに、ストーリーのテイストはガランガラン変わるし、描写の視点もストーリー重視で作者の都合で、柔軟に変わる。
手馴れてきたら、王道のパターンから外れて、この漫画のようにずれたこともやれるのだろうが、よほど自分の世界観とかやり方が確立してないと難しいだろうと思う。
(今考えなおしてみると、ジャンプ黄金期の伝説級の漫画は、長期連載中に大目的を達成してしまって、新しい大目的に切り替わるみたいな現象も、詳しくはないのでわからないが、あったように思う)


要は、大目的は何なのかというと、ストーリーを動かすためのキーみたいなもので、だから具体性に乏しくても、鍵にさえなって、それを作者が使いこなせれば、割りとぼんやりとしていても、成立できる。

たぶん、俺が一本RPGを作った時に、学んだことというか、それを今説明しているのだが、何言ってんだこいつというか理解できない人のほうが多いかもしれない。

そもそも、俺自身が、教えられてもわからなかったことだ。そして、経験もないしプロでもないからこれが正しいことだと自信を持って答えられることが出来ないからだ。
シナリオの組み立て方の方法論なんてものは。

少なくとも、RPGのシナリオの作り方とか、勉強に最適なのは、色々なゲームをやってきたが、いわゆる王道と言われているRPGで、
やはりドラクエシリーズの、ドラクエ7、ドラクエ8辺りをおすすめしたい。
ドラクエシリーズは基本的に王道だが、7,8が教材としては適している。

ドラクエ7は、ディスク2までは、石版の中の世界という、視覚的にも分かりやすいパターンストーリーなので、かなりシナリオの仕組み的なものを学習できるし、最適じゃないかと思う(勿論他にも勉強に最適なRPGというのはあるのだけども)
でも出来れば、レトロゲームというか、古めのRPGの方が、ゲーム自体のボリュームもそれなりで、単純化しているから、SFC時代辺りのRPGなりゲームなりが、学習には最適だと思っている。
PS1やPS2以降はちょっと贅肉が増えてきて、勉強するにしては厳しいと思う。

それからこの項目では最後になるが、RPGでシナリオを作ることと、小説を書くことは、似ているようで実は結構違う。
RPGでシナリオを書くというのは、どちらかと言うと小説で言うと前段階、下準備のプロットを作る作業止まりだと思う。

これには異を唱える人が出るだろう。
えっ
だって、台詞入れてくし、マップを作ってどこでイベントが発生するのか、入念に構成していくところはもう小説書いてるのと大した変わらないことじゃないって思われるだろう。

だが。
小説というのは、文字だけで、文章だけで読者を引っ張っていかなければならない。
汚い言い方だが、RPGのゲームのように、画像や音で誤魔化すことが一切できないシビアな世界なのだ。

RPG作るのは大変だし、小説を書くのも大変だ。
そもそも俺は先に、このRPGを作る前に何度も小説を書こうとして悪戦苦闘してきて挫折の屍の山を築き上げてきた(ここではそれを言ってないが)

RPGも小説も、どちらが上か下かという優劣ははっきりつけられない。どちらも大変だというのが事実としてある。

ただ、小説を書くというプロセスにおいては、RPGのシナリオ書きは、プロット段階か、それよりちょっと前に進んだあたりの感覚だった。

小説では見ればわかるだろということも、全て文章で表現しなければならない。
だから大変なのだ。
今の時代、もしかしたら各種便利ツールが充実してきたRPGを作るほうが、小説を書くよりも敷居が下がっているかもしれない。
練習がてら、RPGでシナリオ書きに挑戦するのは十分ありのように思う。

ユリアシナリオでやりたかったこと

ユリアというのは2人目の仲間で、良くいる回復魔法に特化した正統派ヒロインだ。
仲間に加入する部分のシナリオは、初期の初期に気まぐれに作ったので、キャラの言動にブレがあったり、演出が弱かったりする。
ただまあ、それでも筋書きは悪く無いと思ったので、そのまま残した。

オープニングが終わるとすぐに、ユリアシナリオに入っているのだが、実のところ、仲間に入るまでが長くて引っ張り過ぎだと反省している。
この後にも書くが、バトル部分でも、仲間に入るまで随分引っ張ったことで苦悩する原因となった。
(なにせ仲間になるまで、一人旅で4つのダンジョンをクリアする必要があるため)

もちろん、製作中にも、構成を見なおそうと何度か考えた。
だが、シュバルツ国の城で王様と話すことで、簡単な世界観を語らせた後、北の山を抜け魔物に壊滅させられたメルト村に行って村を救い、
そこに祀られてるユリア用の伝説の武器「退魔の杖」を取り、同じ魔物に永遠の眠りにつかされたユリアと出会い、
助けるために世界樹に登る

この流れを入れ替えることが、どうしても最後までやれなかった。

例えば、メルト村にユリアがいる場合、その後考えていたシナリオがやっぱりおかしくなって、
母親を目の前で殺された復讐のために、仲間になる流れが壊れてしまう。

やっぱり「退魔の杖」を先に手に入れてることで、見ず知らずの人を助ける取っ掛かりが出来るわけで、
この辺の順番をゲーム的に簡単に入れ替えることが出来ない状態にあった。

今思うと、バトルの所でも書くが、一人旅救済キャラみたいなのを別に用意して、ユリア加入前に離脱させるみたいなことをやればよかったと思っている。

ちなみに、ユリアの母親殺しの魔物「悪夢のオーヴァ」は、ユリアの故郷の村も強襲するのだが、
実は強襲シーンを、オーヴァ視点に変えてやりたかったのが正直なところだった。

というのも、相反する力を持ったユリアの一族を根絶やしに村へやってきて、母親を殺す瞬間にユリアに一目惚れしたという
シナリオなのだが、
これを主人公視点だけでやると、「あーそうなんだ、切ない話だね」だけで終わってしまうし、完成Verでもそんな感じで空気になってしまっている(マジカルキー引換券みたいなキャラ位置になってしまっている)
おちゃらけた道化師みたいな壊れたキャラに仕立てていきたかったのだが、ただダンジョンの最上階にいるだけじゃ、そんなキャラも引き立っていかないのだ。

どうしても容量が苦しく、この場面は断念せざるをえなかった。

シャロシナリオでやりたかったこと

このキャラは、メイドキャラの色変え版でやると決めた瞬間にほとんどのシナリオの方向性が決まったようなものだった。

魔法学院で魔法の勉強をしているが、課外授業で“選ばれた者”になるが、その力の使い方をわからずに燻っているというものだ。

そしてまあ、こういうシナリオ書きが初めてだったので今でも抵抗があったのだが、集団暴行されて殺されるまでいたぶられるというシーン。

今でもここまでやらなくてもよかったかなあ…と思っている。
作るときは結構、動的なシーンなので、何度もチェックして手間の掛かったところで、だから作っている間も
「さすがにやりすぎたかなあ…」と何度も考えた。

ただ実際、時間を置いてチェックしてみると、案外あっさりしていて、まあこんなもんかなと言う感想だった。

やっぱり女の子が一方的に(しかも集団に)いたぶられているというシーンは、作る方にしてみると、結構な抵抗感が出る。

まあでも、こういうシーンこそ逆に考えると見せ場だしなあと、ライバル敵立ち位置に居るキャラ、エリーゼの狂気のヤンデレっぷりを、さらに同性愛のレズで塗り固めて、徹底的に気持ち悪い路線に仕上げてみた。

ぶっちゃけ、手間はかかったが苦労は少なかった。
キャラ設定が決まってすぐ自動的に、ボコられて死ぬ寸前の状態を助けるってのが決まっていたし、その絵作りの演出が大変だっただけで、あとは整合性を取るための後半部のシナリオを考えるのが大変だったぐらい。

2つ目のシナリオ演出ということで、ツクール3の使い方もこなれてきて、場面演出はかなり水準が上がったんじゃないかなと思っている。

それと同時に、凝ったイベントシーンを作ろうとすると、大量にあるはずのイベント容量も恐るべき勢いでなくなっていくこともわかった。

ここで最も困ったのは、締めである最終シナリオとどうやって内容を関連付けさせようかということだった。

事前に予防線として取ってつけたように「魔王を倒すためにはシャロの力が絶対に必要」と、直前のイベントNPCに言わせている。

だが、それだけで終わってしまっては仲間になる、仲間に入る動機付けが弱い。

そこで、魔法学院の真実と、目の前で魔王へ生きた人間を生きたまま分解してエネルギーを送るという施設に行かせて、
パーティ御一行に、ご丁寧にその瞬間を見せて…ということをやってみせた。

ここまですれば、悪事に加担したエリーゼを目の当たりにしたシャロは、自分の問題の決着をつけた後、自然にパーティに入るだろうし、その後の展開もプレイヤーが気にはなるだろう、本来の目的も思いださせることも出来るだろう、ということで、
何とか無理矢理、関連付けさせた。

言うまでもなく、ここの作業は難航を極めた。
ぼんやりとは、考えていたものの実際に作業に入ると、どうやって台詞を言わせていこうかということに悩まされる。
登場人物の一人だったステラ先生の扱いが悪いかとも思った(ボス戦後、死ぬ間際のセリフ無し)が、まあいいかと開き直った。

ちなみにエリーゼについては、倒した後の生死はわざと曖昧にしている。
気づきにくいところではあるが、イベント後に戻ってみると遺体がなくなっている。
続編などで使える勿体無いキャラだと感じたためだ。
余裕があればこのゲーム内でも、ラストダンジョンで中ボスとして再登場させたかったのだが、出来なかった。

シャロシナリオでも、カットしてしまったのは、独白のテキストで進んでいくシーンが多く、
回想シーンで、シャロが“課外授業で規格外の力を得るシーン”をやってみたかったが、
ただでさえシャロシナリオは力を入れすぎて容量も時間も使っているしということで、これ以上やる必要もないだろうと思ってやめた。

このシャロシナリオの段階で、どうしてもイベントデータが一つのファイルに入りきらないことが確定した。
そのため、イベントデータをゲーム中に何度か切り替えるという措置を講じることで乗り越えることになった。

没になった案など

主に容量の関係だが、没になったアイディアは山のようにある。

まず、完成版では、エリーゼから「テレパシータクト」を受け取るが、本来はあそこで受け取るものではなかった。
魔法都市エルシドには、港があって、そこから北の雪の降り積もる島へ向かい、灼熱地獄(当初は炎の洞窟だった)を抜けるのに
必要な「テレパシータクト」と古代魔法を覚えるために厳しい極寒の世界、洞窟を攻略させる予定だった。
初期の灼熱地獄は入り口に、地獄の業火が道を塞いでおり、シャロが古代魔法を覚えてくることでこの炎を鎮火することが出来る予定だった。
完成版では、魔王の魔法障壁(結界)を破壊するためにシャロが必要で、ラスボス部屋でもそんな描写を取ってつけたようにやっていたが、まあこれも悪くないが、本来シャロが必要とされていた局面はこのように他にもあったのだった。

だが、容量の都合もあったし、エルシドの位置から、北へ船を走らせるのは地理的に無理があり、かといって南の島が雪景色というのもおかしいし、なんとも料理に困っていた。

容量の都合で丸々1つエピソードを削ったと書いたが、4人目の仲間であるミスティは、本来は全く違うキャラだった。
灼熱地獄を抜けた先には、トール王国があって、文明の発達した娯楽の町みたいな大きい町があるはずだった。
そこには闘技場やカジノがあって、とても華やかな世界が広がっていて、そこで4人目の仲間と出会う予定だった。

そのキャラは、闘技場でチャンピオンとしてずっと君臨している、無敵丸という、名前通り最強のチャンピオンを倒すことを目的としていた。
無敵丸は敵側の人間で、実力で無敗を誇っているのではなく、イカサマを使っていることに4人目の仲間は気づいていて、それをなんとかしたかった。

イカサマというのは、トール文明の失われた古代遺産である不死身になれる勾玉のようなものを身体に埋め込んでいたから、負けることのない肉体を手にしていた。

それに対して、こちら側は過去へ飛び、無敵丸がその勾玉を手にする前に、勾玉を破壊してしまうという筋書きをおぼろげではあるが考えていた。

その過程で、徐々に、トール王国という国の真実や、主人公の姉が魔王になってしまった事実が、明かされる予定だった。

過去にタイム・トラベルして、1つの街でも過去・現在、2つの空間を演出したり、勾玉のある遺跡でのスペクタクルなど
終盤のシナリオだけあって、結構大掛かりで面白くなりそうなことを沢山考えていたが、マップ容量的にアウト。
それどころかイベント容量もかなり早い段階に音を上げて、とてもじゃないが入れられる規模のアイディアではなくなってしまったためにバッサリとカットされることとなった。

あとはシャロシナリオで関連性が強い話だが、完成版では女子校みたいになってしまった魔法学院だが、本来は共学でもっと大きい学校(マップ)にしたかった。
で、登場人物も極限まで削られてしまったが、初期は、シャロの幼なじみで、小さいころはよく遊んでいたイケメンの男がいて、
そいつが、(学校内でいじめられている)シャロを助けてやってほしいみたいな展開を予定していて、片思いをしているみたいな恋愛脳的なストーリーが、本当の初期のものだった。
だが、ありきたりでつまんないし、あそこは男子禁制にして独特の世界にしたほうが面白い空気感が出るだろうし、容量も苦しくて、そんな手の込んだ描写も無理とわかって、あんな感じになってしまった。

よくよく考えると、2階の個人部屋へ、それも鍵の掛かっているドアをドカドカと開けて中に入るという出会いが、ゲームだからこそ許されてるものの、いかに強引だったかというのがわかるのではないかと思う(削りに削った結果、しょうがなかったのだ)。

ラストダンジョンの闘技場マップにて。
ダンジョンに立て札を置いてプレイヤーの手助けをしてくれていたダンジョンクリエイターという爺さん
これが、実は魔王側の人間であり、闘技場マップで、戦う予定になっていた。

なぜあそこに闘技場マップがあるのか疑問になると思うのだが、本来はそういう仕込みをするためだった。

闘技場だけあって、相手が用意した敵と4連戦して倒していく。

ここは思いっきりコメディリリーフというかギャグイベントで、実在する芸人をモデルにファイターが次々と登場、
戦闘前に、いちいち小芝居のコントシーンが挿入される予定だった。
完成版では台詞だけ出てきていた、解説の掛布さんも、「怪力の掛布」として登場させる予定だった。

そしてここで、シャロのフルネーム「シャロ・アメミヤ」の実は雨女という裏設定
というか、ここでそういうコントをさせるためだけに「アメミヤ」という今一つなネーミングの苗字をつけたのだが、
エガちゃんの一言モノ申す!なノリのイベントシーンで使うつもりだった。

実はこのイベント。なにせダンジョンクリエイターの唯一の登場シーン。
ギリギリまで実装させるつもりだった。
なんなら、このイベントでの台詞を削ってでも、やりたいと思っていた。

だが、どう頑張っても無理だということが判明し、泣く泣く断念した。

他にもゲーム的なフォローとして、50万Gが必要なカジノで、金策用のセブンスオーブを売った後、お金を使い込んでしまったプレイヤーへの救済策として、時間を巻き戻す(ペナルティあり)イベントも入れなければならなかったのだが、
それを入れられないほど余裕がなくなり、諦めることとなった。

シナリオパートで苦労した点について

キーボードが使えない。
とにかくこの一点に尽きる。

メッセージにかぎらず、何か道具や敵の名前、果てはマップの名前などの入力
そのすべてを、昔のファミコンゲームのパスワードを打ち込んでいくような要領で一字一字ちくちくと入れていく必要がある。

表に出てこないものなら適当でもいいが、さすがに表示させる台詞を面倒だから適当というわけにはいかない。
ちゃんと漢字で書けるところは、漢字を検索してそれを入力する。

慣れてくると、少しはスムースに入れられるようになるのだが、それでもキーボード入力と比べると天地の差である。
あの膨大なテキストメッセージはすべて、コントローラーで入力している。これがメチャクチャ大変だった。

それからイベントシーンでは、演出も考えなければならない。
ここで画面を揺らすとか、色を変えるとか音を鳴らすなどのすべての演出を、手作業で付けなければならない。

キャラをここで、このように動かし、このタイミングで爆発したりみたいなのを、やっていくのだが、
俺としてはもうちょっと、この辺は凝る事ができたのではないかと思った。

そして、メインシナリオを完成させた後に、バトル関係を作っていき、最後に町の住人の台詞などを入れていくことになる。

先にこの町の住人関係のことに触れておきたい。

ちょっと考えればわかることだったのだが、実はテキスト系メッセージが、最も容量を食うということに気づいたのは完成間際になってからだった。

いくらツクール3の容量限界まで使ってRPGを作ると言っても、この先に残っている作業を考えて、ある程度の容量は考えて残しておくのだが、
町の住人の台詞用にと、残しておいた容量が、足りないことに気づいたのは、シナリオ、バトルが完成した後のことだった。

ここまで完成して、今更修正することは、もう無理だった。
しかも、優先順位としては一番後ろである、町の住民のメッセージのために、これまで作ってきたものを削除して容量を確保するというのは、どう考えても出来ることではなかった。

イベントデータのファイルをもう一つ作ってそこにメインシナリオのイベントデータの一つを移すなども考えた。
だが、ツクール3のイベントデータというのは、そう頻繁に入れ替えるような想定の作りではない。

PS1のゲームによくあったが、ディスク2枚組のゲームのように、一定のところまでゲームが進んだらディスクチェンジというような感じの使い方を想定したものになっている。

俺が今回、緊急措置として使ったやり方のように、入りきらなかった部分のイベントシーンだけを、別のファイルに飛ばして、そこだけを見せて、終わったら、本データに戻ってくるみたいなやり方は、明らかにイレギュラーな使い方だった。

やり方としては、切り替え地点というマップを作成して、主人公のスタート位置をそのマップエリアに設定する。
そこで「初期化イベント」と「進行具合を示すスイッチ」を駆使して、切り替え地点から、任意のマップを飛ばす(戻す)
これで、イベントデータをゲーム中で何度切り替えても、スイッチによりスタート地点を管理されてるので、正常に機能する。

この使い方は、記述が間違えてなければ正常に動作するものの、テストプレイで再現することが出来なくて、動作チェックが面倒。
それに、イベントデータを入れ替える度にゲーム途中でメモリーカードのロードが発生してストレスになる。
なので、可能な限り使ってはいけない。収まりきらなかったからと多用するものでもないのだ。

結果的に、限られた容量だけで、町の住人の台詞を入れきるしか無い荒業を余儀なくされた。

いちおう、ゴーストタウンにならないように、人一人のセリフ量を極限まで減らし、人数をその分増やす。
それでいて、限られた文字量で、世界観を語るような台詞を入れたり、面白そうな台詞を考えなければならなかった。

やはり、最終的にはどうしても容量が苦しく、町の大きさに対して、人が少なすぎるという現象に陥ってしまった。
こればっかりは、自分の見通しの甘さが問題であって、これをとりあえずゲームとして成立させるための精一杯の妥協点だと我慢した。

バトルの作り方

最後に、俺は1ヶ月弱かけて、バトルの部分を作り始めた。

この辺に来ると、全マップは完成しているし、メインシナリオも出来ている。
あとは、街の中にいるNPCの台詞が出来ていないぐらいで、RPGとしてはだいぶ完成型に近づいてきていた。

最初、テストがてら、最初の洞窟に敵を置いて、試験的にバランス調整をしたが、最終的にはこの時作ったものは全部没になった。

最初の頃は、スライムには物理攻撃が効かないから、高めの防御力にするとか、レベルアップ時のパラメータ上昇値も、
ゲームバランスが壊れるからと、微量しか上がらないように設定していた。
戦士系の主人公ですら力+3とか防御+4みたいなしょっぱいノリだ。

ところが、いざバトルを本格的にやろうと決めた時に、この方向性を「つまんないから」という理由だけで、大転換させた。

レベルが1上がる度に、力+10、HP+13、防御+11などと、大幅にインフレさせることにしたのだ
ただし、素早さ、回避についてはインフレさせる意味が無いので、数値は抑えめのままだ。

なぜこうしたのか?

初期の設定値の方が、一見合理的に見える。
例えばドラクエとかだと、1レベル上がって、伸びる能力値なんていいとこ5前後だったりする(シリーズによって値にかなり違いはあるが)

そんなに数値が上昇するゲームなんて、なかなか思いつかないだろう。

ところが、俺はまず一旦、他のゲームの事とかバランスが取りづらくなるんじゃないかということを考えるのをやめた。

苦労してレベルを上げた時、強くなった感じがしないのであれば、意味が無いんじゃないか?

ということだ。

作る側に回るとどうしても、バランスが壊れるから、上昇値を抑えめにするとか、そういうことを考えて作ろうとする。
だから、上昇値も低くすると、管理調整が楽で、やりやすい。

だが、初期の上昇値のままだとレベルが2上がっても3上がっても、実際の強さでは大した強くなっていないのだ。

ツクール3のダメージ計算だと、(攻撃力-防御力)/2なので、力+3だと、1レベル上がっても、レベルによる影響は僅か1.5。
これではレベルが上がっても、強くなった実感は得られない。
このままだと、3,4レベル上がってやっと、ちょっと強くなったという程度の感覚しか味わえない。

このように考えていって、レベル上昇分をすべて見なおしたのだ。

インフレを起こしたことで、戦士系、魔法使い系という能力格差をはっきり分けることが出来るようになって、
実はパーティキャラクタの個性を出すという一面においては、逆にやりやすくなっていた。

戦士系は思いっきり力を伸ばして、魔法使い系はその下に設定すると、魔法唱えるより、殴ったほうが強いという状況に陥りにくく、
非力な印象を持たせることが簡単にできる。

それにしても、俺の場合、戦士系と魔法使い系での能力格差を極端にしすぎた気もしなくもないが。
可能であれば、柔めの雑魚ぐらいは、魔法使い系のキャラでも攻撃すればちゃんとダメージが当たるぐらいは出来ればよかったなあと思っている。

それからツクール3では付きまとう二刀流問題。
武器、盾というカテゴリじゃなくて、右腕、左腕というカテゴリに何故か設定されていて、武器+武器、盾+盾という
装備の仕方が出来るようになっている、いささかいただけないシステムだ。

これに関しては、二刀流前提でバランス取りをすることに割り切った。
無理に盾を装備しないと駄目みたいなバランスにしたほうが苛々するし、そういう仕様なんだと考えれば、悩むところでもなかった。

次に悩んだのは、シナリオの部分でも書いているが、一人旅を長くしすぎてしまったことだ。
なにせ、一人旅の状態でゲームバランスを取るということが、非常に困難極めるシチュエーションで、
実にゲーム全体の1/3強は、このRPG、一人旅の構成にしてしまった。

敵の出現パターンまでコントロール出来ないので、攻撃力の高い敵が3体動時に出てきたりすると、“勝てなかったり”する。
これは非常に理不尽でマズイことだ。

かといって、弱めの敵ばかりにしてまうと、完全に作業になってしまう。

Aという平均的な強さの敵がいて、Bは攻撃力が低いが回復魔法を使う、Cは攻撃力が高く強め、DはHPは低いが補助魔法で弱体&強化などしてくる

みたいな特徴を持った敵をせっかく作っても、このうちCが3体動時に出てきたり、Dが3体同時に出てきて、補助魔法で強化されまくったりすると、あっけなく主人公はやられてしまう

何度も何度も入念にテストプレイを繰り返して数値調整をおこなったがどうしても、満足行く調整に行き着くことが出来なかった。

バトル部分を作るとき、同時にダンジョンに宝箱を配置したり、中に入っているものを決めていった。
それと、店に売っている装備品など、装備品そのものの性能も決めていく。

とにかくこの部分では、いわゆるプレイヤーが接するゲーム的な部分のほとんどを設定すると言っても過言ではない。

ただ出てくる敵の強さを決めるという楽な作業ではなかった。

この辺の作業で苦労したのは、どこで“最終決定”とするかだった。

自分でテストプレイするのは楽しい。だけど、テストプレイをして数字をいじって、ということはいくらでも続けることの出来る作業だ。
答えがないので、自分が決めなければ、いつまでも決まるものが決まらない。

そして、肝心なのはゲームバランスの決め方だ。

敵が強い、だからと、すぐ攻撃力を下げる、HPを下げる、その逆に、弱いからHPを上げる、みたいな短絡的なやり方だけでは解決しないことのほうが多い。

そこで必要なのが、出現する敵が強ければ、そこのマップの宝箱にワンランク上の装備品を入れておき、普通にプレイしていればまず開けて拾うだろうという場所においておく。

装備品に“使うと特殊効果が出る”設定を付けて、その特殊効果で戦力を補う、敵が回復アイテムを高い確率で落とすようにする、

とにかく、ありとあらゆる手段を考えて、その中で、ここはこうした方がいいだろうという組み合わせを考えていく。

シナリオを作っている時、マップを作っている時も大変ではあったが、このバトル部分を作るのは、ひたすら数値のデータベースを作っていく作業ばかりで、地味で地味で辛かった。

しかし、テストプレイをするのが一番楽しい時期だった。
何度も何度も同じダンジョンを踏破して、狙い通りのバランスになれば嬉しいし、ボス戦でも面白いバトルになれば、頼まれなくても何度も戦い直してしまう。

そうやって何回もテストプレイを繰り返す度に、こうしたらもっと面白くなるんじゃないか、とアイテムを追加してみたり、パラメータを微調整してみたりする。

悩むことは多かったが、悩むことがむしろ楽しかったと言えたかもしれない。

ここでは、魔法や特技の強さや効果を決める他に、エフェクトも自作していた。
あまり自由度は高くないが、音やアニメーションの演出を組み合わせて、一つのエフェクトを作成する。

ツクール3ではそのエフェクトまでも、エディターで自作できるのだ。

ただ、俺としてはツクール2みたいに、予め用意されたクオリティの高いエフェクトを設定するだけで良かったかなあと思う。

なぜなら、エフェクトを自分で作れると言っても、思った通りのエフェクトがなくて、妥協の連続どころか妥協の産物みたいになってしまった。

これならば、最初からクオリティが高い代わりに自由度のない、ただ炎のエフェクトや雷のエフェクトを設定するだけのツクール2の仕様のほうが俺は良かった。

一つエフェクト自作するにも、制限の厳しいエディターで、それらしいものを作ることは非常にキツかった。

完成版を見て「ここへんだなあ」と思われる魔法のエフェクトは、大体妥協の産物と思ってほしい。
終盤のボスが使う魔眼なんかは、勢いで作った割にはよく出来ているなあと思うが、ああいうのは本当に稀だ。

最後に偉そうだが皆様に送りたい言葉

長々とここまで書いてきて、俺のRPGツクール製作記を読んでもらって、最後にどうしても伝えたい事がある。

RPGを作る際に、ゲームを作る際に、重要だなと痛感したことをここに書きたい。

それは...

・計画は立てるな!長期計画なんていらない!
・何が何でも完成させるんだという意思こそが最重要であること!
・ゲームが好きであること!


まず普通の人はRPGツクールなり何かを使ってゲームを作ろうとしている時、作り方みたいなページを探して
勉強しようとすると思う。

そしたらそこには、小難しい方法論が並んでいて、うんざりして挫折してしまう、よくあるパターンだ。

だが俺は敢えて言いたいことなのは、数多のよく出来たマニュアルなんかを熟読するよりも手を動かすことだと思う。

何をアタリマエのことをというのかもしれないが、このアタリマエ、はっきり言ってやろうと思ってなかなかやれたものではない。

マニュアルというのは効率よく作業をすすめるためのものであって、非効率でも作業ができてない人には無用の長物である。

つまり、ネットに転がってるRPGの作り方ハウツー記事というのは、作っている最中に、判断に迷った時に参照するのがベストな使い方であって。
作る前から、あれやこれやと見て勉強するものではないということだ。

作る前に、おおまかなラフな原案とかプロット、企画案みたいなのが、本当だったら必要なのだろう。
だけども、一人でゲームを作るのであれば、そんな形式的なものはなくたってやれる。

なぜなら、すべての要素の決定権は自分にあるのだから。

そしてふたつ目の、何が何でも完成させるんだという意思みたいな話。

俺だってこういう精神論めいたことを伝えたい言葉とはしたくなかった。

だが、実際にゲームを、小規模かもしれないが一本ゲームを完成まで持って行って、一番重要なのは重要でありながら
あまり制作者が教えようとしない、完成させるという強い意志が一番必要になるということだ。

これが、俺にとっては、シナリオ、バトル、ほとんどの要素が完成して、残るはNPCの台詞などこまごました部分ばかりであり、もう後ひと泳ぎで完成、ゴールはすぐそこというところで痛感したのだった。

ようは、もう、面白い部分の作業は全部終わってしまって、残っているのはひとつのRPGとして完成させるためにやらなければならない、仕事的には、どちらかというとつまらない部分。その、最後まで放っておいたところを作っている時が、苦行にも似た感覚を味わいながら、作っていた。

あとちょっとあとちょっと。なのに、全然完成しない。
それどころか、手を付ければつけるほど、あれもやらなきゃこれもやらなきゃと、やることがドンドン増えていき、完成が先延ばしになる。

この頃になると、ツクール3をゲーム感覚で触ることにも飽きてきており(5ヶ月間、500時間以上プレイしてたため)、
何度ももう、この辺出来上がってないけど、適当でいいか...みたいな葛藤と戦わされるハメになっていた。

おそらく、RPG製作で苦手な部分は人にもよるかもしれないが、個人的には、最後の追い込みというか仕上げみたいな時、そういうところが、嫌で後回しにしてたことをやりきらなければならない時、そういう作業がもっとも俺にとっては苦痛だった。

もう容量もないし、大半が完成しているから、思いつきで新しいネタを入れたりも出来ないし、ただただ事務的に仕上げていくだけ。
そんなのが、割りと何日も続く。

そういう苦しい境遇の時に、「やるぞ!!」という強い気持ちが何よりも原動力になってくる。

俺の今回の場合はたまたま開発末期だったが、それが初期の頃に出てきたり、最悪なのは中途半端に作っていて、にっちもさっちもいかない状態の時、やめるかってさじを投げてしまうのは何より自分の意志だ。

そうはいっても、プレイ時間10時間程度の中編、10時間以上の長編なんか作ろうとしたら、ある程度の計画は必要なんじゃないの?と思われるんじゃないかと思う。

この先は主に、PCツクールなどである程度本格的な環境でそれなりにゲームを作っていたものの挫折した人向けに言っておきたい。

計画を立てたから挫折しちゃうんじゃないか?ということだ。

最初から絶対長編RPGを作るとかって、俺は決めないほうがいいと思ってる。

1エピソードというか1大陸、まずは無計画に作っちゃって、そこにイベントを入れて、敵を置いて...ということをやって、
終わった時に、じゃあこの世界での物語をもっと続けよう、そうやって積み上げた結果が、結果的に長編RPGとなるのではないか?

いきなり馬鹿でかいフィールドマップをドカンと作っちゃって、そこに壮大な冒険譚を組み上げていく...のではなくて、
とりあえず1エリア1エリア作っていって、もう終わるか...と決めた時が、そのRPGが完成する時だと思う。

それが長編になるか、中編になるか、それは人それぞれ、その時の環境だったり体調だったりするんだろう。

壮大な長編RPGじゃないと、RPGと認めないというのも、俺は違うと思ってる。
それは、昔出てたRPGが、たまたま長編と言われるほどのプレイ時間を持っていただけだ。

今は、一人でRPGを作るフリーゲームなどの世界ではむしろ、そんな大作RPGの方が少数派で、大多数は10時間弱で終わる中編RPGや、
2時間ぐらいで終わる短編RPGばかりだ。

むしろ、長編RPGは、俺みたいに好んで遊ぶ人もいるが、長いから敬遠する人も多いぐらいなのだ。

RPGツクールなどを使って一人あるいは少数でRPGを作ることが大多数の世界では、マンパワーというか作業量的に考えて
短編から中編程度が常識的な製作時間で完成できるから、そっちのほうが主流なぐらいだ。

一昔前は、確かにプレイ時間のボリュームを求めていた時代はあった。1990年代2000年代初頭など。

だが今はそうでもない。忙しいしゲームも増えてるから、短編のRPGでも割りと評価される機会が多い。

これを読んで、RPGを作ってみたくて興味がある人や、作ってたことはあったものの挫折した人たち
もう一度、奮起してもらいたくて俺はこの記事を書いてみた。

いや、そんな人のためにどうこうって言う次元の記事じゃあない。所詮俺のやることはいつも自己満足の世界だ。

5ヶ月かけて500時間かけて、ツクール3の貧弱な開発ツールで一本ゲームを作ってみて感じたことをどうしても記事にまとめておきたかった。

ちなみに、製作期間5ヶ月と書いているが、マップ作成2ヶ月、シナリオ作成1ヶ月、バトル作成1ヶ月弱、その他諸々

と、計算していくと、5ヶ月と計算が合わなかったりする。

実は、製作5ヶ月間ではあるが、このうち丸1ヶ月ぐらいは、ゲーム制作を全くやらないで遊んでいた時期があった。

ちょうどピラミッドのダンジョンを作っている時、イマイチアイディアが出ないし、手を動かしてみてもぱっとしない
いわゆるスランプ状態だったのかもしれない。

そういう時、俺はすっぱりRPGツクールから離れていた。それも1ヶ月も。

はかどらないなあと思った時は一度思い切って離れてみることも必要じゃないかと感じた。
この時ばかりは、この1ヶ月間は、いわゆるエターナル(未完成で挫折)になるんじゃないか...と薄々思っていたぐらい実は心配だった...というか、ああ駄目だなあと思ってた時期があった。

終わります。
(スクショなど追加するかも)

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