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家の家庭環境について

今日の夕方頃、久しぶりに夫婦で激しい言い争いがあったそうだ。
私は家に居づらいのでたまたま外出していなかった。

詳しくは聞かされてないが、恐らく私が定職についていないことも関係しているのだろう。

私の父親は典型的な亭主関白タイプで、昔っから怖くてまともに話をすることが出来なかった。
当然逆らうことや言い訳はできなかったし、気難しく、ワンマン気性という、今の時代ある意味希少なタイプの人間だ。
漫画「巨人の星」のおやっさんみたいなものだ。

特にここ数年歳を取ってくると殿様気性はより強くなっていき、手の付けられない状態になっていった。

ただでさえ、会話の少ない家庭だったのに、この数年は触ると何言いがかりつけられるかわかったもんじゃないので、親父には好きなようにさせて、私も母親も関わらないようにしていた。

家のことは一切しなくなったし、嫌がらせなのか天然でボケてきたのかトイレに入ると床におしっこをもらしていくし、筋の通らない理屈をこねて自分の我を通そうとする。

全部、無言で許容してきた(我慢してきた)。

これは私が定職についててきちんとした収入があれば、ある程度発言力を持てて、対抗出来たのだろうが、今の私は社会的弱者でどうにもできない。

そんな夫婦関係は私にとってははっきりいってどうでもよい。

仕事のことについて、説教されるというのは本当に困ってしまうものだ。

そりゃ、本来会社員やっているべき年齢の人間がいつまでもフリーターあるいはニートでフラフラしているのが頭に来て怒りたくなる気持ちはわかる。

ところが多くの無職は共感してもらえるだろうが、
私だって好きでこんなことをしているわけではないので、怒られてもなんともしようもないのだ。
(そりゃ24,25のころはまだ遊んでたい、働きたくないでござるみたいななまけぐせはあった。若さ故の余裕みたいなものがあったのだろう)

特に私は、学生の頃はそうでもなかったが、卒業してホームページやりだしてからは、ボケッとしているのが苦手になり、働いてる頃、休みの日も目的を持ってなにかやってないと不安になる人間になってしまった。

だから、することが何もない無職の一日というのは長くて辛いし(することがないと眠くなって昼間から睡魔に襲われ寝てしまい夜型生活になるのが一番キツイ)、
でも、求職活動というのは(いま完全に無職ニートの私が言うと言い訳にしか見えないが)周りの状況とか、私が社会のレールから外れてしまったという事情などもあり、
私ばっかりが頑張ってもそううまく回るものでもない。

創作活動やっている人ならわかってもらえるかもしれないが、毎日予定通りに、思ったとおりに作業が進むだろうか?
プロはそこもきっちり管理しなければならない立場になるが、親であっても第三者の事情のよくわかってない人間にチャチャ入れられたところで、対処に困ってしまうというのが本音である。

多くの無職ニートはそうだろうが、やる気はあっても具体的にそれが表れてないというミスマッチが、やりにくい環境を産んでしまっているのだと思う。

私の場合は、実際会社員として働いていた期間もあってここに入るが、恐らく一番多いパターンは、一度も(バイトは除いて)働いたことがないニートよりも、一度就職したけど失敗して辞めたタイプだろう。
そして、TVでたまに見せ物にされている(やらせ臭い)「ひきこもり・ニート」のような一度も働いたことがない、働けないみたいな変人扱いされてる人よりも、一見何の問題もなさそうな普通の人で働く意欲がなかなか出てこない一度挫折した人間を治療するほうがよほど難しいと思う。複雑な事情が絡み合っているからだ。

親が子供に向かってそういう状態に陥って怒るってことは、(本当に働きたくない人をのぞいて)信頼関係がなかったり、(私は人のせいにするつもりはないが)育て方をどっかで誤ったんだろうと思う。
私がなぜ就職活動でつまづいたかは以前書いたので、そこを読んで欲しい。
関連→就職活動に失敗した理由

私の場合は2007年(25歳の時)の頃がしょっちゅう親に怒鳴られたり一番ひどかった。バイトはしていたが定職についていなかった。

妹が植物人間で、介護施設の世話になってるつてで、その介護施設の社長が親の友達なので、そこになんとかして入れようと私をボランティアという形で昼間無理矢理働きに行かせるようにした。
しかし、バイトもしているので決まった時間に毎日長時間働きに行けず、親がうるさい時や体裁をギリギリ保てるラインを模索して、適当にやっていた。

そんな態度だと当然ボランティアから上に上がれるはずもない。

私自身、介護職は乗り気でなかったし、贅沢を言えない立場になった今でもこの職種に就きたいとは思わない。
大変なのは家にいてわかるし(ボランティア初日に障害者の排便処理を手伝わされていわゆるアソコを触らせられるという強烈な出来事もあって余計嫌気がさしていた)、
私はこういう人を扱い体を動かす仕事は苦手で、当時から事務仕事のほうが向いていると思っていた。なにより薄給だというのもある(利益を追求する団体ではないからだ)。つまり大変なだけで将来性に期待できない。
3ヶ月ぐらいボランティアやっていたけど、やはり楽しいとは思える仕事ではなかったのが決定的だった。

そうしてうやむやになってきたころに、自然とフェードアウト出来たが、相変わらず親父の発狂は止まらなかった。
ただ、当時は私にも非はあった。働かず楽に暮らしたい気持ちも強くて、真剣に将来のことは考えていなかった。
だが漠然と安定した身分につきたいとは思っていた。

2007年10月。親父の発狂があまりにひどくなってきたので、登録している転職サイトでよさげな会社を適当に選んで受けることにした。
勤務地は東京だ。こんな家さっさと出たかったためだ。

ネットでエントリしたあと、その日の夕方、その会社から電話がかかってきて11月中旬面接に行くことになった。
一次面接、二次面接も通り、初めての内定を手に入れた。とはいえここも契約社員だったのだが、健康診断や代理人の手続きなど割としっかりした会社であった。2chにもスレが立っているほど(評判は悪いが)の会社だった。

何年も就職できなかったのに、内定をとれたことをあっさり書いているが、求職活動なんて本来こんなものだ。
沢山うければ(確率的にはそりゃ上がるが)良いというものでは決して無いと思っている。そりゃ沢山チャレンジする努力が必要なのは認めている。

採用が決まって初めて親父にその会社の話が行く。
勝手に会社を受けて勝手に話を進めていたことに親父はあまりいい顔をしなかった。
そして直前でいろいろとごねられて、そうしている間にも入社時期は近づいてきて、しかし身内でもめているため準備がままならず、時間切れで断ることになってしまった。

それから2008年を迎えた。

嵐のような2007年がウソのように、2008年からは親は仕事について口出しをしてこなくなった。
そして私も一連の出来事を経て、年齢的にも危うさを感じていたので、バイトをしながら必死に就職活動に精を出すようになったのである。
その後の話は、以前書いた新聞販売店で働くのはおすすめしないにつながっていく。

このことからわかると思うが、周りが無理矢理働かせようとしたって、まず続かない。
放っておくよりは働くきっかけを与えるという点では良いかもしれないが、今の例のように押し付けがましいと逆効果になる。

結果的に2007年親の介入がひどかったから、2008年その反動で必死に求職活動をするようになったわけで、また無職に戻った2009年以降、家に居づらく怒鳴られることもあったが数えるほどしかなく、基本的に見捨てられている今の状態だと、こういった心境の変化も起きなくなった。

以前にも少し書いたが、じゃあ私はどうしたいと思っているのか?

新聞販売店、(バイトだが)臨時職員でも事務職をやってきているので、出来れば事務職をやりたいと思っている。
が、地元にいても決まりきった仕事しか無い。
新卒の時も既卒の時も就職活動でつまづいている一番の原因はここなのだ。

地元に自分の合う仕事がなかなか無い。

募集しているのは大体にたようなとところばかり。都心にでも行けばまた状況が変わってくるのだろうが、私の住んでいる町は本当に決まりきった求人しか出ていない。

だから、家をでたい。

2009年、無職の頃、自分の所有物を全部ダンボールに詰めて整理した。いつでも家から出られるようにするために。

ぶっちゃけ、大半がゲーム関係ばかりで、じゃまになるので、この際処分してもいいと思っている。
ゲームレビューサイトは7年やっても軌道に乗らず、ゲーム自体への興味はほとんどなくなってきていて、ゲームを心から楽しめなくなってきていた。
今の私は創作活動に興味があり、これを飯の種にするほど頭がお花畑ではないが、趣味でやっていきたいと思っている。

だいたい、今の私は、というか30近い歳になってくると、もう一生懸命仕事をしてそれで給料をもらって食べていければそれでいいと思うようになっていく。欲がなくなってくるのかもしれない。

多分、ちゃんと社会のレールに乗っかっていたとしたら、30手前というのは一番仕事が面白くなってくる年齢じゃないかと思う。

仕事を覚えて効率よく回せるようになってきて、そしてそれが成果に出てきて、出世もして部下ができる。
貯金もたまってきて、もらえる給料も増えてきて、ちょっとした贅沢も出来るようになってくる。

私はその、本来年齢的にそういうやり甲斐が出てくる期間までしっかりした下積みをしなかったので、今も辛い思いをしている。

大体、私もそうだが、親父もこんな落ちぶれた私を見たくないだろう。私が親父と顔を合わせるのが嫌なのと同じように、向こうもそう思っているはずだ。

ただ、私はもう年齢的に真っ当な職につくのは無理だと思っている。
私には友達もいないし、起用でもない。

だから、東京に出ていって、デバッガーのバイト(ゲームが得意だからってこれで出世とか全く狙ってない)と、もう一つなんかまともなバイトをかけもちしながらお金を貯めて、株で生計を立てようと考えていた。
(幸い新聞販売店にいたときの給料が高くて、だらだら合計1年以上無職やっていてもまだ貯金が残っているのが凄い)

働きたくないから株をやるのではない。もう私にはそれしか残されていないとつねづね思っていたからだ。

株やるのだって楽じゃない。まず、勉強しなくちゃならないし、安定した収入を見込めるものではない。
それに、人間関係を築かず部屋に一人こもって毎日PC画面にかぶりついて作業をする。
これがやる前から苦痛な環境に見えるのは想像に難くない。

そんなことを考えていてうだうだ実家で過ごしていた矢先に、東日本大震災である。
こっちは至って平和な日常生活に戻っているが、関東はまだ余波を受けているようだ。
というか、あの地震はこれまでのものと違って一時的なもので済みそうにない。

特に地震が起こって最初の一週間は、目の前が真っ暗になりひたすら絶望に打ちひしがれていた。

こんな状態が長く続けば、上京して一人暮らしなんてとてもじゃないが出来る雰囲気ではないし、
私も会社員をやっていたから感覚的に分かるが、例えば12月とか繁忙期みたいな時期に採用活動なんて出来ない。
そんなことやってる暇がないのだ。仮に人を雇ったって教えている暇がない。
今でこそ関東も少しは日常を取り戻しつつあるようだが、イソイソと仕事が無いからと田舎から出ていって仕事を探す状態にはまだないことはわかっている。だから目の前が真っ暗になったのだ。

かといって関西までいく気は起きない。

一応、いま私が無職で無気力でほとんど動いてないけども、頭の中にずっと思っていることを文章に起こした。
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