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ここは俺の日記帳だから、好きなことを書いてもいいよな。 俺の全てをさらけ出す!!(前編)

高校生の時の三者面談の時の話だ。

俺は、将来の進路として、ゲームクリエイターになりたいみたいな話をたどたどしくした。

10代の当時から、俺はこの職業しか無いと思っていた。

だが、言い方としては絶対ゲーム業界に入るみたいな言い方ではなかった。

今で言うIT業界とかエンジニアみたいな視野の広い伝え方をしたかったものだった。

要は、ゲーム業界一本ではなく、機械いじれりゃなんでもいい的な話だ。

だが、当時はまだITなんて便利な言葉がなく、パソコンやネットも一般的ではない。
その意志を、伝えることが、まず大変だった。

というか、当時の10代の俺じゃ、うまく伝えられなかったのは明白だった。

俺は、ある意味でバカになりきれなかったことが失敗だと思っている。

同年代で周りでゲーム業界入ってゲーム作りたいと言う人はやっぱりいたものだった。

それは、このブログでも何度か書いているが、ドラクエやFFやマリオとかそういうゲームをやって
(当時の価値観では間違いなく)勘違い系で、俺もこんなゲーム作りたい!!から大体始まっている。

そういう人たちというのは、ドラクエやFFやマリオ、、あるいはロックマン
それしか見てない。
出てきた作品しか見てないから、言い方は悪いが視野が狭いのだ。

この時点では、出来上がったものしか見てないのだから、ゲームがどのように作られているのか、どういう仕組みで動いているのか
といったことは大半がわからないままだろう。

だが俺は下手に頭でっかちであった。

俺は子供の時から親が買ってくる大人向けのゲーム雑誌とかPC雑誌もどきのものを読んでいた。
その中にはゲーム会社訪問とか、開発者コラムの記事もたくさんあった。当然俺はそういうのも目を通していた。

だから、1990年代の当時、いかにゲーム業界に入ることが異質で大変なことだというのが頭ではわかっていた。
(そしてその世界が、当時としては社会の落ちこぼれ、吹き溜まりの集まりである認識もわかっていた)

そこで進路相談では、ゲーム業界とエンジニア的な仕事をやりたいみたいな話をしたのだった。

そしてこの時、俺にとって分が悪かったのは、当時の担任が、珍しく、こういうオタク文化に詳しかったことだった。

その世界を知っていれば知っているほど、1990年代の当時に、ゲーム業界に行こうということが勧められない特異な世界であることを知っていた。

今では信じられない価値観かも知れない。
まだパソコンもネットも普及してなく、メディアは新聞とテレビが完全に掌握していて、携帯電話は出始めの時代。
口では、このさき情報化社会で世の中が変わるとは教師たちは言っているものの、頭ではそれを受け入れることが出来ていない。

何か、学年通信とか、そういう文書では、今の時代はどこかおかしい、昔はよかった的なことが、だいたい書かれていた。

俺は担任の先生に説き伏せられた。

「ゲーム業界っていうのはね、ゲームが好きな人が行くようなところじゃないんだよ」

そして、当時大ヒットしていたグランツーリスモや爆走デコトラ伝説などを例にあげて、丁寧に説明してくれた。

「このようにね、どちらかと言うと、“ゲーム”を趣味にしている人よりも、それとは全く関係ない人が、業界に入ってきて、ヒット作を生み出しているんだ」

先生の指導は、的確だった。

「キミに、ゲーム以外の誰にも負けない趣味ってあるの?」

当時は、初代のプレイステーションが全盛期の時代で、ゲーム業界も価値観が激変していた。
この先生が言うように、これまでゲーム業界に入ってきたことのない人種の人達が入ってきて、違った切り口、趣味の世界をゲームに表現したようなものが売れていた。

だが、それは、御存知の通り、一過性にすぎないものであった。いわゆる一発屋で終わっていった。

先生が俺を止めた理由は、成績が良かったからだった。

俺は中途半端に勉強していて、何もやってない人より成績が良かったから、まっとうな道に進ませたがっていた。

「成績悪くないし、教育大行って、学校の先生になるのはどうだ?」

こう勧められた。

俺は、ガラじゃねえと、その時思った。
俺がガキのおもりをしたり、教える側に回るなんてありえないと思った。これは今でも思っている。

ただ、この先生を俺は、恨んでいるとかはない。
この三者面談だけを見れば、今の価値観から見れば、ズレた指導でもあったかもしれない。

だが、それは別にしても、俺はこの先生に勧められたおかげで、昼休みに自主的にコンピュータ室に行ってタイピングの練習したり、エクセル、ワードの使い方を、毎日勉強していた。そして最後には資格までとった。

俺はこの頃から、家に自分用のPC(ただし性能は当時から見ても凄く低い)があったが、とてもじゃないがPCの使い方を勉強しようなんて気持ちにはなれなかった。

友達と駅前行ってカラオケやゲーセンで遊んだり、新聞配達(夕刊)をしていたから、18時まで自由時間がやって来ない。忙しかったのだ。

新聞配達終わって、家ついて18時。そこからテレ東のアニメ見るのが日課で、ご飯食べながらテレビ見て、
風呂はいった後には見たいドラマがある曜日はそれを見る、合間に宿題やらをして、夜遅くからゲーム。

俺は中学2年の時から新聞配達をしていたから、自由時間が少なく、なんか、今思うと中年サラリーマンみたいな生活習慣を中学、高校生の時から送っていた。

なぜ恥ずかしげもなく、進路相談の時に、ゲーム業界に行きたいみたいな話をしたのか。

10代のあの頃から、俺は、薄々と、それ以外のことはやれそうにないなと思っていた。

しかし、しょせん人生経験のない、若造の確信である。

自分自身も、その考えに自信が持てないのだ。

そうしたいからといって、プログラムを勉強してマスターして、なんか一本ゲーム作ったりしてたとかもない。

せいぜい、当時の俺は、スーファミのRPGツクールの1と2を中途半端にいじりまわして、馬鹿なイベントを作っていたぐらいだった。

こういう、昔思っていた考えが確信に変わるのは、やはり年月を経て結果が出た時だ。そこで初めて答えがわかる。
だがその時点では、もう遅いのだ。



俺が生きていて楽しかったのは、2008年ぐらいまでだ。
それ以降というのは、何も楽しいことがない、苦痛だらけの毎日だった。
気づけば、眉間にしわが寄り、口をとがらせた不機嫌な顔になってる。

いつもそうだ。

その表情が、いつの間にか癖になってしまっている。

2007年4月。なんでも実況Vというところでゲーム実況配信をやり始めた。
最初の数回は、全然見に来る人がいなかった。

その数回は、初心者向けの配信総合スレッドというものがあり、そこで配信していた。

びっくりするぐらい見てもらえなかった。
日によっては、ずっと0人で、完全に独り言配信になっていた時もあった。

凄く落ち込んだものだ。

途中で嫌になって喋るのを辞めたり、しまいにはゲームをやめてニコ動の動画を見始めるなんてこともやっていた。
(なんでも実況Vの頃の俺を知っている人でも、この頃のことを知っている人は皆無だろう。そうやってやさぐれてもコメント0とかだった。ちなみにその時の動画はまだ残ってる)

それで、ゴールデンウィーク明けの5月初め。
配信するために買った8000円のキャプチャーボードも勿体無いし、最後にやけっぱちで無名の人間だが、スレッドを立てて配信をしてみた。

すると、沢山の人が見に来て配信が盛り上がった。

一ヶ月もそれを続ければ、配信すれば必ず100人以上が集まり、コメントがどんどん書き込まれて凄く盛り上がる。

それも、いつも深夜1時から早朝4時半ぐらいまでの時間にもかかわらずだ。

こんな時間帯にやっていたのは、生の動画配信なんて、親の寝静まった深夜にしかやれなかったためだ。

部屋で一人、ゲームやって騒いでいる姿。
2007年当時からしてみたら、まず理解できないことだし、それでお金がもらえてるわけでもない。
10年経った今なら、これでお金が稼げるんだとでも言えば、説得終了となるかもしれないが、10年前はその概念すら無かった。

そして俺は新聞配達(朝刊)をやっていたため、最長でも配信できる時間は4時半までだった。
終わらせた後、寝ずに仕事場に行き、1時間ちょっとだが仕事をして、帰ってきて寝る。

そんな生活をしていた。

完全に昼夜逆転の徹夜生活だったが、あの頃は若かったし楽しくてやってたからそれほどきつくはなかった。
もちろん、連日それを続けるのはやはりきつく、昼間に猛烈な睡魔に襲われたりしたものだが。

この頃は、フリーター3年目で、金もなくてキツくなってきてたし、一番親が就職しろとうるさかった時期で、実は相当精神的に苦しかったし、参っていた。

そんな時期に、掴みかけた成功体験を、俺はあっさりと捨て去ってしまったのだった。

なぜなら、それが“成功”だとわからなかったからだ。

動画でお金が稼げるだとかYoutuberだとか、ゲーム実況者だとかって概念が生まれたのはそれからおよそ5年後ぐらいだ。
当時から、そういうことはやれていたけども、それは一部のパソコンオタクの道楽みたいなもので、これが金になるなんて誰も思っていなかった。
(なにせ、大半のゲーム実況配信者は、エミュレータで違法ROMで配信するのが当たり前の世界だった。俺は違ったが)

だけども俺は、これをなんとかお金稼ぎに結び付けられないかと考えていた。

そこでまず考えたのは、「なんでも実況V」以外での活動だった。
なぜなら俺が来た頃から「なんでも実況V」という場所は衰退がゆっくりと始まっていた。
大体、これを読まれてる方でも、「なんでも実況Vって何?」と思われるだろうと思う。
それぐらいマイナーな場所だった。
こんなところだけで閉じこもって盛り上がっていたって、そこから発展することは何もないことはわかっていた。

そして俺は、いつも親との関係性のせいで、深夜の決まった時間にしか配信ができなかった。とても不自由な状態だった。

生で配信するのは、時間という制約があるために、それにこだわるのは良くないと思った。

そこで俺は、生で配信した動画を編集してYoutubeに上げたり、ちょうどニコニコ動画でも出始めていた、いわゆる録画形式のゲーム実況動画に参入したいと考えていた。

そうやって「なんでも実況V」で約1年ぐらい(休止期間もかなりあったため実質的にはもっと短い)配信し続けて、固定客も出来てきた頃。

2008年5月の事だった。

「俺は、ニコ動の実況動画をやりたいと思ってる」

いつもどおり、配信をしている時に、不意に俺は見ている人たちに問いかけた。

そうすると、コメントは否定的な反応で占められた。

「あんな気持ち悪い所行くなよ」
「独り言動画をあげて何が楽しいの」
「なん実(なんでも実況Vのこと)でいいじゃん。UG(俺の名前)はどこへ行こうとしてるんだ?」
「フタエノキワミアッー!!とかでここが汚れるのは嫌だからな」
「お前があそこで動画あげたって過疎るのがオチだって」

散々ないわれようだった。

そうして、固定客の大反対にあって、俺はニコ動参入を諦めたのだった。

その後、俺は、「なんでも実況V」のキャパシティに限界を感じて、peercastに移行する。
しかし、ここでも生配信にこだわったために、どんどん固定客は減り続け、ジリ貧になるばかりであった。

そしてうまく行かず動画配信も、昔は楽しかったのが、コメントも来なくなり見に来る人も減り、つまらなくなった俺は2010年8月に引退してしまった。

俺の体験談を読んで、なんかところどころ2016年の今となっては信じられない箇所もあるかもしれないが、全て事実だ。

今なら、生配信で人が100人も来て、配信を始めればコメントがダアーーーっと書き込まれるぐらいの勢いがあるのなら、凄いと言われるだろう。

そして、今度は生だけじゃなく、ニコ動やらYoutubeやらにも活動の場を広げたいと言えば、見に来てる人たちも全員が反対はしなかっただろうと思う。

だけども、2007年2008年の時点では、ゲーム実況の知名度、影響力、力関係なんてのは、所詮遊びのレベルだったのだ。

だから当時の俺は、これを成功体験と思って、楽しいからこれで生きていきたいとか、力を入れたいとも思わなかった。
楽しいかもしれないが、すぐに飽きが来る。飽きる理由の一つは金にならないからだ。

金が稼げることがわかっていれば、資本主義のこの世界、頑張ろうとするだろうが、それがないと、人はどこかで無駄だと思ってやめてしまうのだ。

俺が生配信にこだわらず、色々やりたいと考えてた当時の判断は、今の尺度で言えば、多くの人間が正しいと考えるだろう。

あとは、当時の友達にも、こういう実況動画で飯を食って行きたいと思ってると真顔で言ったこともあった。
当然、何を言ってるんだお前という反応をされた。

俺がニコ動だけじゃなくYoutubeにも目をつけていたのは、当時から海外ではYoutubeタレントという人間が、既に何人か排出されていたからだった。

2007年2008年の日本国内では、動画サイトのシェアはニコニコ動画が圧倒的だった記憶がある。これは体感であって、何か具体的に計測したわけではないことを断っておく。

日本ではYoutubeは、全然普及してなくて、日本国内でニコニコ動画というサイトが出来たから、みんなそっちを注目していた。

だが、俺はYoutubeにも注目していた。

2008年ころまでの俺は生きている実感があった。嫌なことも多かったが楽しいこともあった。

例えば、一緒に遊ぶ友達もいた。まだ若かった。

仕事がなくてあぶれてる同い年の奴らで集まって毎日夜遅くまで、どっかの家でゲームしたり、ドライブ行ったり、ゲーセン行ったりしてた。
河川敷でサッカーとかもやってた。金が無いから金が必要ない遊びばかりやってた。

友達の一人に妹がいた。当時女子高生だった。凄く可愛かった。周りの友達がみんな狙っていた。
俺も狙っていた。

俺も付き合ってもらうほどの関係にはならなかったが、遊び友達として一緒に遊んだりした。
俺の人生で、可愛い女の子とお近づきになって遊んだのはこれが最初で最後だ。

車に乗って長距離ドライブをするが、長時間隣りに座っていたり、大した親しくはなかったのだが、一緒に話をしたり、バレンタインには手作りのチョコを家にまで持って来てくれたりもした。

悔しかったのは、この時期俺は体調が悪く(確かインフルエンザと風邪を連続で引いて、1ヶ月ぐらい遊ぶことが出来なかったのだ)
直接チョコを受け取れなかった。お返しもできなかった。

ゲーセンでは、いつも俺はマジックアカデミーというクイズゲームをやっていたが、この子が居る時はいつも相席で一緒に遊んでいた。
他人が見たら、カップルと見間違ってもおかしくないほどのシチュエーションを俺は堪能することができていた。

この子は相当可愛かったんだろう、バイト先(コンビニ)でも客が携帯番号を聞いてきたり、番号を押し付けたりしてきたらしい。
そして高校卒業後、この子はすぐに結婚して子供を産んだ。結婚後(2009年)俺は一度も会ったことはない。

動画配信の俺を知っている人ならピンとくるだろうが、この子こそ、良く言っていたマイちゃんだ。

だが、こんな楽しいことも、2008年を境に段々無くなって、とうとう2010年には何もなくなった。

無だ。俺の人生が無を支配し始めた瞬間だ。

その一つのきっかけが、新聞販売店への就職だった。

周りに就職しろと散々言われて怒られていた俺は、この時、中学2年から13年ずっと続けていた新聞販売店へ正社員登用を狙っていた。
普通に就職活動しても全部落とされるし、フルタイムのバイトですら満足に受からない酷い有様だったからだ。

だが、いざそれが叶っても、ちっとも楽しくない。嬉しくない。

2008年10月のことだった。

正社員ではなく契約社員だが月給25万だし、仕事内容はほぼ正社員と変わらない水準だった。

契約社員に登用されたのは完全に運だった。長く務めていたからというのはもちろんあるだろうが、
この長く務めていた会社が廃業して、別会社に変わったからだった。

誰が聞いてもありがたい嬉しい話だ。

だが俺は頑張れなかった。

そこでの話はごちゃごちゃここでは書かないが、たった半年で俺はやめた。きつい仕事に耐え切れなかったからだ。

今の俺なら、もっと長く務めるような方向を考えたのだろうが、なにせ当時の俺は若かったから簡単にやめてしまうのだった。

色々あった。仕事がキツかっただけじゃない。
ピンポイントに書けば、家のこともやらなきゃならなかった、朝早いから21時には寝ろと言われていたが、寝ることが出来なかった。
家の妹の世話をしなけりゃならなかったからだ。
親も、協力的じゃなかった。朝刊配達の延長線上としか考えてなかったから、家の家事手伝いもきつくてもやらされていた。
それと、当時の俺は契約社員としての仕事と、バイトの新聞配達員としての仕事を両方やっていたので、超絶忙しかった。

この半年間、祝日以外は毎日会社に行っていた。その分給料も高かったが、体が持たなかった。

繁忙期は忙しすぎて、その時期何をやっていたのか時系列でどうしても思い出す事ができないほど忙しかった。

新聞販売店に一度就職して、やめてからというもの、一時期忙しくしてたこともあって、友達とも疎遠になった。遊ぶこともなくなった。
動画配信も途絶えて、配信頻度は落ちて半引退状態になっていった。

それでも金は必要になる。働かなきゃならない。そしてどっかバイト探したりするが、もともとどこ行っても落とされる身だった。
市役所の臨時職員ぐらいしか雇用先がなかった。

しかたがないのでそこで働いた。

金は入ったが時間を無駄にしたと感じた。

俺は、一年前ホリエモンが近畿大学で伝説のスピーチをしたのを見てから、ホリエモンを崇拝しているが、崇拝している理由は、これまで書いてきた人生経験から来ている。



就職できれば一生安泰で偉いのか?

俺はホリエモンほど思考が振り切れてないので、会社に就職することを目指すことを今も悪いこととは思ってない。
それに関してのことは後で詳しく書く。

就職して、働いて、金が入ってきて、自立して生活できる。
それは偉いことだ。

だが、そのプロセスが楽しくないと、生きている意味があるのか?

ただ、空虚なだけの毎日を過ごし続けた俺は、そう感じるようになった。

新聞販売店に正社員登用して入ったけど、仕事自体は全然楽しくなくて苦痛でキツくてやめて、
その後、行き場がなくて仕方なく市役所の臨時職員をやったが、そこで得られるものは金以外本当に何もなかった。

俺の人生を読んでみて、新聞販売店に入社する前と後で、どっちが充実しているとこれを読んでいる人は考えるだろうか。

仕事がある、金も入ってくる、だから自立した生活が出来ただろう、後の人生のほうが、充実してるだろうか。

それは、他人から見て偉い人生観だったかもしれないが、あとに残るものは何もない(と俺は感じている)

いっぽう、若い時しか、若いからできていたのかもしれないが、面白いことを探してきて、風来坊みたいな生活をしてた
新聞販売店に入る前の人生

奇跡の連続で成り立っていただけかもしれないが、生きてる実感があったのは間違いなくこっちだ。

またいつもの、仕事がどうとか重い話になっていった。
ちょっといいたいのは、俺は就職が悪いこととは一片も思ってない。
風来坊みたいに好きなことして生きるのだって、就職して働くのと同じ努力を要求されると思っている(場合によってはそれ以上の労力を求められている)

俺は、成功体験がすごく重要だとこの話を通して言いたい。

俺の場合はここまで長々と書いてきたが、レビューサイトやったけどダメで、最近も色々、小説書いてもダメで、何をやってもさっぱりダメだが、2007年に動画配信をやった時だけは、凄く人が集まってきて盛り上がって大成功を収めた。

俺の成功体験というのはつまりこれだ。

ちょっと前に、ビートたけしのTVタックルで引きこもりをテーマにした回があったのを、見た人がいるだろうか。
(とても話題になったためYoutubeで、録画が見られると思うが)

引きこもりと、それを更生させる施設の是非はここではどうでもよくて、番組の中でたけしと千原ジュニアが話していたことを引用したい。

あの、世界的スターのビートたけしも、駆け出しの頃は、うまく行かなくて悩んでいた。
演芸場で始めたばかりの頃、うまく行かなくて、2回目か3回目の公演の時に、ネタ書くのも嫌で出番をすっぽかしたのだそうだ。
すると、当時の支配人が、まだ無名のツービートのビートたけしをわざわざ探してこう言ったのだそうだ。

「お前は面白いんだから、戻ってちゃんとネタ書け」

この一言があってビートたけしは自信をつけて、お笑いの世界に入っていった。

そして千原ジュニアは、引きこもりで、友達に呼びだされて吉本の養成所に嫌々入れられて、流れで舞台に立たされることになった。
そこで初めてネタを人前で披露したら、鼓膜が揺れるほど爆笑して、気持ちよくなったという話だ。

俺はこの、成功体験がすごく重要だと思っている。

そしてこの成功体験は、特別な出来事である必要はない。

就職活動をしてどこかの企業に採用されることも、俺は成功体験の一つだと考えていいと思っている。

なんかやってみて、褒められたとかうまく行ったから、それを続けていく。
それが成功体験の重要性だとオレは思っている。

ところでここまで読んで、俺は人生の節々で人の意見に左右されすぎというか、人の意見を聞きすぎという印象を持ったんじゃないかと思う。

それは俺もそう思っている。

言い訳でしかないが、俺のこれまでの体験についてだが、俺はこうした方がいいんじゃないかとその時思っても
その時代その時代に沿った価値観がかならずあるわけで、その考えに自信が持てないのだ。

世界で成功している起業家とか実業家というのは、その時その時どちらかと言うと間違っている方にこそ答えが眠ってると思って、決断していくから成功しているんじゃないかと思う。

例えば、ひとつ前の話で、俺はゲーム業界に入るしか無い人間だとその時思っていても、それがただしいという確信が持てない。

それどころか、ここまで書いてきて人に判断を仰いだ話は、どれも合ってるか間違ってるか自分でわからず不安というものばかりだ。

2007年2008年の時点で、まだ言葉すら無かったゲーム実況者になるとか、Youtuberになるみたいなこと、自信を持って行動に移せるだろうか?

その時、失敗することを恐れず、やっていればよかったのだろうが、それを、瞬間瞬間にどちらかと言うと間違ってる方の選択肢に賭けるというのは、相当勇気の必要な決断だと俺は思う。



前にも書いたことだが、俺は去年の夏からRPGツクール3でゲーム作りを始めたり、人生のロスタイムと思って色々なことに挑戦してきた。

長期間放置してたブログにも戻ってきて、ゲーム作りの宣伝をしたり、ツイッターを再開したり、色々だ。

ところがどれも思ったように上手い成果が出ずに、全部をやめてしまった。

成功体験というのはそう簡単にやってくるものではない。
俺は痛感している。

ちょっと話が変わるが、俺は2014年の10月頃から小説を書いてネット上に公開していた。

しかし、いざ書き始めても全然はかどらないし思った水準にならない。
それに、そもそも小説の書き方がわからないので、どうしたらいいか度々わからなくなって頭がパンクしそうになる。

そうやって一進一退の攻防のようなことを繰り返して、一人相撲を繰り返していた。

それに困った俺は、このブログで出会ったある人にメールを出し、小説をみてもらうことにした。

そうしたら、全然ダメで、まず出してもらった課題を基に短編を書くべきだという話になった。

課題をもらって書いて出してを繰り返すものの、やっぱりうまくいかない。

それで俺は段々と疲れてきたのだった。

その素振りの練習みたいなものを繰り返しても、上達の実感はないし得るものも感じられない。

だから、次第に俺はサボりがちになった。

最後は中編を書く話をもらって、それがちょうど去年の今頃だったが、完成したのはそれからおよそ3ヶ月後だった。

俺は、こうやって辛抱強く書いた小説を見てくれるような人に出会っても、その人を呆れさせるほど人間が出来てない。

夏の暑い日に、中編の小説を完成させてすぐ、俺はRPGツクール3でゲームを作り始めた。
もちろんRPGなんだから、これまで嫌がっていたストーリーも考えなければならない。

それから4ヶ月後のことだった。俺は小説ではないものの、一つの物語を完成させた。

それで気づいたのは、やはり自分が、成長したいとか思わないと、何か人から言われたことをただやっていても成果が少ないということだ。

RPG作っていた時は、困っても誰かに相談したりもなく、全部自分で判断して解決してきた。
だから実入りも良かったのかもしれない。そして、このことに俺は見返りを求めなかったのも大きかったのだろう。

まあでも俺は、成功体験というのは非常に大きいことだと思っている。
人のやる気を左右するほどの影響を持っていると思っている。

良く承認欲求だとか、かまってちゃんはダメだと言われるが、俺はそれぐらいじゃないとダメだと思っている。

極端に言えば、成功体験というのは承認欲求やかまってちゃんみたいなものだ。

人は人に認められて、初めてやる気を出す。出せる。

唐突だが俺はツイッターをやめてしまった。

なぜならうまく行かなかったからだ。
うまく行かなかったという言葉が適切かどうかと言うとちょっと違うだろう。

俺は人生最後のロスタイムと思って、苦手だったツイッターもはじめて、色々広がりたいと思っていた。

もう積極的に前向きに特攻していったのだ。

ところが俺はこの頃RPGツクール3でゲームを作っていたのだが、そのせいもあって普段から情緒不安定だったのに、さらに追い打ちをかける状態になっていて、気分の悪くなる胸糞悪くなるメンヘラツイートを連発していたのだ。

そんなことを続けていると、どんどん俺のアカウントがミュートにされていって、相手にされなくなっていく。

それで、やめた。

怒ってやめたんじゃない、知らず知らずに他人を不快にさせていた自分に反省して、やめたのだ。

よくよく考えると、ツイッターで出会った人で、深い関係を築いた人というのは、いないんだよな。

ちょっとしたことで、すぐ離れていくような人たちばかり。

そんなのは知り合いでも何でもないただの他人であって、そんな人達ばかり量産してもしょうがないので、ツイッターを使うことをやめた。

結局、ツイッターでも関係の深い相手というのは、このブログやら、ゲームレビューのサイトやら、はたまた、動画配信やってた時の常連客など、ツイッター外で知り合った人ばかりで、ツイッターで知り合って関係が発展した人はいない。

どちらかと言うと、俺と相互フォローしてオレのこと嫌いになった人のほうが多いんじゃないかと思っている。
嫌いというか嫌になってブロックもバレるしミュートにしようという感じだ。

ツイッターはじめた活用法の一つとして、情報収集というのが目的としてあった。
特に俺は、フリーゲーム関係の情報をいろいろと仕入れたくて、そういう世界に首を突っ込んだりしていた。

しかし、俺がちょっと頭がアレで関わっちゃいけない感じのリストみたいなのに仲間内で囁かれていて、それで距離を取られているんじゃないのかなと思う。

この関係を修復させようとは思わないほうがいい。一番いいのは俺が去ることだ。それが一番迷惑をかけない。
この失敗をなんとかしようと思うことが一番悪いことだ。

大体、ツイッター外で知り合った人が、これで嫌気が差していなくなるなんてことは無かった。
それどころか、俺がツイッターを始めたことで、ツイッターを使い始めてくれたり、そういうことが、俺は嬉しかったものだ。

動画を投稿すれば見てくれたり、俺が長年ゲームレビューのサイトをやっているが、それに触発されてレビューサイトを始めたりしてくれている。
動画配信の時も俺に影響されて配信者側になったという声もすごく多く聞いた。

俺はそれが嬉しかった。俺には一銭の得にもならないことだが、俺のやったことが他者に影響を与えたということが嬉しかった。

俺の作ったRPGツクール3の紹介動画も、ちゃんと見て、ただほめ散らかすんじゃなくて、駄目なところと良い所をちゃんと言ってくれるのが俺にとってはありがたかった。

俺が最悪だと思っているのは、ただ慣れ合うだけの感じが、一番嫌だった。
それで、お立ち台に登らされて、いい気分になって、次につながっていくのかもしれないが、俺はそういう偽りの関係がすごく嫌だった。

窓の社の週末ゲームで紹介されている一番上のゲーム。
これは俺の相互フォローの人が作った処女作なのだが(初期は結構絡みもあったが今は嫌われている)、処女作がいきなり窓の社で紹介されるって、凄いよなと思う。普通ないよこんなの。

フォロワー同士でも、ゲームの事で盛り上がっていて、色んな人にやってもらって、普通はこんなに処女作が取り上げられることはない。

まあ、この人は俺を嫌っているからここは絶対見てないと思って本音を書いているのだが。

俺はこういう他人の成功体験みたいなのを見るのも辛くなってきて離れたってのもある。

ちなみに俺はダウンロードまでしてあるがクリアまでプレイしてないからどうこう言うことは出来ない。
クリアまでプレイする予定はない。クリアしてしまうとゲームレビューしてしまうから。
俺は嘘を書けないので、仮に酷評する内容だと、そのまま酷評してしまう。これが間違って目に入ってしまうと、悪いと思うからやらないことにしている。

俺もこれぐらい周りにキャーキャー言われりゃあ、次のゲームでも作るかとか、そういう気持ちになっていだろうよ本当にな。

小説もそうだし、ゲームもそうだけど、また俺が本当に心からやる気にならないと、つぎは始まらないと思う。

それは、前の段落で書いた、ビートたけしや千原ジュニアの成功体験みたいなものと近いものと思っていい。
俺もRPGツクール3でゲーム作ってそこそこ反応頂いたけども、自信付くほどの反響があったかっていうとそうでもないだろ
じゃあこんなものか、で終わるんだよな。これは本音だよ、

動画配信だってそうだろ、俺があの時やけっぱちで配信して盛り上がらなかったら、そのまま俺にはやっぱり向いてないでやめていた。

そんなもんだって。

なんかないと、頑張ろうって気持ちになかなか向いていかない。

年取ると余計そうだ。若いころは、大学生やってたりすると大学生という身分に守られて世間の目も気にならないし好きなことがやれるだろ。

年取ると、色々気にしなきゃいけないことが増えてきて、行動力がどうやっても落ちてくる。
落ちないように工夫してる人もいるが普通は落ちてくる。

このブログだってそうだ
これを頑張ったて、金が入ってくるわけじゃないから、気が向いた時にやってる

かといって頑張って俺の生き様とか考えを書いたって反応も何もないし、それだとつまんねぇんだよ

それに、長年こんなブログやってると、自分のブログなのにすごく気を使って、更新内容とかも気を遣ってやるようになる。

なんでそんな有名でもないブログに、こんなに見に来る人の配慮しなきゃならないんだろうなと思うんだよな。

俺はこういう人間だから、なに書いたって失笑されることが多いし、だから、気を遣うようになっていく。

俺が前みたいにゲームやってる話とか書いたら凄く怒るだろ?
だからそういうことはやめるだろ?
そしたら、重い哲学的な話ばかりになるだろ?

このエントリだってそうだが、4時間とか5時間とか書くのに時間がかかってる。文字装飾なしの原文だけでな。
作業時間で言えば丸一日掛かっている。

無償で何も目立った反応もないのに、そんなことやる気にならなくなっていくんだよ。
な?ブログに時間を時間をかけるのが時間の無駄だな?と思うようになるだろ

今回は長くなったのでここで終わります。
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