片田舎に住む不器用な少年は、将来ゲームクリエイターになるという泡沫の夢を見た

これは、俺の話ではない。とある人間が歩んできた人生の話だ。
繰り返しになるが、これは俺の話ではない。





とある愚か者の話をしよう。
その愚か者は、1983年に生を受けた。
ファミリーコンピュータ。通称ファミコンが発売された年のことだった。
愚か者は、その偶然に、必然や運命を感じざるを得ないでいた。

愚か者の父親は、ある日ファミコンを買ってきた。
愚か者は、3歳か4歳になる前、物心付く前からファミコンに触れた。
そのコンピュータの世界に、瞬く間に魅了された。
デジタルの世界は、当時はセンセーショナルで、とても衝撃的だった。
ある種、隔絶された世界を畏怖する風潮が強い時代に、無垢な子供は抵抗することなどなく夢中になり、
その世界に間違いなく未来を感じていた。

予感していた。将来は間違いなく、コンピュータが世界を席巻するさまを。

だが無垢な子供はそんなことはどうでもよく、ただ、そのコンピュータの世界の面白さにのめり込んでいた。ただそれだけだった。

初めてやったゲームソフトは、「けっきょく南極大冒険」だった気がする。
「F1レース」だったようなきがする。「いっき」だったような気もする。
はっきり言って、どれが初めてやったゲームだったのかはわからない。
それだけ物心付く前、幼い頃からコントローラを握ってゲームを遊んでいたからだ。

1985年とか、それぐらいの時期の出来事だ(おそらく)。

愚か者のゲームへの執着心は異常なものだった。
ただ家にファミコンがあったからという理由だけでファミコンに夢中になっていたというレベルを超えていた。

当時としては珍しく、親がファミコンに対して寛容だったからそうなってしまったというわけでもない。

これは1988年の出来事だ。
「スーパーマリオブラザーズ3」を買ってもらった愚か者は、それにあまりに夢中になるあまり、視力を落とし、親にはファミコンを隠されるほどだった。

小学校に入学し、学校が終わると、父親が帰ってくるまで、殆どの時間「スーパーマリオ3」をやり尽くしていた。

当時の愚か者は、“飽きる”ということを知らなかった。
クリアしてもゲームオーバーになっても何度も何度も最初からやり直し、すべてのステージを順番にクリアしていく律儀さだった。

そんなにも、一つのゲームに執着するものだから、これは危険だと思った当時の両親は、
さすがにファミコンを隠したのだった。

ちなみに、「スーパーマリオブラザーズ3」は、全ステージをクリアするのは、順調にやっても2時間は軽く超える。3時間ぐらいはかかるだろうボリュームのゲームだった。
そのボリュームのゲームを、何回も通しプレイしようとしていたのだから、相当な熱中っぷりだったのが伺えると思う

愚か者は人付き合いが苦手だった。
だから小学校に上がっても、うまく友達が作れず、また、遊び相手も出来なかった。

正確には、出来ても、周りに上手く溶け込めず、結局一人遊びしか選択肢がなくなってしまうのだ。

周りとのいさかいやトラブルが発生し、周りの大人が、愚か者を友達の輪から引き剥がす。
そして、愚か者は一人、積み木遊びや一人トランプ遊び、ぬいぐるみ遊びなどをして、他の人と離れて過ごすことになる。

これは幼稚園の時からそうだった。

なぜ自分だけがいつも引き剥がされて、一人ぼっちにされてしまうのだろう。

このように感じていた。

そうやって一人にされてしまうものだから、一人で遊べるものとなるとファミコンぐらいしか無い。
こうして、愚か者はより一層、ファミコンへとのめり込んでいくことになる。






愚か者はゲームだけでなく、ゲーム情報誌にも夢中になった。

ファミリーコンピュータマガジン、月刊PCエンジン、といった雑誌だ。

こういったゲーム雑誌は、父親が買ってきていたのだ。

ゲームに夢中になればゲーム機を親に隠される。また、勉強しなさい外で遊びなさいと怒られる。
かといって、外で遊ぶ相手などいない。
一人で自転車で用事もなく宛もなくブラブラするのもつまらない
一人公園で、ブランコを夜の暗くなるまで漕ぎ続けるなんて苦行もやったことがある。

しかし、家でゲーム雑誌を読んでいるぶんには、さすがに親も怒りづらかった
それでも、外出て遊べと放り出されることは日常的にあった。
だから愚か者にとって、日曜日とか休日は苦痛そのものだった。

ゲーム情報誌を読むのもまた、ゲームを遊ぶのと同じぐらい面白かった。

ゲーム紹介記事や広告、インタビュー記事やまだ見ぬ新しいゲーム機、
それから片田舎にはなかったゲームセンターの筐体記事、
これのゲーム写真を眺めているだけでも胸踊らせ、心ときめかせワクワクしてくるのだ。

ゲーム雑誌を読んでいるのもあまりにも面白いものだから
小学校低学年にして、大抵のゲーム会社の名前は覚えてしまったし、どこのメーカーが何を出しているとか、どういう名前の開発者がいるのか、といったものまで覚えてしまった。
加えて、ゲームカタログ的な本を見て、ゲームの発売日から価格やおおまかな内容まで、覚えてしまうほど何度も読み返した。

そのカタログ本は、文字通りボロボロになるほど何回も何回も読んだのだった。

そのカタログ本について補足すると、ファミリーコンピュータマガジンという雑誌についてくる付録の、「ファミコンカセットオールカタログ」という、ファミコンのゲームソフトがすべて紹介記事として収録されている本のこと。他にもスーパーファミコンオールカタログなど、何冊かシリーズ化されている




愚か者は中学生になった。
中学生になってからも、相変わらずゲームに夢中で勉強を全くしなかった。
だから、成績も悪く、周りからは馬鹿にされ、親からは怒られるという生活を送っていた。

だけど、愚か者は真面目に勉強しようとはしなかった。する気も起きなかったと言える。

中学2年生の秋、愚か者は突然新聞配達を始めた。
それは、欲しいゲームソフトを買えるようにするためのお小遣い稼ぎだった。

また、この頃から、将来のことを考え始める。愚か者はゲームに携わる仕事をしたいと思うようになった。

ところが、どうすればいいのかわからない。

家にはパソコンもなく、将来やりたいことのためにどうすればいいのか教えてくれる人も周りにはいない。

愚か者は困った。本当に困った。

そこでとりあえず、学校の勉強を真面目にやることにした。

5教科、250点前後だった成績が、中学2年になって勉強するようになってからメキメキと上がっていく。
最終的には5教科、400点を超える成績にまでなった。

が、愚か者の能力では、そこが限界点らしかった。

当然もっと上の成績を取っている人もいる。

勉強すればするほど、点数が上がるから面白かったのに、努力しても上がらなくなってきてから、面白くなくなっていった。

そして、将来ゲームに携わる仕事をしたいのに、本当にこんなことをしていても、それが達成できるのか、愚か者は段々と疑問を持つようになっていった。

5教科400点のレベルにまで到達すると、それを維持するためには普段常日頃から真面目に勉強していなければいけなくなり、愚か者は、真面目君を演じることに疲れてきていた。





愚か者は、高校受験で、最終模試での合格率2%の高校に合格する。
そして進学校の高校に入学する。

そこでも、息の詰まるような真面目君を演じ続けていた。

将来、ゲームに携わる仕事が出来ると信じて、目の前の勉強を頑張っていたのだ。

かつて、高橋名人も言っていたことを律儀に守っていた。

「ゲームは一日一時間」は守っていなかったが
「僕らの仕事は勿論勉強」
この格言を、しっかり守っていた。

勉強をすれば、将来の道が勝手に開いてくるものだと思い込んでいた。

だが。

そうはならなかった。

結局、高校卒業、そして大学進学、大学卒業に至るまで

ゲームに携わる仕事がしたいという疑問にしっかり答えてくれるものは愚か者の前には現れなかった。

愚か者は、人生に迷い失望した。
そして、目標を見失った。生きる目標がなくなった。







愚か者は35歳になった。

生きる目標を見失ったまま、屍のような状態に成り果てていた

若い頃にはあった、周りに向けて反発したり暴れたりするエネルギーもすでに尽き果て、死を待つのみといった満身創痍の状態になった。


あの思い出の中学校時代

20代の頃、愚か者は
中学の同級生との飲み会に誘われることがあった。

その時、ゲームクリエイターになっていた同級生が2人いた。

愚か者は心底羨ましがったと同時に、自分と同じ夢を抱いていた人がいたことに驚いたのだった。

仕事はいつも終電……
今やらされてる仕事はモバイルゲーム……

などと愚痴っていたが、愚か者は話を聞いているだけでも羨ましかった。


愚か者はどこで道を踏み外したのだろう?
見果てぬ泡沫の夢を見た、あの少年時代からその過ちが始まっていたのだろうか

愚か者は今日も、そのことを考えている……


<了>
スポンサーサイト
プロフィール

安西爆弾

Author:安西爆弾
FC2ブログへようこそ!

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR