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ゲーセンに入り浸っていた頃の話

2007年、あの頃、親が仕事について口うるさかったため、家に居づらく、用もないのに無理して車で外に出歩いていた。

この時期見かねてハローワークにも通ったこともある。
が、あそこはお役所仕事でまるで役に立たない。
あそこに通って身になったのは、行き帰りの時、張っていた自衛隊のスカウトマンにスカウトされて自衛隊の試験を受けるきっかけが出来たことだけだ。

私がこういう身分になっても意固地にハローワークに行かず自力で求職活動を行っているのはその経験があったからだ。
あれなら、家でネットで求人見てるのと変わらない。余所のハローワークはどうか知らないが。

最初は夜遅くまで一人で車でドライブしていたが、大体近所は飽きるほど走りきってしまい、ガソリンも勿体無いということで、他に時間つぶしの方法を考えていた。

DSやPSP持ってって車内でゲームってのもあったが、当時はまだ携帯機用のゲームは中古でも若干高かった。
安いのは既にブームが去って飽きられた脳トレとか古いバージョンのモンスターハンター、後はクソゲーの烙印を押されたソフトぐらいだった。

しょうがないので、ゲーセンに通うことになった。

2007年では既にゲーセン=アミューズメント施設化していて、金ばっかりかかるトレーディングカードゲームや体感型のもの、カードにデータを保存して遊ぶようなゲームが主流になっていた。

私は金がなかったが、安く時間を潰したかったので、もう廃れてきてて遊ぶ人間がほとんどいない弾幕シューティングを好んで遊んでいた。
人気がないので100円で2クレジット遊べる設定で、私の望みどおり100円で長持ちさせるにはうってつけだった。

私は古いタイプのゲーマーだったので相性もあっていた。

ちょうど当時置いてあったのが「虫姫さま ふたり」「怒首領蜂 大往生」「雷電IV」辺りを良くやっていた。
腕は期待しないで欲しい。この手のゲームは初心者もいいところなので、こなれてきても1クレジットで良くて3面が関の山だった。
後は「パロディウスだ!」「出たな!!ツインビー」辺りがレトロ枠に置いてあった。

通っていたゲーセンはいくつかあるが、小さいところやセガ系列のところはもう潰れてなくなってしまった。
潰れて長らく空き店舗だったところに最近別の業者が凝りずにゲーセンをオープンさせたが私向けの筐体は置いてなかった。
パチンコ・パチスロ、プライズ・プリクラ系がメインであった。

ゲームやるためにわざわざカード買ったりってのも嫌だった。初期投資が勿体無いと感じていた。

いつも一人で来ていたら金の消費ペースも上がって困るので、同じく無職ニートしてる友達を連れてきてただゲーセンをウロウロして時間が過ぎるのを待ったりしていた。

そこで、他のゲームをチラチラ見ていたら、いつも同じ人で集まって盛り上がっている筐体があった。
その時はどこまでそのゲームのことを知っていたのか今ではわからない。

そいつらを見てる限り、なんかマニアックで近寄り難い空気を発しており、「絶対あんなゲームにハマるもんか!!」と硬派なゲーマーを気取っていた。

2007年10月下旬。仕方なし足を突っ込んでいたアーケードシューティング界に、期待作が投入されるところだった。
それは、私も子供の頃、家で飽きるほどやった大好きな横シューティング「グラディウス」「パロディウス」のコナミが出す横シュー「オトメディウス」である。

見た目は萌えキャラを使ってて人目の多いゲーセンで遊ぶのをはばかれるような恥ずかしいデザインだったが、私はこれに非常に期待していた。

そして大手メーカーが出すだけあって、このゲームも当時ゲーセンで流行りだしていたカードにデータを保存する形式を採用していた。

私もその対応カードを別途購入して用意したのだった。

カードを買った日。まだ「オトメディウス」稼働日には早かった。
当時良くつるんでいた無職ニート仲間でゲーセンに来て時間を潰している間に買っておいたのだ。

せっかくカード買ったんだから、なんか対応ソフトないかと店内をぐるぐる見渡していると、

「期間限定!!初回プレイ無料!!」の張り紙をしている筐体が目に入った。

それが、「クイズ マジックアカデミーIV」だった。

無料という単語につられて、ついつい買ったばかりのカードを挿入してプレイしてしまう。

初回プレイは、ゲームの説明を聞かされる体験チュートリアルみたいなもので、実質ゲームが遊べるのは2回目以降だ。

なんか最初は、オタクっぽい絵柄で気持ち悪かったし、乗り気じゃなかったが、オンラインでクイズ対戦が出来るところに激しく惹かれたのだった。

実は先ほど書いた、いつも同じ人で集まってキモく盛り上がっていたゲームこそこれだったのだ。

初回プレイの“体験入学”が終わってすぐ、迷うこと無くコインを入れていた。

画面越しにいる対戦相手が、私と同じく人間であることに激しく興奮していた。

私はゲームの知識に関しては誰にも負けない自信があった。アニメとゲーム、テレビっ子だったので芸能分野を武器に勝ちあがっていった。

友達から外れ、一人で白熱していたら、仲間の一人が私の様子を見に来た。

私の初めて触るこのオンラインクイズゲームに対する興奮と衝撃に反して、かなり冷めて見られていた。

何時間でも遊んでいたい衝動に駆られていたが、一人で来ているわけではないので、適当なところで切り上げてその日は帰った。

それから「マジアカ」にハマる日々が始まった。

当初の目的だった「オトメディウス」は、稼動初日に一回プレイしただけで飽きて辞めた。
というか、マジアカにハマりだしてから弾幕シューティングはやらなくなった。

「オトメディウス」の売りであるタッチパネルボムも、既にマジアカに触れているとなんら珍しさを感じなかった。
マジアカも、直接タッチパネルに触って入力する操作形態だが、これがかなり新鮮でクイズゲームとの相性が良く無理矢理さが感じられなかった。

このころ、東京の会社に面接に行く予定を入れていて、東京に行ってもゲーセン巡りしながら、面接の時間までの時間つぶしにこのゲームをやりまくっていた。

12月になって落ち着いてきてから、友達のYさんにもこの面白さを伝えてみた。

Yさんは実際やりだすと、私よりも興奮してハマりだし、本当に短い間だが、毎日のように私を誘って夜中まで筐体に張り付いてゲームを一緒にやっていた。

一番ハマっていた日で、深夜2時くらいまでゲーセンにいる日があった。
行く前にドン・キホーテで“夜食”まで買いこむほどの力の入りようだった。

私はその時食べたイカの素焼きだか何かを食べて、食べ慣れないものを食べたせいか、帰ってきてすぐにお腹を壊しひどい病気にかかり数日寝こむことになった。
その時の話はまた別の機会に話したいと思う(病名も忘れてしまったから詳細を出来たら思い出しておきたい)。

Yさんはこの一件で、飽きていったようだが、私の熱狂はまだまだ止まらなかった。

年が開けてからも、マジアカ目当てのゲーセン通いは続いていた。
情けないことに、毎日通えるほどお金がなかったので、やりたい衝動を抑えて、大体週3回程度で我慢していた。

ちょうどマジアカに力いれている店が、平日限定2クレジットサービスを始めたので、そこに通うことにした。
そこは、最初の方に書いた、いつも同じ人で集まって盛り上がっているゲーセンだった。
そのゲーセンにはマジアカ廃人が集まっていたらしく、いろんな人がやってきてはプレーしていた。

両手でタイピングする術も見よう見まねで身につけた。

※マジアカの問題形式には、画面下に文字入力ボタンがずらっと並び自分でそれでタイピングして答えを回答するものがあり、なれない人は片手で入力する文字をちまちま探しながら押していくのだが、これを両手ですらすら出来るようになると立派なマジアカプレイヤーの証とも言える。
PCで言えば、タッチタイピングが出来るぐらいのレベルと同等だ。

2クレジットサービスが始まってから、私のプレイペースは着実に早まっていた。
2007年11月から本格的にハマりだし、マジアカIVがVに入れ替わってしまうのが2008年2月下旬。
Vになると、一部のものを除いてデータがリセットされる。
このわずか4ヶ月間で、賢者になるまで魔法石(経験値のようなもの)を稼ぎ、スタッフロールまで見た。

マジアカの腕前としてはIV基準で言えば、ケルベロス組とサイクロプス組を行ったり来たりして、運がよければフェニックス組に上がれる程度だった。

そんな熱狂的なハマリっぷりだっただけに、自然と最新バージョンのVへの期待も高まるものだ。

Vの稼働日は何度もゲーセンに足を運び、取り替えてる業者の前を行ったり来たりしながら、早く遊べないか待ちきれなかったものだ。

そしてその日の夕方、Vが稼動していた。平日(火曜日)だというのに、マジアカの筐体の前は人だかりが出来ていた。
全員が待ち望んでいた新作なのだ。無理もない。私もそれに並んで遊んでいた。

だが。
Vの稼働開始とともに、私はマジアカから飽きはじめていたのだった。

画面や音楽はにぎやかになって私好みなのは良かった。

なのに、魔法石を稼いだだけでは階級が上がらず、厳しい昇級試験を乗り越えないと次の階級に上がれないのだ。
階級が上がれないと、対戦前の予習や決勝戦で好きな問題形式を選べない。私はこれに不満があったのだった。

私の強みはなにより、ゲーム問題であり、それ以外は凡人か下手するとそれ以下のオバカさんだ。
ゲームに関してだけはずば抜けた強さを持っていて、決勝まで上がれたとき、それをひけらかすのが楽しかったし、それが最大の武器であった。

しかし、変なゲーム性を追求したせいで、どうしてもクリア出来ない課題を前に、いくら金を使っても階級が上がらず、だんだん不満が溜まっていった。

ちなみにV基準では、私はガーゴイル組とミノタウロス組を行ったり来たりする底辺クラスで、大魔導師に上がるための条件「ミノタウロス組で優勝せよ」が達成できなかった。
一度、この条件に当たる前に、優勝したことはある。まぐれだが。

どうにもならないので、Yさんについてもらって手伝ってもらったぐらいだ。
Yさんは既にマジアカには冷め切っていて、嫌だろうなあと思いながらも付き合ってもらった。

2008年5月、大手のラウンドワンでも早くもマジアカ2クレジットサービスが始まった。
恐らく、私と同じように不満をためて、やめてった人が多かったテコ入れだったのだと思う。

私はまだ平静を保てず、はまり込んでいた。

2クレジットサービスのおかげで、また離れ始めた心が戻り、「ミノタウロス組で優勝せよ」にチャレンジし続けていた。
この間も、何度かYさんに手伝ってもらっていたが、今一歩といったところで優勝を逃すのだった。

Vになって検定試験という新しいモードが追加された。
検定試験は、一人用で、テーマに沿った問題が25問出題されて、高得点を狙っていくものだ。
私は、マジアカ=対戦だと思っていたので、まったく興味をもたなかった。

が。
2008年6月にメタルギア検定というものが始まったときにやり込んだことがある。
なぜなら、私が得意とするゲームを扱った検定だったからだ。
これについては、巷の評判は悪かったが、私はかなり楽しんでいた。

しかし、メタルギア検定に飽きだしたころ、同時にマジアカへの熱も冷めていった。

理由としては、組分けシステムが変わってからさっぱり勝てない、
そして、階級がいつまでも上がらない。

この2点だった。

だいたい、いくらIVからVに変わったとか言っても、やってることは全く同じなわけで、これまで飽きなかったのが逆に不思議なくらいである。

また2008年9月12日にDS版が出ることも拍車をかけていた。

わざわざ、ゲーセンに来てやる必然性のないゲームだ。
家でネットにつないでだらだら対戦できるならそれに越したことはない。

同時期に現実を見始めたことも大きい。
このゲームをやり続けていた最大の理由は、100円で長く遊べるからだ。
うまくいけば15分弱は遊べる。2クレジットだと、その倍近く遊べることになる。

マジアカを知る前までは、弾幕シューティングが長持ちすると思っていたが、20分もやれば心地良い疲労感に襲われ疲れてしまうが、マジアカはそういう反射神経やきわどい腕前は求められず、長時間遊ぶにはもってこいだった。

2008年の夏ごろから、私は逃げ続けるのをやめて必死に就職活動に精を出すようになった。
そうなると、意味もなく外で時間をつぶす理由がなくなる。

せいぜい、面接で嫌な気分になったのを晴らすために帰り際、車内でスーツから普段着に着替えマジアカをやりにいく程度になった。

その後もマジアカはVI、VIIとバージョンアップしていくが、新しくなった時だけ初日に少し触る程度で、もうすっかり昔の熱狂さは湧いてこなかった。

2010年2月11日。DSでマジアカ2が出たが、最後にマジアカに寝食忘れるほどハマったのは、これが発売されて、発売日から数日間対戦相手に困らなかった時期だけだ。

そのマジアカDS2も、だんだんと飽きてきていた。
ちょうど臨時職員の仕事が始まったこともあり、ゲームに時間をかけられなくなったのもある。

ゲーム問題だけを(そういう設定で遊べる)ハイスコアを狙うためにたまにやる程度になった。

それも先日3000点を超えたことで、完全に飽きてしまった。
これ以上の点数を出すには、よっぽど運が良くなければたたき出せない。

1ゲーム18問だが、いくら沢山正解しても、問題によっては合計2000点いかないこともある。そんな環境でのスコアアタックだ。

こうして、私とマジアカとの関係は終わりを告げた。
DSで3がでればやるだろうが、一時的にやって終わりになるだろう。昔のように延々とハマり続けることはもうない。

というか、間違いなくIIIやIVのころは、ゲーセンで流行っていたが、VI辺りからはもうゲーセンでやる必要性がないのだから、さっさと有料でもいいからPCネットゲーに移行するべきだった。

だいたい、VIの段階で、MMORPGで言うギルド(フレンドモード)みたいな機能を付けるべきだと私は思っていたら、今度出るVIIIでやっとそういう機能(サークル機能)を実装するのだそうだ。
この機能が、数年前私がこうすべきと考えていた機能と細部までが一致し、内心驚いていた。

どうせ、PC版に移行するのも何年か後にやるだろう。それだと遅すぎるのだ。

もう既にフリーウェアで似たようなゲームが出ている時点で負けている。
世の中の先を見る眼がなさすぎるとしか言いようがない。

今のゲーム業界で働いている人間が、たいしたゲーム好きでない人間ばかり雇入れている証拠の一つだ。
ゲームに情熱を持ってない人間が、仕事でゲームを作ればこうなる。

今のゲーム業界は、有名大学出身の頭でっかちな器用さも必要なのは否定しない。
昔のようにゲームでないと食っていけないような、落ちこぼれの集まりでは成り立たないということはわかる。
が、そういった落ちこぼれを避けるように排除していった結果もこのざまだ。

マジアカが世間で体感的に流行ってきたなと感じたのは2008年のVが出始めた頃だった。
まだIVの頃は、その筋の知っている人だけで盛り上がっている感じだった。
ときどき、ネット見てると(ちょうどIIIの時代)マジアカのことを書いてるHPやブログがわずかながらあったが
なぜこんなに必死なのか当時はわからなかった。
じっさい体験してみると、他人に話したくなるという気持ちがよくわかった。

私はトリビア現象と呼んでいるが、世間で話題になりだすと、たいがいのものは同時にブームに終わりが見え出すものだ。
ネットでもだいぶマジアカの話題が良く出てきた頃、私は既に飽きてきていて、そのうち大規模なテコ入れをしないとこの人気も終わるなと思っていたら、今やネットでもあまり話題にされなくなった。

これは1よりも出来が格段に良くなったDSのマジアカ2の売上の悪さや発売時に話題にものぼらなかったことが指し示している。

私の2000年代後半の数少ない明るい思い出の一つだ。
マジアカに出会わなければ、私は代わりに何をやっていたのだろうと疑問に思う。
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