年末進行&大量のチラシと戦う新聞販売店

私が新聞販売店で働いていた時期は10月~翌年3月末までであった。
この時期に体験した特徴的な出来事を今回も紹介していく。

●恐怖の年末進行

年末進行は編集業で使われる用語で、新聞販売店勤務には関係なさそうな言葉だが、大いにある。
本社の新聞社が編集業なので、特別体制が取られるのだ。

そもそも年末進行を取る理由は、新聞業界にはない。
なぜなら、新聞社は独自の販売ルートと印刷工場を持っているので、締切に追われる心配がないのだ。

新聞社が年末進行を取るのは、正月特別号のあの読みきれず持て余すだけの分厚い新聞の制作をするためだ。
新聞販売店もその影響を受けて、その特別号に対応するために通常業務と並行して新年特別号のバラバラに送られてくる新聞をチラシと同じ要領で一つ一つ挟めて新聞を組み立てていくため。

もうひとつは、関連会社が正月休みを確保するために年末進行を行う。

新聞は夕刊は年末年始休刊するが、朝刊は1月2日を除いて毎日発行される。
ここで何が問題になってくるのかというと、折り込みチラシだ。

送られてくる新聞をただ配るだけならどんなに楽なことか。
実際、折り込みチラシのない夕刊は、配達トラックが輸送してきたものをその場で梱包をといて、早くに来て待っている配達員へすぐさま手渡して配達に出てもらう。

朝刊はそうはいかない。
前日に作っておいた折り込みチラシを挟みこみ、配達員へ渡す。

この作業は配達員にさせる販売店のほうが多いかもしれないが、私のいた販売店は配達員も一人のお客として扱っていたので、極力こちらで出来る仕事はこちらでやっていた(新会社に変わってからは徐々に甘い体質を変えていたので、数年たった今はどうなったのか知らない)。

ポイントとなるのはこの折り込みチラシだ。
市内全域の折り込みチラシを管理している新聞社の子会社があって、販売店従業員は毎日、自店のチラシを午前中に取りに行く。
だが、この関連会社は正月休みをとるので、その間のチラシを先行して受け付ける。
で、12月下旬から当日の分と年末年始の折り込みを受け付けた分を順次販売店に受け取ってもらう。

通常一日一回行けばいいところを、向こうでは受け取った分をどんどん倉庫に置いていくので、邪魔になって困るってことで、夕方とかにまた、取りにこさせたりする。

ただでさえ週末みたいな特売日におあつらえ向きの時期はチラシの量が多いのに、正月という格好の時期ということで大量のチラシを先渡しされる。

販売店はチラシの山で溢れ、パニックに陥る。

そして、毎日一緒にチラシ折込をやっているバイトの連中も正月ぐらいは休みたがるので、現物は先に来ちゃってるから、出来る作業は年末のうちに終わらせておこうとして、12月下旬は異常に忙しくなるのだ。

まとめると。

普段は、次の日の朝刊の折り込みチラシを作るだけのところが、
12月下旬になると、年末年始の分で確定した折り込みチラシが先渡しされる。
それは、販売店で前日まで保管しておいても良いのだが、バイトに年末年始の休みを与えるために、チラシが全部揃った日の分は、溜めずにどんどん機械に入れて折り込みの作業を終わらせておく。
つまり、普段の仕事に加えて、数日後のチラシ折込をやるので、連日作業量が倍増するのだ。

2日分のチラシ折込はなにもこの時期だけやっているわけではない。
日曜日を休みにするために、毎週土曜日は、次の日の日曜の朝刊と、月曜の分を一気にやっている。
だが、意外に思われるだろうが日曜日のチラシは意外と少なく、言うまでもなく月曜のチラシはかなり少ないため、すぐ終わる(私のところでは折り込みチラシが3.4枚という薄っぺらさだ)。
また、祝日で連休だったりすると、その日数分先に作ってしまうが、正月のように毎日膨大なチラシが送られてくることは実は無い。
ただ、私はその季節が来る前にやめてしまったが、ゴールデンウィークなんかは連休が何日も続いて大変だったんじゃないかと思う。

一日にこなす日数が多いから、それに必ずしも比例して忙しくなるのではなく、その時期にどれだけチラシが来るかというのが作業量に関わってくる。

極端な話だが、4日分をいっぺんに作るって話になっても、その4日分のチラシが3,4枚のものばかりだったら、すぐ終わる。
私のいた販売店のように住宅地と店がいいバランスで密集しているところだと、週末には一日のチラシが25枚から30枚程度になる。
正月や春分の日など繁忙期は、30枚を超える分厚さになる。

反対に駅前などを担当する販売店では、広告効果が見込めないので、週末だろうがチラシは全然入ってこない。
これを知ったのは、私が去年市役所の臨時職員をやったときにわかったことだった。
恐らく、市役所に新聞配達している販売店はチラシ折込のバイトを雇ってないんじゃないかと思う。
それぐらい少ない。わざわざ雇う必要もない仕事量だ。

私も当時があまりに忙しすぎてもう覚えていないのだが、12月24日ぐらいから、年末進行の話が来る。

…と、実はここまで書いて、筆が止まってしまった。

出来事の時系列がどうしても綺麗につながらない。断片的には覚えているのだが。

確か、12月30日まではバイトの人達にも来てもらってチラシ折込の作業をしてもらってた記憶はある。 手が空いてきたら、営業社員も総出で手伝っていた。
問題なのは、いつ正月版の新聞を作って配達員に持っていったかだった。

仕事量が多いが、私は相変わらず朝の電話番があるので、出勤時間はいつも通り正午であった(向こうは出来るなら早く来て欲しかったのだろうが)。

しかしこの日は、一日中雪が凄くて、既に正月休みに入っていた親父は、朝から除雪に追われていた。
私は9:00頃に一度帰宅するが、3時間後に再び仕事なので、いつも仮眠時間に当てていた。
9:00に帰ると、既に親父がせっせと除雪していたが、私にも事情があるので、逃げるように家に入ろうとした。

すると…

「少しは家のことも手伝えや!!バカ息子が!!」

すごい剣幕で激しく怒鳴られ、赤いママさんダンプで思い切り頭を殴られた。激痛が頭から足の爪先まで響き渡った。

この日は半端ない降雪量だったので、そりゃ私も手伝ってやりたい気持ちはあるものの、仕事も忙しく時間が取れないのでどうしようもなかったのだ。

そして、強制的に除雪を手伝わされ、余った時間をとにかく寝ようと思ったら、すぐさま親父が私の部屋に入りこう言うのだ。

「おい、屋根の雪落とすぞ。手伝え」

普段の親父は、こんなに真面目ではない。自分が長期休暇に入ったから張り切っているだけの気分屋だ。
私が家のことを出来るのは、1日の仕事が全部終わった夜でないと無理だ。

そう思っていたが、親父のペースに合わせなければまた殴られるので仕方なくやることになった。

終わるのがちょうど仕事に行くタイミングならまだ良かったのだが、11時前に終わってしまい、変に空き時間が出来てしまった。
疲労困憊だった私は、睡魔に負けてつい寝てしまうのだった。

再び目を覚ますと、余裕で昼を超えていた。時計を見ると12:15だった。
完全に遅刻である。
急いで販売店へ行く。さいわいこちらでは雷は落ちなかったが、「だらしないやつだな…」という沈黙のまなざしが痛いほど突き刺さっているのが鈍い私でもわかった。

年末進行の忙しさをねぎらうように、この時、所長が近所の美味しくないラーメン屋から丼ものを出前してくれていたが、私は寝坊したせいで食べそこねてしまった。

この日は仕事が中々進まず夜19時を回っても終わらず、家に帰れたのは20時過ぎだった。
途中で晩ご飯をコンビニに買いに走ったり、大変な一日だった。

31日は何をしていたかというと、元旦特別号の新聞を事務員の女2人を除く全従業員が総出で作っていた。手作業で4500部も作る骨の折れる作業だった。
この日は夕刊配達で仕事が中断することもなく、人海戦術のおかげもあって18時前には全部の仕事が終わって帰れたはずであった。

31日は、昼の出勤が一時間前倒しになり、11時から来て欲しいと言われた。

なんで前倒しになったのかというと、元旦特別号はとても分厚くかさばるため、31日のできるだけ早いうちに作って梱包して、全朝刊配達員の家に予め渡しておく必要があり、夕方には終わらせたい仕事なのだった。

こうして慌ただしい新聞販売店の年末は終わりを告げようとしていた。
が!
ここで一筋縄で終わらないのが新聞販売店がブラック企業と言われるゆえんである。

1日にも新聞が発行されるので、元旦の朝刊の搬入をするために誰かが出勤しなければならない。
当然元旦の朝まで働きたくないわけで、立候補するものはおらず、誰が出るかでもめていた。

新聞販売店の勤務形態は私以外は週休2日である。そのかわり、曜日は不定で勤務時間も早番、中番、遅番の3つあり、バラバラだ(ただし事務員の女2人のみ日曜は絶対休みで勤務時間も日勤と決まっていた)。
私の場合は、週休1日だが勤務時間も固定で、日曜、祝日の休みが保証されていた。1日は祝日扱いで休みになると思い込んでいた。

しかし、あまりに決まらないので、古株の営業社員が唐突にこう言い出したのだ。

「あれ?安西爆弾くんは?」

困ったときの契約社員というわけだ。とっさの出来事に私はあっけに取られた。

結局あまりに理不尽ということで私は候補から外れ、営業社員たちでじゃんけんをして出勤する人を決めていた。

私は正月に働きたくないという気持ちより、私よりはるかに年上の人達が、揃いもそろって休みの日に仕事したくないと、まるで子供みたいな態度をとっていることに呆れていた。

新聞は、夕刊については年末年始休刊するが、朝刊は1月2日以外は毎日発行される。
そのため、新聞販売店が完全に休みになるのは2日だけで、1日、3日は朝刊の搬入作業があり、4日からはそれに加え、5日分のチラシ折込と、夕刊もくるので、平常運転となる。

つまり、新聞販売店には、正月だろうが長期休暇など存在しないのだ。

●最後の慰労会

3月に入り、私は仕事をやめることが決まったが、油断していた私を狙っていたかのように次の魔物が襲いかかってきた。

3月第一週の日曜日に、配達員の慰労会がひらかれることになっていた。

この日は、慰労会の準備で忙しいので、普段は日曜で休みだけど、早朝の農家の新聞配達とクレーム処理を平日通りやってくれと言う話になった。
いつもなら8:30で女の事務員が出勤してくるから、その時間で帰れるが、その日は、11時から始まる慰労会にも出席しなくてはならないので、準備が一段落する10時くらいに会社に迎えに行くから待機しているように言われた。

この仕事の何が辛いっていうと、電話番だから、することがなくて眠くなってくるのである。いつもなら、何かしら仕事があったりするのだが、休日出勤ということもあり、やることが何もなかった。
とにかく、睡魔との戦いである。あいつらが絶対に来ないと確信できる時間、朝の9時ぐらいまで、事務室に置いてある映りが悪くボロいブラウン管のテレビをつけて、ひたすら耐えていた。
なぜ、テレビ一つ付けるだけでもコソコソしているのかというと、そうしないと、他の社員がサボってるだの言いだし、うるさいのだ(特に新会社の社員)。

こうして苦労の末、11時の慰労会を迎えた。慰労会では私の仕事はなかった。せいぜい後片付けぐらい。
私はひたすら肉を食べ、酒を飲みまくった。嫌なことを忘れたかったのだ。
それに、仕事仲間で一緒に飲みたいと思える人なんていなかった。はっきり書けば、目の前で同じちゃぶ台を囲んでいるヤツですら、仕事以外では顔を合わせたいと思わない。
飲み会といっても、私は楽しくなかった。
元々、酒はそんなに飲めないのに浴びるように飲み、具合が悪くなってトイレで吐いてしまったぐらい飲んだ。

慰労会は13時過ぎに終わり、家についたのは14時前。ちなみに、次の日も仕事である。振替休日など当然ながら無い。
この慰労会があったせいで、私は2週間連続出勤する羽目になった。

2週間目に入ると疲労が溜まっていたのか、足が重くなり歩くのすら辛くなっていた。事務補助という職業といっても、大半は寒い車庫みたいな部屋でチラシ折込という名の立ち仕事だ。足が棒になっていた。
昼の出勤は30分かけて徒歩で通っていたのだが、2週間目の終わりごろになると、動かそうと思っても思ったように足が前に出なくなるほどで、これは休まないとヤバいと自覚症状が出るぐらい危なかった。
しかし、私は足を止めて休んでいるわけにはいかなかった。

●お彼岸の伏兵

慰労会が終わっても、間髪入れず次の魔物がやってきた。

3月19日のことだった。
次の日が春分の日で祝日なので、その日は20日、21日の2日分のチラシを作ることになっていた。
だから、多少の忙しさは予想していたが、この日はまさに想定外のチラシの山が私を待ち受けていた。

2日分だろうと、特別な時期を除いて、市内のチラシを保管している(関連会社の)倉庫へは昼前に一度だけ取りに行けば事足りていた(ワゴン車2台で運ぶ)。
だが、この日は違った。20日だけでも元旦をはるかに超えるチラシがあって、暇を見て何度も往復して運んだが、全部持ってこれたのが15時前になった。

話が変わるが、普段のチラシの量について少し解説しておこう。
チラシは週明けが最も少なく、その後週末に向けて徐々に増え始める。ピークはいつか!?という話になると、これが意外に思われるかもしれないが、金、土が一番多く、日曜日は実は意外と少ない。
で、このピーク時でも、多くても20枚~25枚程度で、30枚を超えることはまずない。

私のいたところは、住宅地と大手量販店、スーパー、パチンコ屋がいい具合に密集していたので、集客効果を見込めるということで、チラシは多い方だった。新会社が高額な金を出して買い取るぐらい立地が良かったわけだ。
特にパチンコ屋が市内でも最も密集しているせいかチラシも最も多く、毎日少なくても2,3枚は紛れ込んでいるぐらいだった。ぶっちゃけ、パチンコ屋に支えられているといっても過言ではない割合だった。
よくもまあ毎日毎日、カラー印刷でいつも違う内容のチラシを、これだけ出せるなぁと、この景気の悪い時代にどこからその余裕があるのか不思議に思っていた。

どの販売店もこんな感じではない。極端な例になるが、私が市役所で働いていた頃、市役所を含む駅前とかを主な担当区域にもっているただろう販売店は、週末だろうが毎日、市役所に配達される新聞の折り込みチラシは薄っぺらくお寒い状態だった。
というのも、駅前になると、住宅地がなく会社関係ばかりになる。そうなると、集客効果が薄いので、そういった販売店にはチラシを出さない。
まあ、市役所で私は毎日来る新聞を管理してたが、チラシはすぐに全部抜き取ってダンボール箱に捨てるよう言われていたから、その読みは全くもって当たっているが。あんな扱いされている会社系にまでわざわざ広告料は使わない。
あれだけチラシが薄いと、チラシ折込のバイトなんか雇ってないと思う。

そうなると、そんなところを受け持っていいことがないじゃないかと思うかもしれないが、ここからは私の想像だがまんざらでもないと思う。
多分、営業が楽で、堅調な経営ができるのだと思う。チラシが少ないから大幅な増収は期待できないかもしれないが、契約は取りやすくやめにくい。
特に市役所なんか、そこだけで地方紙、全国紙、日経、など全部含めると10部~20部以上は契約しているはず。おまけに、朝刊しか取らないところが増えている中、資料と称してしっかり夕刊まで無条件に取る。
つまり、人件費を削れば、官庁関係を抱え込んでいるこういう販売店は安定性から言えば最強とさえ思えた。実際この販売店で働いたことどころか、その店を見たことすらないので、これ以上根拠のない想像はやめておこう。
この販売店でも、それなりに苦労はあるのだろう。

話を少し本題に戻すが、この春分の日だけで、確かチラシの枚数は38枚…だった気がする。35枚は確実に超えていた。元旦のチラシもかなりの量だったが、確か32枚だったはずだ。30枚は超えていたのは覚えている。

また、ここで解説を入れなければならない。
枚数が増えるとなぜ時間がかかるのか?という点について説明する必要がある。

折り込みチラシの作り方だが、基本的には特殊な機械に入れて行う。

普通は一回機械にチラシをセットして、作動し続ければ、勝手に機械がチラシ折込をしてくれるので、きちんと折り込まれているかチェックするだけで終わる。だから、大体1時間30分~2時間ほどで終わる。
チラシ枚数が極端に少ない3,4枚とかの日ならば1時間もかからずに終わる。

しかし、次に述べるような条件が重なることで、爆発的に時間が延びていくのである。

規格外のチラシが来た場合(チラシがでかすぎて機械に入らないなど。NTTのフレッツ光の広告が毎度毎度馬鹿みたいに分厚くいつも苦労させられた)、手作業で直接やらなければならなくなることもある。他にも紙質が機械と相性が合わずエラーを頻発させる場合も手作業になる。
もう一つ、機械に一度に入れられない量、チラシが沢山来てしまった場合も、通常は1回まわせば終わるところを、2回まわさなければならない。すると、時間も倍かかるというわけだ。

確か、ウチの機械に一度にセット出来る枚数が18枚~24枚ぐらいだった覚えがある。

というのも、実は私は契約社員ということもあり、この機械の使い方をマスターしなければならない立場だったのだが、どうにもアナログ的な扱いを求められるこの機械が苦手で、結局やめるまでずっと昔から働いていたバイト連中にまかせきりだったので詳しくないのだ。
途中少し触れたが、機械の使い方についてはすぐ理解できた。だが、チラシの紙質だとか分厚さを理解して、機械との相性を考える職人的な感覚を要求されるところがどうしても駄目だった。
何度もやって慣れてくれと言われたが、機械はどんどんセットしたチラシを中に吸い込んでいってチラシを折り込んでいくため、じっくり落ち着いてやることが出来なかった。
特に紙質だの機械の機嫌みたいな分かりにくいことまで考えてやってられず、内心「やってられるかこんなの!!」とさじを投げていた。ただでさえ、毎日の仕事こなすだけでも一日が終わるから、そんな勉強している暇すら無く、どうしろと言うのだ!!という状態だった。

大体、新会社の社員は、チラシ折込自体バイトにまかせきりで、こんな機会の操縦したことないようだった。

そんなわけで、この日は3回機械をまわさなければならないことが判明した。通常時でも、週末のチラシ折り込みで2回まわさなければならないことは良くあるが、2回目は入れるチラシも少ないので、1回目ほど時間はかからないのだった。
しかし、今回は事情が違った。まず、チラシが中々揃わないから作業ができない、でも、始まったら始まったで、今度はチラシが多すぎて、いつ仕事が終わるのかが見えない途方も無い状況。

全部のチラシを運んできたとき、販売店の中は、年末年始以来のチラシの山でパニックに陥っていた。
あの時は数日分のチラシだったが、この日は、わずか一日、二日のチラシだけで、この量である。

仕方が無いので、事務員の女を除いた全従業員で総出でチラシ折込を手伝っていたが、それでも人手が足りなかった。

そこで、別の販売店から応援を呼ぶことになった。
新聞販売店は基本的に個人経営だが、私のいた販売店は社長が引退してしまい、本社の100%子会社の販売店を管理する会社に買い取られることになった(前にも書いたが、100%子会社であることは伏せており、何か都合でも悪いのかこういった会社の存在自体隠している)。
他にも市内で同じように買い取られた販売店があり、内部的には同じ系列の販売店になるので、こういった人事交流が出来るわけだ。

夕刊の搬出が終わって手のあいたちょうど夕方、別の販売店からゾロゾロと営業社員が5,6人手伝いにやってきた。

第一声はこうだった。

「なんで、俺らがこっちのチラシ折込やらねーとなんねぇの?(笑)」

柄の悪そうな連中だった。スーツ姿だが、どいつもヤクザみたいな雰囲気を醸し出していた。
勿論、本物のヤクザではないので、こんなナリをしていても一応会社員なので、仕事自体はきちっとやる。

そして、こいつらが来た瞬間から、所長の態度と喋り方が一変したのを私は見逃さなかった。

「おい、口ばっかりでかくて使えないあいつどうなった?」

所長は、別の販売店の営業社員に話しかけ、勝手に盛り上がりだした。

実はこの所長、ここに来る前は、今手伝いに来ている、このヤクザ連中がいる販売店の所長をやっていたのだ。というより、私がいた時点では兼任していた。
つまり、今いる販売店の社員よりも、顔見知りで付き合いの長い人達なわけで、普段は柄の悪い所を出さないように猫をかぶっていたのだ。私にとっては、やっと本性を現したな!という感じ。

話の内容が嫌でも聞こえてくる。どうやら新しく入ってきた社員をいじめているようだった。
この、“口ばっかりでかくて使えない人”についての話はそれだけで一つのエピソードになるので、次回のエントリに譲る。

この所長、見た目通り、やっぱり性格の悪いヤツだった。
というか、所長というよりも、ヤクザの組長といったほうがしっくり来る雰囲気だった。

私のいる販売店の従業員とは、住む世界から既に違うというか、空気が違いすぎて、とても交流など取れそうになかった。私の販売店の従業員と、ヤクザの販売店の従業員とでは、明らかに隔絶された空気を醸し出していた。
私はこの日の空気を味わって、ヤクザの集まりに会社を買収されたのだな…と悟った。本物のヤクザじゃなくて、ただ柄の悪い不良みたいなヤツらなだけであって、怖がる必要はないが、複雑な気分だった。

買収した会社から来た所長からしてみれば、出来ればこんなPC一つ使えない定年手前の年寄り連中なんかさっさとリストラして、息のかかった社員で早く固めたいのだろう。
だが、労働基準法にでも引っかかるからか、生殺しのような状況に追い込むしかなかったのだろう。そう、ちょうど今のように。

私はこの光景を目の当たりにして、会社を辞める決心をしたことに間違いがなかったのだと改めて確信した。

嫌な空気に包まれる一方、人海戦術で仕事の方は非常にはかどっていた。
18時を過ぎて、ヤクザ連中も営業の仕事があるのか、帰っていった。わずかな時間とはいえ、手伝ってもらったことで仕事の終わりがなんとか見えはじめていた。

19時前になって。
所長が気を利かせてくれて、近くのすき家で牛丼を私たちに買ってくれた。そのタイミングで、ご飯休憩を取ることになった。
どうせ沢山チラシ来たんだから、もっと豪華なモンおごってくれてもいいじゃないか…と思った。しかも牛丼といっても並だし。前はラーメン屋の出前だったのに、どんどんケチになっている。

20日の分のチラシ折込が終わったのは、21時を過ぎた頃だった。
これ以外に、祝日明けの21日のチラシも作らなければならない。疲れた身体にむち打って仕事を続ける。

しかし21日のチラシは非常に少なく、1時間もかからずに終わった。

チラシ折込の仕事が終わらないと、他の従業員も帰れないらしく、私とバイト連中が必死に働いている頃、事務室でコーヒーを飲んでくつろいだり、PCでネットをやったりして終わるのを待っていた。
忙しさもピークを過ぎると、頭数だけたくさんいてもすることがないので、意味が無いのだ。

そうして、やっとこの日やるべき仕事が終わった。時計は22時をまわっていた。
会社の電気を消し、シャッターを閉め施錠して、みんな家路についた。外はもう真っ暗闇で、車もあまり走っていなかった。

バイト連中は嫌がっていたが、私はこの忙しさを半ば楽しんでいた。

というのも、普段は出社時間も帰宅時間も仕事もバラバラで、一緒に仕事しているのに、心ここにあらずといった感じで、人間関係が希薄だった。おまけにみんな性格も最悪で、責任をなすりつけあったり仕事を押し付けあったりばっかりだ。

しかし、否が応にもみんな一致団結して協力しなければならない状況が訪れたとき、こんな底辺のどうしようもない集まりでもみんな必死になって協力して仕事を片付ける。
普通会社とはこうあるべきではないのだろうか!?というより、普通の会社はこんな一体感のなかで仕事をしているのではないだろうか!?
普段が腐っているからこそ、ブラック企業と言われるのではないだろうか!?こんなひどい会社にいたが、この一瞬だけはまっとうな会社になれた感じがした。
いつもこれだけみんなが協力的だったら、どれだけ居心地の良い販売店になっただろうか!?そんなことを思ったりした。

この日の私は疲れきっていて身も心もガタガタだったが、いつもとやっている仕事は同じだが、どこか心地よい汗をかいたようだった。いつもは無い妙な高揚感すら味わっていた。

普段は、八つ当たりされたり愚痴られたり、ちょっとしたことですぐ怒ったり、ムカつくヤツらばかりだったが、この日のこの瞬間だけは、全てが許せた。

だが、数日後の3月25日、私は会社を去った。

(あとがき)
新聞販売店のエントリは、たった半年しかいなかったこともあって、話題のストックが本当に無いため、次回が本当に最後の更新になる。
話題が完了したカテゴリには、最後に目次のエントリを作って締めて、(終)や(完)、★といった印をつけようかと思っている。

ちなみに、他のエントリで書いたのだが、このエントリを執筆中、FC2管理画面の不具合に遭遇し、5時間以上かけて書いた文章があっけなく消失した。
このせいで、中盤以降の文章の書き直しを余儀なくされた。書き出しから序盤辺りまでは前日に書いていて、その分は残っていたが、そこまで書くだけでも2時間近くかかっており、
今回のエントリを書き上げるための作業時間は実に10時間を超える大作になってしまった。普段のエントリでも5,6時間以上かけているものはザラにあるが、今回はそのなかでも群を抜いて手間がかかっている。

惜しむらくは、消失した文書のほうが完成度が遥かに高かったことだった。
それは、書き上げた瞬間に訪れる、物書きをしている人間なら誰でも味わう、独特の高揚感のせいと思われるかもしれないが、少なくとも今回書きなおした再現文書よりも、消失した文章のほうがまとまっていて面白く書けていた。

昔の出来事を文章に起こすという作業自体、思いの外骨の折れる行為だというのは、実際やってみてわかったことだが、ロストした文章をサルベージするのはそれ以上に大変であった(特に精神的にキツイ)。
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