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プレミアゲーを買って自慢するだけの大人にはなりたくなかった

最近は、ニコニコ生放送をよく見ているという話は以前したと思う。

自分は、ニコ生の中でもゲームの、レトロゲームのタグの付いた放送を見に行っている。
今、ニコ生でのレトロゲームの定義は、PS2(下手するとPS3中期にまで及んでいる)にまで広がっていて、「それってレトロゲームになるの?」って言われるものまでレトロゲームタグが付けられて配信されている。
これも以前書いたと思うが、レトロゲームのタグが付けられた配信は、大体15~60以上、同時配信されており、色んな懐かしいゲームが配信されている。

中でも、レアゲーを買って配信している割合がレトロゲームタグでは比較的多い。
自分が、このタグで見る配信を探しているのは、珍しいゲームをやっている姿が見られるからである。

そして、その中でも、高値の付いたプレミアゲーを買い漁って、それをやり込んだりクリアまでプレイするのでもなく、ちょっとプレイして辞めては別のプレミアゲーに行くという、ただただ視聴者に見せびらかせるだけの配信者もいる。

どの配信者なのかということは、ここには書かない。
はっきり言って、これから書くことは、そういう人たちにとって、ある種の批判的意見になってしまうし、自分が見ている配信者のチャンネルをここに書いても、メリットはないので、紹介はしない。

名指しすると、誹謗中傷になる可能性もある。いたずらに配信者の名前をここに書き出すのは良くない。

当たり前だが、ゲームを遊ぶということは、それなりに時間の掛かる趣味である。
大体、ゲーム自体が時間を消費する目的のものであるから、当然のことだ。

しかし、ゲームはお金がなければ買うことが出来ない。

大人になり、いわゆる普通の人生を歩んでいれば、趣味に使えるお金も増えていくことだろう。
だが逆に、ゲームを自由に遊ぶ時間が絶対的になくなってしまう。

だから、普通の人は学生を卒業したら、それと同時に、ゲームも卒業してしまうことが多い。
(勿論、2018年、今の時代は、そうでもない人達も少なくない時代になってきたが)

だが、やはり大人になるに連れて自由な時間が減り、特にゲームは労力を必要とする趣味だから、ゲームへと情熱を注ぐことも難しくなり、やはり年齢が上がるに連れ、ゲームを卒業する割合は高まっていくのだと思う。

ゲーム=子供のものという言い方はしたくないが、構造的にそうなってしまっている部分は否定出来ないのだ。

大人になっても、ゲームへの興味が捨てられない人はどうなっていくのか?

その形態の一つが、さっき書いたように、余りある大人の経済力を使って、希少価値の高いプレミアゲーを大人買いして、その欲望を満たすという行為そのものだと思ってる。

ゲームのプレミアなんて、一部の規格外のものをのぞけば、高くて1万、2万3万、
まあ5万出せば、大抵のプレミアゲー1本買うことが出来る。
そもそも5万もの値が付いてるプレミアゲーなんて、ほんの一握りで、まあ大体は2万ぐらいあれば、1本ぐらい買うことが出来る。

他の趣味と比べれば、まだまだ安い趣味である。
(ちょっと書くと、ここ数年でレトロゲームの価格は急上昇しており、今後も高くなっていくことが予想される。この図式はあと2,3年で崩壊してしまうかもしれないことは補足しておく)

大人の財力を駆使すれば、プレミアゲーを買い漁る行為はまだまだほんの赤子の手をひねる程度のことで余裕で可能なのである。

だけど、それでいいのか?
俺は思った。

俺も一応、就職して月収××万(一応伏せることにした)とか稼いでいた時期がほんの一瞬でもある。
(まあもう隠してもしょうがないが、新聞販売店で働いてた頃の話だ。もうずいぶんと大昔の話だ)

それぐらい稼いでたら、プレミアゲーの一つや二つ、全然痛くもない。
就職して働いてた頃は、馬鹿みたいに欲しいゲームをほしいままに買い漁っていた。

だが、肝心のゲームを遊ぶ時間がない。
フリーター時代は、RPG1本長いのでも一週間でクリアできてたような人間が、
余暇時間をかき集めて必死にプレイしてもどう頑張っても1ヶ月かかるぐらいになってしまった。

そうなるともう、ゲームなんて時間のかかる趣味は捨てるしかなくなる。
捨てるか、ストレス発散するために、欲しいプレミアゲーをほしいままに買い漁って、
最初ちょっとだけ触って、棚にしまうみたいなことをして、穴埋めするしか無い。

しかし俺は、それでは満足できなかった。

なんとかして、趣味と仕事を両立できるところがないか頑張って探してきたつもりだ。

まず思うのだが、希少価値の高いレアなゲームを、高いお金を出して買って、
ろくに遊ばず、ちょっと触ってすぐ(今度はいつ遊ぶのかわからないような状態で)棚やら押し入れやらに片付けられる。

それってその希少なゲームソフトにとって非常に不幸なことじゃないだろうか?

遊びもしないゲームソフトを買って、ただその所有欲が満たされるだけのために高いお金を払っている。

俺は違う。
俺は、自分が楽しみたいから、ゲームを買っていた。
自分もかなりのゲームを溜め込んでいるから人のことは言えないが、基本的に自分が遊ぶために買っていった。
それも、経済的余裕がなくなって、2011年に断念してからは、殆どゲームを買っていない。

今の俺は、お金がなくて買えないなら、貸してくれる人がいればいいとさえ思っているほどなのだ。
本音を言えば所有欲も満たしたい気持ちもあるが、中には希少すぎてそうも言ってられないゲームもあるし、持ってる人が快く貸してくれる、ような人と出会えればそれで十分と思っている。

要するに何が言いたいのか。

これは自分のはっきりとした意見になるが。

最初に書いた、ニコ生で、プレミアゲーを買い漁ってそれを自慢するように見せびらかすだけの放送をやっている人が、自分にはとてもとても滑稽に映ってしまっているのだ。

これは、はっきりと言わさせてもらう。

とても滑稽で、ああまたこの人、どうせ5分10分見せびらかすために買ってきたんだ

もう、そういう呆れた感情しか湧いてこない。

買ったゲームを最後までやるでもなく、その人自体がゲームが超うまいわけでもなく
イマイチなプレイを見せられて、10分か15分位で、1万ぐらい出して買ってゲームを辞めて、
また次のプレミアゲーを始めて、またやめて、これの繰り返しを何年もやっているらしい。

ちなみに、俺はゲームコレクターと言われる人種も否定的である。

それは、ゲーム自体をあまり遊ばず、ただただコレクションするためだけに確保しているからである。
飛び抜けて持っているとか、1万本所有してるとか、ケタ外れたコレクターだったら尊敬に値するが。

俺は好き勝手に、批判しているが、俺もこうなる可能性は十二分にあった。

そりゃ、一度就職した頃、やめる時はかなり考えた。
あの時、辞めない選択をしていれば、経済的に困窮することはなかっただろうが
ゲームという趣味は確実に捨てることになっただろう。

そして、当時から俺はゲーム配信をやっていたので、余りある財力を使って、プレミアゲーを買いあさり
さっき批判していた人のように、自慢にならない自慢を繰り返していた可能性は大いにある。

俺は、プレミアゲーを買って自慢するだけの大人にはなりたくなかった。

なんとかして、趣味と仕事を両立できるところを探してきたつもりだ。

俺の家には2000本のゲームソフトがある。
若い頃、買い集めたものだ。
これは、地元旭川で、一番とは言わないが、ベストテンに入るぐらいゲームソフトを持っていると言っても言いすぎじゃないぐらいだと思う。
自称ゲーム博物館と言っているが、これも間もなく壊されようとしている。

経済的に自立することに失敗したおかげで。

もし、本当に危なそうになったら、ここで引取先を募集するかもしれない。割とマジで。

終わります。

結局、金なんだよな。

前に、ゲームレビューを書けなくなったと言う話をした。
最近は、文章自体が書けなくなってきており、どうしちまったんだ俺?という感じになってきている。

ゲームレビューだけならず、このブログの文章も書けなくなってきている。
本当に、どうしたことかと、俺は思い始めている。

理由の一つとしては、やはり余裕が本当になくなってきたというのが大きいだろう。

そして今回はもう一つの理由を考えてみたいと思う。

結局、金なんだよな。
俺はこの結論に達していってしまった。

金って一気に汚らしい話になっていってしまうが、
資本主義の世界で、評価の絶対的なものさしが金である。

お金が貰えれば、自分のやってることって価値のあることなんだと誰もが思う。
そうしたら、もっとやる気になっていく。

翻って、俺のゲームレビュー、そしてこのブログもそうだが、
さっぱり人に見られていない。

見られていなくても、このブログもそうだし、ゲームレビューのサイトも
好きだから続けられていたが、それももう限界に達してきた。

少なくとも、俺はそうだ。

単純に気分とかやる気の問題じゃないか?

最初は、そう、俺は思っていた。

ちょっと、気分を変えたり、なんか健康的な生活でもすれば、解決するものだと思っていた。
だが、生活を変えてみても、何も変わらない。

びっくりするほど何も変わらない。
前は普通にやれてた文章を書くことが、全然出来なくなってる。

考える力が衰えたのかもしれない。
原因がよくわからない。

ブログの更新を1年近くサボっていたからじゃないか?
そんな事も考えたりもした。

だけど、ゲームレビューのサイトは、この間サボらずにずっと続けていた。
去年一杯、今年の1月2月くらいまでは、まだ書くことが出来ていたのだ。

ところがここ最近、ゲームレビューの記事も書けなくなってきた。
本当に困惑している状態だ。

さっきも書いたが、俺は原因の一つに環境もあるんじゃないかと思い始めていた。

1時間とか2時間とかかけて、ブログも、ゲームレビューも、更新したって、
ブログはまあそこそこ見られているが、ゲームレビューは本当に誰も見に来ない。

誰も見ないのをわかっていて、どうしてこんなに時間を使って更新する必要性があるのだろう

なんだか最近はそんなふうに感じるようになってきたのだ。

そして、さっきも書いたが、生活に余裕がなくなってきたということを書いた。
そのせいなのか、もう空いた時間さえあればゲームという生活を送っていた自分が

ここ最近は、ゲームを遊ぶことすら出来なくなってきてる。

三度の飯よりゲームが好きで、本当に人生でゲームばかりやってきて、
ゲームを遊ぶことに価値があるとか勝手に思い込んでいたぐらいズレていた俺が

とうとう、ゲーム自体を遊べなくなってきているのだ。

これは俺にとっては衝撃的な出来事である。

他人からしてみれば、どうでも良かったり、それが普通だとか、やっと正気に戻ったんだとか
そういう見方をするのだろうが。

ゲームに飽きたって言うとちょっと違うのだ。
ゲームは遊びたいけど、もう余裕がなくなってきて遊ぶ気になれない、といったほうが正しい。

最初の方ではあえて金という単語に置き換えて書いたが、

俺が長年やってきた、このブログ、そしてゲームレビュー
どちらにも共通することは文章を書くことだ。

それが他人にちっとも認められない

認められないまま10年とか経つ。

そうすると、俺には才能がないとか、こんな事やっても無駄だとかどうしても思っていってしまう。

俺がゲームに夢中になれなくなったというのは、どちらかと言うと
やっていることに意味を、価値を、見いだせなくなったからじゃないかと思う。

そして、つまらない大人になったなと思うことが一つある。

好きなことをやって金をもらえたり、他人に認められたりということがないんだったら
そういうことはバッサリと諦めて、辞めてしまうのが一番だと思い始めていることだ。

前はブログの更新やゲームレビューの更新が生き甲斐だった。
誰に何を言われようとも、身体が勝手に動いて更新してしまうといったほどだった。

ところが、そんなことをやってもなんにもならない。
じゃあ辞めてしまおう

他人はこれを見て、やっと大人になってくれたかとか思うのだろうが、
俺は面白くない人間になったなと感じてしまう。

まだ、やめる気はないけどな。

だが、文章を書くこと、文章力が確実に衰え始めているのは確かだ。
なんとか以前のような調子を取り戻したいと思っている。

終わります。

ブログのレイアウトを変更しようと思っている

どうでもいい話かもしれないが、このブログのレイアウトを変えようかと思って色々試している。

今風の白を基調としたものにしようと思っているのだが、色々試してみて、やっぱり今のままの方が
みやすさで言うとベストな状態になっている。

今のレイアウトは、昔からFC2にあるテンプレート・レイアウトのもので、さすがに古臭くなってきている。

このレイアウトだと、文字が小さくて読みにくい。
慣れるとそうでもないのだろうが、基本文字ばかりのこのブログ
やはり長文には向いてない。

それで色々と試しているのだが、コレといった納得のできるテンプレートは中々見つからない。

やはり、今風のものにしようとすると、仕様そのものが変わってしまうため、戸惑ってしまうと思われるのだ。

ただ、ブログを提供している側からすれば、各種SNSのボタンが標準装備されてるものとか、
トップからクリックしてブログ記事に飛ぶタイプのものに、流石にそろそろ変えたいと思っている。

最初はどうしても、読みにくい使いにくいみたいな印象を持ってしまうかもしれないが
長い目で見ると、慣れて今より見やすく使いやすくなると思うので、
新しいデザインのものに差し替えたいと思っている。

今は暗い色合いのデザインだが、今度は白を基調とした明るめのデザインにする予定。

なので、デザインが変わった時に見に来て戸惑わないでいただきたいというご報告だけ。

終わります。

俺は住んでる世界に満足できなかったんだよ

今更隠すことでもないが、俺は北海道の旭川というところに住んでいる。
子供の頃から、(好き好まず)ずっとだ。

都会といえば都会だし、田舎といえば田舎である。
総じて、ちんけな都会と言う事ができると思う。

さて、どうして突然こんな話を出したのかと言うと、それには訳がある。

今回は俺が暮らしてきた環境、世界について語りたくなったからだ。

子供の頃から俺は、どうもこの故郷が好きになれなかった。
どういうことだろうか?

なんていうか、小さい頃に物心つく頃に触れたゲーム、ファミコンに大きな関係がある。

家にはゲームだけでなく、ゲーム雑誌も置いてあり、小学校上がる前、幼稚園の辺りから、
それを読んでいた。
まあ、半分以上は意味を理解できなかったかと思うが。

ゲームとゲーム雑誌。この2つに触れて育った俺は、「コンピュータというこんなに面白い世界が広がっているんだ」という気持ちになった。

最初はただ、ゲームに夢中になっていただけだった。
そこから、当時で言うならマイコン、パソコンを知り、ゲームを作っている側を知っていく。

自慢じゃないが、小学校中学年ぐらいにはもう宮本茂の顔まで知っていたし、
ゲーム会社で頭角を現してきていたメーカー、コナミ、ハドソン、ナムコ、カプコンなど
そういうゲーム会社が何を出しているかなど、記憶しだしていた。

そうなると、もう日常が退屈になっていくのだ。
コンピュータとはかけ離れた、旭川という日常の世界が。毎日が。

人並みに外で野球やったり家で友達とゲームやったりカードダスをやって遊んでいたが、どこか面白くなく、虚無で外にいる時間が退屈だった。
ああ、何やってるんだ俺という気持ちだ。

だが、親には子供は外で遊べと外に無理矢理出されるし、外に出ると遊ぶ友達がいたから、仕方なく遊んでいた。
内心、どうしようもなくつまらなかったが。

小学校低学年の頃にはもう、PCエンジンとCD-ROMが家にはあった。
そこからますますゲームという世界が魅力的になっていく。

PCエンジンのCD-ROMは当時PCエンジン本体を除いても7万円を超えるほどの高額商品だった。
それをうちの親父は買ってきた。
1989年のことだったと思う。
ファミコンより遥かに性能の良いPCエンジンのCD-ROMは、なめらかで派手なアニメーションを画面内で繰り広げ、スピーカーから流れるのはシンセサイザーを使った豪華な生バンドのBGMだった。

やっと世の中の小学生がファミコンでゲームに魅了されていた頃。
そんな高性能マシンに触れて、魅了されないわけがない。

ファイティングストリート、イース1・2、天外魔境1、コズミックファンタジー1……

これらのCD-ROMソフトに俺は魅入られていった。

こうなるともう、お外で遊ぶのが、いよいよ本格的に馬鹿らしくなっていった。

だって、家に帰れば、ファミコン、PCエンジンがあって、そこでは当時としては考えられないほど
高度でリアルな世界が広がっていたのだから。

俺の世代で、親がゲームを遊んでいるというのは極めて珍しかった。
俺が通っていた小学校でも、親が本格的にゲームをやっていたというのはクラスで唯一だったと言っても過言ではなかったと思う。

親に買ってもらうのではなく、親が買ってくるゲームは、子供にとっては刺激的で衝撃的だった。
当時のドラクエやファイナルファンタジーやマリオでは味わえない感動や刺激がそこにはあった。

勿論、それにはアダルトな世界もあった(小学生にはロマンを感じられたものではないが)。

そんな環境に置いて、親にけしからんと言いたくなる人もいるだろうと思う。

だが、何が正しくて何が正しくないかというのは、結局その時その時になってみないとわからない。
確かにゲームのない世界で普通に育てられたら、今の俺はいなかっただろう。
だけどそれは、凡庸な、どこにでもいる普通の人だ。
そんな人間になって何が面白いのか。
今の俺を見て、間違ってるといいたいのだろうが、仮に俺がうまくやっていたら、そんな言葉はきっと出てこないだろう。

今なんて、子供にスマホやらパソコンやら渡して遊ばせている親なんてざらにいる。
俺の時代は、昔だったから、そういう環境に陥るケースが少なかったというだけで。

もう、その環境で育ってしまったのだから、仕方のないことだろう。

余り書くと自己弁護がどうたらという話になっていくのでこのへんで打ち切る。

そんな育ち方をしたものだから、学校の勉強はつまらないし、外で友達と遊んでいても物足りない。
まあ、友達と遊ぶのはそこまでつまらなかったわけではないが。

とにかく、隔週刊で発売されるゲーム雑誌や親が買ってくるゲームを追っているのが面白く、それ以外はどうでも良くなっていた。

でも、周りを見渡せば、案外そんなもんじゃないか?

週刊少年ジャンプのドラゴンボールを筆頭に、漫画に夢中になっていた。

俺は、そういったものには見向きもせず、ひたすらゲーム。ゲーム雑誌を読み漁っていた。
それが、何よりも至福のときだったからだ。

中学校に入ってからも、俺はひたすらゲームばかりで勉強をしなかった。

中2になってすぐにあった定期テストで数学を100点中、8点を取った。

それは俺にとって、今更だった。
だって、親に見せなくても済む小テストで何度も100点中0点を取っていたからだ。

8点という点数に、親は流石に激怒した。

その時から俺は、勉強をするようになった。
この辺の話は別のエントリでしてるから、詳しくは書かない。

いや、別の目線で少し触れておこうか。

俺は、親に怒られて、少し周りを見渡したんだ。

そうしたら、学校の成績が悪い人は、本当に馬鹿で、頭が悪そうで、話も通じないようなやつがいた。見るからに点数の悪そうな振る舞いをしているような奴らがいた。

気持ち悪っ
俺は自分のことを顧みずそう素直に思った。

俺はそいつ等と同じになりたくなかった。

そう

そうである。

俺は、自分より下の人間を見て、“こうなりたくない!!”と思って勉強を始めたんだ。

勉強しないでも30点取れていた人間が、勉強を始めると当たり前だが点数は上昇する。

だが、俺にとって勉強は面白くなく、ただのゲームを遊ぶための足かせにしか感じなかった。

俺にとって、成績はただのステータス。

良い点数を取っておけば、頭の悪そうな奴らと一緒にされないし、一緒にならないだろう。

ただ、そういったモノでしかない。

ゲームで言う、無機質に居並ぶパラメーターのようなもの。

低いとバカにされるから、それを上げるだけ…みたいな。

だから点数が上がると嬉しいとかもあまりなかった。
俺の欲しいものを買ってくれるみたいな褒美もなかったし、頑張るだけただ虚しいだけだった。

昔のエントリには成績が上がるのが嬉しいとか書いてた気がするが、本音や実態を言うと、このようなもんだ。

そして、中2の秋になって、俺は欲しいゲームを買うために新聞配達を始める。
この辺の話も何度も書いてきているから、ここでは詳しく書かない。

中2の冬ころ、我が家にとうとうパソコンがやってきた。

親父がゲームに飽きて、パソコンを買いだしたのだ。

折しもWindows95ブームが到来した直後だった。

ここでパソコンを弄り倒して、プログラムの一つでも習得してれば、将来違ったのだろうが、そんなに都合よく事が運ぶわけもない。

親父がたまに使わせてくれるパソコンで、中途半端に遊んで終わるの繰り返しだった。

何よりこの頃、新聞配達に勉強に忙しく、ほとんど遊ぶということが出来ていなかった。

中3の秋のことだった。選択授業でPCでプログラムを組むというカリキュラムがあった。
俺は迷わずそのカリキュラムを選択した。

コンピュータ室で、ベーシックを組む授業だった。

俺はワクワクしていた。

今でもその授業内容は覚えている。

電圧の計算をベーシックでプログラムするというものだ。

このとき俺は、タッチタイピングもマスターしていなかった。
だから、人差し指で一つ一つゆっくりプログラムを書いていった。

俺は夢中になってやったので、人より早く電圧のプログラムを完成させた。

なので、画面を装飾するというプログラムも付け加えていった。

俺はホントにこの授業を楽しんでいた。
このときほど学校の勉強が楽しかったということはない。
もう、毎週、選択授業の時間が来るのが楽しみで仕方がなかった。

たったの2,3ヶ月しかなかったが、学校の授業で初めて有意義だと感じた授業だった。

こんなに有意義な授業だったのに、周りを見てみると、真面目に取り組んでいる人が本当に少ない事に気づいた。

「なんでなんだろう!?」

俺は疑問に思った。

それだけではない。
中学に入ってから、スポーツ系の部活で汗を流す人たちが理解できなかった。

中学は絶対にどこかの部活に入っていなければならなかったので、俺も実際、最初は友達に誘われて、卓球部にいやいや入ったことがあった。

だが、スポーツは運動神経が悪くて苦手だったのでうまく出来なくてまるで全く楽しくなかった。

俺はすぐに退部届を出して文系のサボれそうな部活に入った。
実質帰宅部と言うやつだ。

スポーツ系の部活に入って一生懸命汗を流すということが俺にはどうしても理解できなかった。

何故か?

簡単な話だ。

そのスポーツが得意な人は、それで全国大会に出たり、何かの大会で1位を取るなどして賞をもらったり出来るだろうが、それ以外は、結果を残せず、ただ自己満足で終わっていく世界だ。

いわゆるピラミッドのような構造になっている。
低層の連中は何も残せずに終わっていく。

そんなことにいくら頑張っても何を得ることが出来るのか?

俺は本気でそう思っていた。

運動神経が鈍くて、身体を動かすのが苦手だから、体育会系のことについて徹底的にそう感じるのかもしれない。

だが、部活に入って体を動かしたからどうだ?
その後の人生にそんなに大きく影響が起こるのだろうか?

まあ、友達が増えるとか、それがきっかけで彼女が出来るとかそういうことはあるかもしれない。
だけど、それは直接的に部活とは関係ないことだ。

なんか、スポーツ系の部活に入って頑張るとか汗を流すとかっていうことが、美徳にすらなっているような風潮、空気が俺は嫌だったし理解ができなかった。

そこに俺みたいな不向きな、下手くそな人間が意固地に居座っていてもなんにも得られない。

この考え、どうだろうか?

俺はそれなりに大きな中学にいたから、どのスポーツ系の部活も人が沢山いて序列階級がはっきりしていた。
だからいくら頑張っても、スポーツの苦手な人間がエースに抜擢されるなんてことはないし、駄目な人間はそれなりの地位が待っていることがわかっていた。

逆に、その環境でエースになれたのならば、地区大会で優勝したりということが可能になれるような学校だった。

そして、もう一つ周りに対して理解できないことがあった。

ゲームとかコンピュータという世界がこんなにも将来性に満ちた可能性を見せていた時期に、
それに興味を持つ人間があまりにも少なすぎたことだ。

多くの人が何気なくゲームはやっていた。
だが、そこに熱い情熱を注ぐ人もいなければ、深く興味を持つ人間もいなかった。
どちらかと言うと娯楽としてはゲームはまだ弱くて、漫画が圧倒的だった。
アニメも、オタクっぽいという理由でまだマイナーな存在だった。

男子が将来の夢に挙げる職業は、「自動車整備士」で、俺はそのことが理解できなかった。

地元の工業高校にはプログラムを学ぶ学科がなかった。
つまりは俺は、俺の興味を満たせる世界が地元・旭川には存在しなかったのである。
(今は違う、付け加えておくが念の為。これは昔の話である)

そこで俺は、親の反対を押し切って、高校は進学校を選んだのだった。

さて、俺の若かりし学生時代の昔話はここまでだ。

俺はなにかクリエイティブなことがやりたかった。
何もゲーム開発ということだけではない。

人は俺のことをワナビーとか言うのだろうが、
なんにも挑戦せず、夢の一つも持たない人間にはなりたくない。

ちなみに、中学の同級生で、ゲームクリエイターになった人間が2人いる。
俺が若き頃、夢を見ていたことは、そんなにそこまで、無理なことだとは思っていない。
しかも一人は、仲良かった友達で、成績は俺よりかなり悪かった。
今はもう、無理だと思うけどね。

勿論、2人共、上京している。

他にもエグい話を混ぜ込みたかったが、俺が悪者になりたくないから、辞めた。

終わります。

最近はニコ生を良く見ている

今年の1月から、ニコニコ生放送を良く見るようになった。
ニコニコ動画は人が減っていて終わったとよく言われているが、
ゲームの生放送を見るのに一番いい場所と言われたら、ニコニコ生放送だと思っている。

個人的には、ニコニコ動画は嫌いだった。
匿名性の高いコメント機能とか、独特のノリが嫌で、積極的に使うことはなかった。

その証拠として、ニコニコ動画全盛期でも自分はニコニコ動画を使わず、Youtubeで動画を探していた(2007年前後)。
Youtubeのアカウント登録が異様に早いのも、自分がYoutubeびいきだった証拠の一つだ。
(Youtubeのアカウント登録は2006年11月頃、この頃は日本人自体がまだ全然いない時代だった)

それが今やすっかり、ニコニコ動画のニコニコ生放送にどっぷり浸かっている。

何故か?

ニコニコ動画の欠点とかデメリットは今でも山のように出てくるが、自分が感じている長所とかメリットを語りたいと思う。

一番のメリットは、検索のしやすさだ。
今なら雨後の筍のように、配信サイトがたくさんできているが、ニコニコ生放送ほど検索しやすいサイトはない。

自分は、見る動画はゲームだけなんだが、この場合、見たい動画を探す時、TOPからゲームのカテゴリをクリックするだけ。
これで、ゲームのチャンネルにすぐ移れる。
逆に、ゲーム以外の動画を見たい人なら、やはりTOPから、そのカテゴリをクリックするだけでいい。
生放送は新着順に並んでいて、良くある他のサイトの人気順ではないのも個人的にはベストだ。

賑わってる感を出したいためか、配信サイトのレイアウトと言ったらテンプレートのように人気順(同時視聴者数順)を採用している配信サイトばかりなのだが、この場合、人数の多い配信を探すのには都合がいいが、
自分が見たいと思っている配信を探すには、本当に不向きだ。

同時視聴者数の多い人気者の配信が面白い確率が高いのだろうが、ゲームに限った場合
大抵新作ゲームだったり、似たり寄ったりのゲームばかりがズラズラっと並ぶ。
それに、人気配信者の場合、コメント自体が多くてまず読まれないのでチャットに参加したいと思わない。
人気配信者の配信のほうが面白いのかもしれないが、自分はそうは思っていないので、新着順で表示されるニコニコ生放送は使いやすくて良い。

次に、ニコニコ生放送はタグ検索が便利だ。
見たいゲームを重視している自分としては、タグ検索で自分が見たいゲームを検索する。
ゲームタイトルだけで検索できるのではなく、レトロゲームという曖昧な意味合いでも検索できるのが、ニコニコ生放送最大の長所と言ってもいい部分。

自分の興味は、レトロゲームに偏っているので、ゲームにジャンプした後、レトロゲームのタグをクリックして、そこに表示された配信から、見たいものを選ぶだけ。

少なくともレトロゲームを見たい場合、ゲーム→レトロゲームと数を絞るだけで、丁度いい検索数が表示されて、実に居心地が良い。

ちなみに、ここでのレトロゲームの定義は今やPS2やGC、DSにまで広がっていて、PS3以降のゲームには付けられない。
レトロゲームの定義は人それぞれかと思うが、見きれないほど検索結果が表示されるわけじゃないし、2018年3月現在の段階としては、いい感じの使われ方をしていると思う。

ちなみに、レトロゲームタグは少ないときで20以下、多いときで60以上といった振れ幅だ。

気に入った配信を見つけたら、その人のコミュニティをフォローすれば、ニコニコ生放送内にいる場合に限り、上部のメニューバーでフォローコミュニティが配信しているかどうかがリアルタイムに表示される。
通知という形じゃないのがうざったくなくて良い。

人が減ったのは確かだが、一極集中しやすい他の配信サイトと比べて、一般人が配信してもリスナーが付きやすい。
これは、ニコニコ生放送を利用している人がまだまだ多いことの現れだと思っている。
プレミアム会員は減ったかもしれないが、無料でなら使いたいという人たちはまだまだ多いのだろう。

配信者も減って面白い配信が減ったんじゃないかという意見もあるかもしれないが、
探せば面白い配信者はまだまだたくさんいる。

現に、自分の場合、1月から見はじめて、マイナーな配信者で面白いと思ってフォローしているコミュニティが10個は超えている。

もし、ニコニコ生放送より、良い配信サイトがあったとしたら、教えて欲しいと思っている。

ちなみこの話は、ニコニコ生放送限定の話で、ニコニコ動画の方は一切見ていない。
あくまでも生配信に限った話を書いた。

なぜ、こんな話を書いたのかと言うと、
見る側だけでなく、配信する側にも戻りたいと思っているからだ。

今、twitchで配信することがあるのだが、ずっと視聴者数が増えず、全く見てもらえてないのだ。

当たり前だ。
やっているゲームがPS2とかのレトロゲームで、全然注目度の無いゲームばかりやっているためだ。

去年の12月ころまでは、告知すれば何人か見に来ていたのだが、もう誰も見に来なくなった。

そういうわけで、ちょっと困っているのだ。

終わります。
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