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[ツクール]ツクールMVの海外勢が作るプラグインが凄すぎる



最近は、Youtubeでも、海外のツクールMV動画を見て勉強している。

日本のツクールコミュニティと比べると、凄く活気があって盛り上がっているように感じる。
特に1番目と2番目のプラグイン集動画は、ツクールMVでここまでやっているんだ・・・という凄さを感じる。

3番目の動画は残念ながら英語だから意味が中々理解できない所が苦しい
こういう動画をもっと見て、紹介していきたいと思う
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[ゲーム]PSVRを買いに行かされた時の話

うちの親父が、PSVRをほしいから買ってきてくれというので、買いに行かされた。

※ 自分用のものを買ったわけではないので注意




朝9:30

某店で抽選販売をおこなうというので30分早く、某店へ向かう。

もう長蛇の列でもできていないかなと思ったが、並んでいるのは5人だった。

たった5人か・・・

俺はがっかりした。

PSVRは品薄だということは風のうわさには聞いていた。
だから、ものすごい争奪戦でも始まるのかと思っていたが、随分と静かだったからだ。

が。
その後、続々と車にいた待機組が外に出てきて、俺の後ろは5分足らずであっという間に長蛇の列になった。
(とはいっても100人超えというほどではなかった、せいぜい50人いるかいないかといった感じ)

また、店内入り口には張り紙がしてあり、入荷数は30台と書いてあった。

なんだ、30台も入ってくるのか、余裕じゃないか

俺はそんなふうに思った。

俺は別にPSVRを欲しくはないのだ。
欲しくはないというと嘘になるが、今は買っていられる家計状況じゃないことがわかっている。

だから、出来れば親父には悪いが、抽選販売は外れてくれたほうが良かった。
なぜなら、外れることで余計な出費をしなくて済むからである。

そして10:00。店の扉が開く。

東京の電気店みたいにメガホンを持って大声で案内なんてされることはなく、静々と行列が店内に向けて動いていく。

俺は7番目だった。

7番の抽選券を渡され、抽選発表が始まるまで、店内をウロウロする。

長いこと出入りしていなかったゲームショップだ。

俺は、金がなくなってきた5年前から、ゲームショップへの出入りを辞めるようにしていた。
そうしないと、欲しいものを買ってしまって無駄遣いをしてしまいかねないからだった。

だから、この空間が凄く居心地が悪かった。

俺は併設してある本のラノベコーナーへ逃げるように走った。

こうすることでゲームへの抑え込んでいた欲求をかろうじて保つことが出来るからだ。

時折、子供が体験ブースで、スプラトゥーンをはしゃぎながらやっている声とゲーム音、モニタが視界に入ってくる

それに欲求を刺激されるが、グッと堪える。

そんなことをやって、脳内格闘を続けていると、レジの方から抽選発表のアナウンスが聞こえてきた。

その声は、店内中に響き渡るマイクを使って行われていた。
耳をふさいでいても聞こえてくるほどの声だ。

そして、1つずつ、ゆっくりと当選番号を発表していく。

俺の番号は、中々呼ばれなかった。

レジ前の様子が気になり、店の奥側にあるラノベコーナーからレジ前へと移動する。
人だかりを避けながら・・・

そこには、番号を呼ばれた人、呼ばれるのを待っている人でごったがえしていた。

番号を呼ばれた人は、嬉しそうにレジへと向かっていく。
その姿を見ると、羨ましく感じた。

だが、俺は外れてほしい側なのだ。

抽選番号は、当選番号から推測するに、大体70番弱まであるようだった。
つまりは、今回抽選販売に参加した人数が70人ほどということになる。

30台に対して70人。
つまり、当選確率はほぼ50%弱ということになる。

これは、欲しい人にとっては決して高い数字ではない
が、外したい俺にとっては、高い数値だった。

端的にいうと、2人に1人という格好だ。

かつて、プレイステーション2、プレイステーション3の60Gを発売日に引き当てた俺にとって、
この倍率は、なんと生ぬるいものだと感じていた。

PS2やPS3は努力だけでは決して手に入らない、これより数十倍の競争率を誇る品物だった。
俺ももう発売日入手は無理だと諦めていたら、どちらも天に運が味方でもしたのか、俺は手に入れることができた。

PS2の時は、当時行きつけのゲームショップの人が頑張って入荷してくれて発売日の朝に電話が来た
(これにはびっくりしたものだった)
PS3の時は、ある電気店の抽選販売に応募したら、なんと俺の番号が当選したのだった。
この時ばかりは、PS2の時みたいな奇跡は無いと思っていただけに本当に驚いた。
家に持って帰るまで手が震えて止まらなかったほどだった。

他のゲーム機も、発売日購入は品薄で大変だが、大抵は努力と対策でどうにかなるようなものばかりだった。

「残り15台です!!」

店内アナウンスが響く。

俺の番号はまだ呼ばれなかった。

俺はホッとしていた。

このまま当たらなければ、お金を使わなくて済む。

あの場で、ハズれろ!ハズれろ!と祈っていたのは、俺ぐらいのものだろう。

俺はレジ前から、再びラノベコーナーへ戻り、最近の流行りをチェックしていた。

「残り5台です!!」

俺の番号はまだ呼ばれない。

このまま終わるだろうと安堵しようとしたその時だった。

「抽選番号7番!7番のかた!」


あっ

当たった

当たってしまった・・・

こうして俺は、親父の使いで、PSVRを泣く泣く買い、親父に渡した。
親父は機嫌よくほっこりしていたが、家計状況を考えると、とんでもなく高い買い物をしたものだと、本当に後悔したのだった。

PSVR面白いかい?
俺は体験できてないけど
(実機を直に見れたぐらいだ)

[ネット]wikipedia張り付くぐらいなら、自分のホームページを持ったほうがいい

かなり前の話になるが。
中学の同級生と飲み会したときの話だ。

「俺wikipediaで、自分の知っていることを書き込んだりしてるんだよね」


と言っている人がいた。

その時は何も言わなかったんだけど、俺は常々こう思っている。

ウィキペディアで、自分の知識を無償提供するぐらいなら、すぐブログでも持ってそこで情報発信した方がいい。

きっと、ウィキペディアに協力してしまうのは、
一からブログを立ち上げると、閲覧数とかが少なく全然見てもらえないし、
継続的にやらないと駄目みたいな印象があるためだろう。

それでも、ウィキペディアに名無しで無奉仕するぐらいなら、ブログで発信したほうが断然良い。

なぜなら、ウィキペディアで自分の知識を書き込んだって、あとから返ってくるものがない。
それに、せっかく丸々1ページ、テンプレやら雛形、段組みを編集したのに、
その功績は、本人のものにはならないのだ。

挙句、違う人に違う解釈で編集され、自分が作ったはずのページが間違っているなどと批判されたりする可能性がある。

こんな割にあわないことをするぐらいなら、ホームページをもって、第一次ソースを提供し続けたほうが断然良い。

そこからウィキペディアに転記してもらうなり、まあ最悪自演でもいいが、そこら辺はモラルと状況の問題だろう(マニアック過ぎて誰も項目追加してくれないなど)

確かに、沢山の人にいきなり見てもらえるのがウィキペディアの強みだ。
さっきは、名無しと書いたが、一応ハンドルネーム付きで編集はできる。
(が、あそこは投稿型レビューサイトやらamazonのレビュー項目などと同様で、署名付きで書き込めると言っても、実質匿名の扱いだ)

だから、俺は一度もウィキペディアに協力したことがない。
昔は、協力しようと思ったことはある。

具体的には、PCエンジン「ネクタリス」の項目がまだなかったので(12年ぐらい前の話だ)
世界観とゲーム概要、ユニットの説明あたりまで段組みして、記述しようと思ったのだが
なんだかそこまでやって急にバカバカしくなって辞めた。

そのやめた理由というのが、これまで語ってきたことになる。

頑張っても、割に合わない

これが理由だ。

まあ、自分も、こういう経緯があって、今ウィキペディアに対する価値観というものが決まっている。

絶対の信頼を置いているわけではなく、読んでみて、自分の記憶のほうが正しかったら、そちらを優先する。

つまり、疑ってかかっているのだ。

普通の人は

「ウィキペディアに書いてあったから、あれは正しい」

こう思うのだろう。

だが自分は、ウィキペディアにはこう書いてあったな

程度の信頼度しか無い

といっても誤解されると困るので書いておくと、“こう書いてあったな”という価値基準は
はっきり言って信頼度は高い方だ。

俺はゲームの項目ばかり見るが、今でこそ間違いはかなり直されているが
10年前なんてのは、ちょっとゲームソフトの発売日や価格を調べてみると、間違いだらけだったのだ

直してやろうとも思ったのだが、俺のやることでもないしってことで放っておいていた。

あそこは、何を書くにもソース、ソース。こればかりだから、今の今まで良く成り立っているなと本当に不思議になってしまう。

[ゲーム配信の話]ゲーム配信を続けなかったのは自分にも原因はあった

今から丁度10年前のことだ。

俺はゲームの生動画配信を始めた。
すると、沢山の人が来て盛り上がって、ゲーム配信者をやることになった。

ところが、同居している親の理解が得られない、当時は遊びでしか無かったということもあり、
動画配信としては成功している方に入っていたのに、次第にやらなくなっていった。

と言うような話は、ここで何度も書いていることだと思う。

しかし俺は、こうやって人のせいにしているが、実は自分にもやらなくなったことに原因があると思っている。

この話は、初めて書く話だ。

まず俺は、動画配信を始める前に、2004年からずっとゲームレビューサイトをやり続けていた。

ここも昔はそれなりにアクセスがあったのだ。

それで、ゲームレビューサイトを初めて4年目のこと
俺はゲーム動画配信と出会った。

もう、更新を滞らせるほど、一時期は「ゲーム実況」というものにハマっていた。
これはもう、揺るぎのない事実だ。

配信すれば、100人位の人たちがワーーーッと見に来て、いろんな書き込みが来て、ちやほやされる。

こうやって自分でもわけがわからないまま盛り上がっていたら、楽しくなってくるのは当然の話しだ。

だけども、その状況がいつまでも続くはずもなく、俺は段々と飽き始めていた。

ただ、飽き始めていたと言っても、最初のような新鮮な面白さが抜けただけで、「ゲーム実況」動画配信自体は嫌になったわけではなかった。

この時、俺の頭のなかには二つの選択肢があった。

・ゲーム配信をきっぱりやめて、ゲームレビューにまた本腰を入れる
・ゲームレビューをやめて、ゲーム配信に本腰を入れる。

両方やるという選択肢は当時は存在しなかった。

なぜなら、理由はたくさんある。

まず、ゲーム配信が、親の理解を得られないため、親が寝静まった夜中にしかできなかったため。

ゲーム配信をやっていたこの頃、新聞配達(朝刊)をやっていたこともあり、毎日貫徹していた。
完徹というよりは、生活リズムが完全に昼夜逆転していたような生活だった。

しかし、おおっぴらに真っ昼間に睡眠をとることが出来ない。
そのため、不安定な睡眠時間で、どうしても疲れている日は、ゲーム配信を休んでいた。

もう一つの理由としては、ゲーム配信しながらゲームレビューは当時は書けないと思い込んでいた。

やはりゲームというのは、一人黙って黙々と遊ぶものであり、
みんなが見ている前で、自分が何をしているのかわからなくなるほど騒ぎながらゲームをやるものではないと思っていた。
そんな注意散漫の状態でゲームをやっていても、調子が100%出ないし、ゲームの細かいところまでしっかり見られないと思っていた。

それだけ、ゲームを遊ぶという行為そのものを、神聖化していたのだ。

実際、ゲーム配信をしていた頃は、配信が面白くなっているかという方にも気が向いていて
ゲーム自体がお飾りになりがちな部分がどうしてもあった。

ゲーム配信ではじめてICOをプレイしたのだが、
この時は、配信しながらでコメントや自分の喋りに気を取られて、クリアまで相当時間を掛けてしまった。

何もその状態でもゲームレビュー書いてもいいと今では思っているのだが、
当時は、こんなゲームの遊び方ではちゃんとしたゲームレビューにはならないと両立を拒んでいた。

それから、遊ぶゲームも、シリーズ物なら順番にやらないと気がすまないとか
そういう決め事を優先してしまうと、本来ゲームは面白いと思うものを優先的にやればいいのに
そういうこだわりを優先してしまうか、どちらかをかなり悩んでいたのだ。

ましてや、ゲーム配信はゲーム選びも重要で、自分は真・三國無双を1からやりたいのに、
1はやる価値が無いから2をやれとか、当時最新作だった無双OROCHIをやってと言われると
かなり困ってしまう。

しかし、そこで自分の無駄なこだわりを捨てないと、ゲーム配信は盛り上がらない。

結局俺は、毎回夜中に配信するのがしんどかったこと
当時から盛り上がる新作ゲームをポンポン変えるような金銭状態になかったため
徐々に過疎り始めていたゲーム配信を引退して、ゲームレビューを取った。

その結果はご覧の有様だ。

過疎のゲームレビューサイトを抱えて、あのときの判断は失敗という結果になった。

当時からちょっと考えればわかることだった。

これからは、動画配信がどんどん盛り上がっていくのだから、絶対そっちに力を入れたほうが、可能性が見いだせた。

だが、自分は落ち目になっていたゲーム配信を、その時の状況だけで判断して辞めた。

続けてたら必ずしもいいことがあったとは思わないが、文章だけのゲームレビューサイトで、
その後何か得るものがあるかというと、答えは明らかだったように思う。

[人生の話]人が生きるということについて考えている

人生寿命は80年だと当たり前のように言われている。
が、それは誰もが事故に遭わず健康で天寿を全うするということが前提となっている。

さすがに30年以上生きてきたら、健康ということを意識しなければならなくなった。
だいぶ前に、血液検査をして、糖尿のサインがあるということで、治療薬を飲んでいる。
食事の量も減らしたり、本当ならば運動もしなければいけない。

俺はこれまで、自分が60,70まで生きるとは思えないから、健康について考えたことなんて一度もなかった。
好きなものを食い、太ろうが気にしない。
長生きするために、今我慢するということが、そもそも自分の人生設計が破綻しているので、そんなことをやることが無意味だと感じていたからだ。

だが、そんな生き方も20代が終わると、自然と出来なくなってくる。
どこかの体の機能が悪くなり、そのために機能低下した部分をカバーするような生活をしなければいけなくなってくる。

もう一つは、親の年老いていく姿のことだ。

普通は、学校を卒業するタイミングで、親元を離れて生活するから、一般的な人は全く気にならないことだろう。

俺はずっと親元で生活していたからわかる。

生の動画配信の場などで、よく喋っているのだが、親が年老いていくことで、どんどんと自分も身動きが取れなくなってくる。

これまで親がやってくれていたことを自分がやらなければならないためだ。

そうやって、色々とやらなければいけないことが増えてくると、当然ながら自由時間がその分減る

だから、動画配信を催促されても、気軽には出来ない
それどころか、今やっておかないと、この先いつやれなくなるかわからない

そんな緊張状態の中で、俺は生きてる。

親と離れて長く生活してたら、親が年老いて毎日の生活に苦労し始めても、普通は気づかないし気にもならないだろう。

子供だって自立しているんだから、自分の生活があって、常に寄り添ってなどいられない。

だが俺は、人と違う人生を歩んできた。

いつも親のそばにいて、それでもどちらかと言うと、親孝行はしてこなかった

やっぱり、なんとかして自立したいと言う思いで、自分のことだけで精一杯だったからだ。

しかし、それも親に助けてもらいながらの生活だ
それがだんだんと難しくなってくる。

そうなると当然、家のことやったりなんだりと、色々と大変になってくる。

これだけリアルな話を、ブログに書き記すのもどうかなあと思ったのだが、
どうせいつも同じ人しか見ていないだろうし、このまま今自分が思っていることを生々しく書く。

親がゆっくりと衰弱して弱々しくなっていく姿を見ていると、やはりなにかこう、感じるものがある。

自分は年老いたりしないし、おっさんになったりじじいになるのは遠い先の未来のことだと、
10代20代の頃は思っていた。
30代の人間だってそう思うだろう。

平和で五体満足で健康な生活がずっとこのまま続いていくのだろうと普通は思う。

だが、着実に毎日一日一日が、寿命へと近づいていっているのだ。

当たり前の話だが、人はいつか死ぬ。

だけど、人間というのは日々の忙しさにかまけて、そういった老いとかネガティブなことはあまり考えない。

こうやってブログに文章を書いている瞬間にも時間は経ち続け、俺だって寿命へと一歩一歩近づいていっているのだ。

俺はこんなことを考えるようになって、頭がおかしくなったのかもしれない。

しかし、これは、逃れることのない運命であり、目を背けることの出来ない事実だ。

毎日、当たり前のように健康だが、いつ難病にかかるかもしれない。
不慮の事故で死んでしまうことだってある。

そういうことを考えると、時間というのはほんとうに貴重であり、その限られた時間をどうやって過ごすかというのは本当に慎重に考えなければならない。

俺が、こういったことを考えるようになったのは、自分が糖尿の危険があるという診断をされたことと
年老いて体が不自由になっていく親の姿を目の当たりにしたからだ。

だから、親が生きてるうちに親孝行をしろとか言う説教臭い話にはならない。
親孝行も大事かもしれないが、それよりももっと大事なのは、
生きている時間、生かされている時間に、何をやるかということだ。

これはいくらカネを稼いだって、寿命を伸ばしたり健康を買ったり出来ない。

宝くじを当てた次の日に、交通事故にあって死ぬかもしれない
交通事故じゃなくても、大金で豪遊している間に健康不良で若くして死ぬことも考えられる

鬱な話になって申し訳ないが、貴重な時間を使って、後悔しない時間の使い方を絶対するべきだと言うことをいいたかったのだった。

[ゲーム]SFC音源化してみたシリーズ かなでーる、バンプラで再現してみたシリーズにハマっている

歌や音楽をFC風にアレンジという動画はよく見かける。
が、自分は、SFC音源化してみたというシリーズにハマっている。
FC音源化してみただと、開く前からどういう曲調か想像できてしまうからどことなくつまらなく感じてしまうのだ。

SFC実機演奏でアレンジしたというシリーズは、やっている人が少ないために、あまり数は少ない。

今回は、これはいいと思ったアレンジBGMを紹介していこうと思う。



とても「マリオらしい」のがポイント



以前も紹介したのだが、コナミっぽいというかパワプロっぽい、掛け声もGJ

ほんとうに凄い良く出来てるなあと思ったのはこれぐらい。

続いて
音楽ツクールかなでーるや大合奏バンドブラザーズの耳コピ動画も好きだったりする。

























これらのシリーズは本当に凄いなあと思う。
それっぽく再現するのって本当に大変だと思う。

俺は初代バンプラ持ってるから余計そう思う。

ただ、いつかこういうゲームを手に入れたとき、RPGツクールと同じように、
作曲に全力を注ぎたいと思っている。

[ゲーム]時代はもう、熱い評論やレビューを求めていないのかもしれない



最近「電撃プレイステーション」を読んで、さらに思ったことだ。

昔のゲーム雑誌には、読者ページに大抵ゲームレビューのコーナーがあって、
そこには読者が投稿した、熱いゲームの感想が載せられていた。

ところが、「電撃プレイステーション」には、そういう読者ページは見当たらなかった
(もしかしたらあったのかもしれないが)

このことから感じたことだ。
今の時代、アニメにしろゲームにしろ、消費者の深い考察やレビューなんてものは、もしかして求められていないのではないだろうか。

そんなことをやっているぐらいなら、もっと簡潔に、北島康介みたいに感情的なことをちょっと言って
それに同調を誘ったり、するような浅いものしかもう、今のオタクにはないのかもしれない。

今、自分が体験した作品なりなんなりを、どう面白かったのかなどをじっくり考察するという
たしなみ方というものは、とっくに廃れてなくなってしまったのだろう。

いやレビューなんてネットに沢山ころがってるじゃん

そう思われる方もいらっしゃるだろう

だけども、個人的にはamazonレビューとか、投稿型レビューサイトの感想文というのはレビューとは違うと思ってる。
匿名性が強く、レビューの内容で楽しませようというよりは、文体やおちゃらけた一発ネタ文章で読ませるもののほうが支持率が高い。

深くじっくりと色々なことを考察して、「じゃあどうなのか」という結論すら出さないこともある
そんなレビューはもう、読者にもわかりづらいし、そういう論評は何より読まれない。

これは、俺のレビューサイトが過疎だから、そんな責任転嫁をしているわけではない。
それとは分離して考えていることである。

多くの人がレビューに求めていたことについて。

結局、発売前や持ってないゲームを買うかどうかの判断材料として使われているだけ
(アニメなら未視聴のもの、視聴切り、1話切りの判断材料として使われるもの)

この程度の扱いになっているとするならば、物凄く悲しい。

だから、雑誌の発売前クロスレビューやら、大手レビューサイトの点数が
異常なほど注目されていて、その点数で論争が起こったりする。

ここでも出てくるのは、レビュー内容よりなによりも、点数である。

これだけ注目度が高いと、
まるで、テレビ番組の視聴率のように、数字だけが独り歩きしている気さえする。

そのうち、というか、もうそうなって久しいのだが、
ゲーム実況動画というのも、新作ゲームを見るための装置になりだしているのが自分は悲しい。
(今回は、レビューに関する話なので、この辺は詳しく書かないが)

なぜこういう論評が廃れてしまったのか

そこを少し考えてみたい。

世の中、ゲームやらアニメやら娯楽が溢れきってしまったからなのか?
一々一本一本を深く考察する余裕すらなくなるほど、忙しくなってしまったのか?
ネットが普及して、面白かったつまらなかった萌え燃えとか、言うだけで満足できるようになってしまったからなのか?

俺は、今回はゲームだけに限らず、アニメにも同じように、深い考察や論評が廃れてしまったことを残念に思っている。

なんだか、こういう論評をするという文化が、実は結構大事なことだと思うのだが、
それがなくてもなんとなくうまく行ってるから、軽視されているのだろうか

そうだとしたら俺はほんとうにがっかりする。

より良いものを生み出すためには、今あるものを分析して、発展させる地に足の着いた行為が必要あだ。
なのに、そういう行為が、あるにはあるんだろうけども、あまり見かけなくなってしまった。

もしかして、そういう人たちも増えすぎて、自分では見えなくなっているのかもしれない。

ただ少なくとも、いまレビューサイトとして成功している大手サイト達を見てても
その大半に価値を感じるサイトというのが少ない。
ちゃんと考察してるんじゃなくて、好き勝手言ってるレベルのレビューばかりというのが、読み物としては手軽でいいのだろうが、自分としてはもったいなく感じている

そういうことも含めて、リテラシーが低下しているというか、オタク世界の論評文化というのは、
ほぼ間違いなく落ちているのは言い逃れのない事実だ。

なぜそうなったのか?

それは、お金にならないからだ。

こんなことしたって誰の得にもならないし、レビューが独り歩きして金を稼ぐこともない
それ自体も作品として認識されてないんだから

日本では、難しいだろう。

このまま、上手く行っているんだから、その文化が再び盛り返すこともない

実に悲しいことだ。

[ゲーム]よっさんが選ぶSFCランキングベスト100という企画が凄い

よっさんの話題ばかりで申し訳ないが、地味に凄い企画をやっていた動画を見かけた。




一機種のゲームを100本以上やっているというのがまず凄い
ランキングはやっぱりRPG系に偏りがちかなと思ったけど、こればっかりは嗜好性が出るからしょうがないよなあ

俺ですらちゃんとクリアしたSFCゲームと言ったら本数的には150本あるかないかで
よっさんは大体名作どころを抑えているから、なかなか他の人にはこういうランキングはやれないと思う。

[フリーゲーム]ツクールゲー遊ぶ人作る人達の価値観について

ずっと前から感じていたのだが、RPGツクールでゲームを作る人、または遊ぶ人たちの
価値観について、以前から自分とは価値がかけ離れているように感じていた。


まず、事例を出しながら書いていきたいと思う。


ツクールでゲームを作っている人が、RPGの状態異常、毒についての改善策を述べていた。

RPGにおける毒というのは、フィールドを歩けば&戦闘ターン経過ごとに、少量ダメージ
という常識があり、
なおかつ、毒を治療するアイテムが安価で手に入り、ゲーム序盤で治癒魔法も持っている事が多い

ということで、それに対する問題点を指摘して、改善策を提示していた。


が。

自分の考えはちょっと違っていて。

毒ダメージが小さいならば、
毒のダメージを単純に大きくすれば解決するわけじゃなく、寧ろうざったくなるだけだ。

ゲームの進行に全然影響を及ぼさないから、何かするべきだというのも自分は違うと思っている。

というのも、毒というのは、風邪みたいなもので、かかっているだけで嫌だなあと思わせる
心理的な状態異常の位置付けで十分だと思っている。

まだ仲間が少なかったりHPが低い序盤に活躍すれば、十分驚異的な存在になりうる。
それから、そもそも1ターンの重みがあり、かつ、RPGよりHPがインフレしないS.RPGだと
毒は結構うざったい。

次に改善策についてだが、毒という状態異常が、単にHPにダメージを与えるという考え方が凝り固まっていると思う。

あまり知られてないのかもしれないが、
ドラゴンスレイヤー英雄伝説の毒は、ターン経過ごとに毒が全身に回り動けなくなり、最後には即死するような効果となっている。

それ以外にも、このドラスレは、眠り状態の相手は無防備ということで絶対に会心の一撃になり、耐性さえなければ、どの呪文も確実に効くという凄まじく面白いバトルシステムになっている。

さすがに、そこまで毒を強力にする必要はないが、他にも色々解決策はある。

たとえば、毒消しを高価にしてしまう。
ワクチンを取ってこないと量産できないので、ということで、一つのイベントのネタが出来る。

つまり、毒を治療するのが難しいという世界観にしてしまえば、効果はそのままでも、一変してゲームバランスが変化する。
(毒自体を汎用的に使いたいなら、特殊毒、猛毒など別枠を設ければ、いくらでも融通は効く)

ダメージ計算式で、毒の効果的なダメージ量を考えるより、そういう方向で考えたほうがずっと面白くなると、自分は思うのだ。







次に、思っているのは、ツクールゲーのプレイヤーの嗜好性について。

自分はコンシューマばかりやってきた人間だから、余計思うのだが、ゲームに対してかなり目線がシビアかつストイックに感じる。

RPGはこうでなければならない、とか、
なんでこうしないの?面倒くさいだけじゃん

というふうな意見が、物凄く多いと感じる。

特に多いのが以下

・ボス戦前にはセーブポイントや回復させろ、ボス前には警告を出せ
・ザコが強すぎる、1~3発で倒せるようにしろ、そうじゃなければ、早送り機能をつけろ
・宝箱や図鑑、イベントの取り逃しをなくせ
・面倒くさい謎解きなんて邪魔なだけ

3番目なんかは自分も頷くような部分でもあるが、それにしたって、
ツクールゲーのプレイヤーは、あまりに新しいもの、新鮮なものに対しての拒絶反応が強すぎるように思う。
そういうものは面倒くさいと一蹴して、俺たちをもっと楽しませろという我儘にすら自分は見えてしまう。

仮にそういう声をなんでも全部取り入れてしまうと、ゲームとしてはワンパターンで、凄く大味なRPGばかりになってしまうと、自分は思っている。

RPGは勿論、マップを鑑賞する絵画的な楽しさや、イベントシーンを楽しむ読書のような楽しさも含まれているから、そういうゲームが駄目だということにはならない。

が。
あまりにプレイヤーを意識しすぎて、便利であればあるほどよい、利便性を高めたゲームばかりが褒め称えられると、俺なんかは「なんか違うよなあ」と思ってしまう
配慮が行き届いているのと、強制されてやっているのとでは、180度訳が違う

ボス前に回復やセーブポイントよこせというのは、プレイヤーの我儘だ。

そういうゲームデザインばかりが求められるならば、
広大なダンジョンを、何度も出入りして徐々に踏破して攻略していく楽しみとかもなくなる
道中ヒヤヒヤしながら、リソースを節約してボスと戦うというゲームが自分はあっていいと思っている。

そういうことを突き詰めてしまうと、ゲームとしてのRPGは以下のようになる。

・ダンジョンはゲームをのこえるための壁にできないので、ボス戦を増やすことになる
・ゲームを進めるための壁をボス戦だけに絞られるので、ボス戦にフォーカスしたゲームバランスになる
・フラグ立てや謎解きを楽しめる素地がないので、ボス戦のためにリソースを集めて、試行錯誤して乗り越えるだけのワンパゲーになる
・そうなると、ボス戦が凝っていき、難易度が上がりがちになる(ボス戦しか壁を用意できないため)

と、こういうゲームに傾倒していくのだけど、作る側の人は意図的にプレイヤーに多少の嫌がらせを入れたほうが、個人的にはいいと思ってます。

偉そうに本当はこういうこと書きたくなかったんだけど、ずっと思っていた違和感を書かせてもらいました。

[ゲーム]いまさら連打RPGビヨンド・ザ・ビヨンドをクリアーした

あまりのダメダメっぷりに、歴史上抹消されてしまったRPG「ビヨンド・ザ・ビヨンド」をクリアした。
(結構前の話だが)


これは発売日にうちの親父が買ってきて、俺も少しだけやったが、
当時は新聞配達を始めたばかりで忙しく、ゲーム自体もアレな出来だったこともあって、
ちょっとだけやって放り出して終わった。

いつかはエンディング画面を見てみたいと最近頑張ったのだが・・・


なんて酷いゲームだ!!

俺はなんで戦闘中にこんなに必死にボタンを連打しているんだ

意味がわからない。

最初はあまりに必死に連打してたものだから、30分足らずで、腕の筋肉がやられた。

それ以降も、このゲームは長時間プレイは出来ず、ちょっとやって終わりという牛歩戦術を強いられるようになった。

連打して、連打が成功して、「ピキン」って音が連続で鳴ったときは、嬉しいんだけど、
だいたい成功率は5割程度。
連打しても、失敗して音がならないと、凄くくたびれ損な気持ちになる。

エンカウントしたときの


ビュウウウウゥッ

って音は無駄にうるさいし不快だしで、ゲームを終わらす頃にはトラウマにもなったぐらいだ。


ゲーム自体は、みんな言われてる通り、酷かったものだ。

本当に、やるだけ時間の無駄。

っていうのがストレートに当てはまるゲームだった。

自分は、リアルタイムの思い出があって、なんとかやり遂げたけども
思い入れが何もなかったら、これほど苦痛なゲームもなかなか無いと思う。

それと、この会社のRPGにもれなくついてくる、イベント時にキャラクタがビヨビヨ震えるのは
あれは何を意図した演出なのか知りたい。

会話する前に、ドットのキャラクタがプルプル震えるんですよ

痙攣でも起こしているのかね?

ネタバレ一応しないように書いたけど、

最後のボスの戦闘に入ったとき、

「相手はこちらにまだ気づいていない!!」

ってなったのには、さすがにこっちがビヨビヨした・・・

あと細かいのだと、

「なーんと、隠し扉を発見した!!」(テッテレレーン)
とか言うテキストは、どうやったら生まれるのか・・・

このゲームを作ったキャメロットという会社が最後に作ったRPGが
GBA「黄金の太陽シリーズ」なのだけども、
過去の作品を見ていくと、「黄金の太陽」が傑作に見えてしまうぐらい昔の作品は色々ひどい




実は「ビヨンド・ザ・ビヨンド」と同じパターンのゲームがある。

同時期に「戦国サイバー藤丸地獄変」というゲームも親父が買ってきていて、
未だにクリアされぬまま、持っている。

これはシミュレーションRPGなのだが、当時の自分には難しすぎて出来なかった

本体さえ壊れてなければ、ぜひいつかやりたいと思っている。
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