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1994年は特別な年だった

中学生になった年で、私にとっては非常に特別な年だった

環境が色々変わったし、この1年間ほど様々な変化にさらされたことは以後なかったというほどだ


まず中学校に入って、学校が凄く遠かったし、小学校とは正反対の方向で、未知の世界だった

同じ小学校の人はほとんどいなくて、初対面の人達ばかりだった

小学校は1学年1学級しかない小さい学校だったのに、1学年8クラスというマンモス校だったこと
学校の規模が違いすぎて、新鮮で仕方がなかった

そして以前書いた、とある人物による嫌がらせ攻撃によって、学校生活がうまく送れず
登校拒否をしたり、人間不信になり、小学校時代一番仲良くしていたノデラ以外とは全く人付き合いをしなかったという
変わった人間関係

ノデラは中学が別々の上、94年9月に遠くへ引っ越して行ったが(中学生の自転車で30分くらいのところ)
その後も土日になると必ずノデラの家に行き、家に泊まってがっつりゲームをして遊んでいた

ノデラと、小学時代よりも親密になるにつれ、私は興味のなかったアニメや声優という分野への知識も埋め込まれていった
確かラムネ&フォーティーンやツインビーパラダイスのラジオCDを聞かされたりしていた。

そして、30代のアニメ好きなら誰もが聞いてた「林原めぐみのTokyoブギーナイト」だ

地元ラジオ局は一切アニラジをシャットアウトしていたが、景気低迷の影響で自社番組の枠が縮小して
95年からこういうアニラジも放送するようになっていった


あれから20年近くたった今、
私はインターネット配信のアニメラジオを聴いている

中学当時からそこそこ面白いとは思っていたが、私が好きなラジオになるとは思いもしなかった

無論、昔といまでは出演者も内容もぜんぜん違う
昔は、今で言う大御所の声優ばかりが馬鹿をやるという、今からは考えられない放送内容だった

ときたま差し込まれるパロディドラマも大いに笑った

購読していたゲーム雑誌とかも、激変した年だった
それまで長年存在していた雑誌がある日突然休刊する。

今でこそ珍しくないが、雑誌の存続か打ち切りか決められる時期が、この94年に集中していた

購読していた雑誌では、月刊PCエンジンが、総合誌のゲームオンに変わったり(3年で廃刊した)
一番読んでいた徳間書店系のゲーム専門誌は、DTPの発展のせいか
表紙や雑誌のレイアウトが凝った派手なものになり、雑誌内容や編集の仕方も大きく変わっていった

テレビ番組もだいぶ、この当時の私が生きていた中では信じられないほど、改変されて、テレビ番組も大きく変わった

なかでも私は日テレのクイズ番組が好きだったのに、
マジカル頭脳パワー、ショーバイショーバイ、笑ってよろしく等
どれも、私の期待するハイテククイズ番組とは方向性がどんどんと変わっていった

逸見政孝が死んでしまったことも私の中で大きなものになっていた

硬派なイメージのあった平成教育委員会という番組が、だんだんとビートたけしのバカ番組に変わっていったことにショックを受けた(そして見なくなった)

後、だんだんと魔法騎士レイアースとかファンタジー系のアニメにも強く興味を持ちだしたのもこの頃だ
それまでは続き物のアニメは絶対見れず(内容を忘れるため)ギャグ漫画しか見てなかった私が、この1年で見られるようになった

私の家の部屋の模様替えを行ったり、父親が半年以上地方に出稼ぎに行くことになり
家では気難しい親父に気を使う必要がなくなり、なにせ土日だろうがゲームが遊び放題になるという嬉しい状況が夏ごろから訪れていた


かなりとりとめのないつまらない話になってしまった

半年近く、母親と2人きり(植物状態の妹もいたから厳密には3人だが)
この間、いじめられて登校拒否したこともあって、若干母親は優しかった

この頃はまだ、学校の成績になんて興味がなく遊び呆けていたが、
何も心配事もなく、楽しく過ごせていた良かった時代だと思う

ゲームにも。色々と変化が訪れており
セガサターンやプレステなどが出始めて、ゲームのインフレも激しくなりだそうとしていた

ゲーム自体も、93年までよりも、違ったものが増えだしていた気がした

スーファミ、PCエンジン、メガドラのみつどもえの戦いから
だんだんとPCエンジン、メガドラが縮小していき、
それまで数年間当たり前にあった、シチュエーションがゆるやかに壊れだしていた

そこにプレステやセガサターンが発売されて、まさに混沌とした状況が訪れてきた

これまで築きあげられていた定番のアクションゲームとかRPGとか、そういうラインアップが崩されて、新しい時代が幕を開けたような感じだった

私は当時のガキの勘で、セガ優勢と言われてるけどPSがかつと信じ込んでいた
そしたら実際そのようになってしまってびっくりしていた



ノデラが引っ越してから。
引っ越してからのノデラの家。
この出来事がより一層親密にしていったと思う

毎週ノデラの家に泊まりに行き、夜中まで夜更かししてゲーム、アニメ。寝る。

まだこのノデラの家は残っているが、勿論ノデラはもうここにはいない

このころのノデラの部屋で遊んでいた記憶を思い返すと、現実を忘れ楽しかった記憶がフラッシュバックする

お互い通っている学校でうまくいってなかったせいか、週末の休みを利用して遊んでいた時
その境遇のせいで余計に仲良くなっていった

今は絶対になくなっただろう住宅街にポツッとある小さな銭湯とか
今はなくなって服屋になっている個人経営のビデオレンタルショップとか
ノデラのおじさんに連れられてそういう店にもしょっちゅう通っていたことがあった

今でこそ名作扱いされて有名だが、ライブ・ア・ライブというゲームが出て、
ノデラと私は、そのゲームにどっぷりはまりまくっていた
2ヶ月以上は、ライブ・ア・ライブをやりまくっていた記憶がある
やっていただけじゃなくてゲームの話でも、ずっとライブ・ア・ライブの話ばかりしていた気がする
94年9月にこのゲームが出て、12月までの3ヶ月近くはほとんどこのゲームの話だ

ノデラはPCエンジンのゲームが好きだったので、

フラッシュハイダース、アルナムの牙、ぽっぷるメイルとかを凄くやっていた
もちろんSFCの人気ゲームも片手間に買って遊んでいたが、ノデラそしておれもPCエンジンびいきであった

普段の学校が苦痛で、
週末になると、ノデラと楽しくゲームオタク話をしながらゲームで盛り上がる

あの光景がとても面白かったものだった

今でもあの幸せだった時の光景は細部まできっちり覚えている
秋から冬になる時期
夕方になると急に暗くなる

それを見ながらゲームをやったりゲームの話をする

いい景色だった



それがどうして今はこうなってしまったのだろう

ノデラとも、高校入ってからは趣味が合わなくなり仲違いしてしまったし

おれはおれで、思い通りに人生が運ばずどん詰まりになっている

ゲームレビューに情熱を注いでいたのは、このころが人生で一番楽しかったからかもしれない

そして今度詳しく書きたいと思っているが、

おれはこの頃から親父が買ってくるいろんなゲームを好き嫌いでやらないとかせず
きっちりプレイして、この頃からノートにでもレビュアーごっこをしておくべきだったと後悔している

当然この頃のおれは、ただ好きなゲームで遊ぶ普通の少年だった

だから同じアクションゲームばかりやってたりするし、ノデラほどたくさんの数こなしているわけではなかった

実にもったいないことをしたと肌で感じている


ホントにここでは書ききれないほどなんだが

94年は公私共に凄く変化の激しい年だったと自負している
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