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「これ以上 親に迷惑をかけられない」

※この記事は、都合により削除する可能性があります、ご了承ください。

俺はまた家出をした。

このブログだけをご覧になっている方々にとっては、「またかよwwwww」ぐらいにしか思われないのだろう。

だって、過去の3年前に決行した家出話を書いた次の日に、自分でも家出をすることになるとは思ってもいなかったから。
(先週も家出したじゃねーかって突っ込みもあろうかと思うが、あんなのは夜中に2,3時間家を衝動的に飛び出しただけで自分の中では家出に入らない)

こんな馬鹿げた話、あるはずもない。

だが、事実なのだ。

あの家出話を、絞りだすようにカミングアウトした次の日、
俺は仕事場で、自分の自信をなくす大きな出来事が起きた。

それについては、ここでは書きたくないので書かない。

とにかくその出来事によって、俺はこう思ったのだった。

「もうここにはいられない」

そう
3年前も親父にお説教された時、感じたことと同じ感情だ。

「俺はもうダメだ」

「オレハモウダメダ」

本気で思った。

本気で落ち込むってこういうことなんだって思った。

居た堪れなくなるという状態ってこういうことを言うんだと実感した。

だが、今回は悩んだ。

なにせ、3年前と違って、毎日仕事の予定が入っているのだ。

3年前なら、なにやっても自由な無敵な無職だったから、家出しようが他所様に迷惑をかけない。

しかし、
今回は違う

今家出すれば、次の日の仕事をすっぽかすことになる。

これがどういうことか。さすがの俺もわかっていた。

だから考えた。
家に帰ってから、ひたすら考えた。

18時から、深夜2時過ぎまで

ずっと考えた。

手にはマメができていて、腰や膝も痛くて、とにかく疲れているはずなのだが、布団に潜り込んでも不思議と眠れない。

昼間の出来事が、影響しているのだろう。

俺の、居た堪れなくなる出来事が。

普段なら、周りが呆れるほどゲームばかりやる俺が、この日に限ってゲームをやらなかった。
普段はどんなに疲れていようと、ゲームに興じる姿があり、それを見た親父が呆れ果てる。

それが無かった。

さすがの俺も、やる気にならなかった。

他人からすれば、仕事が嫌になって逃げたとか、そういう風に絶対思う
俺も上手く説明できないが、それが原因で、逃げるように家出をしたとは心証的にはかなり違う。

そんな浅はかな理由の家出じゃない

とにかくもう、俺はポンコツなんだ
ここにはいれない奴なんだ
生きててもしょうがない奴だった

この考えが頭を巡り巡って6時間以上が過ぎた

今回はひたすら考えた。

家出すれば自動的に次の日の仕事をサボることになる
おとなしく、出勤するのが利口なのだろうが、いたたまれない気持ちを抱えながら、顔を出せるほど俺は厚顔無恥じゃない。

自分の気持ちに正直になるとしたら、

今、
この場から
すぐに立ち去るべきだ

だけど、仕事は?
与えられた仕事を、そう簡単に投げ出すというのはどういうことだ?

この世間体が首をもたげるのだ

だから、家出するということは自動的に無断欠勤になり、仕事はおそらくクビ
そんなもんだから、仮に家に帰っても、両親は怒り狂って今より居場所がないだろう
それどころか、私物だって勝手に捨てたりとか、そういうことをやったり、

まあとにかくもう、家出をしたら、無傷では済まないと感じた

その葛藤

その葛藤を延々と続けた

6時間以上

仕事を耐えて耐えて耐えぬくか
家出をする痛みを堪えるか

その二択しか無かった

俺はずっと考えた

明日我慢して仕事行っても、きっとまた嫌になる日がやってくる
今の生活を、そこまでして守るほどの価値があるのか

守るというか、むしろ、守ってもらっている立場なのだが

そして深夜2時過ぎまで、考えぬいた結果

俺は家を出ることにした

その時の決意たるや半端なものではない

もともと家を出て行った後のことを考えないタイプの人間だ。

例えばPCにエロ画像を保存してあるフォルダが有るとか、それを印刷した紙があのノートに挟まってたな
あれを見つけられると最悪だな……

誰しも自分の部屋には人に見られたくないものが転がっているだろう

だけども、家出するということは、その場からいなくなるという決意なのだから、そんな身辺整理は考えない

しかし、俺には一つだけ心配事があった。

俺の家出を、周りの人がどう捉えるかということだ

はっきり言って、仕事が嫌で逃げ出したと思われるのだけは絶対嫌だった

かといって、その気持ちを周りに表すやり方もまた、わからなかった。

しばし考えた後

俺はおもむろに手近にあったA4の印刷用紙を手に取り、こう書いた



これ以上
親に迷惑をかけられない



そして俺は家を出た。

昔の俺なら、

「明日ドラクエヒーローズ2が出るから、それをクリアしてからシヌカ……」

そんな風に考えていたやつだった。
それから比べると、かなり俺も変わったなと思う。

もともと新作ゲームが出たら、それが自分の好みだろうが好みじゃなかろうが
それのクリアを再優先に時間をかけるようなやつだった。

今思うと、ただの異常者だなと思う。

そんな奴が、新作ゲーム(しかも先払いダウンロード済み)を目の前にして、
躊躇なく、それ以外のことをやってしまうのだから、俺にとってはペレストロイカか大政奉還か
それぐらいの大事である。

エヴァのMAGIが異常動作でも起こしたんじゃねーかっていうぐらいイレギュラーな判断だ
MAGI的には2対1で「家出する」の結論が出たぐらいの感じなんだろうか
(エヴァAirまごころを君にの狂気感が今更ながら思い浮かぶ)




家を出た後のことを書こう。

3年前の家出の失敗から、荷物は持たないことにした。
靴はもったいないのでクロネコヤマトのバイトの時かわされた安い安全靴。
(今回の家出旅で、靴底が異様にすり減り、かなりボロボロになった)

財布には4円しか入っていなかった。家を出る直前にPCデスクの上に5円玉があったので、それを持っていく。

所持金 9円

うまい棒1本すら買えない

正気と思えない沙汰だろうが、その時はそれぐらい追いつめられて逼迫していたのだからしょうがない。

家出したと言ってもアテがない
とりあえず、旭川駅へと向かった。

電車にのるつもりはない。
なにせ所持金9円なのだから。

旭川駅へ向かう途中、買物公園を歩いた。
今回も携帯や時計といったたぐいは一切持っていないので時間がわからない
が、買物公園を歩く頃には、外が明るくなってきていた。

買物公園には、椅子があって寝転がったり出来るところがある。
歩いていると、ベンチに寝転がっている人がいた。
ホームレスか、あるいは、背広を着ているから酔って単に横になっているだけか

俺には判断がつかなかった。

旭川駅に着く。
手前に交番があり、警察官に職務質問されないか、つい警戒してしまう。

旭川駅には時計がついており、時間が確認できた。

まだ4:30だった

駅は5:00まで施錠されているようだった。扉は開かなかった。

仕方がないので、近くのベンチで、中には入れるまで待つ。

この時俺は、徹夜したせいで、眠くなっていた
とてもじゃないが、一眠りしないと動けなくなってきていた

待っている間も何度も意識が飛びそうになってた

服装は、ボロいジーパン(もったいないのでわざと)とトレーナー1枚。
昼間はこの格好だと暑いが、深夜早朝ともなると、この服装は寒くて辛かった。
気温差が激しいので、へたにこれ以上厚着も出来ないし薄着なんてもってのほかであった。

だから早く、JR旭川駅に入って眠りたかった。

兎に角この待ってる時間が凄く辛かったのだけは覚えてる

たった30分が、ものすごく長く感じた。

5:00になって、扉が開く
中に入れるようになる

中に入るが、外よりはマシだが、やはり若干寒かった。

5:00

当たり前だが、人はまばらでガランとしてる

実は旭川駅は座れる場所がたくさんあって、寝転がれる場所もたくさんあることを知っていた。

だが、プライドというか良心の呵責というかが先行して、椅子に横になって寝るということが出来なかった。

背もたれのあるところで仮眠をとるのがせいぜいかなと周りを見渡して思っていた

が。

ベンチに横になって眠っている人がいるのを俺は見た。
それも一人ではない。何人もいる。

さっき買物公園で見た、ホームレスかサラリーマンか判別できないような曖昧な人種じゃない。

これは明らかにホームレスだ

ここが居心地がいいことを知っていて、開く時間を待って入ってきて寝ているのだ

だから俺もすぐに目立たないところを見つけて横になった。

この時、羞恥心というのを捨てたんだろうと思う。

だが、なかなか寝付けなかった。

当たり前だ
人がまばらと言っても、それなりに人の往来がある
あとは、構内アナウンスがうるさく、その度に目が覚める

それでも眠気が強くなっていき、俺は寝た

それでも3時間くらいか……

隣にカップルらしき2人がいて、

「ガチで寝てるよこの人」

的な会話が聞こえてきて俺は目が覚めた

たぶんいびきでも書いていたのかもしれない

そりゃあそうだ

前日、仕事して、一睡もしてなかったんだから。

時刻は8:00

隣のイオンモールが開いて、そこに殺到する人を尻目に俺は駅を出た。

8:00

この時間に俺は罪悪感があった

なぜなら、仕事が始まる時間だったからだ

普通なら、この時間から仕事場に行って、仕事をしている

だから、俺は凄く申し訳なくなった



そのキモチを、かなぐり捨てるために、俺は歩き出した。

国道12号へ向かっていた。

徒歩で札幌へ行こうと思った

なにせ、アテがない。
かといって地元をフラフラしていれば、また3年前の家出の時のように帰りたくなってしまう。

帰ろうかどうしようか……
という余計な葛藤と戦わなくてはならなくなってしまう

正直言って、家出し続けるなら地元にとどまるほうが楽だ。

どこに何があるかわかっているし、ほんとうに困ったら知り合いの家に匿ってもらえば良い。

だが、知り合いの家に匿ってもらうことは絶対しないと決めていた

それでは、楽してただ逃げているだけになってしまう。

俺はやんちゃ坊主だったので、子供の頃、良く外に閉めだされていた。
しかし、あまりにも何度もこの懲罰を受けているうちに、対策を思いつくようになった。
それは、友達の家に匿ってもらって、そこで暮らすということだ。
確か小3くらいに、そんな悪知恵を思いついたのだった。
それで、一度実行したら、これでは罰にならないと、二度と家から締め出すことをしなくなった。
それ以外にも、玄関の前に泣いて立ち尽くすのではなく、失踪して行方不明になったり
ガキンチョのころからそういう自衛策だけはよく思いつく奴だった

家出と大差ないと、他人には思われるだろうが、これは俺の覚悟だ

ゲームで言うならば、縛りプレイみたいなものなのかもしれない。

(そこまではいかないか。攻略本を見ないでやるみたいなぐらいの感じか)

とにかく地元から離れなければ

この思いだけが先行していた

俺は歩いた
とにかく歩いた

しかし、筋肉疲労というのは後からくるというのを、3年前の失敗でわかっていたので、
途中でやりすぎなぐらい休憩をはさみまくった。

そんなに都合よく休める場所があるわけないので、車のじゃまにならない所で、歩道に直に座って休んでいた。

このとき、誰かに何か声を掛けられたらどうしよう?とかチキンハートが顔をだしていた

実際は、神居古潭の歩行者専用道路でチャリ乗ったにいちゃんに「こんにちは」って言われたぐらいだったが

map1.png

この地図を見て欲しい。
旭川から札幌へ行くには、右上の旭川から、国道12号を進めば行けるようになっている。

この画像では、右上から左下にかけて国道12号が続いている

そして今回、俺が歩いた道でもある

途中、神居古潭という観光スポットを通る
ここまでたどり着くだけでも数時間というレベルで大変だった

もう足が棒になっていた

それでも止まるわけはいかない

だが、せっかく来た観光名所だ
足が痛くても、少し寄ってみようと思った。

map3.jpg 


有名な心霊スポットだとは知っていたが、自殺の名所だとまではこの時は知らなかった。

1枚目の写真の通り、歩行者専用道路のすぐ横に、この吊り橋がある。
100人以上同時に乗れない橋だ。
昔は30人以上乗れなかったらしい。
(下が深すぎて、柱が設置できないかららしい)

地元の人間でも滅多に、
いや、ほとんど立ち寄らないおかしな観光名所

俺も一度も来たことがないと思う

この吊り橋の上で、手すりに腕と顔を乗せ、しばらく考える。

ここから飛び降りれば、いいのかな

いや、川に飛び降りたって死ねねーだろ

※ 何度も書くが、この時、ここが自殺の名所だと知らなかった
どうやらここは、特殊な地形をしており、川に身投げすると下側に巻いた渦がところどころあって、
自殺には絶好の場所だったらしい
川底はどこかの水流につながっていて、死体はそこに流されるか、川底に引っかかって引き上げられていない死体が大勢いるとか言う話らしい。

奥の方にも行こうかと考えた
だが、足が痛くなってきてたから無駄な行動は控えたかった

この吊り橋の奥には、古い駅舎があって、魔列車みたいなSLが放置されてて、その横には
通るとかならず何かが起こると言われているほど霊が密集しているらしいトンネルがある

そこを抜けると、身投げだかしらないが、自殺に最適の場所があったのだという

ちなみに今は撤去されていたが、吊り橋のすぐ先に、電話ボックスがあり、
ここには、女の人の幽霊がよく出ると有名だったらしい

昔々、親父に反対されて駆け落ちしようとした女性が、激情した親父に見つかり、カマで首を切られ
身体を川に、首を見せしめに、その電話ボックスに置いたのだという

なんにせよ、俺はここに長時間滞在を許されなかった

なぜなら、関西弁の気さくな老夫婦が突然やってきたからだった

男のほうが、俺に話しかけてきた

「ここがぁーあのぉー、神居古潭ですか?」

「は、はい…そうです」

「へぇ~~。えらい絶景ですねぇ~」

こんな感じだ
関西人なのか、とにかくよく喋る

「あの木は、どこからおちてきたんやろ?わかります?」

向こうは、俺一人吊り橋に佇んでいる姿を怪しもうともしなかった

この老夫婦は観光できていたようだった
そのまま吊橋を渡って駅舎の方に行こうとしていた

俺も奥へ行くと、この2人と一緒になってしまう

世間話でも始まろうものなら面倒くさい事この上ない

俺は逃げるように神居古潭を後にした

この、神居古潭を抜けてからが大変だった
というか旭川を出てからもそうだったのだが、本当に何もない

国道とは名ばかりで、両側に広がるのは大自然
たまに農家の一軒家がいくつか点在しているだけで、徒歩でここを通ろうなんて人は誰一人としていない

体力的にもやばくなってきていた
休憩をはさみながらとはいえ、右足が捻挫したようになってきていた

また、昨日から何も食べ飲みしてないせいか、喉がからからになり、唇がカサカサしてきた
それのせいだったのか、両指がうまく曲げれなくなってきた
曲げようとすると筋肉痛になったかのように、激痛が走って曲げることができない

だが
それでも
俺は札幌方面へ
深川へ向かって歩いていた

もう戻るに戻れない
そうやって決意して出てきたんだから

戻りたくなった時には
戻った時のことを考える

「あのバカ息子、家を出て行って良かったな」

とかそういうことを言ってるんだろうなーとか考える

そうすると、帰れないと思うようになる

前に進むしかなくなる

後退するという選択肢はもう存在しないんだ

日も傾いてきたのが見るからにわかってきた頃、
もう考えることも出来ないほど消耗して疲弊した頃

ようやく深川の入り口にたどり着く

途中、国道といいながらも、歩道すらなくなり、肩身の狭い思いをしながら歩かされるゾーンもあり心配になったものだ

青看板では後6kmとか書いてるくせに、こんな田舎道のすぐ先に町なんかあるのか?
なんて、何度も不安になった

しかし、ちゃんとその先に深川はあった

深川の道の駅にやってきた

俺はもうヘトヘトだった

だが現実は無情だった

札幌まではまだ約110kmもあるのだ

深川なんて、最初の通過点にすぎない

この時点で、17:50
もうこのまま国道12号を行軍するのはとてもじゃないが無理だと悟った

喉の渇きも限界に達していた

道の駅に隣接してセブン-イレブンがあった

だが、9円しか持ってない俺には何も買えない

財布を漁っていると、郵便局のカードが出てきた

これに奇跡を信じることにした

セブン銀行で残高照会

1000円以上残っていれば、下ろせる

俺の想定を反する形でなんと9000円も入っていた

1000円だけおろし、すぐに飲み物を買った

キウイオ・レとか言う期間限定商品がやすかった(100円)

カルピスのキウイ味という感じのものだ

めちゃくちゃ美味しかった

のどが渇いていたからなのかもしれないが、ケチな俺がこれに300円も使うぐらいだから、相当だった
(キウイオ・レを2本、味違いのフルーツオ・レを1本飲む)

しばらくは深川の道の駅の駐車場にある背もたれ付きのベンチで座って休んでいた

しかし18時もすぎれば、外は寒々としてきていた

道の駅のトイレに入って、トイレのついでに温まったりしていた

結局その日は、札幌行きを諦め、深川駅前を目指すことにした

だが、深川駅までも、そこからは遠かった
徒歩で1時間ぐらいかかったと思う

何もない道無き道を歩いて、1kmもある橋をわたって、深川駅に着く

もう足が動かない
これまでも無理していたが、今回も体力の限界が訪れたようだった

深川駅の時計を見ると19:40

そこから旭川行きの電車が出ていた
特急だと1480円
普通車だと640円

俺は驚愕した

今日一日必死に歩いたのは、たった640円分にしかならないということに衝撃を受けた

距離にして40km進んだかどうか
総移動距離で言えば、45kmぐらいは歩いてると思う
だが、体力もスタミナも限界にまで酷使して、このペース
3日4日かけないと、とてもじゃないがたどり着かない
たどり着かないどころか、身体が持たない可能性のほうが高かった

そして、最大の誤算だったのが、深川は思っていた以上に田舎で何もなかったこと

駅前にさえ来ることが出来れば、どこか適当に時間を潰して(タダで)野宿できると思っていたが
この考えが甘かったことを思い知る

長考した末に……

俺は640円の旭川行きの券を手にしていた

だが、家に戻るつもりはなかった

22:09まで旭川行きの普通車は来ない(特急だと1時間1本のペースで来るが普通車は無い)

仕方がないので、深川駅で3時間以上椅子に座って電車を待った

すると、バカそうなJK2人組がやってきて俺の隣りに座ってきた

こいつらも俺と同じ電車にのる予定らしかった

暇なのでずっと2人で世間話をしていたが、ついにその話題は俺に矛先が向いた

俺は疲れてぐったりしていたのか、半分寝そうになったり、おかしな挙動になってたようだった

それが面白いのか何が面白いのかわからないが、こいつらは突然俺の様子を撮影しだしたのだ
お前ら気づいてないとでも思っているのか?だからバカJKなんだよほんとによ
旭川に住んでいながら深川の高校に行っている時点でお察しだろうが!

一体全体俺の何が面白いんだ?

一日必死な形相で家出行軍して、ぐったりしている姿が面白いのか?

だが

「キーモーーーーーーーーーーーイ」

という奇声を発するぐらいだから、そういう方向の話題だったのだろう

何もしてなくても面白いのなら、俺もスターになれないか?蛭子能収やジミーちゃんの枠とかで

もうなんでもいいから、俺を一人の男にさせてくれ

バカJKにLINEネタに使われることを腹に立ったりとかはなく、
俺の個性のどこかが生きていく上での糧になるならもうなんでもいいと思った

本当にそう思った

ただ座ってるだけで面白いなら、テレビに出て利益をもたらさせてくれ

この時点で、身体も脳も限界まで疲れていたので、そんな破綻した思考性になっていた

22:39
旭川駅に着く

そこから2時間近くかけて家に向かう

俺は、結局また家に戻っている

だが、本当に帰るつもりはなかった

まあここでいくら訴えても無駄なことだが

俺が出て行ってからどうなったのかを聞いてまた立ち去るつもりだった

時計がないので、到達時間を予測して動く

家についた時が多分夜中1:00過ぎだろう
そのとき、母親の部屋の窓を叩いて、話だけして出て行く

そして今

こうしてまた家に戻っている

 map2.png

旭川から札幌への道のりはこのようになっている

距離にして約140km

国道12号線をひたすら進むことでたどり着く

深川、滝川、砂川、美唄、岩見沢、江別を通過して、やっと札幌だ

俺は事前にGoogleマップで予習もしなかったので、いかに無謀なことをやろうとしていたかがわかる

丸一日、10時間歩いても、最初の通過点である深川にギリギリたどり着くレベル

その後も見てみると、町の間隔が広いので、とてもじゃないけど歩きでは無理だとわかってしまった。

それに、そこまで必死に札幌目指して、じゃあ札幌に何があるかっていうと、別に何もない

じゃあお前何しとん

こんなこと言われても仕方のないありさまだ

電車でも3000円ぐらいでいけてしまうというのにだ



チャリがあればだいぶ違うのになあ……

俺は思った

チャリだったら、2日ぐらいで着くだろう
それだったら俺、やってのけたと思ってる

でも、チャリは使わないからと、壊れてもいないのに10年以上も前
親父が勝手に解体して粗大ごみに出してしまった

まあ、家出にチャリはかえって荷物になることも多いのだけども…。


次があるとしたらもう、最初に移動費用を惜しまず出して
札幌なり東京なりに出て、それで簡単に戻れない状況を作り出すと思う

これまでは、家出したら、徒歩で歩きまくるから、疲れてしまって帰ってしまうんだとわかった
金が無いから、出費をケチりまくり、それが結果的に家出を失敗させている

結局、家に帰ってきたものの、やはり帰ってくるべきではなかったと感じてる

今こうして、必死に家出体験をブログに、それもめちゃくちゃ時間を掛けて書いているのかというと
もう、次いつ、またいなくなるかわからないからだ

いや、
こういうこと書くのはよそう

だから俺はいつも余計な一言が多いとか言われるんだ
いや
別に見てる人そんなにいるわけでもないのに何気を遣ってるんだか
(自分に言ってる)

もう一つわかったこと

ホームレスや路上生活者が、貧相なご飯を紹介してるが、ああいう立場になると、
意外と我慢できる
いや、もちろん健康には悪いことしてるんだろうけど

俺も指が動かなくなった時は「やっべーなこれ」って思った

だが、一日飲まず食わずでも、割と我慢できる

終わります
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俺が長く続けてきた死ぬ死ぬ詐欺の真相について記す! ~文末の追記長くなっちゃったから完全版で再投稿バージョン~

俺がいつも、生き方についての話をすると、

「お前は実家寄生してるから、そういう甘いことが言えるんだ」

と言われることがある。

それはそのとおりなんだけども、俺にも言い分はある。

先日、俺はおやじの働く会社で働くことになって、その環境が嫌になっていた。
それで、このブログで知り合ったしきいしさんという人に相談した。

何が嫌かって言うと、職場でもやりづらいし、家に帰ればすぐ親父の小言が始まり、小うるさい説教が続いていて、俺はうんざりしていた。

それで今家出しようと思ってると言う感じの相談をした。
その時は、しきいしさんとの話で落ち着いて収まったのだが、別の日にまた説教が始まり、
俺はとうとう嫌気が差して、その日の深夜に無一文で家を飛び出した。

朝方までぶらついて、その日も仕事があり、それをすっぽかすことになることに負い目を感じていた俺は、結局朝6時頃に家に帰ってきた。

こういうことは何度かやっている。

頭にきて飛び出したケースは初めてだが、これまで同じように親に悪いと思って家を飛び出したケースは何度かある。

正直言って、仕事の予定が入らなければ、ゴールデンウィークの前後に家を出て行く予定だった。
タイム・リミットは、そのへんに設定していた。

一度家出して帰ってきたものの、仕事が見つかって良かったなという空気ではなく、
今も、毎日、この生活から逃げたくなっている。

今回は、仕事の愚痴は書かない。
仕事の何が嫌かっていう理由はもちろんあるのだが、それをここで書いたって理解してもらえないし、
今の職場に関しては、悪いことばかりではないからだ。
だけども、ずっと続けられるような場所ではない。

要は本質だけを書くと、俺はしごきを受けてる。
やったこともない仕事に突然放り込まれて、罵声を浴びせられている
世が世なら、今の言葉で言えば、パワハラと言っていい。
今の若い奴らなら、切れて帰ったり、代わりに親が怒鳴りこんでくるみたいな
エピソードが(日常的にではなくとも)許されるかもしれないが、
俺の場合は、「立場を考えろ」と言われる。それで、嫌になってる。

ずっと続けられるような場所ではないが、やめることの出来ない状態だ。
これがどんなにイヤか、やりづらいか、わからないだろう。
それ以上は書かない。

数カ月前の俺からすれば、何贅沢なことで悩んでるんだ!とでも言われているだろう。

俺は良く、このブログで、死にたいとかもう死にますとか散々書いてきた。
だけども、それはたとえ個人的なブログであっても、そういうことは書いちゃいけないことなんだということがようやくわかった。
そして、もう、そういうことはあまり書かないようになった。

諦めの境地というやつかもしれない。

ネットでなら、わかってくれるかもしれないという万感の願いを込めて書いていたようなところがあった。

なぜ、書いちゃいけないのか。
それは、その気持ちは他人には理解してもらえないからだ。
オオカミ少年とでも言うべきか、また死ぬ死ぬ詐欺をしてるよとしか思われないのだ。
もちろん中には本気で心配してくれた人もいるだろう。
だが、生きていることで本気で心配している人の気持ちを裏切ってしまうことになる。

こういう不毛な状況に陥ってしまうから、ネットであっても簡単に死にたいとか死にますとは書いちゃいけないのだ。

今の俺が周りの人たちに伝えられることと言ったら、この辺の心境をリアルに書くことしか出来ない。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃという状態だ。

俺にはもう、リアルに友達もいない。
心を許して話ができる友達がいない。

そして、家での居心地の悪さだ。

友達もいない仕事もない金もない居場所もない

こんな状態に、今これを読んでいる皆さんが陥ったとしたら、どういうふうになるだろう。

人によっては、挽回する人もいるだろう。
が、頑張っているつもりでも、もがいているつもりでも、思う通りにいかず、辛いことばかりが続いていったらどうなるか。

もう、無気力になって引きこもるしかなくなる。

人はなぜニートになったり引きこもったりするのかというと、この辺の境遇に原因があるんじゃないかと思う。
既に、もうブラック企業で酷使されて引きこもりになったとかそういう事実もだいぶ明るみになってきているから、俺が今更指摘することでもないが。

俺は死にたい死にたいと何度もこのブログで言っていた。
それは、その瞬間瞬間では、間違いなく本音を言っている。
裏を返せば、俺のことをよく知ってる人、さっきでてきたしきいしさんなんかもそうだが、
俺の死にたい死にたいは、助けてくれと言っているように聞こえると言っていた。

まさにそのとおりかもしれない。

それで、俺はいつも自分の部屋という最後の逃げ場所に逃げ続けてきた。

しかし、今はその逃げ場所もなくなってしまった。

この先どうなるかは俺にもわからない。
俺に荒療治をして社会復帰させてやろうという、外側の人たちの手助けは凄く嬉しいが、
今の俺にはその施しは辛すぎる。

だいたい俺はもう、郵便局をやめた時、いわゆる会社勤めは出来ないと、去年の秋に自分のダメなところを認め、諦めてしまった。

今も、その考えは変わらない。

どうしても、会社に入って、上司に言われたことをやったりなんだり、人付き合いしたり、毎日時間に追われて働くということが上手にできないのだ。

その理由は、自分にあるのだろう。
なんとかついていこうと必死になったこともあった。

だけども、どうしてもダメで、上手く合わせられなくて、最終的な結論として、俺には会社勤めは向いてないとなった。

発達障害やアスペルガーを疑ったこともあった。
つい最近の話だ。
だが、仕事に就いていて、それによって致命的に生活に支障をきたしていないのであれば、
わざわざ病院で診察したり対策をする必要はないとの事だった。

俺にとって、適切な社会の居場所ってどこなんだろう。

俺は未だに探し続けている。

探すのに時間がかかりすぎて、もう諦めろ、妥協しろ、と周りに散々怒られてきた。

今、仕事が続いている同じぐらいの歳の人達というのは、きっと自分の居場所を見つけることが出来たのだろう。
逆に、歯を食いしばって耐えている人もいるのだろう。

俺は、どっちにもなれない。

後者の立場からしてみれば、俺を怒りたくなるのはよくわかっている。

幸い、俺には行きてく上でのモチベーションがあった。
やりたいことや、頑張れることが子供の頃からわかっていた。

これが自分の自我を保つ、最後の砦になっていた。支えになっていた。

真の精神病というか、うつ病とかそういうものにならなかったのは、これのおかげだったと今は思う。

俺はゲームが大好きだ。
去年、最後の力を振り絞る感覚で、簡単なツールを使ってRPGを作った。
ここの常連の方なら、何度も書いてるからご存知だろうが、初代プレイステーションのRPGツクール3でゲームを作った。

俺はゲームの事だったらいくらでも頑張れることがわかっている。

なんだか、唐突にバカバカしい話になって申し訳ないのだが。

俺はこの週末の休みに、ニンテンドウ64の「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー 電流イライラ棒」が遊びたくなって遊んでいた。

知っている人からすれば、なんと懐かしいという話題だ。

この電流イライラ棒を知っている人なら、わかると思うが、ゲーム版でも、相当な集中力がないとクリアが出来ない難しさだ。

特に、ファイナル電流イライラ棒と、イライラ棒リターンズは、中でも飛躍的に難しく、簡単にはクリアできない。

だが俺は計5,6時間程度ではあるが、集中してプレイしてクリアすることが出来た。
その後は、タイムアタックに挑戦するほどハマっていた。

俺はゲームに関しては、これほどまでに長時間、集中出来るのだ。

逆に、それ以外のことに関して言えば、からっきしダメだ。

もう、俺にはこれしか残されていないことを悟った。

ゲーム作ったり、楽しそうに遊んでいるところを動画に撮ったり、小説書いたり、ということを、
俺はやっていくべきなのだろうと、思っている。

働きながらやればいいのだろうが、それは俺にはたぶん無理。
両立させながら、仕事も成功させよう、ゲームの方も成功させようなんて言う器用なことは出来ない。

ここでちょっと誤解されるかもしれないので、俺の考えを書く。

俺は働けないみたいなことを書いてしまったが、そういう意味ではないことを言いたい。
今の職場ははっきり無理という意味で、どうしても生活費が無くなって困ってとなったら、
どこか腰掛け程度のバイトぐらいは俺もする。

俺が言いたいのは、就職して社会に出て働くというレールに乗った生き方を全く否定するつもりはない。
仮にも、つい最近まで、俺に出来ないことが薄々わかっていながら、そこに向かっていたのだから。

人生は有限で、等しく限られた時間しか無い。
就職して働くということは、貯金ができるぐらい十分なお金と引き換えに、それだけの時間をトレードオフしているのだ。

逆に、俺の主張するニート、引きこもり生活は、お金を犠牲にして、時間を手に入れている。
この自由な時間は、自分で使い方を決めていかないと、黙っているだけではどんどん消費されていくし、ある意味会社勤めよりも過酷だと思う。

俺は、後者の生き方を選んだ。ただそれだけの話だ。

後、俺を見て、良く落ち込むとかネガティブになるとか思われてるところがある。

俺は、いろんなことをやっても全然うまくいかない。それで落ち込んで、暗くなってる。

ブログ、動画、ゲームレビュー、小説など色々やって、全部がうまくいかない。
唯一うまくいったのは、2007年にやったゲームの生動画配信(今で言うニコ生みたいなもの)だけだ。
その時は、連日100人以上の人が集まるような賑わいを見せた。

一番盛り上がったのは、2007年11月にやったFF11配信だ。
その時のコメントログが残っていて、なんとかここで見せてみたいと思っているぐらいの、過去の輝かしい栄光だ。


(以下追記)

2014年春頃に、ネットで面白い人と出会った。
これまで、紹介することをためらっていたが、まあもう今のブログの状態なら紹介してもいいだろう。


この人は、もともとFC2にブログを持っており、あしあとにやたら目立つタイトルのブログがあって、当時思わず開いてしまったのだ。

ブログの内容は、共感できる部分が多々あった。
今は削除されているようだが、大手ゲーム会社に手書きのゲーム企画書を無謀にも沢山送りつけるなんてことをやっていた。
俺も、その手書きの企画書を読んだ。
衝撃を受けた。
大半の人は、勉強してからやろうとか、正規の手続きを踏んでやろうとか思うだろう。
だがこの人は、果敢にもそんなことをすっ飛ばして、企画書を送りまくっていたのだ。
一回だけではない。企画書は何個も書き、ところかまわずいろんな会社へ送りつけていた。

やはりこの行動力が凄い。

そして、生い立ちから現在に至る人生が綴られたページ。
今はまだ完全ではなく、俺が見た時は現在よりも更に数も少なかったのだが。

ただただ感動した。

これを見て、常識人なら、ただの痛い人と思うのだろう。
(現在もまだ完結しておらず、先が気になっているのだが、以前より共感できる時代が書き足されている)

だが俺は逆だった。
俺よりも年下にもかかわらず、ここまで人生に達観できていろいろ語れる。文章も巧い。
俺はその文章力だけを伝授してもらいたいと思っているぐらい羨ましい。裏山!
(そのスキルをぜひとも小説書きに活用させてもらおうと思ってる)

そして最も俺が目を引いたのは、家出経験者だったからだ。

この人と出会う1年前くらいのことだ。

2013年7月の事だった。

俺は親父に大変厳しいお叱りを滾々と受けた。
それに深くマインドを揺さぶられた俺は、翌日すぐに家を出た。

この時は数百円だか入った財布は持って行ったんだったか。
後は旅行バッグみたいな、ちょっと大きめのカバンに、自分でもなんだかわからんが、適当に服ばかり詰め込みまくって、家を出た。
後は確か自殺用のロープとかなんかを何本か入れてたような気がする。

全く無計画だった。

なんせ、前日の夜、親父に言われて、「もう家にいれない」と悟りを開いて、すぐに出ていこうとしたのだ。

重たいカバンを担ぎながら、駅に行ってみたり、全く違う方角にある大型ショッピングセンターに行ってみたり、公園を転々としてみたり、自分でもどこに向かっているのかわからなくなっていた。

そのまま、朝から夜まで、ただたださまよい歩いて、段々と足が動かなくなっていった。

なんせ、朝からほとんど歩き通しだった。
食糧も口にしていない。
夜11時前ぐらいになると、さすがに喉が渇いてきた。
この時、俺にとって幸いだったのは、夏でありながら、それほど日差しが強くなく気温も低めで過ごしやすかったことだ。
俺は財布から100円を出し、閉店直前のスーパーに飛び込み、クーリッシュを買って飲んだ。
普段は高くて飲みたくなっても我慢してた念願のクーリッシュだ。

美味しかった。
この時ほどクーリッシュが美味しいと感じたことはなかった。
これまでは家の中でボロい扇風機の前でチューチュー吸ってる贅沢な環境で飲んでいたのだ。当然のことだ。

携帯も時計も持ってないので時間がわからない。
夜も更けて、国道の車通もほとんどなくなってきた頃。
足ももう動かない。
俺は無意識に家へと向かっていた。

この時ほど、自分の無力さを呪ったことはなかった。

途中、かつて良く遊んだ友達の家を通った。
正直、もう足が動かないので助けてもらおうと思った。
だが、無情にも家の明かりは消えていて、チャイムを鳴らすのがはばかれる状況だった。

家まではまだまだ遠かった。

もう千鳥足というかふらついた足
旅行かばんを背負って歩く姿は、明らかに怪しかった。

途中、なんだか知らないが、中道にパトカーの姿があった。
そこから警察官が出てきて、何かをやっていた。

申し訳ないが、この段階でもうへたりきっていた俺は、細部まで見ることができなくなっていたのだ。

俺は警察官に職務質問されることを期待した。
事情を話して家に連れて行ってもらおうと思ったからだ。

しかし、冷たいことに、明らかに不審者の俺を、警察官は見ようともしない。

今の世の中、金八先生に出てくるようなおせっかいな警察官すらいなくなったのか……

俺は勝手に絶望した。

仕方なく家に自力で帰る。
既に明かりは消え、鍵も閉まっていた。

当然だ。かなり夜が遅いはずだったから。

情けなく玄関前でウロウロしていると、いきなりパッと玄関ポーチの電気がついた。

そして母親の声

「心配してたんだから!!」

俺は涙した。

「もうここにはいれないんだ」

玄関の中に入りながら、図々しくもこんなことを言う俺。

「いいから入りなさいって」

「いや、いれないって俺は」

「あれ(親父のこと)だって心配してたんだから」

あの親父が!?

俺は驚嘆した。

詳しく聞くと、俺が出て行ったことを知ると、かきおきがあるか俺の部屋を家捜しして
そのあと、いつもなら夜遅くまで自室で過ごしているはずなのに、その日に限っては早くに布団に入ったのだと言う。

俺は自分の部屋に入ると、確かに家捜しした形跡があった。

この後の話だ、俺はすぐにいろんな施設に必死に相談して、
障害者の作業施設で毎日おしぼりをたたむという仕事をすることになったのだ。
(あって無いような給料に嫌気が差してたった3ヶ月でやめるという真相を書いてしまうと美談にはならないが)

次の日から数日間、俺の下半身は激しい筋肉痛に見まわれ、全く動けなくなっていた。

なんだか無駄に長くなってしまった。
俺の身の上話をするつもりはなかった。

もう3年前の話だ。
当時は、恥ずかしくてブログで、この出来事を詳しく書くなんて出来なかったが…
とうとう書いてしまった。

このとき、家出した時、俺は死のうと思っていた。
そして、同じようなことを先のブログの人もやっていた。
悩みも近かった。

人生がうまくいかない。

その後、2015年1月に、俺はこの人に直接メールでコンタクトを取り、自分の境遇を相談した。
その人は、上京すればいいみたいな話をしてきたのだが、当時の俺はそこまでする意味は無いと思って返事を出さなかった。

すると、嫌われたらしくメールを拒否されてしまった。

この人のブログでも書かれているが、俺は、親に恩返しする形は、一つだけではないと思う。

ここで皆さんが連想されるのは、必死で就職して汗水たらして働いて安定した生活をもたらして、
親を安心させることなのだろう。

だから今やってる仕事も辞めんな、こんなことだろう。

だが、それだけが親孝行する全てではないと思ってる。

この人は、やはり唐突にRPGツクールVX Aceを買い、突然RPGを作り出した。
第一作目がこれだ。

 

俺も当然ダウンロードして遊んだが、正直ゲームとしては厳しいところがある
(俺は一番最初で先に進めなくて詰まった)
こんなこと書くと本末転倒だが、動画を見るぐらいでちょうどいい。
どうしてもゲームがやってみたいなら、攻略見ながらやるといい。

後半の部分は、ぶっ飛んできてクレイジーになってわけわかんなくなってるけども
序盤の、社畜感ってのはすんごく良く出来てる。

これを紹介すると、正直俺を応援してくれてる人が、今紹介している人の方に行っちゃいそうで不安になってしまうのだが。

とにかくこの人は行動力があるのだ。
いろんなことをがむしゃらにやってる。
今や、ブログや動画制作のスキルは完全にこの人のが上だろう。
ついでに言うなら、ブログのページビューなんかも、完全に逆転されている。
やったこともない有名ゲームのシリーズ物のレポート記事なんかを書いて、それが凄くアクセスされてる
アドセンスとかもつけてるので、今となってはこれで結構な収益をあげていると思われる。

また話が変わるが、俺はゲームが好きだ。
このブログの人は、数年かそこらでゲームを遊ぶことに飽きて、ゲーム作りにも飽きてやめてしまってるようだけども、俺はゲームが好きでそれはやめられないものになってる。

それで、中学2年の頃から、新聞配達のアルバイトを始めた。
それが、周りから凄く褒められていた。

が、俺にとっては全くほめられる理由がわからなかった。

だって、ただゲームが買いたくて、しかも、俺は小遣いを1円もくれない家だったので
欲しいゲームを買うためにはバイトするしか無かったのだ。
出来れば、働かないでもゲーム買う金が手に入るんであればそれが一番だ。

また、同時期、成績も上がってきていて、それも褒められていた。

もともとの俺は、全く勉強しない成績の悪いやつだった。
中1のときはなんにも勉強してないから、数学の小テストで0点を取ってたぐらいだ。
この時はさすがに落ち込んだ。
返してもらったらすぐくしゃくしゃにしてゴミ箱に捨てた。

しかし、成績が悪いと親がうるさく怒ってくる。
するとゲームが遊べない。

だから勉強した。
そしたら勉強も案外面白かった。

当時は、定期テストやらあらゆるテストと名の付くものの点数で50点以上を取ったことがないので、
やればやるほど点数が上がっていく。

中1の時は方程式の概念すらわからない、Xの意味すらわからない、グラフの正比例の意味すらわからないやつが
中2で、それの応用から入って、問題なくついていけるほど楽しかった。
社会の歴史は、ちょうど中世ヨーロッパの分野に入っていた。
ゲームが、RPGが大好きな俺にとって大好物の分野だ。
そういうことが積み重なっていって、俺は勉強にもハマっていた。

だがやはり基本はゲーム。

親にうるさく言われないために、ゲームに没頭するためだけの存在だった。それ以外のものは。

だから褒められる意味がわからなかった。

散々書き散らかしてきて、まとめの段落に入っても、何をいいたのかわからないまま来てしまった。

結局俺の行動原理は、子供の頃から大して変わっていない。
それがある意味、凄いのかもしれないが。
明石家さんまみたいな感じで。

一つのことを貫き通すというか、当人にしてみれば変われない、成長できない、
貫き通すことしか出来ないという感じでしか無いのだが。

ゲームの興味にしたって、この学生時代に欲しかったけど遊びこぼしたゲームをやりたいとかそういうところから情熱が来ている。

ところで俺は、これまでずっと小説を見てくれている人がいるのだが、
俺は10代の頃は、ゲームにアニメにドラマに、友達とカラオケ行ってゲーセン
さらにネット黎明期のネットをやったり、いろんなことを見てきた。

先日も、個人的に最高傑作のドラマというのを押し付けるように紹介した。

俺は思うのだが、これだけ情報を持っていて、なんで一つも成功してないのって逆に疑問がられるようなところに、位置にいるのではないだろうか。

例えば、アニメ・ゲーム、ドラマまで手を出してくるやつなんて中々いない
(今はわけあってゲーム1本に絞っているが)

10年前にこれからは動画の時代だ!とかいって手を出しておきながら、最後には手を引っ込める
これが、俺はダメなのだと思う。

終わります。

俺が長く続けてきた死ぬ死ぬ詐欺の真相について記す!

俺がいつも、生き方についての話をすると、

「お前は実家寄生してるから、そういう甘いことが言えるんだ」

と言われることがある。

それはそのとおりなんだけども、俺にも言い分はある。

先日、俺はおやじの働く会社で働くことになって、その環境が嫌になっていた。
それで、このブログで知り合ったしきいしさんという人に相談した。

何が嫌かって言うと、職場でもやりづらいし、家に帰ればすぐ親父の小言が始まり、小うるさい説教が続いていて、俺はうんざりしていた。

それで今家出しようと思ってると言う感じの相談をした。
その時は、しきいしさんとの話で落ち着いて収まったのだが、別の日にまた説教が始まり、
俺はとうとう嫌気が差して、その日の深夜に無一文で家を飛び出した。

朝方までぶらついて、その日も仕事があり、それをすっぽかすことになることに負い目を感じていた俺は、結局朝6時頃に家に帰ってきた。

こういうことは何度かやっている。

頭にきて飛び出したケースは初めてだが、これまで同じように親に悪いと思って家を飛び出したケースは何度かある。

正直言って、仕事の予定が入らなければ、ゴールデンウィークの前後に家を出て行く予定だった。
タイム・リミットは、そのへんに設定していた。

一度家出して帰ってきたものの、仕事が見つかって良かったなという空気ではなく、
今も、毎日、この生活から逃げたくなっている。

今回は、仕事の愚痴は書かない。
仕事の何が嫌かっていう理由はもちろんあるのだが、それをここで書いたって理解してもらえないし、
今の職場に関しては、悪いことばかりではないからだ。
だけども、ずっと続けられるような場所ではない。

要は本質だけを書くと、俺はしごきを受けてる。
やったこともない仕事に突然放り込まれて、罵声を浴びせられている
世が世なら、今の言葉で言えば、パワハラと言っていい。
今の若い奴らなら、切れて帰ったり、代わりに親が怒鳴りこんでくるみたいな
エピソードが(日常的にではなくとも)許されるかもしれないが、
俺の場合は、「立場を考えろ」と言われる。それで、嫌になってる。

ずっと続けられるような場所ではないが、やめることの出来ない状態だ。
これがどんなにイヤか、やりづらいか、わからないだろう。
それ以上は書かない。

数カ月前の俺からすれば、何贅沢なことで悩んでるんだ!とでも言われているだろう。

俺は良く、このブログで、死にたいとかもう死にますとか散々書いてきた。
だけども、それはたとえ個人的なブログであっても、そういうことは書いちゃいけないことなんだということがようやくわかった。
そして、もう、そういうことはあまり書かないようになった。

諦めの境地というやつかもしれない。

ネットでなら、わかってくれるかもしれないという万感の願いを込めて書いていたようなところがあった。

なぜ、書いちゃいけないのか。
それは、その気持ちは他人には理解してもらえないからだ。
オオカミ少年とでも言うべきか、また死ぬ死ぬ詐欺をしてるよとしか思われないのだ。
もちろん中には本気で心配してくれた人もいるだろう。
だが、生きていることで本気で心配している人の気持ちを裏切ってしまうことになる。

こういう不毛な状況に陥ってしまうから、ネットであっても簡単に死にたいとか死にますとは書いちゃいけないのだ。

今の俺が周りの人たちに伝えられることと言ったら、この辺の心境をリアルに書くことしか出来ない。
言いたいことも言えないこんな世の中じゃという状態だ。

俺にはもう、リアルに友達もいない。
心を許して話ができる友達がいない。

そして、家での居心地の悪さだ。

友達もいない仕事もない金もない居場所もない

こんな状態に、今これを読んでいる皆さんが陥ったとしたら、どういうふうになるだろう。

人によっては、挽回する人もいるだろう。
が、頑張っているつもりでも、もがいているつもりでも、思う通りにいかず、辛いことばかりが続いていったらどうなるか。

もう、無気力になって引きこもるしかなくなる。

人はなぜニートになったり引きこもったりするのかというと、この辺の境遇に原因があるんじゃないかと思う。
既に、もうブラック企業で酷使されて引きこもりになったとかそういう事実もだいぶ明るみになってきているから、俺が今更指摘することでもないが。

俺は死にたい死にたいと何度もこのブログで言っていた。
それは、その瞬間瞬間では、間違いなく本音を言っている。
裏を返せば、俺のことをよく知ってる人、さっきでてきたしきいしさんなんかもそうだが、
俺の死にたい死にたいは、助けてくれと言っているように聞こえると言っていた。

まさにそのとおりかもしれない。

それで、俺はいつも自分の部屋という最後の逃げ場所に逃げ続けてきた。

しかし、今はその逃げ場所もなくなってしまった。

この先どうなるかは俺にもわからない。
俺に荒療治をして社会復帰させてやろうという、外側の人たちの手助けは凄く嬉しいが、
今の俺にはその施しは辛すぎる。

だいたい俺はもう、郵便局をやめた時、いわゆる会社勤めは出来ないと、去年の秋に自分のダメなところを認め、諦めてしまった。

今も、その考えは変わらない。

どうしても、会社に入って、上司に言われたことをやったりなんだり、人付き合いしたり、毎日時間に追われて働くということが上手にできないのだ。

その理由は、自分にあるのだろう。
なんとかついていこうと必死になったこともあった。

だけども、どうしてもダメで、上手く合わせられなくて、最終的な結論として、俺には会社勤めは向いてないとなった。

発達障害やアスペルガーを疑ったこともあった。
つい最近の話だ。
だが、仕事に就いていて、それによって致命的に生活に支障をきたしていないのであれば、
わざわざ病院で診察したり対策をする必要はないとの事だった。

俺にとって、適切な社会の居場所ってどこなんだろう。

俺は未だに探し続けている。

探すのに時間がかかりすぎて、もう諦めろ、妥協しろ、と周りに散々怒られてきた。

今、仕事が続いている同じぐらいの歳の人達というのは、きっと自分の居場所を見つけることが出来たのだろう。
逆に、歯を食いしばって耐えている人もいるのだろう。

俺は、どっちにもなれない。

後者の立場からしてみれば、俺を怒りたくなるのはよくわかっている。

幸い、俺には行きてく上でのモチベーションがあった。
やりたいことや、頑張れることが子供の頃からわかっていた。

これが自分の自我を保つ、最後の砦になっていた。支えになっていた。

真の精神病というか、うつ病とかそういうものにならなかったのは、これのおかげだったと今は思う。

俺はゲームが大好きだ。
去年、最後の力を振り絞る感覚で、簡単なツールを使ってRPGを作った。
ここの常連の方なら、何度も書いてるからご存知だろうが、初代プレイステーションのRPGツクール3でゲームを作った。

俺はゲームの事だったらいくらでも頑張れることがわかっている。

なんだか、唐突にバカバカしい話になって申し訳ないのだが。

俺はこの週末の休みに、ニンテンドウ64の「ウッチャンナンチャンの炎のチャレンジャー 電流イライラ棒」が遊びたくなって遊んでいた。

知っている人からすれば、なんと懐かしいという話題だ。

この電流イライラ棒を知っている人なら、わかると思うが、ゲーム版でも、相当な集中力がないとクリアが出来ない難しさだ。

特に、ファイナル電流イライラ棒と、イライラ棒リターンズは、中でも飛躍的に難しく、簡単にはクリアできない。

だが俺は計5,6時間程度ではあるが、集中してプレイしてクリアすることが出来た。
その後は、タイムアタックに挑戦するほどハマっていた。

俺はゲームに関しては、これほどまでに長時間、集中出来るのだ。

逆に、それ以外のことに関して言えば、からっきしダメだ。

もう、俺にはこれしか残されていないことを悟った。

ゲーム作ったり、楽しそうに遊んでいるところを動画に撮ったり、小説書いたり、ということを、
俺はやっていくべきなのだろうと、思っている。

働きながらやればいいのだろうが、それは俺にはたぶん無理。
両立させながら、仕事も成功させよう、ゲームの方も成功させようなんて言う器用なことは出来ない。

ここでちょっと誤解されるかもしれないので、俺の考えを書く。

俺は働けないみたいなことを書いてしまったが、そういう意味ではないことを言いたい。
今の職場ははっきり無理という意味で、どうしても生活費が無くなって困ってとなったら、
どこか腰掛け程度のバイトぐらいは俺もする。

俺が言いたいのは、就職して社会に出て働くというレールに乗った生き方を全く否定するつもりはない。
仮にも、つい最近まで、俺に出来ないことが薄々わかっていながら、そこに向かっていたのだから。

人生は有限で、等しく限られた時間しか無い。
就職して働くということは、貯金ができるぐらい十分なお金と引き換えに、それだけの時間をトレードオフしているのだ。

逆に、俺の主張するニート、引きこもり生活は、お金を犠牲にして、時間を手に入れている。
この自由な時間は、自分で使い方を決めていかないと、黙っているだけではどんどん消費されていくし、ある意味会社勤めよりも過酷だと思う。

俺は、後者の生き方を選んだ。ただそれだけの話だ。

後、俺を見て、良く落ち込むとかネガティブになるとか思われてるところがある。

俺は、いろんなことをやっても全然うまくいかない。それで落ち込んで、暗くなってる。

ブログ、動画、ゲームレビュー、小説など色々やって、全部がうまくいかない。
唯一うまくいったのは、2007年にやったゲームの生動画配信(今で言うニコ生みたいなもの)だけだ。
その時は、連日100人以上の人が集まるような賑わいを見せた。

一番盛り上がったのは、2007年11月にやったFF11配信だ。
その時のコメントログが残っていて、なんとかここで見せてみたいと思っているぐらいの、過去の輝かしい栄光だ。

終わります。

俺は多分発達障害者。発達障害カミングアウト。その苦悩

発達障害者とは何か?

病気ではなく、表面的に障害を抱えた人間でもない。

俺は結構前から、発達障害じゃないのか?と考えるようになった。

別に病気じゃないし、生活が破綻するほど困ってるわけじゃない。
テレビの再現VTRほど目立った症状もない。

だから、俺はこの発達障害という情報と向き合うことがなかった。

 

いわゆる皆さん、一般の方々と同じ目線だ。

「ああ、こんな病気があるのか。ひどいな」

完全に他人事だ。

しかし、子供の頃から今に至るまでの自分の行動、性格を一つ一つ分析していくと、もしかしたら…と思わせる部分がかなりあった。

そして問題なのは、発達障害だとして、現在何に困っているのか?という部分。

発達障害でも、普通に生活している人達もいる。
仮に俺がそうだとしても、支援が必要なほど目立った症状がないから、軽微なレベルだろう。

自分で勝手に診断チェックシートをやってみたりしても、ネット上の無料のものだと、判定がバラバラ。
判別に困る設問も非常に多い。

一番重要なのは、自分を発達障害にしてしまおうと言う甘えを捨てなければならないこと。
それをしないと、正確な判定が出てこない。

発達障害の症状が見られたとしても、性格や環境なども大きく関係してくるため、それも考慮しなければならない。

なお、発達障害だったとしても、具体的に何か、障害者年金がもらえるとかそういうものは何もない(見るからに重度な症状が出ているのであれば話は違うが)。

これから自分が発達障害だと思わせるに至った症例を書いていこうと思うが、
自分を正直に出していくので、決して甘える意味で書く意図はないということを前置きしたい。


「人間関係が築けない」
中学校時代は、自分の席に座って、自分から人に話しかけることがなかった
中学2年では、2学期のはじめにあった宿泊研修まで同じクラスで友達が出来なかった。
高校も同様で、友達が一人もいない学校へ進み、高校1年の2学期最初にある宿泊研修まで友達が出来なかった。
その後、職を転々とアルバイトをするが、馴染めず孤立することが非常に多かった。
ネット上でも同様で、ツイッターを始めても円滑な人間関係が作れない。
ブログや動画、ゲームレビューみたいな行動を示して、人を引き付けるような不器用なやり方しか出来ない。

「会話のキャッチボールが出来ない」「コミュニケーションが取れない」
人と話す、話しかけるタイミングがいつもわからない。
職場で困るのは、聞きたいことがあっても相手が忙しそうにしてると話しかけにくく、質問のタイミングを逃す。結果仕事の手が止まってしまったり、自分で勝手に考えて判断して間違ったことをやってしまう。
会話しても、一方的に話してしまうか、聞き手に徹してしまうかの極端な対応しかできない。
また、大人数が苦手で、3人以上集まると、会話に入れなくなって無言になる。

それから幼少時代の話に戻るが、幼稚園、小学校時代は、人との距離感を上手くつかめず、しょっちゅう人間関係でトラブルを起こしていた。
その反省から、中学以降は他人と距離を置くようになった。

「幼少時代、多動だった」
幼稚園の時、朝の会の最中に勝手に教室をぬけ出すことがよくあったそうだ(頻度は自分ではわからない)
小学校中学年くらいまでは、授業中も落ち着きがなく、集中していなかった。
手遊びをしたり、隣の席の子にちょっかいを掛けたりして、先生の隣の席に移動させられることがあった。

「ゲームへの興味が病的なほど強い」
個人的に一番困っている項目です。
これまで自分は、ゲームが誰よりも好きな自分が、自慢だった。
ネット上でゲームが好きだと公言している人たちなんて、自分から見たら全然で、まだまだと思っていた。
しかし、社会に出て働いたりしないといけなくなっても、ゲームの優先順位を1位から下げることが出来ない。
働き出して時間的に拘束されるようになって、思うようにゲームに使える時間が激減すると、
凄いストレスになってしまう。
子供の頃からゲーム雑誌を読んだりゲームをやったりしてて、子供とは思えない知識を持っていた。
極端に言うと、ゲームに関することについてならいくらでも時間を使えるが、それ以外のことに時間を使うのがこの上なく苦痛となってしまう。
それでもこれまで若いころは、それが勤労意欲につながっていて、いびつではありながらもうまくバランスが取れていた。
(これは自分のことについて素直に書き出しているだけで、この思考がすべて発達障害のせいと思って書いているわけではありません)

「集団で行う作業が苦手」
複数人で協力してやるべき仕事がうまく出来ない。
人に合わせて、段取りを組んだり次の工程を踏んだりする部分の想像力が欠けていて、
しばしば何をやったらいいかわからなくなってしまう。
曖昧な指示では、何をいいたいのか察することが出来ず、怒られてしまうことが多い。

具体的な体験では、マクドナルドの厨房仕事で、人が捌けた空いた時間でシンクを洗うように言われた。
俺は取り外したシンクを汚れて真っ黒になってる裏側まで時間を掛けて綺麗に洗った。
だが、時間を掛けて洗っている俺を不審に思って遠目で見てくる視線を感じるがその先輩は何も言わない。
後から気づいたが、そこまで綺麗にする必要はなかったらしい。

傾向としては、適当な指示だと、俺にとっては相手が何をいいたいのかわからず、困惑してしまう。
そこからさらに「何をどうすればいいのか」を聞いてしまうが、これが人によって不快に感じてしまう。
あれ、それ、等、指やあごで曖昧に指図されても、相手が何を言いたいのか気づけない。
相手の顔やしぐさを凝視しても、感情や言いたいことがツーカーで理解できない。

ただ、僕の場合は、この項目は慣れや経験で、克服できる程度のものです。

逆に、一人で行う明朗快活な作業は出来る。
新聞配達、宅急便の仕分け作業、簡単な事務作業等。
しかし、これが複雑さを増してくる仕事になると一気にわからなくなる
例)郵便局の仕分け作業。
郵便番号だけでなく、必ず住所も見て、大量の仕分け棚に瞬時に入れなければならない上、作業工程も複雑で、どうしても仕事が覚えられなかった(覚えるのが遅かった)。

「衝動的で感情のコントロールが出来ない時がある」
小学生時代、友達と喧嘩になった時、目の前にあったぶんちんで頭を思い切り殴り、怪我をさせたことがある。
また、ゲームをやっていて上手く行かなかった時に、物に八つ当たりをすることがよくあった。
20歳ぐらいまでは、大声を上げて奇声を発してキレたり、ということがよくあった。
これに関しては、年令を重ねるごとに段々と克服できており、現在はここまでひどいことはない。

「親父が発達障害者」
発達障害は遺伝することがある。
俺はここ数年までわからなかったが、母親の話を聞くと、俺も親父が発達障害を持っていると思った。

「運動音痴」
俺は、全然運動ができず、体育の成績はいつも1を取るぐらい何も出来なかった。

「物忘れが多い」
仕事をするなどで時間に追われるようになると、いつも持ち歩くべきものを忘れて取りに帰ったりすることがある。
時間に追われる社会人の生活がすごく苦手。

「計画的に物事を考えられない」
どちらかというと、目の前のこと以上のことが考えられず、物事の先読みが下手です。
例えば、天気予報を見る癖を付けて、明日は暑いから半袖にしよう、雨が降るから傘を持って行こう
という下準備が上手く出来ません。
だから、掃除や片づけ、家事みたいなものも効率的に出来なくて、どこかだらしないです。
常に部屋が荒れ散らかっていたり、片付けられないほどではなく、気分屋で片付けるかと言うスイッチが入ってようやく動くという感じです。
これで困るのが仕事の時で、複数人で順序立てて仕事をやっていく時に、目の前のことしか見れないことが多くて、上手く立ち回れません。
ただ、僕の場合は、この症状は、慣れと経験で解決できる程度です。

「19歳の頃から、将来が不安になり不眠症になる」
半年ぐらい、夜寝付けず、生活リズムが安定しなくなり、精神的にも何か、ネガティブになり、いつも不安を抱いて荒れた気持ちになっていきました。
そこで、病院で睡眠導入剤を処方してもらい、19歳の頃からずっと服用しています。


こんなところです。

なにせ今まで自分の性格や個性、境遇や怠けていると言う風に思い込んでいたことを、
一つ一つ整理して思い出してみたものなので、自分にとってはこれらは「ふつう」です。

そして、なぜいまさら発達障害かどうかを考えるかについて。
自分がもし、普通の人と違って、仕事が続かないとか、若い頃から沢山会社を受けても落とされる、原因の一つに軽微な症状でも発達障害が原因として関わっているとしたら、
それは自分にとってはとても大きなことです。

発達障害のせいにするのではなく、その特性を理解して、どこがダメだったのかを改めて見直すことが重要。

仕事も、一般人にとっても大変なもので、僕も散々教えられてきました。
だけども、その大変だというのが、一般の人より過剰に気を遣って気疲れして、普通の人より辛いものになっているのだとしたら…
そこをはっきりさせて、これからどうするのかを考えることがやはり重要です。

今まで自分すらも努力が足りない、出来てないと落ち込むことが多かったですから。

最後にこれをブログに書いた意義。

同じように苦しんでいる方、一度自分の棚卸しをして見るとどうだろうか。

理由はもう一つあって、近日俺は、相談施設にこの事を相談しに行きます。
そのために話すべき内容を整理するために書いた。
その上で、病院で受診するかどうかを決めます。
発達障害は思い込みも非常に多いらしいので。

終わります。

俺を最低野郎と思ってもらっていいよ

先日、親父の会社の社長にまんまと騙されて、親父の会社でバイトとして働くはめになってしまった。

前回のエントリで書いた、付き人とかそういう話は全部嘘で、社会復帰させようとかそういう話だ。

普通はいい話だと思うだろう。
会社の従業員の子供の事まで気にかけて、入れてやろうとしてくれているのだから。

大多数の人は、俺と同じ境遇だったらきっと泣いて喜ぶんじゃないか?
バイト含めると100社くらいは落ちてて、どこの仕事も続かなくて転々として困ってて、っていう人生送ってると。

だけども俺は、全く正反対の感想だった。

まず、こういうことに関して、嘘だけは絶対にやめてくれ
何ナメたこと言ってんだって話だが、社長だから、年上だから、何してもいいと思ってんのか?
その価値観が、俺が普通に会社勤めをしてこなかった、出来なかったと認めさせたものだ。

俺は、働きたくないというよりも、こういう姑息な手段を使われるのが一番嫌いだ。

嘘ついて、人を操作して、自分の思うとおりに動かそうというやり方が、さすが経営者とでも言うべき手段だが、
そんなことしないで、正攻法でやれよ、マジで。

断れないように、外堀を埋めていって、思う壺に持って行こうって言うやり方、まず俺ごときにそこまで凝ったことをよくやったなと本当に思う。

正直、このことに関して、俺はずっと怒ってる。今もだ。

せっかく飲みの席まで用意してくれて、高い料理食べさせてくれて、恩義を感じてるのに、それはやっぱり罠だった。

怪しいとは思っていたが。

だけどな、関係上、派手な行動取れない俺を罠にはめて何が楽しいんだ?

20歳やそこらの引きこもってて一切働いたことのない自閉症の兄ちゃんじゃないんだぞこちとらよ。

最初にまず、意図をはっきり話してくれ。
その上で、俺の境遇とかじっくり話して、信頼関係が出来ないと、仕事与えて社会復帰させてやるとか、俺自身が信用できるのか?
人の人生土足で踏みにじって、ごちゃごちゃ仕事ができないだの暴言はいて、そんなん誰も楽しくないだろ

美味しい料理と、おいしい話だけちらつかせて、「遊び来る気分でいいから」とかニヤニヤニヤニヤ笑ってよ、
そうやって人の人間観察をして、後から「俺は社長で、目上の人間で、年上なのに、全然礼儀がなってない!」とかキレられたって、話にならない。

で、仕事が始まるわけだけども。

詳しいことは書かないが、良くあるテレビの特集で、引きこもり、ニートを更生させよう的な番組
あれをそのまま体験したと思ってくれていい。

もう絵に描いたようなぐらいの、まるでドキュメンタリーを実体験してるような感覚だ。

未経験の汚らしい土木仕事にいきなり放り込まれて、

「しゃきしゃき動けよボケが!」

いきなり、怒号を浴びせられる。

昼休みには、さんざんダメ出しされる

「長いこと勤めてないから、全然動けなくなってる」
当たり前だろうが、何も教えられもせず、いきなり放り込まれたってわけがわからないだろ

午後は、ドロ仕事を泥まみれになって働かせて、「この姿、親に見せてやらないとな」

写メ カシャッ!

この人は、働くヨロコビとかそういうのを体感させてやりたかったのだろうが
そんなもの、感じるような年齢でもねえんだ。

大体、俺のこと全然知らないで、こんなことやらせて悦に浸ってる。

俺は汗水たらして苦労して働く、っていう、日本社会の昔からある価値観、世界観みたいなのが大っ嫌いだ。

この中小企業の土木会社の社長ってのは、もう想像通りの人生論を持った人間で、
それで俺は誘われたって、内心気乗りしなかったってわけだ。

ああ、この人に、俺のこと喋ったって、絶対分かり合えないなって一瞬でわかった。

別に、この人の世界観は、自分の会社とその業界だけがすべてだろうから、俺にわざと威圧して檄を飛ばしたんだろうけど、それはこの人の評価であって、絶対的評価ではないんだよなあ。

別に、土木仕事だけが仕事のすべてじゃないし。
これを極めれば、土木仕事は動けるようになるが、それ以外が伸びるわけでもない。

この会社で働かされて、1つ2つ確信したことがある。

まず、社長という人は、基本的には自分の好きなことをやってる。
そうじゃない会社も多いが。大企業とか、利益を出すために必死にならなきゃならない零細企業だってそうだ。

だけども、俺のいってる会社の社長は、好きなことやって会社を成り立たせてる。
この辺は、俺はこの人を怒ってると書いたが、経営者とか人間的にはやはり能力があると感じている。
だが、それについていけるかどうかが俺にとっては、人間性が大きい。
人をハメて、こんなことさせようという人に俺は残念だが付いていこうと思えない。

来週予定がいっぱいとか言って、そんなに忙しいのかと思ったら、ゴルフ、ゴルフ、ゴルフ、
挙句は自分の好きな人が来るコンサートに行かなきゃ、

社長の忙しい予定ってそれかよ!?

社長なんてこんなもんだ。
元をたどれば起業なんて、自分の好きなことをやりたくて始めるようなものだろ?

この人は、俺と世代が違うから、その頃はゲームもないし、日本は貧しかったから、
土建屋やって、道路や建物作って日本を豊かにするぞ!って言うことに達成感や喜びを感じられる人間だったのだろうよ。

だけどよ、俺らの世代は既に豊かだったから、これにロマンを感じる人は少ないだろ?

そのへんなんだよな
だから俺より年下の人間が、こういう仕事やってるってのに、凄いと素直に思うね。

そしてもう一つ。
次は俺のことだ。

この社長は、仕事はできないくせに口だけは達者でなあ
とか言ってた。

俺は、ここまで生きてきて口達者と褒められた(相手は嫌味で言ってるだけ)のは初めてだ。

ああだから、ゲームの動画配信やった時も人気が出たんだなとか、この人に言われてようやく実感できた。

自分で自分のこと、口がうまいなんてわからないから、普通は。

そしたら、それを生かす、使える仕事をやればいいわけで。
土木工事で、身体ボロボロにして不健康な仕事やることが、俺は偉いとは思わないね。

どんな仕事だって汚いっていうか、人がやりたがらないことをやる、不健康なもんだろ。

あとさ、これは、何回も、引きこもりとかニートとか、長期無職の人とかに本当にいいたんだが。

長い間働いてなくてキャリアを積んでないとか、俺は別に引け目を感じる必要はないと思う。

本当に何か、生活費が無くなって金に困って、どっかにバイトしに行くかってなった時とかも
案外動けますよ。

そりゃあ、身体がなまってて、機敏に動けなくなってるってのはあるっちゃあるが、
そんなの一々気にするほどのもんじゃないと思う。
数日も真剣に取り組んでれば、そんなハンデはすぐ吹っ飛ぶし、
薄給で派遣やらバイトを転々とブランクなくやり続けてる人だって新しい仕事はそんなもんだ。

自分から、やるか、とか思ったら、こんなこと小さい問題でしか無い。だから一々気にならない。

俺はやっぱ、人間は、好きなこととか楽しいことをして生きていくべきだと思う。

生活のために働かないと金が稼げないとかっていうんじゃなくて、重要なのはそんなに金がなくても生活できるような環境でやっていくことであって。


で、実際、俺のこの強制労働の話を聞いてどうだ?

本音で、自分の身に降りかかったら嬉しいと思うのか、嫌だと思うのか、
それを、俺は考えて欲しい。

仕事がなくて困ってる時に、目をかけてくれて育ててやると言って呼んでもらえる。
だが、たぶん多くの方は、嫌がるような土木の汚い仕事を、中小企業のいわゆるブラックのようなワンマン会社に突然放り込まれて働かされる。

(この会社の名誉のために断っておくが、俺の見た感じでは、ブラック企業ではないと思う。その環境も踏まえて考えて欲しい)

苦労して働いて生活費を身体を痛めながら稼ぐのが人生の最大幸福なのか、そうじゃないのかをちょっとジャッジして欲しい。

俺なんかは、これを書くと最低野郎と思われるのを承知で書くが、本当に嫌だね。

やっぱ自分の好きなことや楽しいことをやって生きていきたい。
楽しいことっていうか、楽しい思いが出来る会社で働きたい。

そんなものはない!って思うだろう、大半の人は。

それを探すのが就職活動だって、俺は思うね。

極論を言えば、別に就職をしなくてもいいと思うけど。
俺は好きなことややりたいことが決まってるから、それに最大限時間を捧げたい。
もう俺も歳だから血の気もなくなってきて、衝動的に嫌な仕事を放り出すことはしなくなったが。

本当なら、今すぐ気に入らねえっつってやめて、好きなことにまた没頭する日々に戻りたいね。



そして最後だ。

この先の俺、果たしてどうするのか。

今も俺はムカついてるので、本音を言えばやめちまいたいね。
客観的に見れば、ありがたい話ではあるが、これまでありがたい話を流してきて、
これをやれあれをやれと、短期のバイト先とかでも言われ続けて、
でもそれも嫌だからやらないでいたら、こんな話が舞い込んできた。

これをやれあれをやれというのは、福島の除染作業やら、車の期間工の仕事のことだ。

アテもないし、やるか…と腹をくくるよりは、いい話が後から舞い込んできた。

今の例は結果論だが、案外、いい話を流したって、後からまた似たような話が出てくることだってある。
そう思うと、必死にしがみつく必要もねぇよなあと俺は思うけどね。

ま、スパッとやめちまえば、両親がうるさいし、特に親父の顔をつぶすというか、色々面倒なんだよ

だけども、俺は俺の本能に我慢できないので、ごめんといってやめるしかないか、後は家出するしか無いわな。

日中の殆どを嫌なことに嫌々従事して人生を消耗するぐらいなら、飛び出しちまったほうがいい。すっきりする。

この話を見ると、お前は石にかじりついてでも働きたくないんだなと上っ面だけ見るとそう思うんだろう。

だけどよ、仕事行きだして、できないなりに真剣にやってんだぞ、俺だってよ。
とりあえずはな。

昔だったら、2日3日やって、衝動的にブッチしてたと思うから、それを考えると成長したと思うぞ。


とにかく、こんな話をいち早くしたかったのは、このブログを見てる同じ境遇で悩んでいる人に考えてもらいたかったからだ。

終わります。

関連動画






ここは俺の日記帳だから、好きなことを書いてもいいよな。 俺の全てをさらけ出す!!(後編)

3年ぐらい前から、ネット回線がおかしくなったということを頻繁に書いていたと思う。
実はここ最近でそれの原因が判明した。

それは、3年前の2013年8月に、親父が勝手にプロバイダを変えてきたからだった。

そのプロバイダというのが、ハイビットが運営するtoppaという詐欺プロバイダだ。

この会社はその後2015年から、NTTが始めた光回線の卸売業にも参加して、光ギガという詐欺サービスを始めた。

俺の親父はこれにも騙され、電話回線から全部をハイビットの管轄に切り替えた。

俺は2013年当時から、もう自分のことで手一杯で、ネット回線の事情が云々なんて言うことを一々考えられなくなっていた。

時期的には大体、障害者の作業所であるクリーニング工場に働きに出てた頃のことだ。

だから俺にはそんなことを一つ一つ検証する余裕もない。

同時期に、ルーターも買い換えてきたので、それのせいだとずっと思っていたが、実はプロバイダのせいだった。

このプロバイダに変わってからというもの、パソコン2台をネットに繋げただけで回線が落とされる。
なので、俺は3年前から親父がいる間はネットをやらないようにした。

それで、そんな生活を続けて3年。
もう俺は、別にネットがなくても行きていけるような体になった。

まあ強がりと言われるかもしれないが。
親父がいる間はネットにつなぐと問答無用で回線を落とされる(帯域制限で弾かれる)ので、
そういう劣悪な環境にさせたくないと言う俺の配慮だ。

親父がいる間、つまり俺がネットに繋げる時間帯は、親父が寝静まった深夜とか平日の昼間とか、そんなもんになっていった。
盆正月などの大型連休は一日中家にいるので、夜中しか使えない。

気づけばそんな生活を3年も続けていた。
(ブログの文章も、回線を抜いて、オフラインで書いたもんをコピペして載せている)

このまるでテレホマンを思わせるネット制限を強いられる前は、ゴールデンタイムに生の動画配信を見たり、動画再生しながらゲームみたいなことをやっていた。

だが、できなくなった。
できなくなって3年もそんな生活をしていると、別にネットがなくてもやってけるようになる。

結局ネットつなげてやってることといったら、決まったサイトを見るぐらいで、というか、時間が限られてるのでそれぐらいしか出来ず、まあ、不自由な生活を強いられるようになったといえばなった。

でもそれももうなれた。

本来ネットやパソコン使ってなんかやりたいと思ってる場合、これだけの時間制限があると、かなりのネックになるのだろう。

まず平日でも18時-0時まではネットが絶対に使えない。
それに親父は定年なので、平日昼間でも仕事が終わって帰ってきたりするから、結構平日でも使えないことが多い。
で、土日祝日は休みだ。親父はインドアだから一日中部屋に閉じこもってパソコンやらipadやらでネットフル活用する。

この生活を不自由なく出来るようにするために、俺が我慢していた。

なんで今更、プロバイダのことがわかったのか?

去年2015年10月。電話代の請求が明らかにおかしいことに気づいたため、調べることになった。
すると、一ヶ月に二ヶ月分も連絡なく引き落としているために高額請求になっていた。
そのことでハイビットに直接問い合わせたりなんだり、色々あって、その過程で、この事実が発覚した。

2013年、親父が勝手にプロバイダを変えてきた頃にも、toppaの高額請求で喧嘩になったことがあった。
たかが一ヶ月のプロバイダ料金に毎月1万以上も取られていたというのだから驚きだ。

要は、親父が全部騙されて契約してきたことだ。

全然、俺とは関係ない話だが、このハイビットとは絶対にかかわらないほうがいい。
安い安いと、電話や訪問営業で取り行ってきて、契約させようとする。

実際加入すると、全然安くないし、自慢の光回線はフリービットの劣悪回線に、さらに厳しい帯域制限をかけている。
なにせPC2台、有線接続でつなげるだけでダウンしてしまう貧弱回線だ。
それに加えて、ISDNレベルの細い回線。画像の読み込みが遅く、サイズの大きい画像だと読み込むのにものすごく時間がかかる。

2016年のこの時代に光回線の利用料を払って、アナログ回線時代のように、上からビビーっとゆっくり読み込み表示される画像、モザイクがかった画像が、ゆっくりと鮮明になっていく読み込みを見せつけられるとはまさか思わなかった。

当然、データのダウンロードだってとんでもなく遅くて、フリーゲーム一本ダウンロードするだけでも軽いデータでも10分、ちょっと凝ったゲームだと30分1時間はザラにかかる。

総務省が二回、注意の指導を入れたり、NTTそのものがハイビットとの提携を一時停止するぐらいの、詐欺業者だ。本当にこれを見てるみなさんは気をつけてもらいたいものだ。



ところで俺が、なぜいきなりこんな話をしたのかについて書きたい。

俺は、2016年のこの時代になっても、まともに携帯電話を持っていたことがない。
大学生になった頃など、一時的に持っていたことはあったのだが、バイト先からの呼び出しの連絡以外使わないし、
そんなものに毎月高い利用料(3000円~)を支払うのが馬鹿らしく、手放してしまったのだ。
俺は家にいれば、ネットに繋がったパソコンがあるので、それでメールチェックすれば良いし、電話が使いたければ家の電話でいい。
このような考え方だった。

しかし、さすがに、今はその考えでも肩身が狭くなってきてる。

俺は、携帯を持ってたことがないということは、つまりは、スマホを持ってたこともなく、触ったこともない。
ネットに繋がったパソコンがあれば不自由しない時代はとうの昔に終わってしまった。

例えばスマホ1台あるだけで、カメラ撮影してそれをブログやツイッターに載せたり出来る。
だけども俺は持ってないからそれが出来ない。
PSvita、ニンテンドー3DSでカメラだけは撮れるけど、ブログに載せたりするのは出来ない。

あとは、スマホかipad持ってないと、グーグルストアで配信されてる沢山のアプリを使うことすら出来ない。

今の俺はパズドラやグラブルがやりたいと思っても、その環境すら無い原始人なのだ。

金が無い、収入がないから、我慢している。

同じようにここをご覧になってる苦しい生活を送っている人たちは、スマホを手放すぐらいの我慢をなさっているだろうか。
何か突然、上から目線で申し訳ないのだが。

本当に生活が苦しい時は、そういう選択肢もある、ということを、俺は伝えたかっただけだ。
(一人暮らしで固定電話がなくて、スマホと契約してるほうが安上がりな状況なら話は違うが)

最後に何を言いたいのかというと、俺は流石にもうスマホぐらい持ちたいなと思っていたが、凄く我慢しているということだ。

前の段落で長々と書いた、ネット関係の話も、ちょっとだけつながっている。
俺が回線料を払っているわけではなく、ただ乗りさせてもらっているのだから、俺が我慢するのは当然のことだ。

だから文句をいうこともなく、これまで3年間、人に我慢していることを自慢することもなく、ずっとその環境で生活してた。

この歳で、親父が親父がという文章を書くのも抵抗があったから書かなかったが、ネットなくても生きようと思えば生きれるということが俺はわかったという話だ。






さてここから本題に入る。

皆さんここを見に来ている方々は、一番気になっているだろう話だ。

本当は、記事の一番最初に持って行こうと思ったのだが、それだとそこだけ読んで去っていくだろうから、ここまで目を通した人が読めるように、本題の場所をずらすことにした。

一番気になっているだろう話

つまり、俺の仕事の話だ。

まあ、察しが良い人はわかっているかと思われるが。

去年の夏に始めた仕事を秋には、もうやめた。
一ヶ月半ぐらい働いて、嫌になってやめた。
こういう仕事の辞め方をしたのは、意外と俺は初めてだ。
これまでは嫌でも半年以上働いたりしてきてたから。

ここで仕事をやめた話を書くと、またごちゃごちゃ言われるのが嫌だったので、そのことについて言及しないようにわざとそれについて曖昧な記述をしていた。

なぜこのタイミングで打ち明けることにしたのかについて書く。

俺は郵便局で働いていた。
深夜の郵便の仕分けの仕事だった。
勤務時間は21時から朝6時という、過酷なものだ。

いくら夜型人間と言っても、最初の一週間ぐらいは深夜3時も過ぎたら、どうしても眠くなって半分寝ながら仕事していた。
ぶっちゃけ、初日でもう辞めたくなってたぐらいキツかった。若かったら間違いなく1日とかで逃げたろう(そもそも応募すらしないが)
それでも俺は、自分からここで働くと応募したのだし、年齢的にも少し粘りたいということで我慢して働いていた。

その仕事がすごいハードで、体力がついていかなかった。

半月必死に働いて、突然ぎっくり腰になった。

身体が動かなくなった。

病院でおしりに注射を打ってもらい(激痛!)、クスリを飲んでコルセットを巻きながら出勤。

今の郵便局、人手不足でとてもじゃないが病欠で休ませてなんてくれなかったのだ。

ところが、歩くことすらまともに出来ない人間が、倉庫を走り回る仕事で戦力になるわけがない。
職場の先輩からは白い目で見られた。

無理して出勤して、をその後も続けたが、これだとぎっくり腰が治らない。
身体がうまく動かせないので、ハイペースな仕事についていけなくて、怒鳴られる。

いろいろ考えた末に、やめた。

その職場が悪い、ブラックだとかって言うつもりは全く無くて。
俺は、そこで1ヶ月半働いて、自分のことにいろいろ気付かされたのだ。

怒鳴られたから嫌になってやめたっていうよりも、俺は、もうこういう力仕事の出来る身体じゃないんだなってことに気付かされた。
同時期に入った人も含めて、ぎっくり腰になった人なんて誰もいなかったようだった。
それで、俺は失笑されたり、馬鹿にされたりしたのだ(陰で)。

何も、このことで俺は、自分は悪く無いとか弁解する気は全く無い。

それから俺は、こういう普通の会社入って、会社勤めの出来ない人間だということを痛いほどこの経験からわかった。

この結論を、甘えと取るかどうかは、読んでいる人に任せる。
というかもう、モニタの向こう側で俺のブログを読んでいる人の人生観とかそういうことを、一々説得する気も失せた。
こんな無名の、ろくに成果あげてないブログ記事の信ぴょう性なんてそもそも薄いし、信頼してもらえる材料もない。
(俺の意見に反感を持っている人が、熱心にこのブログに何度も訪れて不愉快になるという行動メカニズムが俺には分からないが)

そういう結論を出したのが2015年9月末日。

俺は仕事を辞める代わりに死ぬ覚悟をした。

まず働き出す直前に作り始めてた、RPGツクール3のゲームを完成させることに集中することにした。
毎日、朝から晩までブラウン管のテレビに向かって真剣な表情でゲームを作っている姿。
まあ、傍から見たら遊んでいるふうにしか映らない姿だ。

まだこれがPC版のRPGツクールだったら、パソコンに向かって毎日数十時間、必死な形相でキーボードとマウスを操作している姿とか言って、絵にもなったのだろうが、握っているのはプレステのグレーのコントローラーなのだから、他人が見たら吹き出すしか無い光景だ。

本当に去年の秋頃は、それにだけ集中してたので、時には目が充血して目を痛めたりした。それぐらい集中していた。
その他のことが俺は見えなくなってた。

気づけば雪が降ってきて12月が来て、正月なんて、気づいた時には終わっていたぐらい集中していた。

ゲーム作りの他には、苦手だったツイッターやってみたり、そこからフリーゲームの紹介記事を寄稿すると自分から手を挙げたり、色々やった。

だが、すべてが自分だけが必死になってる一人相撲で終わって、先の道が見えてこなかった。

その先はただ、暗く何もなかった。

ゲームを完成させた時、俺は燃え尽きた。
ツイッターも辞め、すべてをやめた。

ゲームを作り終え、その紹介動画を撮った後、俺は全部諦めた。

後のことはご存知のとおりだ。

死ぬまでにやっておきたいゲームを、ただやるだけ。

また去年の夏みたいに働きたくなったら働き出すだろうし、ゲームにしろ小説にしろ何かを本気でやるという気持ちが再び芽生えなければ、俺は死ぬだけ。

もう、完全にそうやって割り切ったのだった。

そんなことばっかり1年も2年もずっとは続けられない。なぜなら、そんな財力が俺にはないからだ。

死ぬ覚悟を死ぬ準備へと変え始めていた。

その時だった。

俺に仕事の話が舞い込んできた。

もう、仕事をやめゲームを作り終えてからの4ヶ月間。布団の中でミノムシみたいになってただ死にかけていた俺にこんなことが普通起こるだろうか?

突然過ぎて実感がわかない。

親父の務めていた会社の社長の付き人をやらないかということになった。
付き人と言っても毎日、一日中やるわけではない。

俺は嫌だった。

だけども、立場上簡単に断ることも出来ないし、もう酒の席も用意しているのだという。

俺は料亭に親子で連れてこられ、高い料理をごちそうされ、そこでいろいろ話をした。

そこで俺は断るつもりではないけども本当のことを話した。

俺は本当に不器用で使えないやつだと。
そんな人を付き人にしても、イライラするだけだとか、そんな感じの話だ。
なにせ俺も、数年ぶりに酒を飲ませてもらったので、あまり覚えていない。

俺はこの話が来た時、本当に不思議な気持ちになったのだ。

社長の付き人であって、秘書ではない。
つまり、何か会社の業務を手伝うとかそういうことじゃあないのだ。

あまり具体的には書くことは出来ないが、要は位の高い人間の遊びについていく、及びそれの準備みたいな仕事なのだ。

社会的には、なんにも生み出していない。

例えば、芸能人の付き人というのは、給料の他に、その人から芸を教わる目的がある。

しかし俺にはそういうものは何もない。ただ、遊びに同行するだけ。

まだ仕事が始まったわけじゃないからなんとも言えないが、それでも仕事の頻度としては週数回は最低あるみたいだ。

というかこれを、仕事と形容していいのか分からんが。

いずれにしても俺は嫌だったが、断るわけにもいかないシチュエーションだった。
雇い主の人と話が合えば違った感想を持ったのだろうが、一度飲んで話した限りでは、俺とは話が合いそうになかったからだ。

なにせもう死ぬ覚悟を決めて、好きなことだけやってやろうという状態だったのだ。
そんな人間がまた、早起きして仕事に出る。

その死ぬ覚悟をどうやって証明すればいいのかも分からんが。信じて貰える方法もないが。
本当に家にある死ぬまでにやっておきたいゲームをやっていたこととしか言えない。

金は本当にない。その状態でそれをやっていたとしか言えない。
逆説的に言えば、家にあるゲームは金が無いから増えることがない。やるゲームが無くなった時が、俺の命の灯火のろうそくがなくなった瞬間だ。
それだと親とかに悪いから、ろうそくがなくなるまえに終わる準備をする。

会社勤めが出来ない駄目人間だと認めたから、その路線を諦めて、自分の好きなことでご飯を食べていければいいがそれも絶望的。

これを見ている他の人が俺になり変わった時、「頼むから殺してくれないか」と他人に懇願したり、死のうとするんじゃないかと思うが、つまりそういうことだ。

他の無職、ニート、引きこもりはどうかわからないが。
こういう問題は千差万別で、一人一人違うから一括りに言うことは出来ない。

俺に限っては、楽しいことややりたいことがあって、それを続けるためにお金が必要なのだったら、働くんじゃないのかなあと思う。
俺はね。

俺は、石にかじりついてでも絶対に働きたくないというほどの人間でもない。

ただ今の状態のまま生きててもつまらないから、頑張りたくならないだけ。

それだけだ。





俺は他の無職、ニート、引きこもりブログとかと比べると、ずっと前向きなことを言ってきたつもりなんだけども。

まあ、俺は無職ニートなのは確かだが、長期引きこもりとかと言われると心外なのだが。

会社員ほどじゃないけど、朝は妹の世話手伝うのにちゃんと起きて、生活用品の買い出し毎日のように行かされたり、家のこと色々手伝わされて(これを通して家の財務状況が嫌でもわかるから俺でも頭が痛くなる)、夜は施設から帰ってきた妹の世話手伝いで深夜12時を毎日過ぎる。

最初に書いたが、ネット使える時間は限られてて我慢してる。結構不自由な生活をしてるし、全然外出しまくっているのだが。
それに思ったほど自由に遊べる時間はなかった。

まず、無職、ニート、引きこもりだから人生が暗いという、先入観みたいなのをなくすべきだと思う。
世間からなくすんじゃなく、自分の当人の頭のなかからなくすという意味だ。

俺はもう、会社勤めが無理だと認めて、好きなことだけやって生きていこうと決めた瞬間から、こんなにいい身分はないと本気で明るくなったぐらいだ。

俺は先日の社長の付き人の件で呼ばれた飲み会でもそうだったし、去年2015年3月に親の知り合いの会社に面接行った時もそうだったのだけども。

俺を見て、落ち込んでいるのかと思っていたら全然明るくて驚いたと言われた。

落ち込んではいるけども、面接や酒の席でまで落ち込んでいる理由はないから明るくなるだけだ。

俺は確かに精神病院には通院してるけども、自分が鬱病という病気だとは思ってないから、精神安定剤を処方しようとしてきたらいつも断ってきてる。
昔、通い始めた頃に飲んだことがあったが、ただ具合が悪くなるだけで、飲むのをやめた。
それで俺はうつ病じゃないってことを確信したからだ。
本当なら夜寝付けなくて飲んでる睡眠薬も辞めたいと思ってる。
昔は本当に寝付けない日は、睡眠薬を飲み足していたが、今は1錠飲んで眠れなくても、絶対に量を増やさないようにしてる。

眠れないのは甘えとか怒る人もいるのだろうが、薬を飲んでも眠れない日は本当に眠れないのだ。
俺は病気だと自分では思ってないが、稀に電気を消して布団に入っても、そのまま1時間2時間眠れなくて困ることがある。
だから不眠症の人のことを一括して甘えてると言うつもりはない。
俺はこういう日が、年に数回に減ったが、以前はもっと多かった。

前の段落で、仕事の話が来て、多くの人は「いい話が来たなオイ」みたいに思うのだろうが、俺は全く逆で、好きなことやってたいのにそんなことをやることになって嫌だとさえ思ってるほどだ。

そんなこと言ったって、金入ってくるんだろ我慢しろって言われるかもしれないが、はっきり言ってそれでも嫌なぐらいだ。

そこがもう、俺が会社勤めが出来ないと結論づかせた原因で、我慢して働くのがもうそもそも駄目な人間なのだ俺は。

はじまって、やり始めてみたら楽しかったら続けられるだろうが、そうじゃなかったらひたすら苦痛だろうと思ってる。

ぶっちゃけ、俺に構うな!とさえ、現段階では思っているほどである。




これは極論だが。

最悪、日本に住んでるなら、生活保護の申請すればいいと思う。
いや、それは…とか、抵抗感が生まれるんだろう。

だが、俺は生活保護ではないが、国民年金は払えなくなったから、免除の申請をした。全額免除まではいかなかったが。
というかまだ、申請して一ヶ月以上経ってるのに結果が送られてこないからわからないのだが。

それよりも、これまで収入がなかった期間にも、無理して満額払い続けていたこの数年間のほうが、よほど異常だろう。
(満額払ってると年額20万近くにもなる。俺の貯金はあっという間にこれでなくなった)

やっぱり、年金を払わない、いや、払えない成人男性が、一人の男として、人間としてのプライドが許さないのだと思う。
それは俺もそうだった。

だから、この数年間、無理してでも満額振り込み続けていた。

だけども、どうやってももう払えなくなった。

本当は、この話は生々しいからしたくはなかったのだが、、、俺ももう最後だと思って、書くことにする。

未納のままにしておくと、支払い催促が来るから親を心配させると思って、国民の義務と思って払ってきた。
しかしそれももう金が無いのだから無理になった。

それで年金事務所に行って、免除の申請をしてきた。
当然理由や経緯を聞かれるが、今サラリと書いたこと、というか自分の事情を嘘偽りなく話すだけだ。

同じように、ほんとうに困ったら、生活保護の申請をすればいいと思う。

生活保護をもらうことが恥ずかしいとか、俺の環境ではもらえるわけがないとかじゃなくて、そうじゃなかったら、もらえるような環境にすればいいだろうと思う。

じゃあなんでお前はそれをしないんだって?っていう話になる。

俺は、そこまでするぐらいなら死を選ぶと決めているから。

でも、他の人はその覚悟を決める必要はないと思う。

俺にとっては、国民年金の免除申請も、生活保護の申請も、本来であれば、ハードルの高い行為だった。
でも恥を捨てて、国民年金の免除申請をした。
これをしないと、うるさく支払い催促の手紙や電話が来るからだ。

小心者というかくだらないことかもしれないが俺は何度も考えた。
国民年金は今苦しい状態を無理してでも払うほど、つまり、どうしても払わなきゃならないほどのもの、借金なのか?と。

普通の生活を出来ている一般人であれば、こんな免除とか生活保護とかお世話になることのない縁のない世界だろう。
それどころか、そういう制度に頼る自分が情けなくなるものだろう。

だが、そういう人たちのためにあるものが本来なのだから、申請をする、あるいは、申請が通らないなら通るように努力する
何も恥ずかしいことではない。

ただ、これは最初にも書いたが、あくまでも「極論」だ。

それを考えれば、今人生がうまくいかなくて、苦しんでいる無職、フリーター、ニート、引きこもりみたいな人たちも、
最悪それがあると思えば、だいぶ気持ちが楽になるとオレは思っている。

仕事が無いから即死ぬしか無いじゃなくて、最悪あれに頼ればいいと、心の拠り所になって、何かを頑張れれば、
それでがんばれた結果、成功できて、結果的に頼る必要がなくなれば、それが一番だ。

今それで一部で議論されているのがベーシックインカムという制度だ。
要は、毎月定額全員に国から支給されるという制度だ。

しかし、色々これは問題があるために、実現は難しい。

だけども、ベーシックインカムは別にしても、日本ではそれに近い制度があるのだから、それに頼るのは何が恥ずかしいだろうか?何が悪いだろうか。





ちょっと関連のある話だが、先日俺はツイッターで面白い人と知り合った。
といっても、特に何か絡みがあったわけじゃなく、向こうが勝手に俺をフォローしてきただけなのだが。

それがこの、たかぼー64という人なのだが

俺は、勝手にフトマリオと言うアダ名で呼んでいるんだけども。
(マリオのコスプレをした太った人という見た目から勝手に俺が名づけてるだけだが)

右のプロフィールを見れば、生活保護と障害者年金(統合失調症)を受給して生活してますと書いてある。

俺は最初見た時、何だこいつと思って正直むかついたものだ。
働かないで、遊ぶ金手に入れて、それでゲームとか買ったりして楽しく生きてるのかよという感想だ。
それでフォロー返ししたものの、すぐにブログは閉じた。

たぶん、同じように腹をたてる方もいらっしゃるのだろうが、よく考えて欲しい。

こんな奴に国の税金を使ってるとかって言う感想を普通は持つと思う。俺も最初はそうだった。

だけども、金持ちの国会議員が高級料亭行って仕事とか言ってうまいもん食っちゃったり、するものに税金使うより、
人一人楽しく生きながらえさせるために税金使うのって、ずっと建設的な使い方じゃないか?

皆さんこの状況に腹を立てたり怒ったりするのは、俺達は苦労してるのに血税をこんなことに使って!!という
不公平感からムカつくんじゃないかと思う。

俺は全然政治のことは興味が無いからわからないのだけども、究極的には、不幸な国民一人を幸福に生かせるために金を使ってるって、一番いい使い方じゃないか、と思う。

もちろん、今の国の財源状況や制度だと、不幸な人間全員を助けることは出来ない(寧ろそんな余裕すらないって感じだろう)。

だが、訳の分からない事業に、国の文化のためにとか言って大金注ぎこむ価値と、一人の人間の命の手助けのためにカネを使うのと、どっちが有意義かと思う。

俺は後者のが有意義だと思う。理想論であり、現実的には間違ってるとは思うが。

俺がこの人を面白いと思っているのは、とても行動力のあるバカだからだ。

普通、自分が生活保護受給とかしてたら、それをネットで言ったりしないだろ?

言っちゃうんだよそれを。
顔出して、本名載せて、いろんなことやって。

詳しく見てないから生活保護の対策かなんかでやってるのかもしれないけども、やれといわれてやれることじゃあないだろう中々。

そしてとにかく時間があるから色んな所に行って、いろんなことをやったりしてる。コスプレしてニコニコ超会議行って大会に参加したりとにかくエネルギッシュだ。
行動力だけは凄くて、さっきオレがフォローされたと書いたが、ツイッターで、とにかくたくさんの人を手当たり次第にフォローしてる。
まあリアルで言えば、道行く人に自分の名刺を配りまくってるようなウザいやつだ。
だけどもそれをやってしまう。
俺はフォローされなければこんな人のこと知ることはなかっただろうし、そういうのを見て本気なんだなと感じた。

俺もこういう姿勢は見習わなければならないなと思ったぐらいだ。

ホリエモンがなんかのテレビ番組で、ベーシックインカムが実現したら勤労意欲がもっと上がると言っていた。
とてもじゃないが信じられない暴論だと、周りから言われていたが、俺は人によっては上がると思ってる。

俺もそうだが、大人になって歳を重ねてくると、気にしなきゃならないことが増えてきて、やりたいことがやれなくなってくる。
さっき書いた年金の話もそうだし、まあとにかく、世間体を抜いても、一番大きい問題にお金がだいたい絡んでくる。

ムショ生活の長い人が出所した時に、シャバの生活はとにかくカネがかかるとぼやく描写がよくあるが、本当にそのとおりだ。

俺も最低限の金の問題が解決すれば、すべての問題が解決するわけではないが、だいぶ心に余裕が出てきて、やりたいことに専念できるようになる。
ただ、このやりたいことというのが、今世間的に一般的に思われている仕事とは違って、
このたかぼー64のように、楽しいブログを提供したり、動画を撮影したりとか、そういうクリエイティブなこと、遊びみたいなものにどちらかと言うと近い。

だから、世間一般に思われている勤労意欲というのは確かに上がらないといえるかと思う。

ほらやっぱりそれみたことか!!楽したいだけじゃねえかと思うだろう。

しかし、今ある仕事とみんなが思ってるような仕事って、もう、日本国民全員が総出で働いたって、既に社会をまかなえる状態ではなくなっていることは、もうわかっているだろうと思う。

どこの職場も、人手不足であえいでいる。

おとなになったら、どこでもいいから働かないと社会が成り立たないという常識は、もう通用しなくなったのだ。

それこそSFの世界の話だった、機械が出来る仕事は機械が行うなんて話が、もう現実になろうとしている。
というか、それを実現させないと、日本の社会が成り立たないようになってきてる。

何も俺はまたこんなでかい話をして、あーだこーだ言うつもりはないので、この辺で終わる。

俺がちょっといいたいのは、ブロガーとかって、一昔前は道楽だと思われてた。単なる遊びだと思われてた。
ところが今はどうだろうか、それが職業になってきてる。

これはホリエモンに感化されただけではないが、仕事の定義というのは時代時代でどんどん変わるようになっているんだ。






俺は先日、最後だと思って、このブログと、長年やってるゲームレビューのホームページの、アクセス数を調査した。

結論から書けば、はっきり言って絶望的だ。

特にゲームレビューの方は、一番力を入れているというか好きでやっているから、ずっと続けているのだけども、全然アクセス数とかを考えるとひどいものだ。

アニメや漫画的に言えば、打ち切り一直線といってもいいコースだ。

12年もやっていれば、俺ほどゲームレビューしてる奴は、日本に他にいないと断言してもいいぐらいやってきた。

質はともかくとして、文字数やレビュー本数だけで行けば、一個人の仕事量としてはトップクラスじゃないかと思う。

これは本業でライターやってる人と軽く並ぶぐらいやってると思ってる。
なんといっても12年間、いろんなゲームを時間かけて沢山やっていたのだから、それは総数が凄いことになる。

でも、なかなかうまくいかない。

数年前2014年3月
俺は、悪食「」というブロガーの人が書いてる「ゲームレビューの書き方」について難癖をつけた。

それで、本人から当時コメントを頂いたのだが、色々あって2年間無視していたので紹介と返答する

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本人はもう忘れていると思うが。

今の俺の考えは、完全に人気至上主義だ。

読み手が増えるレビュー文章を書ける人が一番正しい。
だから俺はあなたに難癖をつける資格なんて何もなく、あなたが一番正しい。嫌味は一片もない。

取り上げるゲームも、スクショの見せ方も、そして最後の文章の書き方、すべて読み手が面白いかを判断する。

ただ、俺個人が好むレビュー記事のことを、これを最後だと思って、別個に記したい。

俺は、俺のやってるレビューサイトでも、それを一番大事にしていて、重視しているのだけども。

俺は、本音が読みたい。

世間の評判にかどわかされたような、コピペみたいなレビューじゃなくて、本人の素直な感想が読みたい。

だから俺は、発売前のゲームの情報や、口コミや評判は見ないように遮断している。
少しでも見てしまうと、どうしてもそれを意識して、影響されてしまう。

俺が好きなレビュー記事というのは、他人のサイトになるが、これら2つだ。

一つはいつも書いているが、俺がレビューサイトをやりたいと思わせるに至った、この老舗個人サイト。

もう一つは、最近知ったのだが、RPGツクール2000でミスティックスターという人気レトロRPGを作ったこのブログ記事。

やはりこういう飽くまで自分の目線で冷静に分析しているレビューが俺は本当に好きだ。

それから最後に、悪食「」さんに伝えるが(まあこれを目にしない確率のほうが高いが)

この前ニコ生で配信してた時見てましたよ。アイマスエムブレムだかをやっていた時だ。
最近はカクヨムで小説を書いていて、そういう活動については、個人的に応援したいと思っている。
小説の方も読みましたよ。

それだけです。






さて、このエントリの最後だ。

お前、仕事決まったんなら、死ぬんじゃないだろ?と思われるんだと思う。

まあこの辺の話はやめておくか

別に仕事決まったと言っても、就職したとかそういうわけじゃない、相変わらずの身分はフリーターと変わらない。

別に嬉しくもなんともない。

だからいつくたばるかどうかのはなしも何も変化はない。

そういう考えで、このブログを更新している。

さて最後だが、俺は自分のことを最近、発達障害者じゃないかと認めようとし始めている。

別に発達障害者になっても障害者年金は支給されない。楽したくてこんなことを認めようとか言ってんじゃない。

10年以上、就活してもうまくいかなくて、どこかで働いても続かなくてやめてしまう。

この客観的事実だけを見ていくと、俺自身に何か問題があるんじゃないかと疑ってもおかしくない。

発達障害であることを認めて、自分の欠点を受け入れていけば、人生うまく行くヒントになるんじゃないかと思ってる。

だけど、自分自身で自分を発達障害だって認めることは凄く難しい。

判断基準の自分を普通だと思ってるんだから、俺はだから今までそういうことを言われても否定し続けていたんだから。

だけども最近、良く自分を振り返ってみると、発達障害じゃないかと認めざるをえないように思えてきている。

文章が破綻しだしているが、俺の頭のなかでずーーーーっとぐるぐるぐるぐる思考が巡っていたことだ。

発達障害を診断してもらおうと考えたこともあった。だが、大きい病院で高額の医療費が必要になるということで、諦めた。

発達障害であったとしても、大変なことは何も変わらない。

さてこの辺で終わろう
もう疲れた。今回もまた5時間以上もかけて原文だけで時間がかかってしまった。

終わります。

最後までご静聴ありがとうございました

ここは俺の日記帳だから、好きなことを書いてもいいよな。 俺の全てをさらけ出す!!(前編)

高校生の時の三者面談の時の話だ。

俺は、将来の進路として、ゲームクリエイターになりたいみたいな話をたどたどしくした。

10代の当時から、俺はこの職業しか無いと思っていた。

だが、言い方としては絶対ゲーム業界に入るみたいな言い方ではなかった。

今で言うIT業界とかエンジニアみたいな視野の広い伝え方をしたかったものだった。

要は、ゲーム業界一本ではなく、機械いじれりゃなんでもいい的な話だ。

だが、当時はまだITなんて便利な言葉がなく、パソコンやネットも一般的ではない。
その意志を、伝えることが、まず大変だった。

というか、当時の10代の俺じゃ、うまく伝えられなかったのは明白だった。

俺は、ある意味でバカになりきれなかったことが失敗だと思っている。

同年代で周りでゲーム業界入ってゲーム作りたいと言う人はやっぱりいたものだった。

それは、このブログでも何度か書いているが、ドラクエやFFやマリオとかそういうゲームをやって
(当時の価値観では間違いなく)勘違い系で、俺もこんなゲーム作りたい!!から大体始まっている。

そういう人たちというのは、ドラクエやFFやマリオ、、あるいはロックマン
それしか見てない。
出てきた作品しか見てないから、言い方は悪いが視野が狭いのだ。

この時点では、出来上がったものしか見てないのだから、ゲームがどのように作られているのか、どういう仕組みで動いているのか
といったことは大半がわからないままだろう。

だが俺は下手に頭でっかちであった。

俺は子供の時から親が買ってくる大人向けのゲーム雑誌とかPC雑誌もどきのものを読んでいた。
その中にはゲーム会社訪問とか、開発者コラムの記事もたくさんあった。当然俺はそういうのも目を通していた。

だから、1990年代の当時、いかにゲーム業界に入ることが異質で大変なことだというのが頭ではわかっていた。
(そしてその世界が、当時としては社会の落ちこぼれ、吹き溜まりの集まりである認識もわかっていた)

そこで進路相談では、ゲーム業界とエンジニア的な仕事をやりたいみたいな話をしたのだった。

そしてこの時、俺にとって分が悪かったのは、当時の担任が、珍しく、こういうオタク文化に詳しかったことだった。

その世界を知っていれば知っているほど、1990年代の当時に、ゲーム業界に行こうということが勧められない特異な世界であることを知っていた。

今では信じられない価値観かも知れない。
まだパソコンもネットも普及してなく、メディアは新聞とテレビが完全に掌握していて、携帯電話は出始めの時代。
口では、このさき情報化社会で世の中が変わるとは教師たちは言っているものの、頭ではそれを受け入れることが出来ていない。

何か、学年通信とか、そういう文書では、今の時代はどこかおかしい、昔はよかった的なことが、だいたい書かれていた。

俺は担任の先生に説き伏せられた。

「ゲーム業界っていうのはね、ゲームが好きな人が行くようなところじゃないんだよ」

そして、当時大ヒットしていたグランツーリスモや爆走デコトラ伝説などを例にあげて、丁寧に説明してくれた。

「このようにね、どちらかと言うと、“ゲーム”を趣味にしている人よりも、それとは全く関係ない人が、業界に入ってきて、ヒット作を生み出しているんだ」

先生の指導は、的確だった。

「キミに、ゲーム以外の誰にも負けない趣味ってあるの?」

当時は、初代のプレイステーションが全盛期の時代で、ゲーム業界も価値観が激変していた。
この先生が言うように、これまでゲーム業界に入ってきたことのない人種の人達が入ってきて、違った切り口、趣味の世界をゲームに表現したようなものが売れていた。

だが、それは、御存知の通り、一過性にすぎないものであった。いわゆる一発屋で終わっていった。

先生が俺を止めた理由は、成績が良かったからだった。

俺は中途半端に勉強していて、何もやってない人より成績が良かったから、まっとうな道に進ませたがっていた。

「成績悪くないし、教育大行って、学校の先生になるのはどうだ?」

こう勧められた。

俺は、ガラじゃねえと、その時思った。
俺がガキのおもりをしたり、教える側に回るなんてありえないと思った。これは今でも思っている。

ただ、この先生を俺は、恨んでいるとかはない。
この三者面談だけを見れば、今の価値観から見れば、ズレた指導でもあったかもしれない。

だが、それは別にしても、俺はこの先生に勧められたおかげで、昼休みに自主的にコンピュータ室に行ってタイピングの練習したり、エクセル、ワードの使い方を、毎日勉強していた。そして最後には資格までとった。

俺はこの頃から、家に自分用のPC(ただし性能は当時から見ても凄く低い)があったが、とてもじゃないがPCの使い方を勉強しようなんて気持ちにはなれなかった。

友達と駅前行ってカラオケやゲーセンで遊んだり、新聞配達(夕刊)をしていたから、18時まで自由時間がやって来ない。忙しかったのだ。

新聞配達終わって、家ついて18時。そこからテレ東のアニメ見るのが日課で、ご飯食べながらテレビ見て、
風呂はいった後には見たいドラマがある曜日はそれを見る、合間に宿題やらをして、夜遅くからゲーム。

俺は中学2年の時から新聞配達をしていたから、自由時間が少なく、なんか、今思うと中年サラリーマンみたいな生活習慣を中学、高校生の時から送っていた。

なぜ恥ずかしげもなく、進路相談の時に、ゲーム業界に行きたいみたいな話をしたのか。

10代のあの頃から、俺は、薄々と、それ以外のことはやれそうにないなと思っていた。

しかし、しょせん人生経験のない、若造の確信である。

自分自身も、その考えに自信が持てないのだ。

そうしたいからといって、プログラムを勉強してマスターして、なんか一本ゲーム作ったりしてたとかもない。

せいぜい、当時の俺は、スーファミのRPGツクールの1と2を中途半端にいじりまわして、馬鹿なイベントを作っていたぐらいだった。

こういう、昔思っていた考えが確信に変わるのは、やはり年月を経て結果が出た時だ。そこで初めて答えがわかる。
だがその時点では、もう遅いのだ。



俺が生きていて楽しかったのは、2008年ぐらいまでだ。
それ以降というのは、何も楽しいことがない、苦痛だらけの毎日だった。
気づけば、眉間にしわが寄り、口をとがらせた不機嫌な顔になってる。

いつもそうだ。

その表情が、いつの間にか癖になってしまっている。

2007年4月。なんでも実況Vというところでゲーム実況配信をやり始めた。
最初の数回は、全然見に来る人がいなかった。

その数回は、初心者向けの配信総合スレッドというものがあり、そこで配信していた。

びっくりするぐらい見てもらえなかった。
日によっては、ずっと0人で、完全に独り言配信になっていた時もあった。

凄く落ち込んだものだ。

途中で嫌になって喋るのを辞めたり、しまいにはゲームをやめてニコ動の動画を見始めるなんてこともやっていた。
(なんでも実況Vの頃の俺を知っている人でも、この頃のことを知っている人は皆無だろう。そうやってやさぐれてもコメント0とかだった。ちなみにその時の動画はまだ残ってる)

それで、ゴールデンウィーク明けの5月初め。
配信するために買った8000円のキャプチャーボードも勿体無いし、最後にやけっぱちで無名の人間だが、スレッドを立てて配信をしてみた。

すると、沢山の人が見に来て配信が盛り上がった。

一ヶ月もそれを続ければ、配信すれば必ず100人以上が集まり、コメントがどんどん書き込まれて凄く盛り上がる。

それも、いつも深夜1時から早朝4時半ぐらいまでの時間にもかかわらずだ。

こんな時間帯にやっていたのは、生の動画配信なんて、親の寝静まった深夜にしかやれなかったためだ。

部屋で一人、ゲームやって騒いでいる姿。
2007年当時からしてみたら、まず理解できないことだし、それでお金がもらえてるわけでもない。
10年経った今なら、これでお金が稼げるんだとでも言えば、説得終了となるかもしれないが、10年前はその概念すら無かった。

そして俺は新聞配達(朝刊)をやっていたため、最長でも配信できる時間は4時半までだった。
終わらせた後、寝ずに仕事場に行き、1時間ちょっとだが仕事をして、帰ってきて寝る。

そんな生活をしていた。

完全に昼夜逆転の徹夜生活だったが、あの頃は若かったし楽しくてやってたからそれほどきつくはなかった。
もちろん、連日それを続けるのはやはりきつく、昼間に猛烈な睡魔に襲われたりしたものだが。

この頃は、フリーター3年目で、金もなくてキツくなってきてたし、一番親が就職しろとうるさかった時期で、実は相当精神的に苦しかったし、参っていた。

そんな時期に、掴みかけた成功体験を、俺はあっさりと捨て去ってしまったのだった。

なぜなら、それが“成功”だとわからなかったからだ。

動画でお金が稼げるだとかYoutuberだとか、ゲーム実況者だとかって概念が生まれたのはそれからおよそ5年後ぐらいだ。
当時から、そういうことはやれていたけども、それは一部のパソコンオタクの道楽みたいなもので、これが金になるなんて誰も思っていなかった。
(なにせ、大半のゲーム実況配信者は、エミュレータで違法ROMで配信するのが当たり前の世界だった。俺は違ったが)

だけども俺は、これをなんとかお金稼ぎに結び付けられないかと考えていた。

そこでまず考えたのは、「なんでも実況V」以外での活動だった。
なぜなら俺が来た頃から「なんでも実況V」という場所は衰退がゆっくりと始まっていた。
大体、これを読まれてる方でも、「なんでも実況Vって何?」と思われるだろうと思う。
それぐらいマイナーな場所だった。
こんなところだけで閉じこもって盛り上がっていたって、そこから発展することは何もないことはわかっていた。

そして俺は、いつも親との関係性のせいで、深夜の決まった時間にしか配信ができなかった。とても不自由な状態だった。

生で配信するのは、時間という制約があるために、それにこだわるのは良くないと思った。

そこで俺は、生で配信した動画を編集してYoutubeに上げたり、ちょうどニコニコ動画でも出始めていた、いわゆる録画形式のゲーム実況動画に参入したいと考えていた。

そうやって「なんでも実況V」で約1年ぐらい(休止期間もかなりあったため実質的にはもっと短い)配信し続けて、固定客も出来てきた頃。

2008年5月の事だった。

「俺は、ニコ動の実況動画をやりたいと思ってる」

いつもどおり、配信をしている時に、不意に俺は見ている人たちに問いかけた。

そうすると、コメントは否定的な反応で占められた。

「あんな気持ち悪い所行くなよ」
「独り言動画をあげて何が楽しいの」
「なん実(なんでも実況Vのこと)でいいじゃん。UG(俺の名前)はどこへ行こうとしてるんだ?」
「フタエノキワミアッー!!とかでここが汚れるのは嫌だからな」
「お前があそこで動画あげたって過疎るのがオチだって」

散々ないわれようだった。

そうして、固定客の大反対にあって、俺はニコ動参入を諦めたのだった。

その後、俺は、「なんでも実況V」のキャパシティに限界を感じて、peercastに移行する。
しかし、ここでも生配信にこだわったために、どんどん固定客は減り続け、ジリ貧になるばかりであった。

そしてうまく行かず動画配信も、昔は楽しかったのが、コメントも来なくなり見に来る人も減り、つまらなくなった俺は2010年8月に引退してしまった。

俺の体験談を読んで、なんかところどころ2016年の今となっては信じられない箇所もあるかもしれないが、全て事実だ。

今なら、生配信で人が100人も来て、配信を始めればコメントがダアーーーっと書き込まれるぐらいの勢いがあるのなら、凄いと言われるだろう。

そして、今度は生だけじゃなく、ニコ動やらYoutubeやらにも活動の場を広げたいと言えば、見に来てる人たちも全員が反対はしなかっただろうと思う。

だけども、2007年2008年の時点では、ゲーム実況の知名度、影響力、力関係なんてのは、所詮遊びのレベルだったのだ。

だから当時の俺は、これを成功体験と思って、楽しいからこれで生きていきたいとか、力を入れたいとも思わなかった。
楽しいかもしれないが、すぐに飽きが来る。飽きる理由の一つは金にならないからだ。

金が稼げることがわかっていれば、資本主義のこの世界、頑張ろうとするだろうが、それがないと、人はどこかで無駄だと思ってやめてしまうのだ。

俺が生配信にこだわらず、色々やりたいと考えてた当時の判断は、今の尺度で言えば、多くの人間が正しいと考えるだろう。

あとは、当時の友達にも、こういう実況動画で飯を食って行きたいと思ってると真顔で言ったこともあった。
当然、何を言ってるんだお前という反応をされた。

俺がニコ動だけじゃなくYoutubeにも目をつけていたのは、当時から海外ではYoutubeタレントという人間が、既に何人か排出されていたからだった。

2007年2008年の日本国内では、動画サイトのシェアはニコニコ動画が圧倒的だった記憶がある。これは体感であって、何か具体的に計測したわけではないことを断っておく。

日本ではYoutubeは、全然普及してなくて、日本国内でニコニコ動画というサイトが出来たから、みんなそっちを注目していた。

だが、俺はYoutubeにも注目していた。

2008年ころまでの俺は生きている実感があった。嫌なことも多かったが楽しいこともあった。

例えば、一緒に遊ぶ友達もいた。まだ若かった。

仕事がなくてあぶれてる同い年の奴らで集まって毎日夜遅くまで、どっかの家でゲームしたり、ドライブ行ったり、ゲーセン行ったりしてた。
河川敷でサッカーとかもやってた。金が無いから金が必要ない遊びばかりやってた。

友達の一人に妹がいた。当時女子高生だった。凄く可愛かった。周りの友達がみんな狙っていた。
俺も狙っていた。

俺も付き合ってもらうほどの関係にはならなかったが、遊び友達として一緒に遊んだりした。
俺の人生で、可愛い女の子とお近づきになって遊んだのはこれが最初で最後だ。

車に乗って長距離ドライブをするが、長時間隣りに座っていたり、大した親しくはなかったのだが、一緒に話をしたり、バレンタインには手作りのチョコを家にまで持って来てくれたりもした。

悔しかったのは、この時期俺は体調が悪く(確かインフルエンザと風邪を連続で引いて、1ヶ月ぐらい遊ぶことが出来なかったのだ)
直接チョコを受け取れなかった。お返しもできなかった。

ゲーセンでは、いつも俺はマジックアカデミーというクイズゲームをやっていたが、この子が居る時はいつも相席で一緒に遊んでいた。
他人が見たら、カップルと見間違ってもおかしくないほどのシチュエーションを俺は堪能することができていた。

この子は相当可愛かったんだろう、バイト先(コンビニ)でも客が携帯番号を聞いてきたり、番号を押し付けたりしてきたらしい。
そして高校卒業後、この子はすぐに結婚して子供を産んだ。結婚後(2009年)俺は一度も会ったことはない。

動画配信の俺を知っている人ならピンとくるだろうが、この子こそ、良く言っていたマイちゃんだ。

だが、こんな楽しいことも、2008年を境に段々無くなって、とうとう2010年には何もなくなった。

無だ。俺の人生が無を支配し始めた瞬間だ。

その一つのきっかけが、新聞販売店への就職だった。

周りに就職しろと散々言われて怒られていた俺は、この時、中学2年から13年ずっと続けていた新聞販売店へ正社員登用を狙っていた。
普通に就職活動しても全部落とされるし、フルタイムのバイトですら満足に受からない酷い有様だったからだ。

だが、いざそれが叶っても、ちっとも楽しくない。嬉しくない。

2008年10月のことだった。

正社員ではなく契約社員だが月給25万だし、仕事内容はほぼ正社員と変わらない水準だった。

契約社員に登用されたのは完全に運だった。長く務めていたからというのはもちろんあるだろうが、
この長く務めていた会社が廃業して、別会社に変わったからだった。

誰が聞いてもありがたい嬉しい話だ。

だが俺は頑張れなかった。

そこでの話はごちゃごちゃここでは書かないが、たった半年で俺はやめた。きつい仕事に耐え切れなかったからだ。

今の俺なら、もっと長く務めるような方向を考えたのだろうが、なにせ当時の俺は若かったから簡単にやめてしまうのだった。

色々あった。仕事がキツかっただけじゃない。
ピンポイントに書けば、家のこともやらなきゃならなかった、朝早いから21時には寝ろと言われていたが、寝ることが出来なかった。
家の妹の世話をしなけりゃならなかったからだ。
親も、協力的じゃなかった。朝刊配達の延長線上としか考えてなかったから、家の家事手伝いもきつくてもやらされていた。
それと、当時の俺は契約社員としての仕事と、バイトの新聞配達員としての仕事を両方やっていたので、超絶忙しかった。

この半年間、祝日以外は毎日会社に行っていた。その分給料も高かったが、体が持たなかった。

繁忙期は忙しすぎて、その時期何をやっていたのか時系列でどうしても思い出す事ができないほど忙しかった。

新聞販売店に一度就職して、やめてからというもの、一時期忙しくしてたこともあって、友達とも疎遠になった。遊ぶこともなくなった。
動画配信も途絶えて、配信頻度は落ちて半引退状態になっていった。

それでも金は必要になる。働かなきゃならない。そしてどっかバイト探したりするが、もともとどこ行っても落とされる身だった。
市役所の臨時職員ぐらいしか雇用先がなかった。

しかたがないのでそこで働いた。

金は入ったが時間を無駄にしたと感じた。

俺は、一年前ホリエモンが近畿大学で伝説のスピーチをしたのを見てから、ホリエモンを崇拝しているが、崇拝している理由は、これまで書いてきた人生経験から来ている。



就職できれば一生安泰で偉いのか?

俺はホリエモンほど思考が振り切れてないので、会社に就職することを目指すことを今も悪いこととは思ってない。
それに関してのことは後で詳しく書く。

就職して、働いて、金が入ってきて、自立して生活できる。
それは偉いことだ。

だが、そのプロセスが楽しくないと、生きている意味があるのか?

ただ、空虚なだけの毎日を過ごし続けた俺は、そう感じるようになった。

新聞販売店に正社員登用して入ったけど、仕事自体は全然楽しくなくて苦痛でキツくてやめて、
その後、行き場がなくて仕方なく市役所の臨時職員をやったが、そこで得られるものは金以外本当に何もなかった。

俺の人生を読んでみて、新聞販売店に入社する前と後で、どっちが充実しているとこれを読んでいる人は考えるだろうか。

仕事がある、金も入ってくる、だから自立した生活が出来ただろう、後の人生のほうが、充実してるだろうか。

それは、他人から見て偉い人生観だったかもしれないが、あとに残るものは何もない(と俺は感じている)

いっぽう、若い時しか、若いからできていたのかもしれないが、面白いことを探してきて、風来坊みたいな生活をしてた
新聞販売店に入る前の人生

奇跡の連続で成り立っていただけかもしれないが、生きてる実感があったのは間違いなくこっちだ。

またいつもの、仕事がどうとか重い話になっていった。
ちょっといいたいのは、俺は就職が悪いこととは一片も思ってない。
風来坊みたいに好きなことして生きるのだって、就職して働くのと同じ努力を要求されると思っている(場合によってはそれ以上の労力を求められている)

俺は、成功体験がすごく重要だとこの話を通して言いたい。

俺の場合はここまで長々と書いてきたが、レビューサイトやったけどダメで、最近も色々、小説書いてもダメで、何をやってもさっぱりダメだが、2007年に動画配信をやった時だけは、凄く人が集まってきて盛り上がって大成功を収めた。

俺の成功体験というのはつまりこれだ。

ちょっと前に、ビートたけしのTVタックルで引きこもりをテーマにした回があったのを、見た人がいるだろうか。
(とても話題になったためYoutubeで、録画が見られると思うが)

引きこもりと、それを更生させる施設の是非はここではどうでもよくて、番組の中でたけしと千原ジュニアが話していたことを引用したい。

あの、世界的スターのビートたけしも、駆け出しの頃は、うまく行かなくて悩んでいた。
演芸場で始めたばかりの頃、うまく行かなくて、2回目か3回目の公演の時に、ネタ書くのも嫌で出番をすっぽかしたのだそうだ。
すると、当時の支配人が、まだ無名のツービートのビートたけしをわざわざ探してこう言ったのだそうだ。

「お前は面白いんだから、戻ってちゃんとネタ書け」

この一言があってビートたけしは自信をつけて、お笑いの世界に入っていった。

そして千原ジュニアは、引きこもりで、友達に呼びだされて吉本の養成所に嫌々入れられて、流れで舞台に立たされることになった。
そこで初めてネタを人前で披露したら、鼓膜が揺れるほど爆笑して、気持ちよくなったという話だ。

俺はこの、成功体験がすごく重要だと思っている。

そしてこの成功体験は、特別な出来事である必要はない。

就職活動をしてどこかの企業に採用されることも、俺は成功体験の一つだと考えていいと思っている。

なんかやってみて、褒められたとかうまく行ったから、それを続けていく。
それが成功体験の重要性だとオレは思っている。

ところでここまで読んで、俺は人生の節々で人の意見に左右されすぎというか、人の意見を聞きすぎという印象を持ったんじゃないかと思う。

それは俺もそう思っている。

言い訳でしかないが、俺のこれまでの体験についてだが、俺はこうした方がいいんじゃないかとその時思っても
その時代その時代に沿った価値観がかならずあるわけで、その考えに自信が持てないのだ。

世界で成功している起業家とか実業家というのは、その時その時どちらかと言うと間違っている方にこそ答えが眠ってると思って、決断していくから成功しているんじゃないかと思う。

例えば、ひとつ前の話で、俺はゲーム業界に入るしか無い人間だとその時思っていても、それがただしいという確信が持てない。

それどころか、ここまで書いてきて人に判断を仰いだ話は、どれも合ってるか間違ってるか自分でわからず不安というものばかりだ。

2007年2008年の時点で、まだ言葉すら無かったゲーム実況者になるとか、Youtuberになるみたいなこと、自信を持って行動に移せるだろうか?

その時、失敗することを恐れず、やっていればよかったのだろうが、それを、瞬間瞬間にどちらかと言うと間違ってる方の選択肢に賭けるというのは、相当勇気の必要な決断だと俺は思う。



前にも書いたことだが、俺は去年の夏からRPGツクール3でゲーム作りを始めたり、人生のロスタイムと思って色々なことに挑戦してきた。

長期間放置してたブログにも戻ってきて、ゲーム作りの宣伝をしたり、ツイッターを再開したり、色々だ。

ところがどれも思ったように上手い成果が出ずに、全部をやめてしまった。

成功体験というのはそう簡単にやってくるものではない。
俺は痛感している。

ちょっと話が変わるが、俺は2014年の10月頃から小説を書いてネット上に公開していた。

しかし、いざ書き始めても全然はかどらないし思った水準にならない。
それに、そもそも小説の書き方がわからないので、どうしたらいいか度々わからなくなって頭がパンクしそうになる。

そうやって一進一退の攻防のようなことを繰り返して、一人相撲を繰り返していた。

それに困った俺は、このブログで出会ったある人にメールを出し、小説をみてもらうことにした。

そうしたら、全然ダメで、まず出してもらった課題を基に短編を書くべきだという話になった。

課題をもらって書いて出してを繰り返すものの、やっぱりうまくいかない。

それで俺は段々と疲れてきたのだった。

その素振りの練習みたいなものを繰り返しても、上達の実感はないし得るものも感じられない。

だから、次第に俺はサボりがちになった。

最後は中編を書く話をもらって、それがちょうど去年の今頃だったが、完成したのはそれからおよそ3ヶ月後だった。

俺は、こうやって辛抱強く書いた小説を見てくれるような人に出会っても、その人を呆れさせるほど人間が出来てない。

夏の暑い日に、中編の小説を完成させてすぐ、俺はRPGツクール3でゲームを作り始めた。
もちろんRPGなんだから、これまで嫌がっていたストーリーも考えなければならない。

それから4ヶ月後のことだった。俺は小説ではないものの、一つの物語を完成させた。

それで気づいたのは、やはり自分が、成長したいとか思わないと、何か人から言われたことをただやっていても成果が少ないということだ。

RPG作っていた時は、困っても誰かに相談したりもなく、全部自分で判断して解決してきた。
だから実入りも良かったのかもしれない。そして、このことに俺は見返りを求めなかったのも大きかったのだろう。

まあでも俺は、成功体験というのは非常に大きいことだと思っている。
人のやる気を左右するほどの影響を持っていると思っている。

良く承認欲求だとか、かまってちゃんはダメだと言われるが、俺はそれぐらいじゃないとダメだと思っている。

極端に言えば、成功体験というのは承認欲求やかまってちゃんみたいなものだ。

人は人に認められて、初めてやる気を出す。出せる。

唐突だが俺はツイッターをやめてしまった。

なぜならうまく行かなかったからだ。
うまく行かなかったという言葉が適切かどうかと言うとちょっと違うだろう。

俺は人生最後のロスタイムと思って、苦手だったツイッターもはじめて、色々広がりたいと思っていた。

もう積極的に前向きに特攻していったのだ。

ところが俺はこの頃RPGツクール3でゲームを作っていたのだが、そのせいもあって普段から情緒不安定だったのに、さらに追い打ちをかける状態になっていて、気分の悪くなる胸糞悪くなるメンヘラツイートを連発していたのだ。

そんなことを続けていると、どんどん俺のアカウントがミュートにされていって、相手にされなくなっていく。

それで、やめた。

怒ってやめたんじゃない、知らず知らずに他人を不快にさせていた自分に反省して、やめたのだ。

よくよく考えると、ツイッターで出会った人で、深い関係を築いた人というのは、いないんだよな。

ちょっとしたことで、すぐ離れていくような人たちばかり。

そんなのは知り合いでも何でもないただの他人であって、そんな人達ばかり量産してもしょうがないので、ツイッターを使うことをやめた。

結局、ツイッターでも関係の深い相手というのは、このブログやら、ゲームレビューのサイトやら、はたまた、動画配信やってた時の常連客など、ツイッター外で知り合った人ばかりで、ツイッターで知り合って関係が発展した人はいない。

どちらかと言うと、俺と相互フォローしてオレのこと嫌いになった人のほうが多いんじゃないかと思っている。
嫌いというか嫌になってブロックもバレるしミュートにしようという感じだ。

ツイッターはじめた活用法の一つとして、情報収集というのが目的としてあった。
特に俺は、フリーゲーム関係の情報をいろいろと仕入れたくて、そういう世界に首を突っ込んだりしていた。

しかし、俺がちょっと頭がアレで関わっちゃいけない感じのリストみたいなのに仲間内で囁かれていて、それで距離を取られているんじゃないのかなと思う。

この関係を修復させようとは思わないほうがいい。一番いいのは俺が去ることだ。それが一番迷惑をかけない。
この失敗をなんとかしようと思うことが一番悪いことだ。

大体、ツイッター外で知り合った人が、これで嫌気が差していなくなるなんてことは無かった。
それどころか、俺がツイッターを始めたことで、ツイッターを使い始めてくれたり、そういうことが、俺は嬉しかったものだ。

動画を投稿すれば見てくれたり、俺が長年ゲームレビューのサイトをやっているが、それに触発されてレビューサイトを始めたりしてくれている。
動画配信の時も俺に影響されて配信者側になったという声もすごく多く聞いた。

俺はそれが嬉しかった。俺には一銭の得にもならないことだが、俺のやったことが他者に影響を与えたということが嬉しかった。

俺の作ったRPGツクール3の紹介動画も、ちゃんと見て、ただほめ散らかすんじゃなくて、駄目なところと良い所をちゃんと言ってくれるのが俺にとってはありがたかった。

俺が最悪だと思っているのは、ただ慣れ合うだけの感じが、一番嫌だった。
それで、お立ち台に登らされて、いい気分になって、次につながっていくのかもしれないが、俺はそういう偽りの関係がすごく嫌だった。

窓の社の週末ゲームで紹介されている一番上のゲーム。
これは俺の相互フォローの人が作った処女作なのだが(初期は結構絡みもあったが今は嫌われている)、処女作がいきなり窓の社で紹介されるって、凄いよなと思う。普通ないよこんなの。

フォロワー同士でも、ゲームの事で盛り上がっていて、色んな人にやってもらって、普通はこんなに処女作が取り上げられることはない。

まあ、この人は俺を嫌っているからここは絶対見てないと思って本音を書いているのだが。

俺はこういう他人の成功体験みたいなのを見るのも辛くなってきて離れたってのもある。

ちなみに俺はダウンロードまでしてあるがクリアまでプレイしてないからどうこう言うことは出来ない。
クリアまでプレイする予定はない。クリアしてしまうとゲームレビューしてしまうから。
俺は嘘を書けないので、仮に酷評する内容だと、そのまま酷評してしまう。これが間違って目に入ってしまうと、悪いと思うからやらないことにしている。

俺もこれぐらい周りにキャーキャー言われりゃあ、次のゲームでも作るかとか、そういう気持ちになっていだろうよ本当にな。

小説もそうだし、ゲームもそうだけど、また俺が本当に心からやる気にならないと、つぎは始まらないと思う。

それは、前の段落で書いた、ビートたけしや千原ジュニアの成功体験みたいなものと近いものと思っていい。
俺もRPGツクール3でゲーム作ってそこそこ反応頂いたけども、自信付くほどの反響があったかっていうとそうでもないだろ
じゃあこんなものか、で終わるんだよな。これは本音だよ、

動画配信だってそうだろ、俺があの時やけっぱちで配信して盛り上がらなかったら、そのまま俺にはやっぱり向いてないでやめていた。

そんなもんだって。

なんかないと、頑張ろうって気持ちになかなか向いていかない。

年取ると余計そうだ。若いころは、大学生やってたりすると大学生という身分に守られて世間の目も気にならないし好きなことがやれるだろ。

年取ると、色々気にしなきゃいけないことが増えてきて、行動力がどうやっても落ちてくる。
落ちないように工夫してる人もいるが普通は落ちてくる。

このブログだってそうだ
これを頑張ったて、金が入ってくるわけじゃないから、気が向いた時にやってる

かといって頑張って俺の生き様とか考えを書いたって反応も何もないし、それだとつまんねぇんだよ

それに、長年こんなブログやってると、自分のブログなのにすごく気を使って、更新内容とかも気を遣ってやるようになる。

なんでそんな有名でもないブログに、こんなに見に来る人の配慮しなきゃならないんだろうなと思うんだよな。

俺はこういう人間だから、なに書いたって失笑されることが多いし、だから、気を遣うようになっていく。

俺が前みたいにゲームやってる話とか書いたら凄く怒るだろ?
だからそういうことはやめるだろ?
そしたら、重い哲学的な話ばかりになるだろ?

このエントリだってそうだが、4時間とか5時間とか書くのに時間がかかってる。文字装飾なしの原文だけでな。
作業時間で言えば丸一日掛かっている。

無償で何も目立った反応もないのに、そんなことやる気にならなくなっていくんだよ。
な?ブログに時間を時間をかけるのが時間の無駄だな?と思うようになるだろ

今回は長くなったのでここで終わります。
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