いわさきひろまさのブログが面白い

いつもWeb拍手ありがとうございます。
もう油の乗ったエピソードは残ってないので、単発のエントリばかりになります。
特に時間もかからないので、4月より更新ペースが上がるかもしれません。6月からはまた落ちます。

題名にあるいわさきひろまさとは誰なのか?
まずここから解説していく。

いわさきひろまさはゲームクリエイターである。
ゲームに詳しい人なら知っているだろう。とはいえ、最近の若い人は知らないんだろう。

何してた人かというと。

PCエンジンのイースI・IIと天外魔境IIを作った人。
電撃プレイステーションでレビューとコラム書いてた人。

これ書けば、「ああ、あの人か!?」とゲームオタクならピンと来ると思う。

2010年9月。たまたまGoogle検索していたら、この人のブログを見つけた。

Colorful Pieces of Game

あまりに面白くて、日曜日の午前中を全部使ってほぼ全部のエントリーを読んだ。

この人は、ゲームが大好きで、私より遥かに年上なので、(昔はマイコンのゲームを遊ぶためには自分でプログラムを書かなければならなかったので)自作して遊んでいた。

そして、ゲームライター業を経て、ゲーム業界(ハドソン)に入る。

普通ゲームを作る側に立つと、現実とのギャップや過酷な労働環境を体験してゲームを嫌いになったりするものだが、
この人が凄いのは、ゲーム好きなのは現役だということだ。もう40代だというのに、昔のゲームは当然ながら最近のゲームにも非常に詳しい。

開発環境の話が個人的に物凄く面白い。
以前に書いたが、私はプログラミングに興味があったが、勉強する機会がなかったので、こうやってネットで興味本位で見て調べたりする程度だ。

DOSの86系を使って、こうやってPCと開発機をつないでて...
この少ないメモリで、キャラパターンとメニュープログラムをxxkbyte使って、戦闘シーンは...
なんて言う話、普通の人が聞いても訳がわからないしつまらないと思うが、私は素人だがロマンに満ちた話に見えてわくわくして読んでいた(それでも知識のない人間では他のページ同様、わからない部分も多いのだが)

私の世代では、パソコンでプログラミングするという機会は殆ど無かった。
PCはWindows95が出てから買ったから、せいぜいDOSのコマンドプロンプトで直接データを呼び出すぐらいだった。

だいたい、1990年後半というと、PCゲーム衰退期であった。
PCゲーム=エロゲーと言っても差し支えないほどになっていた。

PCショップに置いてあったゲームも、PCゲームの花形だった日本ファルコムだって、
「英雄伝説III 白き魔女」という傑作を出したのが1994年12月、
人気作の続編、「英雄伝説IV 朱紅(あか)い雫」が2年後、1996年6月に出たが、
こっちは友達が買ってるのを見ていたが、おせじにも面白そうには見えなかった。
それどころか、私の見る目が確かならば、ク○ゲーにみえた。
といっても、人がやっているところをじっくり眺めていたわけではないので、この辺りはなんとも言えない。
断片的に見て「そう見えた」ってぐらいで、その限りでは、わざわざ自分で買ってまで遊びたいと思える魅力は少なくともなかった。

こんな感じでまっとうなPCゲームはイマイチになる一方で、エロゲーの存在感が増していった。

「同級生」「下級生」「To Haert」「Piaキャロットへようこそ!2」
私が知っているのだけで、これだけ出てくる。
もっとディープなやらしいゲームも沢山置いてあったので、実数はもっとあることになる。
「下級生」は友達が買い、「Piaキャロットへようこそ!2」はその友達が欲しくて欲しくて仕方がなくて私に買わせた。

これには一つ事情があって、PC環境がWindows95の登場によって劇的に変化したためだ。
それまでDOSベースで作られていたゲームが、今現在主流となっているOS上で動作するものに切り替わり、開発環境もその変化にさらされた。

この時期Win95用に開発されたゲームは、出来の悪いアプリケーションみたいなものばかりで、ゲームに没頭できるインターフェイスではなかった。
いちいちゲーム上の操作を確定させるのに、OSのメッセージウィンドウが真ん中にポンと出てきたり、全画面モードに切り替えて遊ぶことが出来ず、サイズが固定されていたり、ひどいものばかりだった。

いっぽう、同時期の家庭用ゲーム機もプレイステーションとセガサターンの登場で、環境が大きく変わっていた。
以前はプログラムにアセンブラを使っていたのを、C言語が主流となった。

おまけに多くの開発者は当時ROMカセットを媒体にゲームを作っていたが、CD-ROMになり、さらに3Dでポリゴン演算が求められるようになって、ゲームの作り方が土台から変化した。

例えばグラフィッカは、今までしこしこドットで1枚1枚キャラパターンを描いてたのが、その作業がポリゴンにとってかわりモデリングやらその上にテクスチャをはっつけるなど、作業体系が大幅に変わった。

CD-ROMでのゲーム制作経験がない多くのプログラマは、メモリとプログラム、ローディングとの戦いでゲームの仕様(どこでデータ読み込ませるか、どういう決まりごとでゲームを処理させるか)を決定させることに難儀した。

個人的には、いったんプレステの時代になって、いったんゲームが退化したように感じた。
まず前提として、ゲームを作っているのは人である。
いくらマシンが進化しても人がそれについていけなければ、ただの箱となる。

プレステ2が出て、2,3年経つぐらいまでにならないと、CD-ROMと3Dポリゴンを満足に活用したゲームが出てこなかったように思う。

本当はそこで1998年に出たドリームキャストで経験を積むことが大事だったのに、いきなりハイパワーで開発しづらいプレステ2に移行させてしまったせいで、ゲームが立ち直るのにだいぶ時間がかかったと感じている。

なぜ退化したかって言うと、一般の人はどこまで知っているのかわからないから説明がしづらいが、簡単に書くと。

ゲームのプログラムデータは機械のメモリーの上で動作する。
そしてゲームとは、ミニゲームの集合体のようなものだ。
RPGだったら、1枚のフィールドマップ。戦闘シーン。メニュー画面。
アクションゲームだったら、1つ1つのステージマップ。
これらを必要に応じてカセットやCD-ROMから読み込んでメモリ上で展開させることでゲームが成立する。

ROMカセットが主流だった頃、この読み出しを気にする必要がなかった。
なぜなら、アクセス時間は事実上無く、データを展開させる処理だけが必要で、上手くプログラムしてやればいくらでも早く出来た。
プレステ以前の旧世代機で、ここが最も遅いマシン(CPU)はスーパーファミコンなのだが、皆さんがご存知のとおり、アクセスが遅いなどの理由でこのゲーム機でストレスを感じたことはないと思う。

たまに聞いたこと無いメーカーの無名のゲームでやたら重いゲームがあったりするが、スーパーファミコンではそれが本来標準なのだ。
多くの開発者が関わったゲーム機なので、ノウハウが蓄積されて、使えるゲーム機へとなんとか進化させていった。

しかしCPUの重さはゲームを動作させる上で非常に大きなウエイトを占めているので、ごまかしきれなかった。
スーパーファミコンでは、アクションゲームやシューティングゲームのような動的なジャンルの処理は致命的に苦手だった。
思い出してみて欲しい、スーファミでシューティングゲームってどれほどでたか?
当時はまだ花形ジャンルの筆頭だったのにあまり数でなかったのは、苦手ジャンルだったからだ。

また、スーパーファミコンのアクションゲームはどれもどこかもっさりとした印象がないだろうか?
(任天堂のゲームはうまくごまかしていたのだが)
それはハードの性能がそうせざるを得ないスペックしか持ってなかったからだ。

話が逸れるが、ニンテンドーDSもこのへんが実にスーファミ的で、やればやるほどゲーム機としてひどいスペックを持っているゲーム機だった。
事情が違うので一概に言えないが、DSの画面切り替えが長かったり、アクションゲームで妙にもっさりしているのは、CPUのせいだ。

良く未だにマシンスペック論争している人らが、DSは解像度が、ポリゴンが、とかいってるけど、私から言わせればそんな問題ではない。

重い。ただこの一言で片付けられる。

それに、小耳に挟んだだけで事実確認をしていないのでなんともいえないが、あの2画面を制御するには相当に骨の折れるマシン性能しか持ってなかったらしく、扱いづらいゲーム機だったようだ。

この点では、私はゲームボーイアドバンスの軽い、ドット絵というところが、ゲーム機としてはずっと好きだった。
音源が弱いと言われるが、工夫次第でいくらでも良いものに出来た(なのに、参入メーカーは携帯ゲーム機だからと本腰をいれないから出来の悪いゲームしかあがってこなかった)。

話がかなりそれてしまったが...

ところが、これがCD-ROMになると、ROMカセットほど融通がきかないのだ。
今でこそ、ハードディスクを標準搭載したり物理的な搭載メモリが増えたことでそれなりに工夫できるレベルにはなっているが(それでもCD媒体だとメモリはどんだけあっても足りない世界らしい)

プレステの特に1と2は、ほんとうにメモリが少なく、その中にゲームを収めるのが大変だったのだ。
ソニーは性能重視で、金ばっかりかかるメモリをいつもケチる傾向にある。

ROMカセットの時は、必ずしもメモリ上に全部データを呼び出す必要はなかった。
というと語弊はあるが、カセットへ読み込みに行く処理が早いので、いくらでもごまかせたのだ。
例えば、アクションゲームでステージマップを呼び出すとき、かならず全てのマップをメモリに入れる必要はない。
2エリア、3エリア先のマップは、とうぶんアクセスすることは絶対にないので、その時が来るまでメモリには読み出さない。
それどころか、ここの中間ポイントで中ボスが出てくるけど、出てくるタイミングで読みこめばいいとかいくらでも融通が効いた。

これがCD-ROMだとそうはいかない。
1ステージマップは、絶対にメモリ上に収める必要がある。
収まりきらなかった場合、特定のタイミングでエリア切り替えの際、CDへ読み込みに行く時間を入れなければならない。
これが、プレステの時代は等倍速でかなり遅かったから、どう頑張ってもごまかせなかった。
プログラムを動作させながら、別のデータを読み込みに行く裏読みというテクニックも存在するが、バグが発生すると面倒なことになるし、ソニーの動作保証外ってことで、
これがプレステ後期にならないと正式に使わせてもらえなかった。

一部の大作ソフトでは例外的に使われていた。ファイナルファンタジーVIIは裏読みを使ってアクセス時間を短縮していた。
ドラクエVIIも読み込みがかなり短かったが、どうやればああいうふうに出来るのかというと、プログラムの腕もさることながら、
素人でわかることといえば、割り切って出来る限りデータを細切れに分割して、1マップごとに小さいデータを読み込むようにしてるってことだけだ。
マップの切り替えは異常に早かったが、戦闘シーンの切り替わりは意識してみるとそれと比べると多少長いはずだ。
なぜなら、そこだけはどう頑張っても軽量化させるのには限界があったからだ。

データの入れ替えが頻繁だからフリーズを起こしやすい。納得できただろうか?

これらの仕組みは、インターネットのネットサーフィンに似ている。
画像がなく文字データだけのページなら一瞬で読み込むが、画像や動画が盛りだくさんのページは読み込みにどうやっても時間がかかる。

乱暴に言えば、「そういうもの」なのだ。

そして、プレステ1という機械は、CPUやメモリが今では考えられないほど低スペックでネットサーフィンをしているって言うことだ。

逆にROMカセットというのは、ローカルでデータのやり取りをしているのに例えれる。
同じポリゴンを使ったゲームで、同時期のゲーム機でROMカセットを使っていたニンテンドー64の「ゼルダの伝説」は凄かった。
あのゲームにはダンジョンがあり、部屋が沢山あるが、メモリ上には一部屋のデータしか恐らく存在しない。
扉の前で扉を開くときに、次の部屋のデータを読み出している。少なくとも圧縮している。
あの短時間で、あのデータ量を展開している。
ROMカセットだとこういう芸当が出来るというわけだ。

こんなことを長々と書いたのは、プレステになってCD-ROM主体になって、明らかに一時的にではあるがゲームの処理能力の幅が狭まったから、退化したと言いたかったわけだ。

それにポリゴンが使えるようになって、なんでもできるようになってから、限られたスペックでスプライトを使った平面処理で一生懸命臨場感を演出していた夢と浪漫に満ちたゲームの時代は終わってしまった。

いわさき氏は、そんな夢とロマン溢れる時代に活躍したゲームクリエイターだ。
世間ではROMカセットが主流でCD-ROMでゲームを作るなんて一般的でなかった時代に、CD-ROMのゲームを作り、有名になった人だ。
それも、CD-ROMの特性をよく分かっている数少ない人なので、他の同時期のCD-ROMソフトより遥かに優れたゲームを生み出した。それがイースI・IIだ。

ブログでは、いかにしてCD-ROMを使ってイースI・IIを作られたのか?ということが、当事者にしかわからないエピソード満載で描かれている。
ここでは、さっきまで長々と私が書いたような30年ほんとうにゲームしかやってこなかっただけの信ぴょう性のない素人のつまらないプログラム話なんかよりよっぽど、信頼できる技術的な話が書かれている。
技術的な話よりも、ゲーム制作するうえでの裏話が中心なのでイースが好きな人、ゲーム好きな人でも楽しく読める読み物になっている。

このエントリーは書籍にまとめられかわいい女の子の表紙付きで同人誌になって売られている。

私はこの「イースI・II」を親父がゲームをやっていたこともあって、リアルタイムに遊んで感動したものだった。
でかい女の子の絵が表示されて、テレビから声が出てメッセージを喋ることに衝撃を受けた。

その後彼は天外魔境IIを作った。今は丁度その天外IIを作っていた頃の話を執筆中だ。
恐らく、夏ごろに完成し、これも書籍化されるのだろう。

そんなこともあって、私は彼を崇拝していた。
ただ、PCエンジンが終わった頃、彼のゲームクリエイターとしての活動はさっぱりなくなって、どうしているのかと思っていた。
電撃プレイステーションという雑誌でレビュアーをしているのは知っていたが、私はその雑誌を読まなかったし、どちらかというと本業のゲーム制作は何をしているのかのほうが気になっていた。
(元は電撃PCエンジンという雑誌でレビュアーをしていたが休刊になり電プレに異動した)

だが、インターネットというのは、見せるべきでない人間性まであらわになる。
私はいわさき氏は、ゲーム製作者としては崇拝できたが、人としては好きになれなかった。

彼はゲーム好きなのだが、彼もよくいるハードでゲームをえこひいきする人だったことにがっかりした。
私は電撃PSを読んでないので、彼の過激な発言はよく知らないのだが、やたらプレイステーションが好きなのはよくわかった。
PCエンジンを絶賛していたのは、私は開発のしやすさを評価していたのかと思っていたが実は違った。
彼はただハイスペックマシンに魅力を感じる体質の人間だっただけで、PCエンジンも当時CD-ROMでゲーム制作できる高性能マシンだったから絶賛していたのだ。

私はこの嗜好性をブログを読んでてうっすらわかってきたときにがっかりした。

ゲーム開発者だから、任天堂の殿様商売が好きになれないのはわかるが、あまりにプレステ好きすぎるのではないかと思う。
高性能マシンがそんなに好きなら、98年に出たドリキャスや、2001年のゲームキューブ、2002年出たXBOXが、当時最も最高峰の家庭用ゲームマシンだったんだから、ずっとプレステばかりじゃなく、興味がそっちに移るはずなのに、何故かそうならない。
それにXBOX360とPS3なんて、性能差なんてどっちもどっちなのに、何故かPS3ばかり持ち上げる。

ただFF8を高評価しているのは理解できた。
私も、RPGは進めるところまで強引に進みきり、どうにもならなくなったときだけレベルをあげる。
(私はサガみたいなシンボル型のゲームだと極力避けまくって進めたりするので、人と違った印象を持ってRPGをクリアすることが多く、2chなどで私のレビューが晒され見当違いだ!などと叩かれるのだ)

多くの人はLV上げることで強くなるという思い込みを持っているだろうが、それは多くのゲームがLVアップでステータスがあがるように作ってるからであって、必ずしもそうなるゲームばかりではない。
私やレビュアーやってたいわさき氏のように、人よりゲームを沢山やっている人は、一歩冷めた目でゲームを見る。
そのせいで、ゲームごとにシステムのクセがあり、そこを理解することでレベル上げよりも有利に進めることを感覚的にわかっている。
だからFF8は説明不足だけど、わかる人なら楽しいって言うレビューを書いたのだろう。

逆にときメモを大絶賛しているのは理解出来ない。
発売日に買った人間じゃないと楽しめなかったゲームっていうような書き方をして、反論の余地を封じているのも嫌いだ。
ときメモブームが来たのは知ってるけど、それはプレステで出てからだし、生粋のゲームオタクからは昔から、他と変わってて凝ってるけど、絵はいまいちだし話もつまらない微妙ゲーって言われていた。
ああやって一部の酔狂してる連中が持ち上げていて過大評価されているゲームなんて他にもたくさんある。
なぜ私よりゲームに精通していて開発者であるいわさき氏がそこまでときメモの肩を持つのか疑問でならない。
そこまでときメモに熱中したわりにPSPのときメモ4や、あれだけブームになったラブプラスもやってない(おそらくDSだからやらないのだろう)。

あと、彼のブログを読んでてずっと疑問に思っていたのだが。

なぜ1990年前後、札幌にあるハドソンという会社(桃鉄とかボンバーマンの会社)で楽しそうに仕事しているのに、彼はそこに入社せずフリーランスで活動しているのだろう?ということだった。

ハドソンを出た頃から、彼の活躍はサッパリ聞かなくなった。
私から言わせれば、フリーになったことで、自ら活躍の場を狭めている印象があった。
ゲーム開発者に望んでなったのなら、なぜもっと第一線に身を置き、モノを作り出すことに積極的にならなかったのか。

さて、話は変わるが。

私の中学の同級生でゲームクリエイターになった人がいる。
同窓会で会ってはっきりとは言わなかったが、そう言っていた。
しかも今年3月結婚までした。

その人は中学の時点では、体育系の部活に入ってて、ゲームもまあ普通に好きってレベルの、私から言わせれば一般人だった。

つまり、ゲームクリエイターになる上で、特にこれといった特徴はなかったのだ。
高校、大学入ってから徹底的にゲームを研究した、とかそういうことはあったかもしれないが、考えにくい。

本来なら私もこういう場で活躍していたはずだ。
というか、こういうトコロ以外で多分私は飯を食っていけないような人間だと思う(決めつけてるわけじゃないのであしからず)。

中学の時点で、どれだけゲームを触っていたか...。
ただやってただけでなく雑誌に載ってた開発コラムみたいなのも沢山読んでゲームの作り方とか見ていたし、
プログラム言語の勉強とか大学に入ってからでも間に合うのだったら、私も希望する学部にさえ入れれば人生につまずくことなんてなかったのに...。

一応、今より若い頃、GameWatchやファミ通のゲームライターの求人に応募したことはある。
今の惨状を見てもらえばわかると思うが、書類で落とされたが。
その時に私がやっているゲームレビューのサイトも履歴書の特技の欄に付けて送った(これが駄目だったという説もある)。

今となっては、というか高校生の頃に既に、別にゲーム業界に強烈に入りたいとは思わなくなっていた。
ただ学部だけはコンピューター系のところに行きたいとは思っていた。
中学の同窓会ひとつとってみても、なんて世の中は理不尽でわからないことだらけだと痛感させられている。

色々不満も書いてきたが、それでも私は冒頭のいわさきひろまさのブログを注目している。
同人誌を出したりアフィに力が入っているところが金目的でやってる感が初期より目に見えて増えてきて「なんだかなあ」と思うが、名のついた人間の特権だからしょうがないと割り切っている。
スポンサーサイト
プロフィール

安西爆弾

Author:安西爆弾
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR