3年続けた動画配信には意味があったのか

2006年秋。

私のホームページの掲示板に書き込みがあった。

「この動画面白いですよ」

ビビリがやるバイオハザード

それは“ビビリがやるバイオハザード”だった。
ゲーム実況の元祖となる動画の一つ。

普通の人は「面白い」で終わってしまうだろうが、私は違った。

「こんな面白いこと、どこでやっているのだろう?」

ゲームに詳しい私だが、まるで検討がつかなかった。

1ヶ月、2ヶ月かけて調べた。正体すらつかめなかった。

2003年中頃までは2ちゃんねるに良く出入りして書き込みもしていたのだが、
次第にマンネリになり、飽きて見るのをやめてしまった。

そういうこともあって、2003年以降、ネット界の事情にすっかり疎くなっていた。

悪戦苦闘している間に行き着いたのが、2ちゃんねるのなんでも実況Vという板だった。
2007年2月のことだった。

ここでは、Windows Media エンコーダを使って動画配信をして、それを見ながら配信者にレス(実況)する場所だった。
配信者は自分のIPアドレスとポート番号を付けたURLを書き込む。
視聴したい人は、Windows Media Player等、動画再生プレイヤーを起動して、「ファイル」→「URLを開く」と選んでいくと、URL入力ウィンドウが開く。
そこに、コピーしたURLを貼りつけて決定すると、配信者の動画が再生される。

そこでは、主にゲームプレイを映した配信が行われていた。
配信者はマイクを使って喋りながらゲームをプレイする。
見る方は、それを見ながら、アドバイスをしたり、思ったことを書き込んだりする。

今で言う、ニコニコ生放送やUstreamの動画配信みたいなものだ。
こういった動画配信がメジャーになってきたのは2009年以降だと思う。

当時は、まだYouTubeもニコニコ動画も出来たばっかりで、動画自体が珍しかった。
だから、それを生で見れて、配信者と直接やりとり出来るということが物凄く目新しく興奮していた。

初めて見た配信は、ニンテンドウ64の「ゼルダの伝説 時のオカリナ」を初プレイという配信だった。

わずか1分の間にも、数十レスが付き、私も面白くなってきてレスを書き込んでいた。

その後も、いくつものゲーム配信を見た。このころはゲーム配信が殆どで、Webカメラを使った雑談配信は見たことがなかった(音声のみのネットラジオが代わりを担っていた)。
そしてこう思ったのだった。

(私のほうがもっと面白い配信が出来る!!)

まだ動画配信自体一般に知られておらず、見る人は愚かやる人はもっと限られていた。
それでも私が来た頃は、配信できるPCが手頃な価格になってきて、チャンネルが増えてきていたという話だが、今ほど選べるほど配信数はなかった。
そんな状況だからか、配信者自体が大した面白くなくても、盛り上がったものだった。

しかし私はそんな甘い状態が許せなかった。

(私ならもっとみんなを盛り上げられる!!)

今思うと、なんと自信過剰な思考なんだ…と恥ずかしくなる。

2007年4月、配信のやり方を必死になって調べていた。
私が当時使っていた Pentium 4 でメモリは 1G にすら届かない貧乏PCでも何とか配信が可能なことがわかった。
だが備え付けのキャプチャーボードではどう頑張っても映像画面を映せないことも発覚し困っていた。

悩んだ末、オススメとして紹介されていたキャプチャーボードを近くのヤマダ電機に買いに走った。8700円であった。

こうして念願の配信環境が整った。

PCのスペックが低いせいで、解像度は320*240、ビットレートは330kbpsという、今考えるとビックリな低画質だが、私のPCではこれが限界だった。
プレイステーション2のちょっと画面の凝ったゲームなんか配信した時なんか、ブロックノイズがひどくて見れたモンじゃなかった。
これでも、エンコード(配信)を始めると、PC全体がガリガリ言って重くなり、他のアプリソフトを動かそうとすると、「これ壊れるんじゃないか!?」と心配になるほど弱々しい動きをした。
タスクマネージャーから見られるCPU使用率も、80%前後に跳ね上がる。
しかし、当時の私はこれ以上のスペックのPCを触ったことがないので、こんなモノだと思っていた。

最初は総合スレと呼ばれるところで配信していた。
いきなりスレッドを立てて配信をしても人が来ないと配信wikiに書いてあったからだ。
何回か、総合スレで配信したが、全然人がつかなかった。納得がいかなかった。

総合スレでも、既に常連の配信者がいて、そっちにばかり人が行き、新参者の私は見向きもされていなかったのだ。

時間帯のせいかと悩んだりもした。
こうやってPCを配信に使って、部屋で一人PCに向かって喋るという行為は家族から理解を得られそうになかった。
2007年といえば、定職に付いてない私に、親が最もうるさかった時期で、無理矢理介護施設にボランティアに行かせていた時期と思い切り重なっている。
そんな人間がケタケタ笑いながらゲームに興じている姿なんて見せられるはずがなかった。

なので、親が寝静まった深夜1時過ぎからじゃないと、どうしても配信出来なかった。
毎日、昼に仮眠をとって、夜中の1:00から新聞配達が始まる4:30ぐらいまで昼夜逆転の生活を送ることになった。

総合スレじゃ駄目だ…。
私は何度か総合スレで配信してこう思った。

(大体、私が視聴側にまわったとき、総合スレなんて素人くさいとこ見てなかったし)

(一度スレ建て配信して、駄目だったらバッサリ諦めよう)

こう考えたのだった。

ゴールデンウィークの終わった5月半ば。深夜1時、スレッドを立てて配信を始めた。

何も考えずに配信を始めたので、することを決めていなかった。

数分間はミスチルのBGMを流しながらぼーっと人が集まるのを待っていた。

その後、当時地味にハマっていたスーパーファミコンの「パネルでポン」を唐突にやり出したりしたが、盛り上がらないので5分で辞めた。

そこで固まってしまった。

レス「専ブラぐらい入れなよ」

こんなレスが付いたのだった。
私は2ちゃんねるは見なくなったので、専用ブラウザもそのPCにいれていなかった。

人もつかない、レスも来ない、することもない。
辞めるか……と諦めようとした時だった。

数日前にリサイクルショップで安価で買ってきた、スーパーファミコンの「ロックマンX」が目に付いた。
これをやることにした。

当時ロックマンシリーズは、ゲーム配信で「他人がやっているのを見てると面白い」という理由で、人気タイトルの一つだった。

私は、ゲームオタクで、大抵の有名ゲームを遊んでおりネタに困っていたが、ロックマンシリーズだけは一切手をつけたことがなかった。
アクションゲームに自信がなかったから、難しいイメージのあるロックマンは避けていたのだ。

唐突にロックマンXをやり始め、箱・説明書もないので、事前知識が全くなく、システムすら理解していない私の無謀プレイは大いに盛り上がった。
ファミコンのロックマンと勘違いして「E缶はどこ!?」と探し回り、最弱ボスにすら苦戦する私の姿は滑稽ながらも面白いものだった。

こうして勇気を出してスレッドを立てての初配信はとても盛り上がり、毎日配信を続けることになった。
2日目以降は正直、それほど盛り上がらなかった。
同時刻、人気配信者が同じ時間だけ配信して1000レス以上もらっているのに、50レスもいかなかったときは絶望したものだった。

ロックマンXの配信が盛り上がったので、続編のX2、X3も買い揃えてクリアーまで配信した。
X3はレトロゲーであろうと高値で売りつけるゲオにしか売ってなく、箱・説明書なしなのに泣く泣く2980円支払って購入した。

動画配信がまだマイナーだった時代、レトロゲームはエミュレータを使った違法ダウンロード配信が当たり前だった(これは今も変わらないが)。
私も大学時代、入っていたパソコン研究会の連中から、どこから手に入れてきたのかレトロゲームROMイメージ詰め合わせのCD-ROMを貰ったことがあるが、全く使わなかった。
なぜなら、私はきちんと現物を手に入れて実機でプレイすることこそにロマンを感じており、いくら手に入りづらいゲームでもエミュレーターにだけは頼りたくなかった。

実は私のこの潔癖症は病気とも言えるレベルで、Wiiのバーチャルコンソールですら満足できない。あれも結局はメーカー公認のエミュレータだ。
ついでに言うと、プレイステーションの「ベスト盤」のパッケージも許せない。
安いのはいいのだが、通常版より外箱がダサくなってて、カッコ悪いのだ。
リサイクルショップでゲームを買い集めるとき、欲しいゲームがあったとしても、ベスト盤だと意地でも買わない。

ロックマンX3をクリアまで配信したところで、次をどうするか困っていた。
私はとにかく人の注目を集めたかった。そこで同じくゲーム配信では人気だった「メタルギアソリッド」シリーズを配信することにした。

オーバーリアクションで、レスにきっちり反応して、たまに(今思うとつまらない)ネタプレイをして場を盛り上げる。
今でいう、初プレイゲーム実況の雛形とも言える色合いがロックマンの時より強くなっていった。

しかし私はここで自分を追い詰めてしまった。
というのも、重度のゲームオタクであれば「メタルギアソリッド」などという有名ゲームは当然リアルタイムに攻略済みなのだ。

だが、他に人を集められそうな人気ゲームを考えられなかった。大抵のゲームはやり尽くしているからだ。

こうして“似非初プレイ”という演技配信がこの時から始まった。

私の手段を選ばない人集めは功を奏して「メタルギアソリッド」の3を配信する頃には、最初は10人程度だった視聴者数が、連日100人超えという人気配信者になった。
最も見所であり盛り上がるクライマックスシーンの時は200人を超え、スレッドの勢いもいまだかつてないスピードでレスがすすんでいた。

短期間で有名人にはなれたが、それに反して私はだんだんとゲーム配信に飽き始めていた。
演技をしていたというのもあっただろうし、見ている人を飽きさせないために気を使うって言うのにも疲れていた。

2007年5月頃は連日配信していたが、だんだんと日をあけて配信するようになっていった。
昼夜逆転した生活を続けるのにもしんどくなっていたのもあった。

どういう形であるとはいえ、ゲーム配信で一定の成功を収めたというのは、この時の私にとって重大だった。
というのも、2007年4月頃、年齢的にも将来について悩んでいたし、それに輪をかけて親からは煽られて精神的に相当参っていた。
ぶっちゃけ、本気で自殺しようと夕方過ぎに突然外に出て、ホームセンターで首吊り用の縄を買い、ひとけの無い道に行き、死に場所を探すということを何回か繰り返していた。

心の支えになるものが何もなく、生きる自信をどんどん無くしていた。そんな時にゲーム配信に出会い、また生きる活力を取り戻せたのだ。

2007年10月以降は、一度決めたゲームを最後までやるのではなく、気分次第でやめて別のゲームに変えたり、Webカメラで部屋を映して雑談という配信が増えていった。
もともとWebカメラは、PSPのメタルギアソリッドを配信するためという名目で買ったものだった。視聴者とオンライン対戦する模様を配信する予定だったのだが、いざやってみたらレスが付かず内輪で盛り上がっている感じが当時の私は気に入らず、すぐやめてしまった。

見ていた視聴者も、どちらかというと、がっつりゲームやるよりも、私の身内話とかを期待している節が強くなっていた。

Webカメラ雑談も、最初は新鮮で面白かったものだが、だんだんとそんな意味のない馴れ合いにも飽きていってしまった。
そもそも私は、毎日話題を提供できるほど充実した生活は送っていない。

2008年に入ってから、私は親にPCを取られたということにして配信を休むことにした。
これは嘘である。

この時の私は、そのまま消えようと思っていた。実際は人恋しくなって5月に配信を再開した。
動画配信へのモチベーションがどんどん落ちていたのは、色々理由があった。

自分には才能がないのだということ。

仮面をかぶって演技をして見に来る人に気を使うことに疲れてしまった。

視聴者数が中々増えず、それどころか人が減っているという現実。

なにより致命的な出来事だったのが、2007年夏ごろに配信デビューしたYという配信者である。
Yは私より後に配信始めたのに、人の多い20時前後から人の来やすい人気ゲームを続々と配信し、一気に「なんでも実況V」の顔とも言える配信者になっていった。
私はYという人間が、配信者として騒がれてるほどさほど面白い人とは思えなかった。ただ周りが担ぎ上げているだけという印象だった。

しかし当事者が何を言っても、現実は結果が全て。
圧倒的な力の差を見せつけられ、私は諦めに入っていた。

私の配信も悲観的になるほどではなかった。
メジャーにはなれなかったかもしれないが、視聴者からプレゼントを貰ったりもした。

ファミコンのロックマン1、ロックマン2
プレイステーション2のサクラ大戦 熱き血潮に、バイオハザード4
セガサターンのエネミーゼロ、AVケーブル(私が配信中に断線したと言ったため)

既に持っていたが、キングダムハーツ、ドラゴンクエスト8も貰った。

手紙が同封されていて、「配信辞めずに続けてね」「頑張って」など書いてあった。読んだときはとても嬉しかったものだ。
この手紙は今も大切に保管している。

2008年3月。私は唐突に自分の力を試したくなって、YouTubeに配信動画を編集してあげてみることにした。

そのチャンネルリストがこれだ。

私のあげた動画集
(※どの動画も音が非常に大きいのでボリュームを小さくしてご覧下さい)

「不思議のダンジョン」だけ15000というアクセスを記録しているが、他は散々だ。
しかも蓋を開けてみたら悪評だらけ。動画のコメントも叩かれてばかりだ。

私はこの結果を見て初めて、自分の実力というものを思い知らされた。

個人的には、“はじめて(という設定)のFF11”が配信では盛り上がったので、動画も伸びてもらいたかったが、上手くいかなかったようだ。

どの動画もこのブログの暗い内容に反して「楽しそうにしてるじゃないか…」と思うかもしれない。
そんなわけはない。この時から定職についてない自分の将来が不安で不安で仕方がなかった。
周りに味方はおらず、毎日辛い思いをしていた。配信ではそんな暗くしていられないので、空元気を出している。

冒頭に書いた「ビビリがやるバイオハザード」は、私が配信していた2ちゃんねるのなんでも実況Vでやっていたわけではない。
これはPeercastという配信ツールを使って行われていた。

私が元々目指していた、このPeercastにたどり着いたのは2007年10月のことだった。
今と比べ、情報が整っておらず、導入方法は愚か存在すら中々つかむことが出来なかった。

話が逸れるが、今は沢山の配信ツールがあるが、私は(利用者のマナーの悪さを除けば)Peercastが最強だと思っている。
Peercastの長所を知れば、有名人に蹂躙されて一般人には取っ付き悪いものになったUstream。
ましてや、配信するのに一々金を取る上に、ガキ臭い独特の空気があるニコニコ生放送なんか馬鹿馬鹿しくて使ってられなくなる。

Peercastの短所は、いくつかツールをインストールしなければならないこと、視聴するのにもポートを開けなければならないこと。たったこの2点だけ。
これだって一度導入してしまえば、デスクトップからワンクリックで起動するし、チャンネルリストも見やすい。

長所は山ほどある。

・当然だが全て無料!配信から視聴にいたるまでツールの全部が無料。配信するのだって気の向いたときに好きなだけできる!(というかこれが当たり前だった)

・視聴者数に制限がない。Ustreamみたいに重くなったりも無い。
 視聴するだけでもポート開放が必要なのは、このメリットを生かすためだ。
 P2Pを使っててとか仕組みを書いていくとキリがないので省くが、これはかなり快適。

・ブラウザベース(動画再生プレイヤーで見る)じゃないので、余計な広告とか無くすっきり。多重視聴も容易。

・配信ツールに特殊仕様が無いので、画質は配信者の設定に完全に依存する。他の配信サイトに比べ高画質で見られる。特に滑らかさはずば抜けたものを見せる。

・利用者のマナーは悪いが、比較的設定もちゃんとしてて面白い人が多い。長時間配信が多い。

・チャンネルリストを専用ツールで表示させることが出来て見やすい。

・内容的には大半がゲーム配信だが、Webカメラを使った雑談配信などもある。

後述するが、私はPeercastにまつわる嫌な出来事があったので、それ以来、忘れるために一度も起動していない。なので2010年8月以降どうなっているか分からない。
私がいた頃は、多いときで200以上の人が配信していてチャンネルリストに載っていた。平日朝でも50ぐらいある。

色々長所を書いてきたが、最大の長所はやはり中間搾取が無いこと、これに尽きる。
配信に必要なものを全て自前で用意しなければならないが、今はどれも無料で用意できる。
便利と言われるツールも全て利用者の有志が制作したもので、全部フリーソフトだ。

たいてい配信者は2ちゃんねる互換の無料掲示板を借りてきて、視聴者はそこに書きこむ。なので匿名性が高く気軽に書き込めるのも特徴。

私が配信していたなんでも実況Vよりも、当時メディアへ露出し始めていたPeercastの方が主流になりつつあった。
明らかに寂れつつあったなんでも実況Vから、本来の目的地だったPeercastで配信したかった。

そこで、2008年9月、常連の視聴者を説得して、Peercastに移ることになった。

Peercastに移ったものの、配信モチベーションが落ちている私は、たまにしか配信しないので人は中々増えなかった。
同時期に、念願の就職先も決まり、配信頻度はより一層落ちていった。

2009年4月。仕事をやめてから、一気に暇な時間が増えた私は、その反動で動画配信に熱が上がっていた。
「ゼルダの伝説 時のオカリナ」や「ゼルダの伝説 神々のトライフォース」を寝ずに一気にプレイといった
相変わらず人の集まりそうな配信をやっていった。そして久しぶりに100人以上の視聴者を獲得し大いに盛り上がった。

これは本当に辛かった。初プレイのふりをしているだけで、実際はプレイ済みとはいえ、
これらのボリュームあるゲームを休憩なしで一気にクリアするのは大変だった。
実際は深夜1時からその日の夕方16:30までの16時間やったところで眠気に耐えれずギブアップし、次の日に持ち越しになったのだが、
いくらゲームキチガイでもこれだけ連続してゲームを遊んだことはなく、ずっとしゃべり続けてたせいもあってか首は寝違えたみたいになったし、
配信を終えた17時から深夜2時過ぎまで爆睡してしまったほど体力を使った。

その後も“この初プレイ寝ずにクリア”という芸風で人を集めようとしたが、第3弾「ゼルダの伝説 ムジュラの仮面」であまりの辛さにもう辞めることにした。
このときは深夜1:00からやり出し朝9:30で我慢出来ない眠気が来てギブアップした。

だが相変わらず“初プレイ”という演技を続けていた私は、配信が面白くなかった。

そして遂に決断した。今まで演技していたことを素直に謝って、ゲームオタクであることを告白しようと。

2009年8月のことだった。私はゲームレビューのHPをやっていることを話し、今まで偽っていたことを包み隠さず白状した。
私は怒られるとばかり思っていたが、誰も怒る人はいなかった。
いや、白けた人は黙って出て行ったのだろう。好意的な人が思ったより多いことにびっくりした。

それからは、(というかもうこの頃は1ヶ月に数えるほどしか配信しなくなったのだが)ウケ狙いの配信から、ゲームにガチンコでぶつかっていく普段の私を配信するようになった。

そんな見所のない配信を求めている視聴者は既にいなくなっており、他の面白いことやっている配信へ去っていき、私を見に来る視聴者はさらに減っていった。

私はこの事実が嘆かわしかった。
時代は既に“面白いことをしないと見てすらもらえない”次元に入っていたのだ。

そりゃ選択肢が沢山あれば、もっと面白いところへ、もっと賑わったところへ行こうとする。当然の流れだ。

私がやりたかった「やらせなしのガチンコ勝負」では、もう人は付いてこないのだ。

私は自分の動画配信を、1回目から全て録画保存していた。
2010年12月、外付けHDDに保存してあったそれらの動画は不慮の事故により全て消えてなくなってしまった。
それまでは、自分の歩みを大切にして、暇なときに何度も何度も見返していた。

常連の視聴者で、なんでも実況V時代に良くミラーしてくれていた人は、そんな私を見て、いつでも私の過去動画をみられる再放送サイトまで作ってくれたこともあった。

それを見返したとき、やはり先ほど紹介したYouTubeに載せたような“やらせ配信”よりも、人がぜんぜんいなくて寂れていても、ガチンコで真摯にゲームに立ち向かっている動画のほうが私は好きだった。
末期の頃は、5月27日の発売日から「スーパーマリオギャラクシー2」をやって、土曜日の5月29日の休日には朝から晩まで休みなしでやり続けスターを120枚取る(一通りの全クリアー)までプレイしたり、新作ゲームをいくつか配信でやっていた。

元々「ビビリがやるバイオハザード」を配信していた人も私と同じゲームオタクで、
バイオハザードでビビっている姿ばかりが目立っていて、ネタ配信者のように思われているが、普段はゲームにガチンコで飛び掛っていくストイックな人であった(その姿を映した動画もあがっている)。
特にシューティングゲームが人並み外れた上手さを持っていた。
私は彼の男気に惚れて、動画配信に足を踏み入れたことを2010年になって思い出していた。私もこのようにやりたいとやっと気づいたのだ。

そもそも別に彼は、視聴者をわらかそうとしてたわけでもなく、素の姿を出していただけで、特別面白いことをしていたわけじゃないのだ。
今は、ニコニコ生放送しか見てないが、配信者は面白いことをしなきゃ駄目、面白くないと駄目、という固定観念が出来上がってしまっていると思う。
そういう世界観・価値観になってしまったことが、動画配信初期の何も考えずに熱く盛り上がったあの頃を知っている私にとっては、そう言うのが逆につまらなくなったなあというかいたたまれないというか、なんとも言えない、とにかく「変わったな…」と感じた。
少なくとも、もう私が熱狂できる場所では無くなったのだなと感じていた。

常連の視聴者は全くいなかったわけではないのだが、過疎っていく一方の配信に、私は愚痴ることが増え、8月に引退することを決めていた。
いつも見に来ていた人は口だけだと思っていたようだが、私はそれを実行に移した。

2010年8月7日 深夜1:00 引退配信

Webカメラで部屋を映しながら、なんだかんだで3年以上続けた動画配信の思い出を語った。
この時の内容はもうあまり覚えていない。
Peercastの詳細欄に「引退配信」と書いたので、予想は付いていた。
最後の配信は、荒れに荒れた。
なぜなら、視聴者の一人が人気配信者に荒らすよう依頼したからだった。

めちゃくちゃな状況の中、早朝5:15。配信を切った。

その時使っていた配信用掲示板はここだ。

使っていた掲示板
(※本当はもっとスレッドがあったのだが、元々使っていた掲示板はレスが無いと怒って配信中に削除してしまった)

もうすっかり書き込みがない。
当たり前だ。引退したのだから。

私は引退したことに少し後悔しており、今年の1月、2月と、また軽く配信をしたのだが、当然ながら全く人は来なかった。

一度やめてしまった以上、もうあの頃が戻ってくることはない。

私自身も引退したとき、未練を断ち切るため、毎日起動していたPeercastを封印し、未練を捨て去ることが出来た。
完全に捨てることが出来なかったことだけが心残りだ。未だにこうやって掲示板は残っており、たまに見に行っている自分がいる。

こうしてわずかでも残っていた人とのつながりを完全に捨て去ってしまった。

その後私に残されたものは、7年間続けている、更新しても反応は何もなく、代わりに後ろ足で思い切り蹴り飛ばされるという、血の通ってないゲームレビューのホームページだけだった。

物足りなくなっていた私は、動画配信を引退した1ヶ月後の2010年9月。このブログを開設した。

もう0から動画配信をやり直す気力は私にはない。
ゲームに飽きてきているし、昔以上に将来の不安を感じているから、前のような空元気は出せない。

またゲームで人釣って人数集めするのにも疲れてしまった。

それに、近年の動画配信のブームが私にはついていけない。

一生懸命ゲームに立ち向かっている人よりも、人の集まる盛り上がりやすいゲームばかり選んで、肝心のプレイヤーはやる気のないヘラヘラしたのばかりが人気で、
寒い演出効果音や音楽を流したり、つまんない決め台詞やギャグを持ちネタにして、要所要所で使っている人、狙い過ぎて笑えない。
これは私がもうニコニコ生放送しか見てないせいかもしれないが。

少なくとも私が見るのを辞める前からPeercastでもこの傾向があったが、RPGやアクションゲームのタイムアタックといったスーパープレイ。
ありふれたプレイは見飽きたから…なのかもしれないが、私にはこれらの明らかに人集めを目的とした行為に既に飽き飽きしていた。

いっぽう、ニコニコ動画でも、ゲームの動画に声をかぶせた実況動画が投稿され出していた。
なんでも実況VやPeercast利用者は、その動画を見て鼻で笑っていた。

「あいつら独り言動画投稿して何が楽しいんだ?(笑)」

私もその一人であった。動画配信の存在を知っていたらああいうのはオママゴトにしか見えなくなっていた。

しかし、先駆者は、その売名行為によって、声優やサブカルライターだの出世して、
挙句、ゲーム会社の公式サイトで新作ゲームの実況動画をギャラもらいながら作って公式に宣伝に使われている始末。

正直言って私はそれを見たとき複雑な気分であった。

どの実況者も騒がれているほど面白いと感じなかったからだ。
なぜこの程度で、職業者になれるのだろう、なんて世の中は理不尽なんだ…と呆れてしまったものだった。

私もこんなバッドエンドを迎えるのなら、最初からニコニコ動画に実況動画をアップロードしていればよかったと思っている。

ただ私から言わせて欲しい。
何かのきっかけで表舞台に立つことになったのなら、それ相応の努力をして欲しい。

世の中には努力をしているけど、表舞台に立てない人はたくさんいる。
そういう人に申し訳ないと思わないのだろうか。

これはいろんな人に言いたいから別のエントリでも似たようなことを書くことになるだろう。
ゲームやってレビュー更新してる私だって!!とは失礼すぎて口が裂けても言えないが、
この人達からは、いわゆる“本気さ”が伝わらない。

何かに苦労した。思い通りにいかない人生にぶち当たった。挫折した等。
楽に出世できた(全員の詳細は知らないのでなんとも言えないが)せいなのか、とにかく真剣さを感じない。
売れてない芸人、冴えない芸人でもいい、TVを見てると、どんな芸能人でも、画面越しでも何かしらの必死さが伝わってくるものだ。
彼らにはそれを感じないのだ。

……そんなこんなで、私の3年以上に渡って続けてきた動画配信の思い出を綴らせてもらった。
楽しくもあり未練もいっぱいある、あの楽しかった頃にはもう絶対に戻れない。

飲めない酒でも浴びるように飲んでおもいっきり忘れるしか無いのだ。
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