高校時代の友達Yについて

高校に入ったとき、クラスの中に誰も知り合いがいなかった。
それどころか、私の中学校からこの高校に進学する人が310人中、3,4人しかいないほどだった。
なぜかというと、まず私の中学から遠かった。
それに、学校自体に魅力が全くないところだった。
偏差値が中途半端で落ちこぼれが入れる高校じゃないし、かといって、優等生が目指すほどの学校ではなかった。

そんな私は、クラスになじむのに2学期の9月までかかった。

それも、宿泊研修という特殊イベントがなければ、ずっと孤独なまま一年が過ぎただろうことは確定的に明らか。

中学時代に受けたいじめによって、人見知りが激しくなっていたためだった。

同じクラスで良く学校をサボっていたIは、そんな私にたまに話しかけてくれることがあった。
Iは人当たりが良く、私のような気の弱いオタクにも気を使い、ちょっと不良っぽい人などいろんな人と仲が良かった。

Iは2年になって別のクラスになったが、よほど学校に来るのが嫌だったらしく、さぼり癖が悪化して出席日数が足りなくなり退学していった。

良く家に遊びに行ったり、カラオケに誘ってくれたりとてもいい人であった。

宿泊研修をきっかけに、クラスのいろんな人とやっと話ができるようになったのだが、そのなかの一人にYという人物がいる。

Yは1年の時はそれほど仲は良くなかった。

それどころか、私は嫌われていたようだった。

YはAという芸人気取りのやかましい人間と仲良くしており、暗くて気が小さいオタク気性の私とは正反対に位置する人間だった。

だからノリが悪く、絵に描いたようなオタクの私とは相性が合わなかった。

だが。
宿泊研修で同じ部屋に泊まってからは、私という人間を理解してくれるようになったようだった。

Yは、中学まではスポーツ少年だった。
野球部に所属し、毎日練習に励んでいた。

高校では、何故か野球ではなくサッカー部に入部した。
しかし、それから数日経って、ゲームショップでスーパーファミコンのドッジ弾平を買って、それをやりたいがためだけに退部までしたというとんでもない逸話がある。

帰宅部になってからは、より一層オタク色が強くなっていった。
元々、中学時代にはスレイヤーズというオタク御用達のライトノベル小説を読みふけっていたそうだ。

また、高校に入って、すぐにゲームの話がしたかったのか、G・Wが目前に迫ったある日の体育の時間。
ゲームの話題を出して一人で盛り上がっていた。

「聖剣伝説は2が最高!3はクソゲー!」

などと、熱く語っていた。

私はそんな会話を耳にして、3ではなく敢えて2を好むところがゲームオタクっぽいと感じていたものだ。

Yとは、ゲームとアニメの話で盛り上がっていた。

Yは部活をしなくなってからゲームばかりやるようになったせいか、すぐに視力が落ちてメガネをかけ出した。
実に分かりやすい人だと思った。

私がクラスに馴染み始めた9月某日。Yの仲間にカラオケに誘われた。
1997年9月 初めてのカラオケボックスだ。

私はとても緊張した。

なにせ音楽の授業以外で歌なんて歌ったことがない。

おまけに音楽を聞く習慣もない。
浮かんでくるのは、アニメソングばかり。後、フジテレビのドラマは良く見てたからその関係の主題歌なら、という心細い状態。

2011年の今でこそ、カラオケボックスには、「アニメソング」ばかり載ったリスト本が置いてあったり、
昔と比べアニソンを歌う連中も増えているが(リモコンの履歴で確認)、まだ1997年というと、一般的でなかった。
オタク仲間で連れ立って行ったときぐらいしか歌えるジャンルではなかった。

そうして、何を歌うか困った挙句、出てきたのがメンズファイブの「ヘーコキましたね」だった。

私が困ってひねりだした選曲が「ヘーコキましたね」だったことに、その場にいた全員が「へっ?」という顔をした後、大爆笑していた。

なぜこの歌を歌えるぐらい知っていたのかというと、中学の時聴いていたラジオの音楽番組で、
1994年秋、 Mr Children の Tomorrow never knows とランキング1位を争っていたのが「ヘーコキましたね」だった。

私は中学時代、歌の良さがわからなかったので、ラジオは良く聴いていたが、トーク番組の間に歌が流れたりすると退屈になって嫌なぐらいであった。
そんな私が音楽番組を聴いていたのは、その時間帯に音楽ヒットチャート番組しかやってなかったせいである。
だが、そんな私にも心に響いてくる歌が「ヘーコキましたね」だった。
あまりに面白かったので、カセットテープに録音して何度も聞いていた。だから即興で歌えた訳だ。

そんなわけで実は「ヘーコキましたね」という歌は中途半端に有名なのである。

こうして、歌唱力はイマイチだったけども、その後毎回カラオケに呼ばれることになった。

ちなみに、何度もカラオケに連れてってもらって、一度同じクラスでちょっと不良っぽい人とばったり会って、

「安西爆弾くんってカラオケで歌うの?」

と、見た目のイメージに合わないことを目の前ではっきり言われた。

2年生に入るクラスを選択するときに、私は迷ったが、理系クラスに行こうと思っていた。
ところが、Yに誘われ、文系クラスに入ることになった。

そうしてまた、2年になって同じクラスとなった。

1年の時の男子はみんな仲が良く、いい雰囲気のクラスだったが、2年、3年のクラスは最低最悪だった。
高校3年間で、これといった友達はYとMの2人ぐらいしかいなかった。

男クラに行った機械音というヤツもいたが、私のゲームボーイを借りパクしたので、縁を切った。

Mとは2年の時も同じクラスだったが、休み時間になるとすぐに中学の同級生や部活仲間ところへ行き、週末カラオケに行くぐらいしか付き合いが無くなってしまった。

2年の時のクラスは、本当に同じクラスメイトなのか疑問になるぐらい、付き合いがなかった。
男子は、休み時間に全員他のクラスへ遊びに行き、全員がこれといった人間関係を築かなかった。
だから、団結しなければならない学校祭とか体育大会などになると悲惨な結果が必ず待っていた。
学校祭が特にひどく、最低限企画だけ提出しても、誰も実行する人がいないので、未完成のまま当日を迎える。
担任も人をまとめる能力が明らかに無く、全然改善される気配がないまま1年が過ぎ去った。

3年生の時は、不良とまでいかなくてもやんちゃな男子が多く、そいつらだけで仲良くしちゃって、オタクっぽい私とYはその中にとけ込めずに終わっていった。

ぶっちゃけ、1年の時のクラスメイト以外で友達らしい友達は出来ないまま3年間は終わった。

3年生にあがるときも、進路選択があったが、Yに誘われ、同じ進路の文系クラスを選んだ。
だから、3年間同じクラスだった。

中学と比べると、山も谷も無い平坦でつまらない高校生活だった。
勉強とゲーム、遊ぶ金を稼ぐための新聞配達だけやって過ぎ去った3年間。実に淡白としていた。
一番人生で楽しい時期であろう、高校生活がこの有様である。終わっている。

Yとはずっと同じクラスだったが、大学までは一緒というわけにはいかず(同じ大学に行くよう誘われてはいたが)、
高校卒業後も、メールのやり取りを頻繁にしたり、夏休みなど長期休暇に地元に帰ってきて一緒にカラオケやゲーセンで遊んだりしていた。
Yと2人きりで遊んでいたのではなく、高校時代の知り合いを何人か誘って遊んでいた。

大学に入ってから、Yはパチンコで、私はバイトで汗水たらして、遊ぶ金を稼いでいた。
Yはパチンコでかなり儲けていたようだ。その金でノートパソコンを買っていたぐらいだった。
今と違って、2000年当時は、まだパチンコで一山当てることが出来た時代だった。

結局大学4年間、卒業後数年は、Yはパチンコべったりで、私も何度か誘われたものだった。
つまんないし稼げないから私は嫌だったので毎回断っていた。

さすがに25を超えた辺りから、中々勝てなくなってきてパチンコはあまり行かなくなったようだ。

こんなYだが、大学時代は何個か短期のバイトをやっていた。
大学1年の冬、JRの電車を洗車するバイトをやっていたが、合わなかったので私に愚痴っていた。
24時間交代勤務で、仮眠室で寝たりするのだそうだ。だが、周りのオッサンがうるさくて寝れなかったと言っていた。
夜勤の仕事はこれで懲りていたようだった。

もうひとつは大学3年の冬、デパートの販売員をスーツを着てやっていた。

就職活動の時期にさしかかっても、Yは性に合わないと言って全然就活をやろうとしなかった。
結局ほとんど活動らしい活動をせずにそのまま卒業していって無職となった。

これは私も一緒で、私は自分なりに頑張って就活をしようと思っていたが、独特の空気についていけなくて、数える程度しか受けず、後はYと同じくほとんど仕事探しをしないまま4年生が終わってしまった。

言い訳にしか思われないかもしれないが、以前にも書いたが、行きたい大学(学部)に親の方針で入れなかったので、就職活動でどん詰まりに陥ることは入学前から想像できたことだった。

Yは卒業後、ホームセンターの短期バイトを1ヶ月やった後、10ヶ月無職を堪能していた。
まだパチンコで金を稼ぐには困らない時代だったので、金に困ったらしょっちゅうパチンコで稼いで遊ぶの繰り返しだった。

そんなYに転機が訪れる。

短期のバイトをやっていたホームセンターの社員から、「またバイトに来ないか?」と前触れもなく連絡が来たのだった。
これが2005年春のことだ。
これ以降、Yはずっとそこのホームセンターでバイトを続けている。

Yはその職場が気に入っているようで、1年後の2006年6月、同じく職に困っていた私を誘ってくれた。
コネで受けに来たので落ちるはずのない面接試験だった。
しかし、形式的にやっている適性試験で落とされてしまった。

30にもなって未だにバイトという身分はどうかと思うが、だからかYは仕事探しで困ったことがないらしいし、やりたいとも思わないようだ。
例外として、2007年夏頃、急に将来が心配になったYは、バイトをかけ持ちし突然私と一緒に就職活動に精を出しはじめるが、ハローワークがアテにならないことがわかると、諦めていった。

Yとはこのように、毎日メールをやり取りし、月に2,3回遊んでいたほど仲が良かったのだが、だんだんと疎遠になっていく。

予兆の一つとして、彼女が出来た場合が挙げられる。これはしょうがないことと言える。
口では「気を使わないでいいよ」と言うものの、明らかにメールの返事が来なくなる。
いつもなら出したら1,2分もせずに返事が帰ってくるぐらいの人が、突然返事が返ってこなくなる。

最初に出来た彼女は、かなり性格に難のある人だったらしく、別れた後に私に何度も付き合っていた頃の話を愚痴っていた。
私はノロケ話に興味はないのでほとんど覚えていないが、これだけは覚えている。

彼女が起こした交通事故で発生した借金を肩代わりしたこと。

返済に何年もかかっていて、最近何も言わなくなってきたので返し終わったんじゃないかと思う。

そうして、1人目の彼女と別れた後、また私と毎日のようにメールをし、頻繁に遊びに誘われて、銭湯やゲーム屋、ゲーセンで遊んだものだった(2007年12月~2008年9月)。

ちなみに、2007年11月。私は東京のIT企業へ面接に行き、内定をとって地元から離れようと思ったときに、猛烈に反対してきたのがYだった。その時言ったこの台詞だけは未だに忘れない。

「安西爆弾がでてったら遊び相手いなくなるべ」

2011年5月現在。遊ぶどころかもう何年会ってないですか?責任とってください。
(私の現在数少ない知り合いの中で、唯一Yにだけ、このブログを教えているが、きっと一度も見てないだろう)

しかし私が2008年10月に、新聞販売店へ就職してしまったので、また遊べなくなった。
だが2009年3月にすぐに仕事をやめてきて、仕事を辞めた翌日には、待っていたかのように銭湯へいつものように遊びに出かけた。

2009年5月末までは付き合いも良く、月一回ぐらいのペースで遊びに誘われたのだが、翌月から突然メールも返事が来なくなり、遊びの誘いも全く来なくなった。

彼女が出来たようだった。

毎日メールやっていたのが、丸3ヶ月こちらからメールを送るまで音沙汰が全くなかった。
それどころか、それ以降メールしても返事が全然返ってこなくなり、私も、Yとの仲は終わったと思い始めていた。

最後に遊びに誘われたのが2009年12月で、それ以降一度も直接会っていない。

2010年2月。私は臨時職員の仕事が始まり、忙しくなったが、職場に馴染めず何度か愚痴の電話をしたことがあるが、
さっさと切りたそうにしていた。

だから、だんだんと私からも距離をおくようになっていった。

2011年5月現在。出したメールの返事は返ってこない、遊んだりも1年以上もない。

私の中でもうYは“過去の人”だ。

宣言しておこう(どうせ当の本人は見てないだろうし)。
もうこちらからメールを出すことはないし、電話をすることもないだろう。
なにせ電話番号もメアドも使わないからとずいぶん前に消してしまったからだ。

これが事実だということは、もし見ているならYが一番分かっているだろう。
電話をかけるたびにメールでわざわざ番号を聞き出しているのだから。

そして私は地元を出て行く。遊び相手も無い、仕事もない、最悪の環境に身をおいていてもいいことなど何一つ無い。
未練など何一つ無い。

私はやっぱり2007年12月。内定をもらった会社に惜しまれながらも行くべきだったのだ。

このエントリを書いた後、脳の中の記憶というメモリーからもお前を消すよ。
じゃあな!Y!そしてお幸せに。
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Author:安西爆弾
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