伝えたいことがあって戻ってきました
職付いてない状態で、戻ってきても、どうせ叩かれるだけなので、
たかが個人ブログごときに戻るかどうかだけでも相当悩んだ上で戻ってきました。
生きていれば、なんで死んでないんだよ!!
死んだら死んだで、なんで死んだんだよ!!
こういう、ちょっと訳の分からないブログになってしまったので、
自分でも何をどう処理したら良いかわからなくなり、簡潔に書くと「戻ったら戻ったでめんどくせーな」
って思ってました。
しばらく離れて、そもそもブログの題名が「俺の人生はもう長くない」
冷静になって見ると吹き出してしまうブログタイトルです。
こうやって文章を書いてる時にも、笑いをこらえきれずに吹き出したほどです。
昔の自分は何を思ってこんな題名を名づけたのかと問い返したくなります。
戻りづらくなった原因を作ってしまったのは自分自身にあります。
いちいち予約投稿のことまで気にしてられなかったので。
余裕があれば、半年先などに先延ばしをしておいて、対応して離れたと思います。
さて、まえがきの言い訳はこれぐらいにしまして
4月からの4ヶ月間。色々な事がありました。
唐突ですが、自分は今まで、やりたいように生きてきました。
欲しいゲームや欲しいものがたくさんあったから中学2年の頃から新聞配達をして小遣いを自分で稼いでいました。
色んな物に興味を持ち、自分の欲求が満たされるまでひたすら執着する。そんな生き方をしていました。
そうやって生きてきたものの、ここ数年で、人生に行き詰まり動こうと思っても動けなくなりました。
世間的には、クズ人間、怠け者に分類される人間なんでしょう。
だから色々、自分なりにまっとうに生きるために努力したつもりです。
一年前の7月。
とにかく色んな人に相談しました。
軽度の鬱病であることから“障害者自立支援センター”だか、そんなところにまで相談しに行き、即日で知的障害者が働いている作業所で働くように手続きをとってもらい、
8月から3ヶ月間、作業所で過酷な労働をしました。
やめたのは、いくら仕事が無いからといっても、最低賃金以下で、知的障害者ばかりの中に自分が入って日中の時間をつぶすというのは間違っていると思ったからです。
そして最近。
さっきも書いたように、自分は基本的に本能のままに生きてきたので、やりたいことを我慢するみたいなことはあまりやったことがありませんでした。
しかし、まっとうに生きるために、自分を律する生活を始めました。
仕事も決まってないのに、不謹慎だから昼間から遊ばない。ゲームを禁止する。ネットもやらない。やっても余計なコトはしない。
まあ遊んでも、夜、寝る前1時間とかそんなん。
ゲーム、我慢できずやったとしても、既に知ってるゲーム、やってるゲーム。
そんな生活を始めると、ゲームに関しては、1日2日我慢したら、自然と気持ちが離れていく…というか、別にやらなくても問題ない状態にまではなる。
そうやって自分を娯楽から遠ざけることで、自然と現実の問題と向き合い、嫌でも仕事のことを考えて、動いて、結果を出せるだろうと言う思考性に基づいた判断です。
※というか、これは親父から口を酸っぱくするぐらい、ガキの頃から言われまくっていた。勉強しろ、から、職探せ、に変わっただけ。
※その考えが正しいと思わないから、これまでは実践すらせずに逆らっていただけ
だけど、自分を追い込んだりいじめたりしても、問題は簡単に解決しませんでした。
飽きるほどハローワークに通い、最後にはファイルが分厚くなるぐらい求人票を印刷し、やることがないから毎日、しかもわざわざ、ハローワークに行って、新着の求人を全部見る。そんな生活。
それでも仕事が決まらないって、ただ甘えてるだけじゃないのかと言う話になります。
そこで自分は初めて気づいたのです。仕事が決まらないんじゃなくて、自分の体が知らず知らずのうちに動かなくなっているんだということに。
この頃、自力で社会復帰しようと一番焦っていた頃、
自分を律する生活をしていたので、家に帰って何もやることがないと、すぐさま絶望感に襲われ、床にごろっと横たわり、ほぼ一日、そうやってふて寝をして、絶望と戦う日々。
これが本当に辛く、でも、遊ぶことを律していたので、ある意味、無気力でただただ何もせず時間だけが無駄に過ぎていく、本当の廃人のような生活をしていました。
そして、ある日。
こんな毎日、囚人のような生活をする努力は無意味だと、勝手に悟って、放浪の旅に出ることにしました。
※本当はこの考えになったきっかけは、違法駐車の出来事があってのことなんだけど、この出来事は本当に恥ずかしい話なので、詳しくは書かない
放浪の旅
実は二度目である。
去年の7月にも、突然家を出て、放浪の旅に出た。
あの時は、中途半端に家を出る目的もあったため、着替えやら色々適当に詰めた旅行かばんを背負ってあっちこっち放浪したから、移動するだけでもきつかった。
放浪しすぎて、足がパンパンに腫れて、家に帰った時は、3日間ぐらいまともに歩けなくなるぐらい酷使した。
その放浪の旅の直後に、障害者の作業所へ行った。
そして二回目の放浪の旅。
今度は何も持たないで外に出た。
正確には、財布だけ持ったけど、有り金は心もとなかった。
今回の放浪は、本当に覚悟していました。ある種“死ぬ儀式”だなと言う決意すらありました。
なまじ前回、無茶すればどうなるかも身体で感じていましたし、本当にやばくなったら無意識に家に帰ろうとするだろう、
でも今回は、本当にギリギリまでその逃げ道は使えないようにしようと、最初からできるだけ遠くの方に行くようにしました。
放浪の旅に出ると、ほんとうに色々なことを考える。
こんなことでしか、自分の気持ちを表現できない自分の無力さとか、こんな度胸はあるのに、なんで仕事は決めてこれないんだろうとか、
あとは、無意味な放浪の旅でまた時間を無駄に使っているなとか。
色々限界が来ても、死ぬ間際に流れてくるらしい走馬灯がいつまで待っても流れてこないので、自分で目に走馬灯を流して死を待つぐらい、色々限界まで挑戦した。
この、放浪の旅は、思い返すと、虚しくてつらいので、詳しくは書かない。
そして俺はまた戻ってきた
戻ってきて最初に考えたことは、止まったままの人生を動かすためには、どうすべきかということだった。
闇雲に動いたからって問題が解決するわけではなくて、ただ疲れただけだった。
とにかく、停滞した人生を動かしたい。
「じゃ、今すぐバイトぐらいすれば?」「いい歳なんだから、今すぐ家を出れば?」
そんな、すぐ思いつくようなことは、さんざん考えた。それがわかった上で動けなくなってつまづいているのだ。
バイトは、若い頃は抵抗なく金目当てで働くことはできていたのに、今はなぜか身体が動かない。
これまで受けて落ちた会社をバイトも含めて、洗いざらい思い出して書き出したりもした。
不採用にされた会社のことなんか思い出したくもないから、不採用の時点でその会社のことは忘れるようにしていた。
なんで古傷を自分でほじくり返すことをして屈辱的な気分に自分からなりにいっているんだろうと思った。
過去を振り返って、正しい選択をするために、そんな馬鹿なことをやったりもした。
こうやって色々考えた結果、俺は諦めた。
働かない=怠け者=悪
という烙印を社会から押されている以上、正攻法で俺に勝ち目はないことを認めた。
悔しかったが、俺は認めるしかなかった。
もはや屁理屈でしか無いが、俺の生き方が社会に認められない以上、その土俵で対等に渡り合おうというのが、そもそも無謀だったのだ。
どこかのアニメの迷ゼリフってわけじゃないが、「俺の価値をわかってくれる場所」を探すなり作るなりするしか無い。
そもそもソッチの方が無謀だっていう話もわかっている。
いい年齢になって、まだそんな若いガキンチョのような思考性にしか行かないから無能なんだという批判も真摯に受け止めるつもりだ。
だが、俺も改めて受けた会社を書き出して、自分でそれを直視して、
新卒から数えて11年間、社会から否定され続けて、
その事実を改めて見なおしてみて、
その結論に至ったのだった。
どうにもならない将来の事ばかり考えて悲観して怯えて何もしない時間を過ごすより
金にならなくてもいい、ただの遊びでもいい、とりあえずやりたいことやった方がいい
ホンキで思った。
あの地獄のような日々。
自分を縛り付けた無気力廃人の毎日を経験した俺にとって、建設的に生きるのはどっちかと問われると迷わず、遊びでもいいからなんかやりたいことやったほうがいいと答える。
幸い、無職やニートというのは、時間だけは沢山あるのだから。
その唯一の長所を、自分で潰してしまっては、全く意味が無い。
今は、ネットがあって、一生かけても全部見ることが出来ないぐらい動画がアップロードされてるし、日々更新されている。
違法動画だが、昔の名作ドラマ、アニメ、映画まで本来はTSUTAYAなりで金払ってレンタルしなきゃ見れないものまで、無料で見ることが出来る。ネットラジオも毎日更新されている。
興味とやる気、行動力さえあれば、金がなくて引きこもってても、その気になれば本当になんでも出来る。大抵のことは根気でやれる。
一昔前は、いや、数年前の俺にも言えるが…。
ネット動画生配信で、なんかつまらない奴が有名になって成り上がって金とか利益まで得てるということを痛烈に批判していた。
でも、それで食っていけたり、自己表現出来て本人が幸せを感じてるなら、ソレもありかなと本気で思い出している。
「俺がつまらないと感じた」のは、ただの主観であって、人が集まって金やモノのやりとりが出るということは、少なからずそこに価値があるからなのだろうし、その世界を無理に理解する必要もない。
それこそ余計なお世話という話になる。
“死ぬ儀式”
放浪の旅を終えて、俺は勝手に寿命を引き延ばしていた。
貯金が尽きて、家にもいられなくなるか、やる気が完全に無くなった時が、俺の本当の終わりなんだと勝手にかみしめた。
そうやって3月にばーちゃんも自殺したんだし、俺もダメだと思った時に、本能的に体が動いて野垂れ死ぬか命を絶ってるんだろう。
明日明後日のことすら不安なのに、今から2ヶ月3ヶ月先のことまで考えて後ろ向きになってどーすんだってことだ。
俺は幸せなことに、やりたいことだけは山のようにあった。
ガキの頃、欲しくても買えなかったゲームを自分の手でクリアすること
20代の頃、そういうゲームを買い集めてて、家に手を付けてないゲームが山ほどある
くたばる前に、あれだけ廃人プレイをしたFF11のメインシナリオを全部体験したい気持ちもある
今FF11は、一人でクリアできるゲームバランスに調節されて、この夢が現実のものとなっている
ゲームレビューはもうこれ以上やっても無意味だと思ってやめてしまったが、自費出版でもいいから書籍化してみたいなとか
同人でもなんでもいいから、俺の10年間の頑張りが利益になるなら、当面の活動資金になる価値があるなら、ダメ元で売り込んだりもしてみたいなとか
小説を書く。というか作り手に回る。
ちょうど1年前に思いついた構想に手を付けて、できれば1年で完成させたかったが、全然ダメだった。
文章は沢山書いてきたから、この路線ではやれると思ったのだが、なかなかはかどらなくて俺には向いてないなーと思わされる。
事実を淡々と書いていくレビューと違って、面白く書くっていうのが大変で、これが面白いかどうかの判断も自分だけ
それでも頑張って2万文字越えたかぐらいまでは書いたが、本当なら20万文字ぐらいは理想だった。
もっと書きやすい題材にチェンジするか、やり通すか!?こんなに自分との戦いになるとは思っていなかった。
デジカメでも持ってりゃ動画の撮影をしたい
約20年前から13年間やっていた新聞配達
いろんな場所で新聞配達をやった
昔の職場を歩いてただただ感傷に浸る
13年前にはここにこんなの建ってなかったとか、そんな独り言をボソボソ漏らしながら、そんな動画をユーチューブに載せるだけ
俺の生きた証をただ残したいという自己満動画
そして最後
金が無いからこそ関心を持ったのかもしれない
ふと、最近のフリーゲームにどんなものがあるのか興味をもった
目からうろこが出た
具体的な話は別の機会にしたいが、今は無料で、趣味で、ここまでのものが作れるのか!!という驚きがあった。
今更フリーゲームとか旬を逃してると、言われても仕方ないかもしれない
だが、俺の認識では、数年前のフリーゲームは、ほんの一握りが神がかったクオリティであって、それ以外は横並びで、中堅ラインが存在しない感じだった。
下手に昔のRPGツクールを触っていたせいもあるが、「ああ、ツクールのゲームね」って言う程度のものしか作れなかったし、そうやって言われる程度のものだった
作り手の燃えたぎった情熱がひしひしと伝わってくる作りこみに感動した
たまたま選んだゲームが良かっただけなのかもしれないが、そういうものに出会ってなんとも心が動かされた
何よりもどかしかったのは、フリーゲームの評判とか見てると、なんとも正当な評価を受けてない感じがした
こんなに出来が良いのに、ちょっとしたことでつまらないとか言われてたりすると本当に悲しくなる
勝手に注目される商業ゲームより、俺がオモシロイと思ったフリーゲームを語りたい
ぶっちゃけ、俺が戻ってきた理由の半分以上は、このブログで、俺がこれは面白いぜひやってくれ!!っていうフリーゲームを紹介するため
俺のことなんてどうでもいい、もし誰か、見てて、このブログがキッカケで商業化の流れとかなればいいなとか、そう言う気持ちになった
また、もちろんのこと、フリーゲームだけでなく、
なぜ、
どうして、
安西爆弾・衰弱という人間は、
ゲームというモノに異常に執着したのか!?興味をもったのか?!
その過去を、停滞した人生を歩んでいる今こそ紐解くべきだ!
殻に閉じこもって勝手に一人で納得するのではなく、
このブログを見ている(あるいはたまたま見に来た人)も含めて
大半は、ただゲームやってるだけじゃないかって話もある
だが、金を使わず、家にいても手軽にできることといったら、
いや、
手軽にできることの中から選ぶのなら、それでいいのんじゃないだろうか
ゲームだけでなく、もちろんブログも、そして、小説なんかも書いてたら時間が全然足りない
ブログは今自分が考えている、本当に伝えたいなと思ってること以外更新しないと思います
本当に伝えたいと思うことはドンドン更新していく
そんなスタンスでやっていく
つぎくたびれたときそれが俺の最後だ
たかが個人ブログごときに戻るかどうかだけでも相当悩んだ上で戻ってきました。
生きていれば、なんで死んでないんだよ!!
死んだら死んだで、なんで死んだんだよ!!
こういう、ちょっと訳の分からないブログになってしまったので、
自分でも何をどう処理したら良いかわからなくなり、簡潔に書くと「戻ったら戻ったでめんどくせーな」
って思ってました。
しばらく離れて、そもそもブログの題名が「俺の人生はもう長くない」
冷静になって見ると吹き出してしまうブログタイトルです。
こうやって文章を書いてる時にも、笑いをこらえきれずに吹き出したほどです。
昔の自分は何を思ってこんな題名を名づけたのかと問い返したくなります。
戻りづらくなった原因を作ってしまったのは自分自身にあります。
いちいち予約投稿のことまで気にしてられなかったので。
余裕があれば、半年先などに先延ばしをしておいて、対応して離れたと思います。
さて、まえがきの言い訳はこれぐらいにしまして
4月からの4ヶ月間。色々な事がありました。
唐突ですが、自分は今まで、やりたいように生きてきました。
欲しいゲームや欲しいものがたくさんあったから中学2年の頃から新聞配達をして小遣いを自分で稼いでいました。
色んな物に興味を持ち、自分の欲求が満たされるまでひたすら執着する。そんな生き方をしていました。
そうやって生きてきたものの、ここ数年で、人生に行き詰まり動こうと思っても動けなくなりました。
世間的には、クズ人間、怠け者に分類される人間なんでしょう。
だから色々、自分なりにまっとうに生きるために努力したつもりです。
一年前の7月。
とにかく色んな人に相談しました。
軽度の鬱病であることから“障害者自立支援センター”だか、そんなところにまで相談しに行き、即日で知的障害者が働いている作業所で働くように手続きをとってもらい、
8月から3ヶ月間、作業所で過酷な労働をしました。
やめたのは、いくら仕事が無いからといっても、最低賃金以下で、知的障害者ばかりの中に自分が入って日中の時間をつぶすというのは間違っていると思ったからです。
そして最近。
さっきも書いたように、自分は基本的に本能のままに生きてきたので、やりたいことを我慢するみたいなことはあまりやったことがありませんでした。
しかし、まっとうに生きるために、自分を律する生活を始めました。
仕事も決まってないのに、不謹慎だから昼間から遊ばない。ゲームを禁止する。ネットもやらない。やっても余計なコトはしない。
まあ遊んでも、夜、寝る前1時間とかそんなん。
ゲーム、我慢できずやったとしても、既に知ってるゲーム、やってるゲーム。
そんな生活を始めると、ゲームに関しては、1日2日我慢したら、自然と気持ちが離れていく…というか、別にやらなくても問題ない状態にまではなる。
そうやって自分を娯楽から遠ざけることで、自然と現実の問題と向き合い、嫌でも仕事のことを考えて、動いて、結果を出せるだろうと言う思考性に基づいた判断です。
※というか、これは親父から口を酸っぱくするぐらい、ガキの頃から言われまくっていた。勉強しろ、から、職探せ、に変わっただけ。
※その考えが正しいと思わないから、これまでは実践すらせずに逆らっていただけ
だけど、自分を追い込んだりいじめたりしても、問題は簡単に解決しませんでした。
飽きるほどハローワークに通い、最後にはファイルが分厚くなるぐらい求人票を印刷し、やることがないから毎日、しかもわざわざ、ハローワークに行って、新着の求人を全部見る。そんな生活。
それでも仕事が決まらないって、ただ甘えてるだけじゃないのかと言う話になります。
そこで自分は初めて気づいたのです。仕事が決まらないんじゃなくて、自分の体が知らず知らずのうちに動かなくなっているんだということに。
この頃、自力で社会復帰しようと一番焦っていた頃、
自分を律する生活をしていたので、家に帰って何もやることがないと、すぐさま絶望感に襲われ、床にごろっと横たわり、ほぼ一日、そうやってふて寝をして、絶望と戦う日々。
これが本当に辛く、でも、遊ぶことを律していたので、ある意味、無気力でただただ何もせず時間だけが無駄に過ぎていく、本当の廃人のような生活をしていました。
そして、ある日。
こんな毎日、囚人のような生活をする努力は無意味だと、勝手に悟って、放浪の旅に出ることにしました。
※本当はこの考えになったきっかけは、違法駐車の出来事があってのことなんだけど、この出来事は本当に恥ずかしい話なので、詳しくは書かない
放浪の旅
実は二度目である。
去年の7月にも、突然家を出て、放浪の旅に出た。
あの時は、中途半端に家を出る目的もあったため、着替えやら色々適当に詰めた旅行かばんを背負ってあっちこっち放浪したから、移動するだけでもきつかった。
放浪しすぎて、足がパンパンに腫れて、家に帰った時は、3日間ぐらいまともに歩けなくなるぐらい酷使した。
その放浪の旅の直後に、障害者の作業所へ行った。
そして二回目の放浪の旅。
今度は何も持たないで外に出た。
正確には、財布だけ持ったけど、有り金は心もとなかった。
今回の放浪は、本当に覚悟していました。ある種“死ぬ儀式”だなと言う決意すらありました。
なまじ前回、無茶すればどうなるかも身体で感じていましたし、本当にやばくなったら無意識に家に帰ろうとするだろう、
でも今回は、本当にギリギリまでその逃げ道は使えないようにしようと、最初からできるだけ遠くの方に行くようにしました。
放浪の旅に出ると、ほんとうに色々なことを考える。
こんなことでしか、自分の気持ちを表現できない自分の無力さとか、こんな度胸はあるのに、なんで仕事は決めてこれないんだろうとか、
あとは、無意味な放浪の旅でまた時間を無駄に使っているなとか。
色々限界が来ても、死ぬ間際に流れてくるらしい走馬灯がいつまで待っても流れてこないので、自分で目に走馬灯を流して死を待つぐらい、色々限界まで挑戦した。
この、放浪の旅は、思い返すと、虚しくてつらいので、詳しくは書かない。
そして俺はまた戻ってきた
戻ってきて最初に考えたことは、止まったままの人生を動かすためには、どうすべきかということだった。
闇雲に動いたからって問題が解決するわけではなくて、ただ疲れただけだった。
とにかく、停滞した人生を動かしたい。
「じゃ、今すぐバイトぐらいすれば?」「いい歳なんだから、今すぐ家を出れば?」
そんな、すぐ思いつくようなことは、さんざん考えた。それがわかった上で動けなくなってつまづいているのだ。
バイトは、若い頃は抵抗なく金目当てで働くことはできていたのに、今はなぜか身体が動かない。
これまで受けて落ちた会社をバイトも含めて、洗いざらい思い出して書き出したりもした。
不採用にされた会社のことなんか思い出したくもないから、不採用の時点でその会社のことは忘れるようにしていた。
なんで古傷を自分でほじくり返すことをして屈辱的な気分に自分からなりにいっているんだろうと思った。
過去を振り返って、正しい選択をするために、そんな馬鹿なことをやったりもした。
こうやって色々考えた結果、俺は諦めた。
働かない=怠け者=悪
という烙印を社会から押されている以上、正攻法で俺に勝ち目はないことを認めた。
悔しかったが、俺は認めるしかなかった。
もはや屁理屈でしか無いが、俺の生き方が社会に認められない以上、その土俵で対等に渡り合おうというのが、そもそも無謀だったのだ。
どこかのアニメの迷ゼリフってわけじゃないが、「俺の価値をわかってくれる場所」を探すなり作るなりするしか無い。
そもそもソッチの方が無謀だっていう話もわかっている。
いい年齢になって、まだそんな若いガキンチョのような思考性にしか行かないから無能なんだという批判も真摯に受け止めるつもりだ。
だが、俺も改めて受けた会社を書き出して、自分でそれを直視して、
新卒から数えて11年間、社会から否定され続けて、
その事実を改めて見なおしてみて、
その結論に至ったのだった。
どうにもならない将来の事ばかり考えて悲観して怯えて何もしない時間を過ごすより
金にならなくてもいい、ただの遊びでもいい、とりあえずやりたいことやった方がいい
ホンキで思った。
あの地獄のような日々。
自分を縛り付けた無気力廃人の毎日を経験した俺にとって、建設的に生きるのはどっちかと問われると迷わず、遊びでもいいからなんかやりたいことやったほうがいいと答える。
幸い、無職やニートというのは、時間だけは沢山あるのだから。
その唯一の長所を、自分で潰してしまっては、全く意味が無い。
今は、ネットがあって、一生かけても全部見ることが出来ないぐらい動画がアップロードされてるし、日々更新されている。
違法動画だが、昔の名作ドラマ、アニメ、映画まで本来はTSUTAYAなりで金払ってレンタルしなきゃ見れないものまで、無料で見ることが出来る。ネットラジオも毎日更新されている。
興味とやる気、行動力さえあれば、金がなくて引きこもってても、その気になれば本当になんでも出来る。大抵のことは根気でやれる。
一昔前は、いや、数年前の俺にも言えるが…。
ネット動画生配信で、なんかつまらない奴が有名になって成り上がって金とか利益まで得てるということを痛烈に批判していた。
でも、それで食っていけたり、自己表現出来て本人が幸せを感じてるなら、ソレもありかなと本気で思い出している。
「俺がつまらないと感じた」のは、ただの主観であって、人が集まって金やモノのやりとりが出るということは、少なからずそこに価値があるからなのだろうし、その世界を無理に理解する必要もない。
それこそ余計なお世話という話になる。
“死ぬ儀式”
放浪の旅を終えて、俺は勝手に寿命を引き延ばしていた。
貯金が尽きて、家にもいられなくなるか、やる気が完全に無くなった時が、俺の本当の終わりなんだと勝手にかみしめた。
そうやって3月にばーちゃんも自殺したんだし、俺もダメだと思った時に、本能的に体が動いて野垂れ死ぬか命を絶ってるんだろう。
明日明後日のことすら不安なのに、今から2ヶ月3ヶ月先のことまで考えて後ろ向きになってどーすんだってことだ。
俺は幸せなことに、やりたいことだけは山のようにあった。
ガキの頃、欲しくても買えなかったゲームを自分の手でクリアすること
20代の頃、そういうゲームを買い集めてて、家に手を付けてないゲームが山ほどある
くたばる前に、あれだけ廃人プレイをしたFF11のメインシナリオを全部体験したい気持ちもある
今FF11は、一人でクリアできるゲームバランスに調節されて、この夢が現実のものとなっている
ゲームレビューはもうこれ以上やっても無意味だと思ってやめてしまったが、自費出版でもいいから書籍化してみたいなとか
同人でもなんでもいいから、俺の10年間の頑張りが利益になるなら、当面の活動資金になる価値があるなら、ダメ元で売り込んだりもしてみたいなとか
小説を書く。というか作り手に回る。
ちょうど1年前に思いついた構想に手を付けて、できれば1年で完成させたかったが、全然ダメだった。
文章は沢山書いてきたから、この路線ではやれると思ったのだが、なかなかはかどらなくて俺には向いてないなーと思わされる。
事実を淡々と書いていくレビューと違って、面白く書くっていうのが大変で、これが面白いかどうかの判断も自分だけ
それでも頑張って2万文字越えたかぐらいまでは書いたが、本当なら20万文字ぐらいは理想だった。
もっと書きやすい題材にチェンジするか、やり通すか!?こんなに自分との戦いになるとは思っていなかった。
デジカメでも持ってりゃ動画の撮影をしたい
約20年前から13年間やっていた新聞配達
いろんな場所で新聞配達をやった
昔の職場を歩いてただただ感傷に浸る
13年前にはここにこんなの建ってなかったとか、そんな独り言をボソボソ漏らしながら、そんな動画をユーチューブに載せるだけ
俺の生きた証をただ残したいという自己満動画
そして最後
金が無いからこそ関心を持ったのかもしれない
ふと、最近のフリーゲームにどんなものがあるのか興味をもった
目からうろこが出た
具体的な話は別の機会にしたいが、今は無料で、趣味で、ここまでのものが作れるのか!!という驚きがあった。
今更フリーゲームとか旬を逃してると、言われても仕方ないかもしれない
だが、俺の認識では、数年前のフリーゲームは、ほんの一握りが神がかったクオリティであって、それ以外は横並びで、中堅ラインが存在しない感じだった。
下手に昔のRPGツクールを触っていたせいもあるが、「ああ、ツクールのゲームね」って言う程度のものしか作れなかったし、そうやって言われる程度のものだった
作り手の燃えたぎった情熱がひしひしと伝わってくる作りこみに感動した
たまたま選んだゲームが良かっただけなのかもしれないが、そういうものに出会ってなんとも心が動かされた
何よりもどかしかったのは、フリーゲームの評判とか見てると、なんとも正当な評価を受けてない感じがした
こんなに出来が良いのに、ちょっとしたことでつまらないとか言われてたりすると本当に悲しくなる
勝手に注目される商業ゲームより、俺がオモシロイと思ったフリーゲームを語りたい
ぶっちゃけ、俺が戻ってきた理由の半分以上は、このブログで、俺がこれは面白いぜひやってくれ!!っていうフリーゲームを紹介するため
俺のことなんてどうでもいい、もし誰か、見てて、このブログがキッカケで商業化の流れとかなればいいなとか、そう言う気持ちになった
また、もちろんのこと、フリーゲームだけでなく、
なぜ、
どうして、
安西爆弾・衰弱という人間は、
ゲームというモノに異常に執着したのか!?興味をもったのか?!
その過去を、停滞した人生を歩んでいる今こそ紐解くべきだ!
殻に閉じこもって勝手に一人で納得するのではなく、
このブログを見ている(あるいはたまたま見に来た人)も含めて
大半は、ただゲームやってるだけじゃないかって話もある
だが、金を使わず、家にいても手軽にできることといったら、
いや、
手軽にできることの中から選ぶのなら、それでいいのんじゃないだろうか
ゲームだけでなく、もちろんブログも、そして、小説なんかも書いてたら時間が全然足りない
ブログは今自分が考えている、本当に伝えたいなと思ってること以外更新しないと思います
本当に伝えたいと思うことはドンドン更新していく
そんなスタンスでやっていく
つぎくたびれたときそれが俺の最後だ
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