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交通事故で死にかけたときの話

私は、新聞販売店に勤務していた頃、特殊な勤務形態に慣れることが出来ず、
けっこう危ない交通事故を起こしたことがある。その時の話を今日は書き残していこうと思う。

まずは、新聞販売店の実態について知らない人は以前書いたこちらを読んで欲しい。
新聞販売店で働くのはおすすめしない

5:00?8:30、12:00?16:30(建前上)の勤務時間で、主に顧客のクレーム処理、チラシ折込、僻地への新聞配達(バイトには任せられない)をやっていた。
営業は任せてもらえなかった、所詮契約社員だったので。

もう3年前になる、2008年、私は年齢的にも危なかったので、バイトをしながら必死に就職活動に精を出していた。
そんな時、人づてで新聞販売店で働くことになった。

普通のちゃんとした会社なら、健康診断、代理人などの手続きがあるはずだが(一度だけ関東で就職活動したときに内定をもらったことがあり、その時経験してわかったことだ。結局折り合いがつかず断ってしまった)、
面接が終わって決まったとたん、そんな手続きをすっとばして有無をいわさず、電話の来た次の日の早朝からいきなり働かされることとなった。

実質的な拘束時間が12時間を超える新聞販売店の仕事は、とにかくまとまった睡眠時間を取るのが難しかった。
また、毎日4時起きで、そのくせ仕事上がりは普通の企業と同じぐらいの時間か、運がよければ1,2時間早いぐらいの生活リズムに慣れるのがとにかく辛かった。

会社までは近かったが、それでも徒歩だと30分かかる。最初は親の車を使って通勤していた。
しかし、昼間に車を使われると困ると言われ、不便だったがやむなく徒歩で通勤することにした。

この仕事を機に、自分の車を買うとか、そんな余裕はなかった。仕事を覚えること、生活リズムを合わせること、日々の忙しさに追われ、対応できなかったのだった。
(上記のとおり、採用が決まった電話が夜かかってきて、次の日の朝にはもう働いていたので、準備もままならなかった)

働き始めた当初、毎朝4時になんか当然起きられるはずがない。
いくら注意していても、寝坊してしまう日がどうしても出て来て、電話で起こされる。
時間が時間というのもあって、悪気は無いのだが、向こうは当然カンカンに怒っている。

特に最初の一ヶ月間は、起きれても、出社時間が数分過ぎていたり、2,3回完全に寝坊してしまうことがあった。

入社したのが10月で、季節は冬を迎えていた。

寒くなってくると、余計起きるのが辛くなってくる。

そうこうしているうちに12月に入った。

今でも忘れない。この日付。

2008年12月8日(月)、AM5:00

職場の人間関係と、日々の仕事の忙しさに疲労困憊していた私は寝坊してしまった。
10月下旬から働き始めたが、丸一ヶ月ぐらいは若さで疲れを乗りきれていたようである。

職場から電話がかかってくる。

その電話ですら起きれず、親の怒号で目が覚めた。

そんな時間に起こされた親は当然怒っている。

家では怒られ、寝起きで具合が悪いのも手伝って、かなり不機嫌になっていた。

とにかく急いで車を出して会社へ向かう。このときまだ、ちゃんと起きておらず、半分寝ていたのだった。

意識がもうろうとしたまま運転していた。

今でもあの時のめちゃくちゃな運転を断片的に覚えている。

雪は積もっていなかったが、連日の冷え込みで、道路はブラックアイスバーン(凍っていた)になっていた。

でかい道路に出て、最初の交差点(信号はついてない)。前の車は右折しようとしていたが、なぜかとどまっていた。

イライラしていた私は、二車線で空いていた隣から強引に右折しようとしていた車を追いぬいて右折した。
この時、左右確認をしなかった記憶がある。
記憶があるというのは、意識がもうろうとしていて覚えていないからだ。

恐らく、前車がとまっていたのは、左右どちらからか車が来ていたのではないかと思う。
そこを無理にすり抜け、私は曲がろうとした。もしかしたら、左右から車がきてて、事故を回避するためにブレーキを踏んでくれたかもしれない。そこまで見てない。

時間帯が時間帯なので、車が走っている事自体が殆ど無いので、その感覚で強気に運転していた。

暗くて、路面が凍っていることに当然気づかない私は、アクセル全開で飛ばしていた。
次の交差点で左折。急いでいた私は、4WDでもアクセルいれっぱなしでハンドルを切る。

道路はツルツルで、私の車はおもいっきり横滑りを起こした。

曲がりきれず。

焦った私はブレーキを踏むも、ABSに阻まれる。

気づいたときには遅かった。

ビィィィィィィィイ

ものすごい衝撃の後、突然エアバックが視界を覆った。

緊急時に鳴り続けるブレーキ音で、事故ったことを悟った。

とりあえず車を降りる。

車は電柱に正面から激突し、ぺちゃんこになっていた。

ここではじめて我に返る。

これは、「親の車」だ。

どこかに連絡しなければ。でも携帯も持っていない。

でかい通りだというのに、時間帯のせいもあって車一台走っていない。

通りがかるトレーラー相手に必死で呼びかけるが、無視される。
次に通りがかったタクシーは止まってくれた。

電話を借りて、まず家に電話する。事故を起こしたことを伝えると、私の安否など全く心配せず、ひたすら怒られる。
次は会社に電話する。ただでさえトラブルメイカーだった私は会社からも「またか・・・」という顔をされた。
(大体新しい職場でトラブルを起こすなという方が難しいだろう。こっちだって好きでやってるわけじゃない)

電話を返すと、非常事態だというのに、このタクシーの親父はちゃっかり通話料よこせと言い出し、金をふんだくられた。

会社の人がすぐ迎えに来て、事務所へ向かう。

そのときはじめて、自分の体はどうなっているんだろうということが気になった。

“その時点”では、自覚症状はなかったが、額が切れて血を流していたのは、あとになって気づいた。

その後私は仕事どころじゃなく、事後処理に追われた。
警察が来て、事情聴取。これはすぐに終わった。
次はJAFが来て、動かなくなった車を搬送。

この時ようやく、良く現場の状態を見てみた。
狙ったわけでもないのに電信柱に真正面から激突していた。
ここに電信柱がなければ、さらにそのまま横滑りを起こし、飲み屋に真横からぶつかって私は大怪我をしていたか死んでいたか、
運がよければ、曲がりきれていたかもしれない。
だが、相当なスピードを出していたのでこの線は薄いと思われる。
また、曲がるタイミングが悪かったら、飲み屋の横に流れている川に柵をぶち破ってして落下し、これまた死んでいたと思われる。

車は、大破していた。
車の核となるボンネットが潰れてしまったので、修理するぐらいなら新車を買ったほうが良い状態だった。

加えて、家は車の保険で、対物破損は入っていたが、自分の車が破損する状況を一切考えてなかったらしく、そっちの保険には入っていなかったため、修理費用は全て実費になってしまうのだった。

ちなみに、この車はダイハツのムーヴ(3代目)で、まだ乗り始めて3年しか経っておらず、当然ローンも残っていた。
ローンはちょうど事故を起こした月でちょうど払い終えるというなんとも言えない時期であった。

この日は、家に帰れば親に怒鳴り散らされ、こんな危ない事故を起こしているのに、普通に仕事もやらされていた。

そしてこの日もっとも傷ついたのは、誰も命の心配をしてくれる人がいなかったことだ。
やっと就職して家にもお金を入れれるようにもなったのに、こんな扱いを受けて私はやる気をなくしていた。

なぜ事故が起こったか?もう一度冷静に分析してみたいと思う。

★その1:11月半ばぐらいまでは、車通勤をしていたが、家の車を独占されて困っていた母親が怒りだし、昼の仕事(12:00?16:30)を徒歩で30分かけて通勤することになったため、負担が増えた。

★その2:冬になって気温が下がり、体調を崩しやすくなっていた。寒くなって徒歩通勤や寝起きが辛くなっていた

★その3:実質的な休日がなかった。日曜日が休みだが、日曜日の朝刊配達員に穴があり、バイトが決まるまで、私が代わりに配達していた。つまり、日曜日も1時間だけだが、朝4時に起き、5時前から配達作業を行っていた。
(この穴が埋まったのは、翌年の2月。つまりそれまで3ヶ月という長期間にわたって私が負担を被っていた)

★その4:なにより家族が協力的でなかったことだろう。

私の家には、要介護者がいる。
私の妹で、重度重複の障害者であり、簡単に書けば植物人間だ。

平日昼間は施設で面倒を見てもらっているが、朝晩、ご飯や風呂、排泄処理などは家の母親がやっていた。
しかし、体重が55kgとかなり重く、寝床に連れていったり風呂などの力仕事は私や父親がやっていた。

この寝床に連れて行くというのが曲者だった。

妹を寝かせるのは母親の介護の都合上、大体早くても23時、遅いと0時過ぎに寝かせるために電話の子機を使って呼ばれる。

朝5時から仕事となれば、生活リズムをそれに合わせて、早寝早起きする努力も私に必要であったが、それが出来る状況じゃなかった。

眠たくて21時とかに寝ても、23時過ぎには起こされて、すぐには寝れないから1:00とか2:00ぐらいまでイライラしながら起きているような生活が続いた。

これは辞めるまでずっと改善されることがなかった。

せっかく就職できた新聞販売店をやめてしまったのを全て職場のせいにするつもりはない。

特に私自身、社会人としての自覚がまだ足らなかったのははっきり感じていた。

だが、こうした家族の無神経さが辞めざるを得ない状況に追いやってしまったというのもあるのではないだろうか。

私は妹ばかり大切にする母親にもウンザリ来ていた。
仕事辞めたい旨を、第三者に間に入ってもらいファミレスで相談するときに、あまりにも私への配慮のない母親の言葉攻めに普段溜め込んでいたストレスが爆発し、人のたくさんいるさなかで大声を張り上げぶん殴ったことがある。

これは2009年2月の出来事であった。この一ヶ月後、私は退職することになった。

会社を辞めた理由は、職場環境以外にも幾つかあった。

・話し合いで、毎日とは言わないが、せめて冬場の間、週2,3日は昼間の通勤で送り迎えをして欲しいと訴えたのにその約束はわずか一週間で飽きられ、丸一ヶ月送り迎えがなく挙句、終日寝不足でつらそうにしていた私へ「赤ちゃんじゃないんだから」と言い放ったこと。
・事故を起こしたときの私への対応(一気にやる気がなくなっていった)
・会社が家からさらに遠い場所に移転するため
・妹を寝床に連れていくために、毎日23時?0時頃に寝ていても起こされるから
・会社の車でも何度かこのような軽い事故を頻発させて物品破損が頻発させていてもう限界だと感じていたから(この話は長くなってしまったのでまた別の機会に書く)

私が言いたいのは、仕事は選んだほうがいいということだ。
特に、適正かどうか、続けられるかどうかの見極めはしっかりやっておくべきだ。
がむしゃらに頑張ればなんでも出来るというものでは決して無いのが現実である。
私はこの一件で、精神論が大嫌いになった。根性でどうにかなるなんてどだい無理な話というのがみにしみてわかったことだった。
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