就職活動に失敗した理由

私がなぜ就職活動に失敗したのか、今日はその話を書いていく。

最初に結論を書けば、行きたい大学に入れなかったからだ。

私はガキの頃から、父親の影響でゲームばかりやっていた。
家には、物心付く前からファミコンと大量のカセットがあったし、その後PCエンジンという、まず私の年代の家庭では持たないだろうゲーム機(しかも当時ゲーム機でありながら7万円はするCD-ROMドライブまで買っていた)ももち、
テレビゲームに関しては至れり尽くせりであった。

また、徳間書店が発行していた「ファミリーコンピュータマガジン」系のちょっと硬派なゲーム雑誌を親が買っていて、私もなんともなしにそれらのゲーム雑誌を読みあさっていた。

昔のゲーム雑誌は、ゲーム開発者のコラムとかゲーム会社や開発機材や環境を紹介する記事なんかも扱っていた。
そういうバックグラウンドも見ていると自然とゲーム開発に興味を持っていくものだった。

ただ実際にプログラムを組んだりはしていなかったので、そういう面ではゲーム業界を目指すには全然押しが足りなかったと言える。

ゲーム機は沢山あったけど肝心のPCは、私が中学2年生の頃にやっと購入した(未だに忘れない、最初のマシンはNECのバリュースターV10であった。20万円もしたのに既に持っていたプレイステーションより全然性能の低い困ったPCであった)。
Win95ブームの時に導入したものだ。
関連→バリュースターV10の詳細

同時期にスーファミでRPGツクールが出てて、近所の電気屋に中古1000円で売っているときに買って、それで一本作品を完成させることは出来なかったが、そこで色々気ままにスクリプトをいじくってイベントを作ったりはしていた。

本当はここで本格的なRPG1本でも作ってれば力が付いていたのかもしれないが、適当にスクリプト作ってるだけでも面白かったので、数ヵ月後まだ中古でも4000円ぐらいしたのだが、RPGツクール2も買った。
こっちはエディターの完成度が非常に高く、新機能を試したりして楽しんでいた。

ガキだったからなのだろうが、飲み込みは早かった。スイッチとかの理解も早かったし、うまくイベントが動かないときは、何が原因か探し当てるのも早かった。
このゲームのおかげで、テレビゲームの仕組みがよく理解できた。

その後、中学3年生の時の選択授業で迷わずBASICプログラムを選び、課題である電流計算のプログラムを割と早く完成させて、余った時間に背景に色をつける方法とかを先生に教えてもらって色々いじっていた。
(ちなみにこの先生は、私の1年生の時にひと騒動あった担任の先生だ)
関連→中学校時代に受けたいじめ

しかし私の中学校はでかく、いろいろな人がいるわけで、その中に一人だけやたらPCに詳しいオタクがいて、この人にはさすがに勝てなかった。
この人も当然私と同じ選択授業を選び、私以上のスピードでプログラムを書いて私以上の高度なことをやらせてもらっていた。

同じ塾にも通っていて、合格したら当時はまだ高かった64メガのメモリを買ってもらうとかPC好き以外には訳の分からない報酬を貰う予定でいた(ちなみに私も当時は詳しくなかったので、この報酬も間違ってる可能性が高い。確か64メガだか64ビットだかのメモリーだったかCPUを買うとか言っていた)。

この狂ったPCオタクは高校に入ってからPCへの興味が急激になくなり、当時流行っていたSHAZNAみたいなビジュアル系バンドをやりだしてますます訳の分からないヤツになっていった。
最後にそいつの話を聞いたのはauの携帯電話の代理店でバイトをしてて、営業成績トップだという話を人づてに聞いたきり。
相変わらず訳の分からないヤツだと思ったものだ。

なぜ、長々こんな話を書いたのか?

私の世代は、ファミコン絶頂期でゲームクリエイターを将来の夢に持つ人は珍しくなかった。
今と違ってまだ夢に満ち溢れていたし、一攫千金狙える世界だった。

中学時代の同級生にも一人いた。そいつとは同窓会で久々に会ったのだが、
ノートにRPGの魔法や特殊能力などのデータを書きだし攻略ノートを作っていて周りから影で変人扱いされていたヤツだ。
進路選択で高専でそれっぽい学科を選んだが、名前に騙されたらしく自分の意に沿う勉強が出来なかったことを不満にあげていた。でも、なんだかんだでコンピュータ系のカリキュラムだったので就職にはつまずかなかったという。

私もそういう馬鹿な連中の一人なのだが、今思い返すとちょっと事情が違ったように思う。
ただドラクエだのマリオだのやっていて「俺もこんなゲーム作りたい」と漠然と夢を持つヤツらとは違って、
父親が買っていたゲーム雑誌を見ていたおかげでそこらのただファミコンやってるだけのガキより多少は詳しかった(ゲームも沢山プレイしている)。
だが、具体的にPCいじってプログラムをするほどでない微妙な位置にいる人間だった。

ゲーム業界というよりも、プログラムに興味があった。
そりゃ身近にあるゲームを仕事に出来たらより良い限りだろうが、そこまで限定はしてなかったと思う。

今でも個人的にネットでプログラミングについて調べたりする。だが全くの素人には理解できる解説がなかなか無いのが残念な所だ。

ゲームはゲームでも、プレイステーション2以降のゲーム機にはあまり興味が出ない。
ファミコンやスーパーファミコン時代の平面処理(スプライト)で一生懸命動かしてる頃のゲームに興味がある。
プレイステーションやセガサターンにも興味はあるが、3Dポリゴンのゲームを動かすには制約が多いので、どうやって工夫しているのかに興味がある。
最近のゲーム機は、容量やメモリ(勿論ハイエンドを目指せば制約が出るのだが)を気にせず作れるので、私としてはあまり魅力的に見れない。

思えば、ゲームに対しての興味が薄れていったのもPS2が主流になってきてからだった。
その頃にゲームレビューサイトを立ち上げて、買ったゲームは必ず最後までやり切る!と決めるまではゲームに夢中になることが減っていたと思う。

話を昔に戻すが、そんなガキ(中学生)だった。

親も私の嗜好を分かっていたのか、工業高校の電子機械科をすすめられたが、パンフレットを見る限りなんか違う感じだったのと、自分の学力を試したいというくだらない理由で合格率2%のちょいと受かるのが厳しい進学校を選んだ(今思えばそのまま工業高校に行けばよかったと後悔している)。

で、大学を選ぶ段で、情報系の学部に行きたかったのだが、家の事情で仕送りとか無理だから実家から通える大学ときつくいわれ、渋々地元ではバカ大と言われてる経済学部に入ったのだった。

そうして大学3年秋になりはじまる就職活動では、私の就きたい職種は全く無く、営業系ばっかりで、
リクナビ2003に登録しても、引っかかるのはやはり営業系ばかり。
強いて行きたいと思えたのは広告印刷系の会社ぐらいだが、ここの説明会のババアが就職氷河期で買い手市場だからって異常に強気で、その態度が気に入らず、さっさと退室した。

こうして就職活動はまともにやれないまま、あっさり卒業式を迎え、私は人生につまづくことになった。

バイトはしていたものの名実ともに無職となった2004年4月、私は円形脱毛症になっていた。
そして、就職は出来なかったけど、収入に結びつかなくてもいいからなにかやろうと思い立って始めたのが
ここで何度か出てきているゲームレビューサイトであった。

新卒の就職活動に失敗してから私の時間は止まっている。
あれからもう丸7年たとうとしている。未だに解決の糸口は見えてこない。

私は怠けているのだろうか?

こうやって思い通りにならなかったとき、他の人はどうやって折り合いをつけて生きているのだろうか?

決して好きでこんなことをしているわけではない。
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